ロザリアは勇者の血を欲し、眷属の青年は勇者になった
ダークな感じの話が書きたかった。
ロード・ロザリアは最強の吸血姫だった。
誰も登れない頂き、魔族の頂点に君臨する一人。闇を支配する、支配者だった。
誰からも恐れられ、誰からも理解されず、誰からも愛されることのなかった、それがロザリアだ。
しかし、ロザリアはそれでよかった。
煩わしい関係など、疲れるだけだ。そして、一人が自由で素晴らしい事なのだずっと考えていた。
強すぎた彼女の周りには有象無象が集まり、勝手に彼女を王として敬う者もいたが、それすらロザリアには些細な事。
吹けば飛ぶような存在など、ロザリアにとってみればただのゴミだ。
そんなゴミがロザリアに指図しようものなら、あっと言う間に散って行くだけ。
ロザリアに命令できるのはロザリア自身だけ、それすら理解できない低能なゴミなど存在価値すらない。
そうして何百年と生きてきた。
長く生きると多少性格も丸くなったが、それでも誰もが恐怖するロードは健在だった。
時には戯れで人の生き血をすする事もあったが、あまりの不味さに辟易した。
もともとロードはそんなもの必要ない。ただの嗜好品だ。しかし、その嗜好品の不味さに怒りがこみ上げ、破壊の限り尽くしたのはまずかったのかも知れない。
ある日、勇者と名乗る男が現れた。
彼はロザリアに向かって叫んでいた。
お前は私が倒すと、この魔王めと――…。
「なるほど、ここまでくるだけの事はあるな…」
久しぶりに発した声は、まろやかな果実の如く魅了する。
美しく整った容姿は、簡単に人を堕落させることも出来た。
その真っ赤な血の様な瞳は、冥府の如く冷たく輝き死に誘う。
勇者と名乗る男は、そのどれもに立ち向かった。
しかし、たかが人間にロザリアがやられることもない。
「勇者か――…笑わせてくれる。この程度の力で…」
確かに素質はあったのかも知れない。
彼から発せられるロザリアとは真逆の力は、人と言うには過ぎたる力ではあった。
しかし、それすらロザリアには届かない。
ただ、少し興味が湧いた。
聖の血とはどんな味なのか。どんなことをロザリアにもたらしてくれるのかと…
死にゆく男にロザリアは問いかけた。
生きたいか――と。
しかし、男は唾を吐きかけるように言った。
死ね、化け物――と。
その瞬間光が空間を支配して、一気に広がった。
ロザリアはその瞬間をただひたすら見ていた。
気付けば知らぬ森にいた。
全身に痛みが走り、ああ、これが痛いという事か、などと初めての感覚に感動する。
「はは……あはははは!!」
突然笑いが込み上げてきた。
ああ、なんて楽しい日だったのだろう。
たくさんの初めてを経験できた。
あの男には感謝しかない。
生まれてから記憶のある限り、ロザリアにここまで深手を負わせた人間はいない。いや、魔族ですらもいない。
出来る事なら、あの男の血が欲しかった。
一方的に奪うことも出来たが、興が乗らなかった。あの男が落ちる瞬間を見たかったのかもしれない。
ふと、見れば傷の治りが遅い。
なるほど、聖属性の攻撃を受けるとこうなるのかとまた一つ知識が増えた。
それに喜びさえも覚える。
――ああ、やはり…
飲んでみたい。
あの男の様な強い血を。
どんな味なのだろう、素晴らしく甘美な味なのだろうか。
それとも、若いワインのような若々しい味なのだろうか。
「ふふふ…」
本当に気分が良い。
外に出ることなどここ数百年無かったが、新鮮だった。
たまには外に出るのもいいか…、少し外で遊ぶくらいいいだろう。
ロザリアは傷だらけのまま、森の中を歩いて行く。
傷の治りが遅いと言っても徐々に治ってきてはいる。そのうち全て治るだろう。
森は闇が支配していたが、ロード・ロザリアは闇の支配者。恐れるものはない。
それからロザリアは自分が築いた城に戻る事もなく、人の世界をふらふらしていた。
遠くで、魔王軍が敗走したとか、魔王城が陥落したとか聞こえてきたが、どうでもいい事だった。
魔王軍と呼ばれたゴミは、所詮ゴミでしかなかったかとしか思わず、人の手に渡った自分の城だって、ロザリアには興味なかった。
たまたま便利だったから作っただけで、欲しければまた作ればいいだけの話。
それだけだ。
ただ、ロザリアはずっと探していた。
あの男を。
自分に色々なものを感じさせてくれたあの男を。
欲しかった、あの男の力を…。
ロザリアは基本的に夜に行動する。
吸血姫である事から日が苦手と言うのもあった。もちろん、日の光で消滅するようなゴミとは違うが、闇を支配するロザリアは静けさが好きだった。
その日は、森の中を一人で歩いていた。
本能の強い獣なんかは、ロザリアには近づいてこない。
しかし、本能の備わっていないゴミが時々寄ってくる。
「おい、女。こんな時間にこんな場所でなにしてんだ?」
下卑た目でロザリアを見る男たちは、容姿の整っているロザリアを明らかな目的を持って見ていた。
その身なりと酒臭い息から察するに、商人…しかも奴隷商人だと理解する。
こういう手合いは、殺すに限る。
こんな闇に支配された森の中にいる事自体、人の世界では後ろ暗い連中だ。死んだところで誰も気にはしない。
そう判断するくらいにはロザリアは人の世界を理解していた。
そしてそれは一瞬。
ロザリアの目が輝き、男たちは倒れピクピクと痙攣している。
なんとも脆弱で、殺す価値もないような存在。
ただ、ロザリアを不愉快にした、それだけでも死ぬ価値がある。
「私に殺されるという栄誉を誇るといい、ゴミ風情が」
ロザリアに加虐趣味はない。
いたぶるような魔族も多くいるが、死は一瞬で与えるからこそ美しいという美学がある。
静けさが戻り、ロザリアは男たちが来た方へ歩いて行く。
いつもならどうでもいい事として、自分の行く道を変える事はしないが、なぜか気になった。
なにがどう気になったかなんて気にしない。
自分がそう感じた、それだけが重要なのだ。
少し行くと開けた場所で、焚火が燃えていた。ここで野営をしていたようだ。
周囲には、魔物除けが張り巡らされている。
闇属性の多い獣から身を守るにはうってつけだろうが、ロザリアには無意味な代物。
側いた荷馬車を引く馬が恐怖したように怯えているのが分かった。 当然だ。ロザリアは人ではない。膨大な魔力を保有したロードだ。魔王とも言われた彼女を恐怖しない獣はいない。
しかし、ロザリアは本能でロザリアがどういう存在か知る獣は嫌いではなかった。
気まぐれに一撫でし、支配する。すると、途端にロザリアに甘えるように首を摺り寄せてきた。
ぽんぽんと鼻をなで、荷馬車に目を向ける。
奴隷商の引く荷馬車の荷物など一つしかない。
頑丈なカギを壊し、中を見る。
中の荷物は一つだけ。いや、一人だけとでも言おうか。
さきほど放った力がどうやらここまで普及していた様で、中身の多くは死んでいた。
しかし、驚いたことに、一つだけ息があった。
荷馬車から引きずり出し、地に落とす。
血だらけのやせ細った少年だ。
毎日暴行されていたと思われる形跡。
ロザリアが今ここで殺さなくても、そのうち息絶える、もしくは獣に食われて死ぬような脆弱なゴミ。
まだ息のあるゴミは、おもむろにロザリアを見て呟いた。
――女神様…
と。
その目は死に向かう目。
生かす価値もない…、それなのに――
「ははは、あはははは、あはははははは」
笑いが止まらなかった。
「これが…、これがあれか!なるほど、なんとも残酷な運命よ!!」
覚醒前だと確信する弱い力。
ロザリアが求めていた、あの男。
「ゴミ、お前は生きたいか?」
今にも殺してほしそうな目、死にたいと叫んでいる目、それに問いかける。
死にたいか否かと――。
そしてそれは唐突に…。
目に力が宿り、輝きを増す。
憎しみなのか怒りなのか、その両方なのか。とても美しい輝きにロザリアは満足した。
「良いだろう、わたしの力を受け取るがいい」
ロザリアは少年の首筋にその牙を食い込ませた。
そのまま自分の力を注ぎ込む。
「っ――!!」
激しい抵抗と牙を通して流れ込む相反する力。
まるで自分を食らいつくすような力の本流。
――覚醒前でこれか!!
少年も苦しそうにもがいている。
当然だ。
この少年の中に流れるのは聖属性。それを塗り替えるかのように、注ぎ込まれる闇属性の力は、拒絶反応のように全身痛みが回っている筈だ。
しかし、ロザリアの方も同様だった。
自分と同等、それ以上にも感じる聖属性の力が入り込んできているのだから。
どちらがその力をねじ伏せるか、そういう戦いだ。
ロザリアは生まれて初めて自分の力を解放した。
――ここで死ぬのもまた一興…
生きていれば必ず死が訪れる。
それはロザリアとて例外ではない。
そして、自分の全てをさらけ出した上で死ぬのなら、それで構わない。
――ああ、それにしても。
やはり自分の思っていた通りだ。
牙を通して流れ込むその血、力。
――これほどの男なら…
いや、これほどの男の前に倒れるならそれでいい。
全てを出し切り、次第に力が衰える。
そしてロザリアはそのまま意識を失った。
次に目を覚ましたのは、日に光が明るく降り注ぐ部屋だった。
眩しい、そう感じた。
しかし、感じたのはそれだけだった。いつものような不快感はない。
身体を起こすと、素肌にシーツがかかっていた。
身に纏うものがなくてもロザリアは気にせず、ベッドから起き上がる。側にあったガウンを羽織る。
それと同時に広い部屋の扉が開かれ、一人の青年が入って来た。
身なり整った青年だ。
腰には立派な長剣を下げている。
「お目覚めになられましたか、マイロード」
微笑む姿に既視感があった。
「お前は誰だ?」
当然の疑問に、青年は嬉しそうに跪き、頭を下げる。
「私の名前はクリストファー・セラ・ロードと申します。クリスとお呼びください」
「ロード…」
「はい、ロード・ロザリア様」
ロードとは王だ。支配者であり主君でもある。
ロードの名を持つ存在に、ロザリアは警戒した。
「ロードの名を持つお前が、なぜわたしをロードと呼ぶ」
「私にとって、あなた様だけがロードです。およそ百年もの間、あなた様の目覚めだけをお待ちしておりました」
どうやらいつの間にか百年もの歳月が過ぎていたようだ。
そして、やっと思い出す。
自分の意識が途切れたその瞬間を。
目の前の青年がだれかを。
「そうか、お前はあの時のゴミか?」
「はい」
否定せず、青年――クリスは頷く。
ロザリアはなぜゴミが生きて、自分も生きているのか不思議だった。
ロザリアが施そうとしていたのは眷属化だ。
しかし、成功したとは言い難いのも感じていた。失敗したのなら、魔族たる自分を殺すのが普通だ。
「私は確かにあなた様の眷属として生まれ変わりました。人の運命から外れた存在となり、生きてまいりました」
「そうか…、確かに支配を感じる。だが、弱い。それに、わたしの中にお前の力がある」
どちらが支配するか、その勝負にロザリアは負けたのだと思っていた。
しかし、どうも様子が違う。
「お互いに支配し合う…そんな感じだ」
「その通りです。マイロード」
自分の中に自分以外の力がある。
なんとも不思議だ。支配される、とは違う。しかし、不快ではない。
「わたしもお前をロードと呼んだ方がいいか?」
「いいえ、マイロード。このゴミを生かして下さった恩は忘れることなど出来ません。下僕のようにお使いください」
本当にそれを望んでいるようだ。
ロザリアは、拒否することなく受け入れる。その方が楽だからだ。そして、楽しそうだから。
「ところで、ここはどこだ?」
「はい、私の拠点とも言える屋敷でございます。ここには私以外他には誰もおりません」
ロザリアは窓の外を見る。
窓の外は森が広がり、その森に見覚えがあった。
「ああ、ここは――」
「はい、私とマイロードが出会った場所でございます。この一帯を私の領地としていただきました」
ロザリアは人の世界には疎い。
疎いが、人の世界での領地というものは簡単に手に入るものではないという知識くらいならあった。
ロザリアの考えに気付いたのかクリスが続ける。
「少し、手強い魔族を数体処分いたしました。その代わりに勇者の称号と領地をいただいたのです」
なんとロザリアの目の前の男は、魔族の眷属でありながらも勇者になっていた。
初めてロザリアに様々なことを感じさせてくれたあの勇者に。
「ご不快でしたか?」
魔族を処分したと言ったことについてクリスが気にした。
しかし、ロザリアに魔族が同胞であるという意識は低い。
「いや、強くなったな。あの時は死に瀕したゴミだったが」
「お恥ずかしい限りです」
クリスが目を伏して、自分の過去の醜態を恥じる。
そんな姿が、ロザリアにはおかしく映った。
「過去の事はどうでもいい」
それこそ、すでに軽く五百年以上生きているロザリアにしてみれば些細な過去だ。
「この日の光が不快でないのはお前の力があるからか…」
ロザリアはぽつりとつぶやく。
「お前の力は心地よい。わたしの力と上手く溶け合っているな」
褒めるようにいうと、クリスは嬉しそうに微笑む。
「お前がわたしをずっと守ってくれていたのだな」
自慢ではないがロザリアには敵が多い。いや、敵と言うほどのものではない。ただのゴミがロザリアに群がっているだけだ。それでも、意識のない無防備な状態なら、簡単にロザリアを殺すことは出来る。
そして、殺したいと願っているのは人だけでなく魔族もだ。
「マイロード、あなたを狙っていた魔族は私が対処いたしました。これからもそれでよろしいですか?」
「まかせる、わたしは静かに暮らせればそれでよい」
「では、その願いを私が全力でお守りします」
なるほどとロザリアは笑う。
そして――
「褒美が欲しいか?」
そう問うと、クリスは遠慮なくはいと頷く。
ロザリアは、クリスに近寄り彼の首に腕を巻き付けた。そしてクリスの唇に自分のそれを重ねる。
クリスは少し驚いたように目を見張り、そのままゆっくりと目を閉じ、ロザリアを軽く抱きしめた。
やはりこの男の力は素晴らしい、とロザリアはうっとりする。
触れ合うそこから感じる力はロザリアの力とクリスの力が混ざりあい、なんとも言えない味わいだ。
もっと欲しくて、口づけを深めれば、クリスもそれに応じた。
満足するまで堪能し、ロザリアが唇を離すと、目の前の男はまるでロゼリアを獲物のような目で見降ろしている。
ロザリアは耳元で囁いた。
――もっと褒美がほしいか?
と。
クリスは、よろしいのですか?と問いながらも、飢えた獣のような目でロザリアを捕えて放さない。
そして、先ほどロザリアが肩にかけたガウンに床に落とし、ロザリアを抱き上げる。
その仕草にロザリアは愉快そうに腕の中で笑いながら、再びクリスの唇に噛みつくような口づけを仕掛けた。
暇つぶしになったのなら幸いです