深霧の樹海
その村は森林を少し入ったところにあった。大樹を利用し、立体的に入り組んだ街並みとなっており、エレベーターのようなものがぷかぷか浮かんでいる。あれで上下移動するのだろう。動力は謎だ。ファンタジー的な何かだろう。虫とかどうしてんだろうかと不安になった。何せ俺がこれから住むことになるかもしれない村なわけだし。
村の人たちは俺たちを見かけると家の中に閉じこもっていった。気難しいと聞いていたがまさか、ここまでとは……。いやそれよりも村人の容姿だ。
「あれは……まさかエルフとかいう奴か!?」
「ご存知でしたか。彼らは私たち人とは違う種族、自尊心が高く排他的で、保守的な一族です。」
テンション上がってきた。エルフといえば容姿端麗。一瞬だけ見えた村人達はその話に違わず美人だったのだ。俺は高ぶる気持ちを抑えきれず、メイに早く案内人に会いに行こうと急かす。殺気を感じた。振り向くとトウコが微笑んでいる。
「そんな怖がらなくていいよユシャ。私はユシャに危害を絶対加えないから。ユシャには。」
この間、肩を握りつぶされそうになったのはトウコ的にはノーカウントらしい。まぁしかし下心丸出しでは心証は悪いだろう。ここは気を取り直して紳士的に案内人と面会することにした。
「案内役ですか、嫌です。」
即答だった。メイは救世主様の助けになることは名誉なことだし、そちらからしても魔王が討伐されるのは悪くないことだと力説するが、首を縦に振らない。
「わかりません……確かにあなた方はあまり、我々の申し出に対して協力的でないのは知っていますが、それでも商人が通過する際は案内をしていたじゃないですか。それがどうして突然?」
「理由は明白です。そこの救世主……先程から人の胸元をちらほら見ていて、きもいからです。」
案内人のエルフは例に漏れず容姿端麗だった。何より他のエルフに比べ胸元が豊かでついつい男の本能として見てしまうのだ。この世界にブラとかはあるのだろうかと心配になるくらい。
「きもい……?ユシャに対してそう言ったの、この淫乱メスブタは……?殺すしかなくない……?」
殺気立っているトウコに対して、案内人のエルフは気丈に振る舞う。恐らくはトウコの力を知らないからそのような態度をとれるのだ。
「待て待てトウコ、すぐ殺すとかいっちゃ駄目だって。」
「ユシャ……?乳ってね、脂肪の塊なんだよ。つまりあれは脂肪を無駄に蓄えているブタにすぎないの。ユシャは人間だからちゃんと適度に脂肪を落としてる人間の女の子の方が好みだよね……?」
何いってんだこいつ。それはともかく案内人の心証が悪くては仕方ない。本人がやりたくないのならば仕方ないのだ。
「わかったよ……行きたくないと言っているんだ。無理に俺たちに同行しろなんて言わない。」
「ユシャ……分かってくれたんだ。」
「ところで話は変わるんだけど空き家とかないかな?俺もここに住みたいんだけど。」
「ユシャ!?」
追い出された。何が悪かったのだろう。
「流石にここに住みたいはまずかったですね。エルフとは先程も言ったとおり排他的な一族です。人間の移住を受け入れるなどありえないです。ましてやきもいと思ってる人間など尚更ではないでしょうか。」
「そうなのか……ここは俺が人間とエルフの架け橋になるみたいな展開を期待してたんだけど。」
「救世主様ならいつかそうなると信じていますよ。それはそれとして、案内役の協力が絶望的になったので、この大森林の突破は時間がかかるでしょう。覚悟してください。」
「仕方ないな……ん?」
追い出されて気がついたことだが、村外れに小さな一軒家がある。
「メイ、あれは何なのか知らないか?」
「いえ、私も村の内情までは知らないので、ただ村の敷地からははずれていますね。」
ポツンとまるで取り残されたように建っている一軒家が気になったので、俺たちは立ち寄ることにした。丁寧に鈴がおいてあるので鈴を鳴らして、住民に挨拶をする。だが返事はない。
「空き家かな?廃屋?」
「廃屋の可能性が高いですね。村からはずれていますし、エルフたちは使わなくなった住居は解体し資材を別のものに使うので。これから大森林に入る前の準備拠点として使うのはありだと思います。」
そうと決まれば早速、中に入る。廃屋の割には、しっかり家具が揃っていて、住むこともできそうだ。調理器具も揃っているし、木製の建物だというのに腐って使い物にならないようなものもない。そして奥の部屋にはふかふかのベッドがあった。思わず飛び込む。
「ひゃあ!!」
ふかふかして気持ちいい。その感想と同時に甲高い悲鳴が聞こえた。メイかトウコ辺りが虫でも見つけたのだろうか。こんな森林の木造建築、大きな虫の一匹や二匹はいてもおかしくはない。
「あ、あの……は、離れてもらえないですか……。」
ベッドが喋った。どういうことだと、ごそごそと漁る。柔らかい感触は変わらない。いやなぞってみるとこれは……人型の肢体……布団をまくる。すると中にはエルフの少女が……。
禍々しい気配を感じた。気配の方向へ振り向くとトウコが幽鬼のように立っている。俺を、その大きな目を見開き真顔で見つめている。
「ユシャ、うん、良いの。私は全てを理解してるから。そこのメスブタが誘惑したんだよね。どいてくれないかな、そんな距離が近いと私の理性が耐えきれないし、巻き込んじゃう。は、はやくしてくれないかな、ユシャは優しいからそのメスブタに捕まって自由に動けないだけなんだよね。覚えてる?中学二年生の頃に、同級生の女の子にからかわれて無理やり、キスされそうになってたの。あのときも私が止めに入らなかったら、きっとそのまま本当は嫌なのに、無理やり大嫌いな女とキスしてたんだよ。駄目だよユシャ、ちゃんと本当の気持ちは相手に伝えないと、勝手に都合よく解釈して、あの時みたいにユシャの気持ちなんて無視してことを進めるんだから。その点、私は違うよ?私はちゃんとユシャの気持ちを理解した上でユシャを尊重して動いてるから。覚えてるかな?小学三年生の頃だって、大好きな限定お菓子、お母さんにお小遣いを貰って買いに行ったよね。でもお金が足りなくて、私は自分の分を我慢するからその分をユシャに使ってもいいよって言ったよね。その時ユシャは、私に対して溢れんばかりの笑顔で大好きだって言ってくれたんだよね。私も大好きだよ?そんなことはわかりきってるけどね、言葉でこうして伝えることが凄く大事なことなの。ねぇどうして固まってるの、早く離れてよ。でないと私、ユシャのことを……。」
「うぉぉぉぉぉ!!離れました!!離れましたよトウコさん!!いやでも待って、その何か使おうとしてるのやめて!!この子とは偶然こうなっただけだから!!」
ベッドの上で、エルフの少女を押し倒しているような場面にしか見えず、瞬時に只ならぬ様子を感じて俺はトウコの機嫌をとる。
慌ただしい様子を聞きつけたのかメイもやってきた。そしてベッドで俺たちの様子を黙ってみていたエルフの少女を見て呟く。
「はぐれエルフ……ですね。」
はぐれエルフとは。そもそもエルフたちは森に住まう種族で、保守的、プライドが高い、排他的など散々な言われようだが、それはあくまで他種族に対しての話。エルフ間では血の繋がりのない者であろうと、家族のように大事にしていて、共生を重んじる種族だという。
だがそんなエルフたちにも、はぐれ者というのはいるらしく、こうして村の敷地に立ち入ることすら許されなくなり、誰からも相手されなくなり、一人孤独に生活するようになるのだ。
「なんて酷い話だ……同じエルフだっていうのにそんな差別的な……人情というのはないのか!」
俺は激怒した。エルフたちの傲慢な振る舞い、それだけではなく仲間であるはずの、こんな年端もいかないエルフの少女に対する卑劣な仕打ちは許されなかった。
「もっとも群れから追放されるなんて本当に珍しいケースなんですけど……例えば同族を殺したり、人間と関係をもったり……大体が掟破りが原因です。」
「え、そうなのか?えっと……君はどうしてこんなところに?良かったら話を聞くけど。」
「る、ルブレです。私の名前は。すいません……魔物が入ってきたと思ってベッドの中に隠れていたんですけど、誤解されてしまったみたいで……あっ!お、お茶淹れますからゆっくりしていってください。」
エルフの村には結界が敷かれている。大森林は魔王軍が放った魔物で溢れており、並大抵のものは魔物に襲われてしまうのだ。そんな中で生活できるのはエルフの結界のおかげだ。だが、ルブレの家は結界の外。従って、魔物が侵入してくることもよくある。そういうときは決まってベッドの中に潜り込んで、ひたすら魔物がいなくなるまで隠れ続けているという。
「改めて聞くとはぐれエルフってのは本当に大変そうだな……。こんな小さい子を追放するなんて本当に何考えてるんだ。」
「このお茶本当に美味しそうに飲むねユシャ。今度、私も淹れるから飲み比べてよ。私が淹れるほうが美味しいよ。」
「エルフは厳格なところがありますから、何か事情があるんでしょう。」
お茶は森で採れた薬草をブレンドし煎じたものらしい。味だけではなく健康にも良いらしく、俺はグビグビと飲んでいた。
「はい……ところで皆さんは、やっぱり大森林を抜けるためにエルフの村に寄ったんですか?人間がエルフに会いにくる理由なんて大体そんなくらいですから……。」
「そうだよ。でも残念ながら振られてしまったんだ……だから案内人無しで森を抜けようって話になったんだ。」
「よ、よろしければ私がご同行しましょうか?私もはぐれとはいえエルフです。森の案内はできます。」
思いもよらぬ申し出だ。断る理由はないが、正規の案内人でもない彼女を信用できるのかという問題がある。
「案内人としての技量なら心配はないと思います。エルフというのは森とともに生きる種族。この森は庭のようなものです。はぐれとはいえ、自分の庭を案内できないものはいないです。ただ、同行人としては私は反対です。理由は一つ。彼女がはぐれエルフとなった理由を私たちは知りません。先程も言ったとおり、はぐれエルフというのは重大な掟違反を犯したものなんです。それこそ彼女は快楽殺人鬼で、それを理由に追放されたという理由もありえます。」
「私も反対かな。ユシャに色目を使ってるし、何なのその容姿、エルフっていうのはみんなそうなの?おかしくない?メスブタの遺伝子でも入ってるの?まぁユシャはこんなのに欲情しないのは知ってるけどね、それでも間違いってのはあるだろうし、何よりユシャにその気はなくても、このメスブタが頻繁に誘惑してきたら、どんな聖人君子だって間違いは犯すもの。」
つまりこんな外見だが、中身は殺人狂、俺たちに害をなす存在という可能性もあるわけか。いわゆるハニートラップというやつだ。これから向かうは大森林。同行者にそんな者を抱えるのは確かにリスクとしては高い。
「ルブレ、もし差し支えなければ、どうして追放されたのか教えてくれないか。言いにくいのは分かっている。でも俺たちはお前を信頼したいんだ。これから一緒に、共に歩く仲間として。」
俺の言葉にルブレは少し抵抗を見せたが、やがて観念したかのように話しだした。
ルブレは元々、エルフの中でもエルダーエルフと呼ばれる上位に位置する家系にいたらしい。エルフ社会にも上下関係というのはあって、それは年齢だったり功績だったり様々だった。ルブレに関して言えば由緒正しいエルフ家系らしく、保守的で排他的なエルフたちにとっては重要な位置づけだった。
そんなある日、ルブレの両親は今まで人類軍と魔王軍、中立の立場をとっていたエルフたちに対して、魔王軍につくことを宣言し、森を捨てて魔王の下へとついたのだ。
そしてルブレは一人、村に取り残されたのだ。
「なんて話だ……ルブレは関係ないじゃないか!だというのにエルフの連中は……!メイ!もう分かったじゃないか、ルブレを連れて行こう!」
「あ、いやその……村の皆はその件については同情的でむしろ、色々と両親のいない幼い私に世話してくれたんですよ……。」
ルブレの話に憤りを感じて熱り立っていた俺を諫めるようにルブレは補足した。
「え、それじゃあどうして追放されたの……?」
「い、いやぁその……あまりに皆がお世話にしてくれるから狩猟とか採取とかサボってたんですよ……それでそれがバレちゃって……追放されちゃいました。」
締まらない顔でにへら笑いを浮かべるルブレ。嫌な予感がした。
「ちなみにその……サボったってのはどのくらい?」
「二十年目くらいでバレちゃいました、てへへ。今までうまくやってたんですけど。」
「よしメイ、案内人なしは大変かもしれないが、大森林を抜けるぞ。」
「そうですね、なるべく水場の確保だけはとるようにします。サバイバルでは水を切らすと致命的ですから。」
俺たちはおろした荷物をまとめ始める。さぁ過酷な旅の始まりだ。覚悟しなくては。
「ま、待ってくださいぃぃぃ!行くところないんですよ私!このまま魔物の餌になりたくないんですぅぅ!は、はぐれエルフの末路って知ってますか?魔物の餌になるかエルフ狩りに捕まるかのどちらかなんですよ!?救世主様なんですよね!?私を救済してくださいよぉぉぉ!」
「やかましいわ!同情して損した!何がはぐれだよ、ただのニートエルフじゃねぇか!離せ身体を掴むな鼻水をつけるな!!ニートを連れてく余裕ねぇんだよ俺たちは!!」
「やれます!やれますからぁ!案内できます!そこの女の人も言ってたでしょ、はぐれでも大森林は案内できるって!!それにお茶、飲んだでしょう?薬草の知識だってあるんだから置いてかないでぇぇぇ!!」
「信頼できねぇよ!離せ!!」
ルブレを突き飛ばす。無我夢中だったので思いの外、力が強く突き飛ばしてしまい、派手に転がった。流石に罪悪感が湧いたのでそっと近くに寄る。
「お、おい大丈夫か……。」
「う、うう……かくなる上は……ユシャさんと言いましたね、あなた私を押し倒して乱暴しましたよね!これが証拠です!!」
丸い玉を取り出すと、映像が浮かび上がりだした。凄いホログラム映像みたいだ。
「いやぁやめて!私ははぐれとはいえエルフ!人間に穢されては生きていられないわ!!」
「ぐへへ、そんなの知ったこっちゃねぇよ。大人しくしろ、そうすりゃすぐ終わるからよ。」
「いやぁぁぁぁぁ!」
先程、俺がベッドにダイブした映像に明らかな合成音声が加えられて流れている。
「ユシャ……?なんなのこれ……?」
「いや落ち着けよトウコ!合成だよ合成!明らかなフェイク動画だろ!!」
「ふ、ふふ……この動画をエルフ権保護団体に提出して訴えます!もう終わりですよユシャさん!あなたは私を連れて行かないと性犯罪者として一生を終えます!!いいんですか!?」
「な、なんだと!?脅迫するのか俺を、こんなもので!?」
とはいえ、こういうのは被害者側の主張が通りやすいのも事実……そして音声はともかく押し倒したのも事実ではある。ぐぬぬ、半ば事実なだけに俺の人生がスローライフどころか、プリズンライフまっしぐらではないか……。
「いやエルフ権保護団体なんてないですよ。何言ってるんですか。そもそも魔王が世界を脅かしてる中、そんな組織が機能するわけないでしょう、常識的に考えて。」
全員がメイの方を振り向いた。言われてみたらそうだ。治安維持が崩壊しているのに、人権……エルフ権?なんて保護できるわけないし、そもそも司法機関が機能しているか怪しい。
「よし荷造りは済んだな。行くか。」
「ごめんなさいぃぃぃぃ適当言いましたぁぁぁぁ何でもするから連れてってくださいよぉぉぉぉ靴、靴舐めますよ!ほ、ほらほら!!」
「あ、すいません。汚いからやめてもらえませんか。」
「何で敬語なのぉぉ!私とあなたの仲じゃないですか、一緒に同じベッドで寝た仲なんですよ、そんな言い方、役目が終わったら捨てるんですかぁぁ!?」
事実だけど誤解を招く表現はやめろ。トウコの堪忍袋がもう限界を迎えているぞ。
「なんでもする……?救世主様、私は恐れながら進言します。それなら良いんじゃないでしょうか、連れて行っても。その役目は多いに越したことはないですし。」
「本気かメイ?絶対トラブルの原因になると思うけど。」
「契約紋というものがあります。それをそのエルフに刻み込みましょう。奴隷に使うものですが、なんでもしてもらうのなら、担保が欲しいですし。」
契約紋とは文字通り契約に用いる紋である。肉体の一部に刻み、相手に契約を強制させるもので、主に信頼できない相手に対して行われるものとなる。勿論、双方同意は必要であるため、一方の関係では成立しない。お互いが納得し同意することで初めて刻まれるものなのだ。今回のようにその場しのぎで適当なことを言う相手に対して主に使われる。信頼の担保ともいえるのだ。
「メイ様、ありがとうございます……この恩は必ず……。」
「いえ私は救世主様のプラスになることを進言しただけです。それと契約紋の所有権は救世主様ですので、くれぐれも変な真似はしないように。」
こうして俺たちは大森林へと足を踏み入れた。