無知の罪
ボールが如く飛ぶ親に、ようむはハッとなる。
「おかーしゃ!?」慌てて大声を出すようむ。
必死な声は、辺りに響いていた。
何事が起こったのかと、家の中や草むらからぞろぞろとゆっくり達が姿を覗かせる。
「なになに? どーしたの!」「おおきなこえなんかだしちゃって」
現れたゆっくりに、ようむは慌てて顔を向ける。
「た、たいへんだみょん! おかーしゃが!」
子ようむからすれば、親の危機を仲間に伝えて助けを求めたかった。
自分よりも経験豊富なゆっくりならば、何とかしてくれる。
が、そんな考えはまさしく幼い子特有のモノである。
大人のゆっくり達は、住処に現れた者を見て全員が固まった。
「……ゆ、ゆ、ゆわぁあああ! にんげんさんだよー!」
群の中の野良ちぇんが、いち早く正気に戻った。
そんな声に、巨人は笑う。
「よーう、くそ饅頭ども。 ゆっくりしてるかぁ? 遊びに来たぜ」
妙に優しい声を掛けられても、ゆっくり達にはゆっくりしている暇は無い。
「おにいさんだぁ! にげるんだよぉ! わかってねー!」
「ぜんそくぜんしーん!」
野生と野良の掟の一つとして【にんげんさん】とは関わらないというモノがある。
もしも出逢ってしまった場合、その結末は言うまでもない。
元バッジ付きの野良ですら、人間が拾う事は極まれである。
そもそも元飼いゆっくりという時点で、一度は人に見限られたという点もあり、寧ろ忌避される。
そして、此処まではあくまでも良心的な対応をしてくれる人間の場合だ。
ゆっくりの前に現れたのが、虐待大好き【鬼威惨】という人間だった場合は、正に悪夢であろう。
たった1人の人間相手に、群一つが丸ごと皆殺しは珍しい事ではなかった。
事実として、それは子ようむの前で起こっている。
ゆっくりは全身全霊の力を振り絞り走る事を【全速前進】と呼ぶ。
が、その実は精々が時速3キロ程しか出せない。
無論、中には素早い動きが可能な種も在るが、この群れにそれは居なかった。
「はい、捕まえた!」
「ゆん!? おそら!?」
住処も蓄えた食料も何もかもを打ち捨て、必死に逃げの手を打ったゆっくり。
だが、のろまなゆっくりは呆気なく捕まってしまう。
「よっ、と……」
巨人は、ヒョイと持ち上げたゆっくりを軽く放り投げる。
束の間、その体は空を浮かぶ。
「ゆわぁ、れいむはとりさん!」
放られた体が、重力に因って引き戻される僅かの間にそう叫ぶ。
そんなゆっくりに狙いを定めた巨人は、スッと息を吸い込んだ。
「……せい、の!」
先程の軽い蹴りとは違い、今度のソレは全身を用いる。
振り出した足の爪先が、ゆっくりの横っ腹へと食い込む。
「ぴぎょ、へ!?」
極僅かな悲鳴を残し、ゆっくりの身体が容易く千切れ飛んだ。
千切られた身体が、バラバラに地面に散らばる。
その様を見て、ようむはようやく在ることを思い出す。
親からは懇切丁寧に【にんげんさんとは、かかわっちゃだめ】と。
なぜそうなのかを、幼いようむは知らなかった。
まさか、平然と自ゆん達を虐殺する者がこの世界に居るとは思いも寄らぬ事である。
「ヒャッハー! ゴミはお片付けだぜ!」
巨人の暴虐には、容赦が無かった。
「ゆぶ!?」
逃げようとする幼ゆっくりが居れば、容赦無しに踏み潰す。
柔い皮が破け、僅かに弾力が在る目玉が飛ぶ。
「やめてね! やめてね! このこはやめてあげてね!」
子を守ろうとする親が居れば、その親から子を毟り盗って持ち上げた。
「ゆわわーい! おしょら……ゆぐ!?」
最初こそ、空中に浮かんだ感覚を味わう子ゆだったが、身体を締め付ける感覚に顔を歪める。
「つぶりぇりゅ!? つぶりぇ……」
圧力は少しずつ強まり、子ゆの体を締め上げる。
締め上げは、ゆっくりの中に伝わるが、その圧力は出口を求めていた。
子ゆは、慌てて口を塞ぐ。 限界まで我慢したのだろう。
それでも、ソレを越える圧力には耐えられる筈もない。
「……っ……ゆぶぇええ」
子ゆの頬が一瞬膨らんだ途端に、口が中からの圧力に屈した。
吐瀉物を吐き出す様に、子ゆは中身を吐き出してしまう。
それだけではなく、子ゆの臀部からも中身が放り出される。
我が子の窮地に、親ゆっくりは必死に巨人に縋りついた。
「やめてね!やめてね! おちびちゃんがいたがってるよ!!」
自分の子が目の前で握り潰されるとあっては、親としては黙って居られない。
子を見捨てて逃げ出す中、この親ゆっくりは必死であった。
そんな必死さに、巨人は笑う。
「あー? そらぁいてーだろうなぁ、潰してんだからさ」
ヤケに楽しそうな声と共に、手の力が更に加えられる。
柔い体では耐えられる筈もなく、子ゆは中身をブチ撒けていた。
一切の抵抗を止めたからか、巨人は子ゆだったモノをその場に落とす。
中身を失った皮が、ベチャッと落ちた。
死んだ我が子の躯。 そして、其処から漂う臭い。
命が燃え尽きた甘ったるくとも苦い空気。
「ゆ、ゆ、ゆぅぅぁぁぁあああ!!」
子の死に気付いた親は、一瞬だけギリギリと軋ませた口を開くと、巨人の脚に噛み付いた。
ボロボロと涙をこぼしながら。
もしも、巨人が素肌を晒して居たならば、或いは効果は在ったかもしれない。
だが、親の歯は巨人の纏う頑丈なジーンズに遮られていた。
「あららら、ざーんねん。 そんなんじゃ人間さんを倒せないぞ?」
ゆっくりからすれば、死に物狂いの抵抗である。
だが、そんな足掻きは巨人に僅かの痛みも与えて居ないのか、ヘラヘラと嗤っていた。
「ほら、どした? もっと頑張れよ? 子供が見てるぞ、あの世からだけどな!」
自分に噛み付くゆっくりが余程気に入ったのか、巨人はそれに注意を向けていた。
仲間の窮地には違いない。
だが、残酷では在っても他の者に取っては機会であった。
茫然自失と動けないようむを、こっそりと親が抱え上げる。
蹴られはしたが、軽かった故に怪我も大きくない。
「……にげるよ、おちび」
それだけ言うと、親ようむはこっそりとその場を逃げ出す。
が、悲しいかなゆっくりはゆっくり。
種族特有の癖が、窮地にも関わらず出てしまう。
「……そろーり、そろーり……ゆっくりにげるよ、しずかににげるよ……」
頭では静かにしているつもりなのだろう。
しかしながら、口は勝手にそう口走ってしまう。
そして、当たりの事だが、囁きでも無い限りは他にも聞こえる。
脚に噛み付くという、ゆっくりの抵抗を楽しんでいた巨人は舌打ちを漏らした。
「おっと? ちょ、退け」
巨人が片足を上げて、もう片方の脚に噛み付くゆっくりを蹴り飛ばす。
余程強く噛んで居たのか、子を失った親の歯が散った。
ゴロゴロと転がるゆっくりから目を離し、巨人は在る方へ目を向ける。
其方には、子ようむを連れて逃げ出す親ようむが居た。
「……そろーり、そろーり……そ、ゆが!?」
死に物狂いで死地から脱出をしようとした親ようむだが、急に身体が縫い止められた様に止まった。
その際、子ようむは放り出されてしまう。
地面を転がるようむだが、慌てて顔を上げると見えた。
何が親を止めたのか。
巨人の足が、親ようむを踏みつけていた。
「あーい、残念でしたぁ。 逃げるのに喋ってるとか、やっぱりゆっくりは馬鹿だな」
蔑む声を掛けられるが、それでも親ようむは前を見る。
「おちびちゃん! はやく! にげて!」
捕まってしまった自ゆんはもはや助からない。
で在れば、せめて子だけでも苦そうとする。
だが、子ようむは動かない。
「なにしてるのぉおお! はやく!」
親は必死に子をせっつくが、子ようむは恐怖で体が動かないのだ。
それだけでなく、余りの事に失禁すらしてしまう。
ソレを見て、巨人はせせら笑いを浮かべた。
「あーらら、おちびだけにチビっちまったか?」
下卑た冗談を言われたところで、子ようむには何も出来ない。
成体である大人ゆっくりですら、目の前で巨人の好きにされてしまう。
過去に夢見た【無双たるゆっくり】などは、ただの幻想でしかない。
怖じ気づいて動けないようむに、親は必死に口を開く。
「おちびちゃん! はやく! にげ……べっ!?」
子ようむの前で、親ようむの口から中身が吐き出される。
巨人の足が、親の身体を元の半分ほどに成るまで踏んだのだ。
「悪いんだけどさ、ちっと黙ってろや」
喚く親を黙らせた巨人は、今度は子ようむへと目を向ける。
小さな全身をプルプルと震わせる子を、巨人がソッと持ち上げた。
「まぁまぁ、そんなに硬くなるなって。 お前さんには感謝してんだぜ? わざわざ安モンの菓子で遊び場をくれたんだ。 ちゃんと礼もするさ」
そう言うと、巨人は子ようむを持ったまま親子を対面させた。
絶望感から殆ど意識を失い掛ける子を、親は見詰めるしか出来ない。
【あぁ、もう駄目だ】と、親が諦めた途端に、不思議な事が起こった。
見えていた筈の子は、知らないゆっくりと入れ替わっている。
「おぢび……どご……」
急に子が消えた。 ゆっくりからはそう見えたのだろう。
だが、事実としては異なる。
巨人が子ようむの頭から、ヒョイと御飾りを取ったのだ。
「コレでお前も気にならんだろ? 何たってこんなのが無いだけでも親も子もわかんなく成るんだからさ、なぁ? 他ゆんなんてどうなっても良いだろう?」
そう言うと、巨人は子ようむの頭から取り上げたカチューシャを落とし、踏みつけた。
この時点で、瀕死だった親ようむは在るモノを見てしまう。
踏みにじられ、グチャグチャにされた御飾り。
ソレを見た途端に、親ようむの体から力が抜けていく。
子を想い必死に張っていた最後の糸が、切れていた。
甘ったるい臭いが、辺りに漂う。
そんな場所へ、御飾りを失った子ようむは放された。
「さてと、他の探さないといけねーから、後は頑張れよ? おちびちゃん?」
新たな獲物を求めて親子を離れる巨人。
残された子ようむは、なんとか体を動かして親へと近寄る。
「おかーしゃ……」
必死に呼んでも、返事は無い。
慌てて辺りを振り返っても、見えるのは同族の死体だけ。
「……みんな」
幸せが訪れる筈の子ようむに訪れたのは、全てを失う不幸せであった。