中途採用
ゆっくりに与えられるバッジは幾つか在る。
その中でも、特級鑑札は他とは一線を画す。
銅、銀、金の順で格は上がるが、其処までは実は大差が無い。
精々が、ゆっくりに付けられる値段が違う程度である。
だが、特級ともなれば、全く違う。
そのゆっくりはゆっくりではあっても、ゆっくりとしては扱われない。
何処其処の誰々さんとしての立場が与えられる。
つまり、ゆっくりであっても【にんげんさん】に対して意見の具申が出来た。
*
翌朝、ようむは在る場所に連れて来られていた。
其処が何処なのか、知る由も無い。
もし、漢字が読めたなら絶対に野良ゆっくりは近寄らない場所。
其処は【加工所】の一室である。
ようむを拾い上げた麦わら帽子のゆっくりである、のうかりん。
その特級鑑札持ちは、自らの権限でようむを在る者に会わせていた。
机に乗せられた子ゆ。 ソレを、人間が値踏みする様に眺める。
「で? コレが君が推薦するゆっくりか?」そう言うのは、背広姿の男。
ようむにしてみれば【怖い人間さん】であった。
だが、いきなり踏み潰そうという気配は無い。
ソレよりもようむを困惑させたのは、男の態度である。
如何にバッジ付き、胴付きとは言え、ゆっくりはゆっくり。
にも関わらず、男はのうかりんをほぼ同等に扱うのだ。
信じられない光景に、ようむは頭が働かない。
それでも、時間は止まらなかった。
子ゆを眺めた後、男はのうかりんへと目を向ける。
「わからんな。 君ほどの者が野良に肩入れするとは……」
野良ゆっくりをよく知っている男からすれば、ソレを推薦する事が理解出来ない。
だが、問われたのうかりんは微笑むのみ。
「その辺のだったら、そんな事しませんよ。 ただ、その子、面白いんで」
「面白い?」
言われても、鼻を唸らせる男にはそうは思えない。
薄汚れ、お飾りも失った子ゆ。
外に居れば、直ぐに死ぬか惨めに成るかどちらかとしか想えない。
だが、よくよく見れば他のゆっくりと違う点があった。
呑気を絵に描いた様なゆっくりは、常にヘラヘラと笑っていた。
それだけではなく、賢さが足りない個体は人間を見下している。
ゲスな個体に見られる【じじい!】や【くそどれい】という発言から、如何に人間を見下して居るのかが窺える。
無論、野良の中には人間に媚びを売ろうとする個体も多い。
精々が惨めな境遇に泣き喚いて見せるか、飼いゆっくりにしろと強請る。
それに対して、のうかりんが推薦した子ゆは違った。
決して無駄口を叩こうとせず、覚悟を感じさせる目線。
それらは、ただの野良では獲得出来ないモノであった。
男は、その目を見て、鼻から息を長く吐いた。
「……そうか、わかった」
一言漏らすと、男は息を吸い込む。
「君に一つ質問したい」
嘲る様な素振りはせず、男はようむと目を合わせる。
「君は訓練所のゆっくりとして推薦されたが、どうする? 嫌ならば直ぐに解放しよう」
どうするかと問われても、子ゆであるようむには意味がよくわからなかった。
ろくな勉強すらしていないのだから、無理もない。
それでも、わからないなりに理解せんと努める。
どうやら、今のところ自ゆんは殺される心配は無いらしく、何かの世話を受けられるかも知れない。
で在れば、ようむに迷いは無かった。
今更外へ出ても、生きていける自信は無く、同族を頼った所で、無意味だった。
となれば、もはや自ゆんを託す他は無い。 一世一代の賭けである。
「……おねがいします」
怖い事は怖い。 だが、それでもようむは応えた。
単純に【飼いゆっくり】に成りたいという安易な発想からではない。
自ゆんを拾い上げた、同族に僅かなりとも憧れたからである。
出来るかどうかは、其処までは考えては居ない。
子ゆの返事を受けて、男は静かに頷く。
「宜しい。 では、君を銅バッジ候補生として採用しよう」
そう言いながら、男は背広のポケットに手を入れた。
スッと出されたのは、水性のペンである。
キャップを外すと、ペン先をようむの頬に近付けた。
触れられる事に恐怖は在るが、ようむは動かない。
大して時間は掛からず、頬に在る数字が書き込まれる。
「コレで良し、と。 40番、頑張ってくれ」
番号の意味はようむにはわからない。
それでも、死ぬはずだったゆっくりは加工所へと迎え入れられた。
*
怖い世界を這いずり回っていた。
だが、本ゆんですら気付かぬ程の速さで世界は変わった。
草むらや公園、道路ぐらいしか知らなかったゆっくりに取って、人間が作った施設というモノは正に異世界に等しい。
ゆっくり用の教室に連れて来られたようむだったが、何が何やらである。
何処へ連れて行かれるのか恐れたが、ソレは杞憂であった。
何故なら【きょうしつ】と教えられた場所には沢山のゆっくり達。
何処からかき集めたのか、かなりの数が居る。
その中に、御飾り無しの為に頬に直接【40】と入ったようむも混ざる。
そして、居並ぶゆっくりの前に、あの背広姿の男が立った。
立ち位置は生徒の前に立つ教師に近いが、者は教師ではない。
ようむに新しい番号を与えた男である。
ゆっくり達を集めさせたのは、一度篩いに掛けて選別する為である。
面談はしてあっても、誤魔化す事は出来る。
口達者なのは、語彙豊富なゆっくりの特性とも言えた。
其処で、別の方法にて更に篩い掛ける事で無駄を省く。
「さて、此処に集まって貰った諸君には、銅バッジを取るための訓練を受けて貰う訳だが、このままでは些か時間が掛かり過ぎる」
そう言うと、男は背広のポケットに手を入れた。
「諸君には食事と住処を提供するわけだが、それらはタダではない。 そして、やる気の無い者や素質の無い者を養う暇も金も無い。 其処で、君達に今から極簡単な試験を受けて貰おう」
言いながら、男はゆっくりとポケットから手を出した。
「コレから試験を始めるが、難しい事は言わない。 私が良いと言うまで、静かにしていて貰おう。 理解したね?」
男の声に、集められたゆっくりの中から「ゆっくりりかいしたよ」と声がする。
それは最初の指示に反する声かも知れないが、小声であった故に不問とされた。
小さな返答程度ならば、男も無視すれば良い。
フゥと息を吐きつつも、男は閉じていた手を開く。
ゆっくりの達の眼に、在るモノが映った。
男が取り出したモノは、特に変哲もないお菓子、クッキーである。
コンビニエンスストアやスーパーへ行けば、普通に売っているだろう。
だが、ゆっくり達に取っては意味が違ってくる。
欲しても欲しても、野良の生活では先ず手に入る代物ではないソレ。
ゆっくりにとっては、他に代え難い【あまあま】である。
ソレが出された途端に、目の色変えるゆっくりが現れた。
「ゆゆ!? あまあまさんだぁ!! ちょうだい! すぐでいいよ!」
「ゆわぁ!! あみゃあみゃ! ちょーらいね!」
上がりだした声は、瞬く間に伝播して行く。
誰かが挙げた声に呼応して、騒ぎが始まった。
「あまあま! あまあま!」
候補生として集められた筈が、そんな事は忘れたのか騒ぎ出してしまう。
ただ、中でも最後尾に居るようむを含めたほぼ半分のゆっくりだけは、至福のお菓子を見ても微塵も動じなかった。
欲しい欲しくないで言えば、欲しいとは想う。
だが、そんなモノを欲しがった為に、自ゆんに何が起こったのか、ソレを思い出すだけでようむからは欲求が失せていた。
「……あ、あみゃあみゃ」
ようむの隣に居た子ゆもまた、お菓子に声を出しそうに成る。
ソレを見かねたようむは、スッと身体を寄せて子ゆの口を塞いだ。
「しずかにして」
つぶらな目が【何故だ?】と訴える。
必死にモノ言いたげな目に、フゥと息が吐かれた。
「……しゃべるなっていわれた」
抑揚の無い囁きと冷たい視線に、子ゆはぶるぶると震えるが、口をキュッと閉じる。
子ゆを黙らせたようむもまた、口を閉じる。
【にんげんさん】の怖さを、知っている者達だけは喋らない。
たっぷり30秒は騒ぎが続いた時、男は顔を上げた。
「おい」
ドスの利いた声に、ゆっくり達の騒ぎも一瞬だが止まった。
「いつ、私が君達に発言を許可した? 更に言えば、誰が騒げといった?」
脅す様な口調と共に、男はお菓子を手の中で握る。
脆いソレは、手の中で潰れてしまっているだろう。
「私は、簡単な試験をすると言った筈だが? 私の耳が腐って居なければ、理解したと言った者も居たはずだ」
男は、ゆったりとゆっくり達を見渡す。
お菓子に釣られたとは言え、今更ながら怯えを見せるゆっくり達。
「いいか? 君達の現在の価値を教えよう。 1ゆで十円二十円程度だ。 そんな煩いだけの生物に、一々体罰を与えて教育するつもりも無ければ、無駄に金を払うつもりも、無い」
そんな声を合図に、部屋の奥で待機していた作業員が動き出す。
その手には、プラスチック製のカゴが握られていた。
「ゆぎ!? なにするんだぜ!?」
「わからないよー!? なんなのー!?」
いきなり持ち上げられたゆっくりはそう言うが、作業員は取り合わない。
まるでゴミでも拾うが如く、ゆっくりをカゴへと放り込む。
「ゆんやぁ!? はなしてねぇ!? ゆっぐりぃ!?」
捕まったゆっくり達は、必死に抗おうとするが意味は無い。
ものの数分で、先程騒いだゆっくり達はカゴの中にギュウギュウに押し込められてしまった。
「ご苦労様。 ソイツ等は任せたよ」
男がそう言うと、作業員は一礼を残して部屋から出て行く。
部屋を埋め尽くす程居たゆっくりは、あっという間に半分以下に成っていた。
「ふむ、残った諸君。 流石に馬鹿ばかりではなかったな。 今日の試験は此処までにしよう。 明日からはもっと厳しい地獄が始まる。 それに備えて、今夜はゆっくりと休んでくれ!」
男の声に、残ったゆっくり達は騒ぎ立てない。
もう既に試験は始まっていたのだ。
*
選別を終えたゆっくり達が、宿舎へと通される。
実際には名ばかりであり、其処は倉庫も同然だろう。
それでも、段ボール箱に暮らしていたようむ取っては驚きが在る。
世界にはこんな豪華な部屋が在るのか、と。
軽い試験を終えたゆっくり達が床に着く訳だが、ふとようむは辺りチラリと窺う。
この場に残ったゆっくりには、自ゆんを含めて余裕が在る者などは居ない。
誰もが志し同じでも、仲間ではなかった。
唯一、ようむが試験際に手助けした子ゆは、違いが見える。
明らかに、子ゆはようむを慕う目をしていた。
「あ、ありがちょ……」
そう言う子ゆだが、ようむは「おやすみなさい」と言葉を止めさせていた。
助けたのは偶然でもなければ可哀想だったからでもない。
単純に、一番近くに居る自ゆんに被害が来ないようにしていただけだった。