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《 異世界恋愛系 小作品 》

義家族に虐げられていたら美形ヒーローが助けに来たけど、平手打ちをしてしまいました。

作者: 新 星緒

「なんて綺麗な花嫁でしょう」

「本当、国一番の美しい花嫁ですわ」


 着付けや化粧を担当したご婦人たちが口々に褒めそやす。彼女たちは我が領地の中では上流階級に位置する資産家の奥方たちだ。その表情が強ばっているのは、きっと私を気の毒に思っているからだ。


 ラコルデール公爵家の令嬢ヴィルジニーとして生まれて16年。幸せだったのは10歳までだった。年の瀬に、都から帰る途上だった両親が事故死。祖父母もとうに他界していて、私ひとりが公爵家に残された。当主の座を継いだのは、祖父の弟の息子という初めて会う男だった。


 男には品の悪い妻とふたりの娘がいた。私には誰もが認めざるを得ない正統性があったから追い出されることはなく、彼らと養子縁組みもしたけれど、持っていたもの──服もおもちゃも部屋もメイドも、9歳と8歳の義理の妹に奪われて、代わりにあてがわれたのは屋根裏の物置部屋と2セットの衣服のみだった。


 あれから六年。今日は私の結婚式だ。

「花嫁衣裳は素晴らしいし」と言うご婦人。

 ええ、祖母が輿入れしたときのものですけどね。

「立派な装身具ですこと」と別のご婦人。

 これは衣裳を褒めてくれたご婦人が貸して下さったものですよ。よく見て。彼女の目が泳いでいるでしょう?


 ぎこちない笑みを浮かべているご婦人たちに、鏡越しに笑顔を返す。

 彼女たちは悪くないのだ。公爵夫妻に命じられて私の世話をしに来た。装身具のことだって命令を受けてのことで、恐らくこれらは返却されないだろう。気の毒なことだ。


 父の死により新公爵となった男は暴力によって支配をした。私も、使用人たちも、領民も。みな、あいつを恐れ怯えて暮らしている。


 本来ならば彼を諌めなければならない国王は、長く不在だった。

 両親事故死の翌年に当時の国王が崩御すると、次の王位を巡って王子や王弟たちが争い始めたのだ。武力抗争もあったと聞く。ようやく新しい王が即位したのは、つい一年ほど前だ。しばらくは内政の建て直しに忙しいらしい。我が領地に目を向けてくれるのは、まだ先だろう。


 諌める者がいない男とその家族はやりたい放題で、公爵家の資産を食い潰し今は借金で生活をしている。その借金とて返す当てはない。

 そうして借金1/3を帳消しする代わりに、私が金貸しの妻になることになったのだ。


 金貸しは45歳年上のスケベジジイで、借金のかたに若い娘をもらってばかりいる。彼の屋敷には23人もの愛人兼メイドがいるそうだ。


 私は立ち上がると振り返り、ご婦人がたとその後ろで仁王立ちで監視をしている男の妻を順に見て、頭を下げた。

「支度をありがとうございます。これから最後の祈りを精霊様に捧げたいので、ひとりにしていただけないでしょうか」


「いいわ」と男の妻が言った。「その代わりに次の愛し子はお義父様だと、よぉく精霊に言い聞かせるのよ。万が一他の人間がなったら、どうなるか分かっているでしょうね」

「もちろんです」

 男の妻はふんっと鼻を鳴らして部屋を出て行き、ご婦人がたも後に続いた。バタンと扉がしまる。

 部屋にひとりになると、ほっと息を吐いた。


 精霊様というのはこの国の守り神のようなものだ。各地にひとりずついらっしゃって、土地の区分けは精霊様のテリトリーに準じている。貴族はその土地の領主であるが、第一には精霊様を奉る神職であるのだ。


 そしてひとりの精霊様につきひとりの愛し子がいて、たいていは当主が選ばれる。選ぶのは人間ではない。精霊様だ。

 選ばれた者の額には丸い金色のお(しるし)が出る。どんなに洗っても消えることはない。


 そして今、この土地の精霊様に選ばれている愛し子は私だ。だから私は屋敷を追い出されることはなかった。


 公爵家を乗っ取ったあの男は、自分が当主になれば愛し子になれると考えていたようだけど、そうはならなかった。何度か私を殺そうと試みたが、どれも失敗した。精霊様の加護かもしれない。その都度あの男は不幸に見舞われていたから。


 どうすれば愛し子を引き継げるのかを調べた男は、良い前例を見つけた。愛し子が他の血筋の者と結婚し、そちらの家に入ったらお印は消え、他の者に現れたという。

 それで私は金貸しの元に愛人としてではなく、正妻として嫁ぐことになったのだ。




 ──もちろん、そんな気はさらさらないけれど。

 ずっとあの男から逃げる機会を伺っていたのだ。この六年間はほぼ監視をされていたので、できなかった。今は待ちに待ったその好機だ。

 ここは精霊様を奉る教会の三階で、窓はあるけれど逃げられないとふんで男の妻は出て行ったのだろう。残念でした。


 愛し子であった私はこの教会に通っていて、内外をよく知っている。

 窓に歩み寄るとそれを開けて周囲を見渡した。こちらは教会の裏側になりひとけもない。

 よし、行ける。


 絹の手袋を外すと胸元に突っ込み、スカートをつまみ上げて窓枠を跨いだ。


 教会の外装はかなり賑やかだ。レリーフやガーゴイル、聖人像までついているから、掴める部分がたくさんあるのだ。これを伝って下まで降りる。

 こんな日も来ようかと、やることのない屋根裏部屋ではひたすら筋トレをしていたのだ。


 万が一落ちて死んだら。


 その時は仕方ない。私はあいつらに負けたということだ。

 だけど結婚が決まったときから、散々イメトレをしてきた。そのために心苦しい嘘、『精霊様が夢枕に立ち、三階のあの部屋を控室にすると、公爵家が繁栄するとおっしゃいました』なんてことも言ったのだ。


 慎重に、一足一手を動かす。ここを逃げ出し王都へ行き、あの男たちを告発するのだ。使用人と領民を奴らの横暴から守るために。

 旅費にするため、こっそり教会の金の燭台を持ち出してある。執事に内密で用意してもらった変装道具もだ。計画は完璧。


 そうして全てが終わったら。最後の幸せな夏に出会った初恋の君を探すのだ!

 それだけを心の支えにして、六年間を耐えてきた。


 名前はリュージュ。さらさらの金の髪に透けるような白い肌。薔薇色の頬に可憐な口元、青空を切り取ったような瞳。儚い美少女のようにしか見えない小柄な少年は、両親と共に訪れた避暑地で出会った秘密の友達だ。


 国内各地から貴族が集まる高原のリゾート地ですぐそばには素敵な湖もあり、多くの家族が瀟酒(しょうしゃ)なホテルに泊まっていた。

 だけどリュージュがどこの家の令息だったのかは分からない。誰かに紹介されたわけでなく、偶然に知り合った。お互いに口うるさい使用人から逃れるために、カーテンの陰に隠れて出会った。


 そんな私たちはこっそりホテルを抜け出して、毎日裏の森でやんちゃな遊びに明け暮れた。小川に入ったり、蝶を追いかけたり、木に登ったり。とにかく楽しくて、夢のような日々だった。


『また来年も遊ぼう』


 リュージュとはそう約束をしたけれど、その数ヶ月後に両親を亡くした私は、避暑地を再訪することはできなかった。だけど約束の証に共に作り交換した、クルミのからで作ったお守りを、今も大事に持っている。


 だから私はこの地獄を脱出して、リュージュに約束をたがえたことを謝るのだ。彼がどこの誰かは分からない。だけどあのホテルに行けば宿泊名簿から探せるはず。

 美少女のようだった彼は、きっと美しいたおやかな青年となっているだろう。



 ──そういえば。

『絶対にこの地を出るな』と私を脅した少年もいた。リュージュと違って、ふてぶてしい奴だった。

 あれは確か13歳の秋だ。


 私は教会で収穫を感謝する祭祀の準備をしていた。長雨のせいなのか季節を先取りしたかのように寒く薄暗い日だった。


 そこに旅装の少年がひとり、ふらりとやってきたのだ。寒さのためかストールを首周りにぐるぐると巻き、顔の下半分が隠れている。結ばれていない髪は黄土色でもしゃもしゃと長く、それも顔の輪郭や目を隠していた。


 少年は私に、

「この地の愛し子?ヴィルジニー・ラコルデール?」と尋ねた。

 そうだと答えると、彼は突然私の頬に触れた。そこにはあの男に殴られてできたアザがあった。


「女の子が顔に傷なんて。あり得ない!」

 少年はわなわなと震えていたけれど、私も怒りで震えそうだった。好きでケガをしたのではないのに、と。更に少年は、

「こんな状態である限り、絶対にこの地を出るな。絶対にだ!出たらばその日がお前の命日になるからな!」

 と脅してきたのだ。


 きっと顔面至上主義か、女は淑やかでなければならないと考える極端な思考の奴だったのだろう。

 そんなろくでもない女はこの地に引っ込んでいろ、さもなくば死だ。そんな脅しをかけるなんてとんでもない人間だ。


 そのくせ旅の安全を祈ってほしいなんて頼んできた。祈りは愛し子ではなく司祭の役目だ。そんな常識も知らないで、よく他人に説教をできるものだと腹が立ったが、司祭は留守だったから適当に祈ってあげたのだった。


 確か少年は名前はボドワンだ。うちの庭師と同じだったから、覚えている。

 領地から出るななんて、嫌なことを言ってくれたものだ。


 だけど私はみなを助け、初恋の君に会うためにこの地から逃げて王都へ行くのだ。

 まずはそのために、この壁を誰にも見つからず、無事に降りなければならない。


 慎重に慎重に足掛かりを見つけながら、降りる。と。


「あっ!」と叫び声がした。「ヴィルジニーが逃げてるっ!パパ!パパ!」


 それはあの男の上の娘の声だった。顔から血の気が引く。ここで終わりたくない。下を見ると、まだ地面は先だ。今の高さは二階くらいだろうか。急いで降りるか、飛び降りるか。


 バタバタと駆けてくる足音が聞こえてきた。のんびりはしていられない。一か八か。精霊様、お守り下さい。そう願って飛び降りた。


 足に激しい衝撃。じんと痛む。だけどうまい着地だったと思う。両足とも、裏で地面についた。


「なんてバカだ!」男の叫び声。


 それとは反対方向へ走る。がんばる。絶対に捕まらない!


「ヴィルジニー!」再び男の声。

 がしりと腕を捕まれた。

「離して!」

 空いた手で男を殴る。が、そちらも捕まれる。足で蹴る。

「なんてじゃじゃ馬だ。ヴィルジニー!よく見ろ?お前の味方だ」


 ……味方?

 ふと、視界に入る男の服が赤を基調にした軍服のようだと気づいた。だけどこんなものは見たことがない。それにこの声も聞いたことがない。


 暴れるのをやめて私を捕まえている男を見上げると、それは見知らぬ若い男だった。尊大な表情をしているけれど、かなりの美形だ。

 背は高くがっしりとして逞しく、よく日焼けをしている。アイボリーの短髪は清潔感があり、ベビーブルーの瞳は宝石みたいだ。


「国王直属の特務部隊だ」と男。「俺は隊長のリシャール。ラコルデール公爵による悪政の調査に来た。彼と夫人は証拠隠滅を防止するために、すでに拘束している。調査結果で問題なしとなれば釈放だが、まあ、無理だろうな。民と使用人の歓迎ぶりが凄まじいから、黒であることは間違いないのだろう」

 男は苦笑している。


「……国王が調査をしてくれるの?」

「そうだ」

「結婚式は?」

「ひとまず中断。安心したか?」

「……安心したわ」


 へにゃへにゃと力が抜ける。


「おっと!」

 と、男は私を抱えた。

「調査に協力を。ヴィルジニー」

「ええ!いくらでもするわ」

「それは助かる、じゃじゃ馬娘」


 そう言った男はくいと首をかしげた。

 なんだろうと思う間もなく、唇が重なる。


「何をするのっ!」

 男の頬をひっぱたいた。

「……何って、キス」

 男は唖然とした顔でまばたいている。

「離して、変態!」

「はぁ?誰が変態だ!」


 パタパタとまた駆けてくる足音がしたかと思ったら、今度は教会のお手伝いをしてくれている付近の娘たちだった。


「い、愛し子様を離して!」

「ヴィルジニー様!」

「変態!」


「ええっ」と男は不本意そうに声をあげたものの、手を離してくれた。娘たちが私を囲う。

 そのままみんなでその場を逃げ出した。




 ◇◇




 ラコルデール邸の客間。私は花嫁衣裳から普段着に着替え済み。ちなみに持っている服は普段着2セットと愛し子の正装2セットしかない。しかもオールシーズン兼用だ。



 教会で、失礼な特務部隊長から逃げ出したものの、それはすぐに終わりを告げた。表側には隊員がうじゃうじゃいたのだ。彼らは突然花嫁衣裳の娘が裏から現れたことに驚いていたが、丁重に接してくれた。


 隊長の言った通りに式は中止となり、私は自邸に帰ることができた。花婿は納得せずに抗議をしていたらしいが、借金はきちんと返済させるという隊長の言葉に矛を収めたそうだ。


 ところでなぜ私が客間にいるかというと、ヴィルジニーの部屋が屋根裏だと知った隊長が激怒をして新しい私室を用意するようにと命じたからだ。それが整うまでは客間を使って下さいと、執事に言われた。

 執事はお嬢様がようやく救われたと歓喜にむせび泣いていた。


 そして私はのんびりと、六年間縁がなかったおやつをいただいている。部屋の外では特務部隊や使用人、義理父の手下たち、あの男の娘たちが入り乱れて上を下への大騒ぎのようだ。

 私もいずれ聴取されるらしいけれど、とりあえずは飛び降りたときに捻った足をいたわりなさいと隊長に命じられた。


 あの時は焦っていて気づかなかったけれど、私は足を痛めていたらしい。隊長に

「大馬鹿のじゃじゃ馬め」

 と十回は叱られた。


 そういう自分こそ、初対面の令嬢にキスするクズではないかと私も言い返してやったのだが……。

 よくよく話を聞いたら、特務部隊長リシャールは第一王子のリシャール・ベロワイエだった。


 一年前に、王位を巡る争いの果てに即位をしたのがリシャールの父親だ。


 貴族がそれぞれに精霊様を奉っているように、王家は精霊王を奉っている。そして本来ならば精霊王の愛し子が王となるらしい。

 ところが先代国王亡きあと、どういう訳なのか、新しい愛し子が選ばれなかった。そのために争いが起きたというのだ。


 だが結局はリシャールの父親の額にお印が現れて、争いは終結、彼が新国王となった。


 リシャールの父親は先代国王の長男でリシャールは生粋の王族のはずなのだけど、軍人のような立ち居振舞いで、口調もやや乱暴だ。とてもではないが王子には見えない。けれどそれは長い紛争のためかもしれない。


 どのみち会ったばかりの令嬢にキスをするなんて、ろくでなしに決まっている。自分の顔の良さに、女ならみな喜ぶと勘違いをしているのだろう。

 いくらあの男の不正を調査しに来た味方だろうと、気にくわない。腹が立つ。


 初めてのキスだったのだ!


 できることなら初キスはリュージュとなんて夢を見ていたのに。

 王子だろうが、特務部隊だろうが、あの件だけは絶対に許さないのだから。


 こんこんと扉を叩く音がして、メイドが様子を見に行った。そんな彼女を追い出して、私の元へやって来たのは不機嫌な顔をしたリシャール隊長だった。


「執事に聞いた。ここを逃げ出して、王都に直訴に行く予定だったそうだな」

 彼はそう言いながら私を持ち上げて、自分が椅子に腰かけるとその膝の上へ私を下ろした。


「離して!」

 手足をバタつかせてみるが、がっしりと腰を捕まれていて、逃げ出せない。

「何故だ」

「失礼だわ!」

「失礼なのはお前だろう」と深いため息をつくリシャール。「それに、絶対にこの地を出るなとあれほど言ったのに、何故王都へ行こうとした」


 その言葉に引っ掛かり、暴れるのを止めた。


「時間がかかったのは済まなかったが、これでも急ぎに急いだのだぞ」

 そう言うリシャールの顔をじっと見る。

 確かに昔、私に『この地を絶対に出るな』と言った少年がいた。数時間前、教会の外壁にしがみついている時に思い出した彼だ。


 あの少年は私と背丈が変わらない、感じの悪い奴だった。顔は見ていない。髪の色は?リシャールとは違うような気はするけれど、断言はできない。なにしろ三年も前の薄暗い日のことだった。


「……もしかして、あなたは私に会ったことがある?」

 とたんに王子の顔に怒りが浮かぶ。

「やはり覚えていないのか!」

「秋の祭祀の準備中に来た旅人?」

「そう!」


 だけど彼の名前はボドワンだ。その名前で祈りを捧げた。そう言うと、

「俺の正式名はリシャール・ボドワン・ベロワイエだ」

 と彼は強い口調で答えた。

「あのときは王位を巡って父たちが紛争中で、俺は僅かな供と隣国に一時避難する最中だった。だから正式名を伝えられなかったんだが、第一王子の名くらい覚えておけ」

「そんなことを言われても。家族には虐げられていたから、町の人たちからしか外の情報を聞くしか手立てがなかったの。不正確でも仕方ないでしょう」

「……そうか」


 にわかに辛そうな表情になったリシャールは、性懲りもなく私の手をとりキスをした。

 パッとふりほどくと王子はまたため息をついて、複雑な表情で私を見た。


「だが命知らずにもほどがある。教会の壁伝いに逃げるのも愚かだが、領地を出るなんて。あの公爵は知らなかったようだが、そういう問題ではないぞ、向こう見ず令嬢め」とリシャール。

 話している意味がよく分からない。どういうことかと尋ねると、彼は

「お前も知らなかったのか」と目を見開いた。


 リシャールの説明によると愛し子には精霊様の加護があり、命を落とすような事故などからは守ってもらえるという。私があの男に殺されなかったのは、そのためだそう。

 ただしそれはあくまで精霊様のテリトリー内でのこと。その外の地には加護は及ばないらしい。

 確かに両親が事故に遭ったのは、領地外だった。


 愛し子たちの間では常識らしいけれど、義理父によって監視をされていた私は他地域の愛し子との交流が一切なかったために知る機会がなかったわけだ。


 ……あれ?ということは。

「あのとき私に『領地から出るな』と言ったのは、領地にいたほうが命は安全だから?」

 そうだとリシャール。

「脅しではなかったの?」

「脅し!?何のことだ!」

「顔にアザをつくるような『あり得ない』ことをする女は不愉快だから領地に引っ込んでいろって脅されたのだと思っていたのだけど」


 目を限界まで剥いたリシャールは、何度かまばたきをしたあと、またまたため息をついた。

「どうしたらそんな誤解になるんだ。顔のアザは義理父に殴られたのだろう?あり得ないのはあの男であって、お前のはずがないじゃないか」

「殴られたって知っていたの?」

 今度は私が驚く番だ。彼とはたった一度あの日に会っただけだし、周りの人たちもあの男を怖がって口をつぐんでいたはずだ。


「ずっと気に掛けていたんだ。それぐらい耳に入るに決まっているだろうが」リシャールは偉そうに胸をそらしたけれど、すぐに小さくなった。「本当は連れて行ってやりたかったけど、あの時の俺はまだ子供だったし、自分を守るだけで精一杯だった。すまん」


 ちょっとばかり理解が追い付かないけれど。

 つまりかつての嫌な少年は実は私を心配してくれていた良い少年で、彼はこのクズ王子だったということ?

 最初に彼が言った『時間がかかったのはすまなかったが、これでも急ぎに急いだのだぞ』というのは、あの時から私を助けようと考えていたから?


 そういうことなの?

 あれ?

 この人は案外、良いところもあるのかしら。

 いやいや騙されない。私にした狼藉は許せないし、今だって膝の上に座らされている。しかも逃げられないように、がっしりと腰を掴まれているのだ。どう考えてもおかしい。


「……ヴィルジニー」と王子。微妙に口がとがっている。「思い出したのはそれだけか?」

「他に何か話したかしら」

 あとは旅の安全を祈ったことしか記憶にない。


 人差し指で額をとんとん叩いてみても、何もでて来ない。

 リシャールは何度めになるのか分からないため息をついた。

「……六年前」ぼそりと王子。「夏。湖畔のホテル」


 六年前の夏、湖畔のホテルといえば、両親との最後の旅行で、リュージュに出会ったときだ。

「あのホテルにあなたもいたの?」

 そう尋ねると、リシャールは仏頂面になった。

「俺のことだけ忘れているのか?それともわざとか?カーテンの陰で出会って、ひと夏の間、毎日共に遊んだだろう?木登り、虫取り、水遊び」


 リシャールの顔をまじまじと見る。

 アイボリーの髪にベビーブルーの瞳。日焼けをしていて逞しい。


「『来年も遊ぼう』と約束をしたのに、お前は来なかった」とリシャール。

「……そういう約束をした友達はいるけど、彼の名前はリュージュだわ」

「あ」と王子が瞬く。「そうだ、あの時はお忍びだったから偽名を使っていたんだ」


 偽名……ですって?

 いやいや、だって。

「それにリュージュはさらさらの金の髪に透けるような白い肌で青空を切り取ったような瞳だった!」

「いや、美化されすぎだろう」とリシャール。


 美化……なんてことはない!

 彼は。

「 小さくて美しくて可憐だった!こんなムキムキのはずがないわ!」

「六年前だぞ。いつまでも可憐なはずがないじゃないか!男のほうが成長は遅いし」


 改めてリシャール王子を見る。

 記憶の中のリュージュの面影はない。というか本当はもう、彼の顔をはっきり思い出せないのだ。


「これ」

 とリシャールは襟元から金の鎖を引っ張り出した。その先にはボロボロになったクルミのからが付いていた。昔私が作って、リュージュと交換をしたものだ。間違いない。


「……リュージュなの?」

「そうだと言っている。だけど良かった。俺を忘れていたわけじゃないんだな」

 そう言った王子は、初めて嬉そうに笑った。急に鼓動が早くなる。辛い日々の中、再会を希望にしていたリュージュが目の前にいるのだ。


 私も胸元から銀の鎖に繋がったクルミのお守りを取り出した。王子の笑顔がますます深くなる。


「よし!ならば約束を覚えているな」とリシャール。

「再会のね。行けなくてごめんなさい」

「そうだ。毎年夏に会おうと約束したな」と良い笑顔の王子。


 そういえば、『毎年』の約束だったかも。記憶はあやふやだけど、うんとうなずく。


「そして新婚旅行はあのホテル」とリシャール。

「え。新婚旅行?」

 思わず聞き返すと、王子の顔が強ばった。

「まさか覚えていないのか?お互いの領地が離れているから、それぞれで挙式をして新婚旅行は夏にあのホテル。丸々借り上げて、遊び倒そうって別れ際に、出会ったカーテンの陰の中にふたりで入って約束したじゃないか」


 言われてみれば、そんな約束をしたような。

 すっかり忘れていたけれどリシャールの言葉で記憶の蓋が開いたようで、様々な断片が思い浮かんでくる。


 ……ああ、そうだ。確かに将来の約束をした。

 カーテンの陰で美少女にしか見えないリュージュが別れを惜しんで泣くから、来年の夏の約束を交わし、更には大人になったらずっと一緒にいて毎日遊ぼうと私が言った気がする。


 そうしたらリュージュが、それなら結婚だねと言って……。


「思い出したみたいだな」とリシャールが私の目を覗きこんでいる。「俺が約束のキスをしたいと言ったら、」

「うわぁ!」

 叫んで慌てて両手で耳をふさぐ。


 リュージュがあの時に『約束のキスをしたい』と言ったから、私が『それは大人になったらね』と返したのだ。

 思い出した。


「ようやく大人になって再会もできたのに、ヴィルジニーは平手打ちをしてくるし、変態と詰るし、ショックだった」

 リシャールの手が私の手を掴み、耳から離す。

「ま、まだ16歳よ。大人とは言えないわ」

「俺は18歳。いいと思うんだよな」リシャールが真っ直ぐに私を見ている。「それなのに平手打ち。この六年、積もりに積もった恋心がついに叶うという時に、平手打ち。あんまりな仕打ちじゃないか?」


「……ごめんなさい」

 観念をして、素直に謝る。

「だけどリュージュとは思わなかったのよ」

「俺は一目で君だと分かった!」

「あなたは変わりすぎよ。それにどのみち会ってすぐにキスというのは、いかがなものかと思うの」

「どれだけ俺は待てばいいんだ?六年前から待っているのに」


 ええと。私だけが悪いのではないと思うけど、リュージュと分からなかったのも約束をまるっと忘れていたのも申し訳ない気がして、強く反論ができない。


「ということで、やり直しを希望する」

 リシャールはイタズラげな表情だ。

「安心するといい。後先にはなるが婚約の準備はしてきてあるから、俺たちは正式な仲だ。だからヴィルジニーから俺にキスね」


 え、と息を飲む。それは花も恥じらう16歳の乙女としては恥ずかしい。

 というか婚約が決まっているとはどういうことだ。私が断る可能性は考えていなかったのだろうか。


「俺を変態と貶めたんだ。俺がオーケーを出すまで、きっちりしっかりすること。でないと膝から下ろさないからな」

「それって脅迫じゃない!?」

「ああ。これは確かに脅迫だ。だけどそのくらいの褒美をもらってもいいはずだ。俺は部下たちに、長年の片思いの相手に平手打ちをされた挙げ句に逃げられた、可哀想な隊長と思われているんだぞ?」


 うっと言葉につまる。


「それとも大人になった俺は魅力がないか?」

 質問とは裏腹に自信満々の顔をしている王子。

「……初恋のリュージュとはまるで別人だわ」

 私がそう言うと、尊大な王子の顔が陰った。分かりやすいひとだ。可愛いかもしれない。

「……だけど、これはこれで素敵かも。助けに来てくれたしね」


 さっとリシャールの額に口づけをして、笑みを向けた。

 すると特大の笑顔が返ってきたのだった。










◇本編で明かせなかった設定◇


精霊王の愛し子が選ばれず、王位を巡って争いになった。

精霊王も寿命を迎えて空位だった。

各地の精霊たちは次の王を話し合いで決定。本人たちは一瞬で決めたつもりだったけど、人間にとっては五年近くの年月が経っていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] いやいや、素敵なクズじゃないですか。間違いなくこれはハッピーエンドでしょう。良い作品でした!
2020/11/14 17:05 退会済み
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