野良ゆっくりとにんげんさん
野外や街中をさ迷う野良ゆっくりとバッジ付きゆっくり。
同じゆっくりながらも、その違いは扱いだろう。
バッジにも種類は在るが、専らは誰かに飼われる立場の証明と言えた。
それは【飼いゆっくり】と称され、野良達からすれば羨望の的である。
ただ、金バッジのようむには決まった飼い主は居ない。
その代わりに雇い主が居た。 そして、その雇い主は個人ではない。
ゆっくりが増えだした所で苦情が増え、其処で、一つの機関が制定された。
国営機関ゆっくり協会。
其処が運営する【加工所】が、ようむの雇い主であった。
加工所おいて、三等鑑札である銅バッジすら付いて居ないゆっくりは、マトモな生き物としては扱われない。
ただの蠢くナマモノとして扱われるだろう。
言葉にて表すのであれば【悲惨】を極める。
逆に言えば、バッジ付きのゆっくりは加工所では扱いが違う。
その差は正に、雲泥であった。
*
金バッジのようむには、施設内の個室が住居としてあてがわれて居た。
この待遇を受けられるゆっくりはそう多くはない。
最低でも金バッジから。
更には、特級鑑札候補生という肩書きが要る。
そして、当たり前だが何事も無料ではない。
候補生ゆっくりに加工所が衣食住を提供するのに対して、そのゆっくりには対価が求められる。
何をしてその費用を捻出するのか、それはゆっくりに因って違った。
ある者は他のゆっくりの指導。 ある者は施設内に置いての労働、苦役。
何をするにせよ、ゆっくりはゆっくりする間など無く働かねば成らない。
誰かに愛玩物として飼われている訳ではないのだから。
そして、ようむの仕事は、ゆっくり達に取っては最も忌避されるモノであった。
ゆっくり用の部屋とはいえ、設備に関しては殆ど人間用のそれと変わらない。
違いが在るのかと問われたなら、住まう者が違うという点だろう。
そんな部屋の中に響くのは、水が弾ける音。
流し台の前で、ようむは必死に身を拭っていた。
先輩であり、上司であり、自ゆんを教える教官でもある特級鑑札持ちの前では平静を装った。
だが、いざ自分だけになれば話は違う。
必死に体に着いてしまった臭いを取ろうとしていた。
饅頭であるが故に、入浴や沐浴は難しい。 長く水に接すれば溶けかけない。
それでも、ギリギリまで体を拭う。
暫し後、ようむは腕を上げ、それを嗅いだ。
「……取れたかな」誰にも聞こえぬ様、小さくそう呟く。
客観的にはわからないが、とりあえず臭いはしない。
確認してから、ようむが顔を上げる。
すると、必然的に鏡には顔が映って居ることに気付いた。
其処に映る顔は、全くの無表情でもない。
ただ、口を強く結び、眉間に力を入れたしかめっ面が在った。
手が持ち上がり、それは頬に触れる。
滑らかな肌を指先が伝うが、顔はそのままである。
ふと、自分の顔を見ていたようむ。
ゆっくりという呼ばれ方の割には、とてもそうは見えない。
そんな自分の顔を見ていると、ある事を思い出す。
「こんな顔だったかな……」
もっと前の自ゆんは、ゆっくりしていた様な気がしていた。
*
ずっと昔。
まだようむが胴付きでもなければ、雇われゆっくりでもなかった頃。
他のゆっくり同様に、その辺の野っ原をボヨンと跳ねてその辺をさ迷っていた。
「みょんはみょんだみょん! ゆっくりしていってね!」
お気楽を絵に描いた様なゆっくり。
ソレは、大して珍しくも無い【ようむ種】の子ゆであった。
ただ、お気楽だけでは生きられないのが世界である。
誰かに飼われる飼いゆっくりならば、ある程度はのんびり出来るだろう。
家という強固な要塞の中で、飼い主という用心棒兼用の世話人が居てくれる。
無論、飼われる為には媚び諂う必要性は在る。
それが、人間に可愛がられる対価なのだから。
対価として、野良では有り得ない生活を甘受出来る。
が、主を持たない野良や野生種は、そうは行かなかった。
朗らかに挨拶をしたからといって、好意的な場合は先ず有り得ない。
大抵の場合、通行人であるならば嫌な顔を見せる。
もしくは、全くの無視を決め込み、通り過ぎるだけ。
その程度ならば、問題は無いだろう。
だが、中にはゆっくりに対して良くない感情を抱く人間も多い。
人間に対してゆっくりがもたらす害は総じて【ゆ害】と呼ばれる。
対して、ゆっくりに対して人間が及ぼす害は【ゆ虐】と呼ばれた。
ゆ害が多岐に渡るモノに対して総称される様に、ゆ虐の方法も多岐に渡る。
言葉は単純だとしても、その方法は数限り無い。
人が考え付く限り、ありとあらゆる方法が在った。
単純に殴る蹴るは言うに及ばない。
身近な道具を用いたモノから、果ては専門の道具を売る店舗、さらには設備や施設を作ってまでそれは行われる。
幼いようむもまた、不幸にもそれに巻き込まれた1ゆんであった。
*
「やぁ、おちびさん! ゆっくりしていってね!」
そう朗らかに声を掛けられたみょんは、其方へと体を向ける。
「みょん? ゆっくりしていってね!」
ゆっくりに特有の挨拶を掛けると、反射的に返してしまう。
この時点では、まだようむは何も恐れては居なかった。
見上げる程に大きい巨人【にんげんさん】の怖さを、知らない故に。
気楽な挨拶を返してくるようむに、巨人はフンと鼻を鳴らす。
「あー、ところで、おちびさんは一人かな? 友達とか、家族とかは?」
怖い声を上げるでもなく、実にやんわりとした声に、ようむは身体を左右に揺らす。
「みょん? かぞくはちかくにすんでるみょん!」
賢しい野良ゆっくりの多くは、人間には近寄らない。
何故なら、相手が好意的であるかは傍目には判別が出来ないからだ。
【にんげんさん】という意味は分かるのだが、その判別が出来ない。
二本足で立つ巨大な何か、としか認識出来ない。
野外にて長く過ごす内に、ソレは体得するモノだが、みょんにもソレが無い。
偶々、暇つぶしに外出して、出逢ってしまっていた。
「おー、そっか。 じゃあ、せっかくだから、友達として紹介して貰えないかな?」
そんな声に、ようむは少しだけ相手を訝しむ。
「ともだち?」
いきなり相手から友達だと言われても、そうは思えないだろう。
無論、ようむに話掛けている者もそれは熟知していた。
「あー、ごめんごめん。 いきなり友達だなんて言っても、信じられないよね?」
柔らかい声と共に、巨人は何かをゴソゴソと取り出す。
それは、何処にでも売っている駄菓子であった。
安価ではあるが、ソレは問題ではない。
幼いようむは、差し出されるモノを見て、目を輝かせた。
駄菓子が放つ甘い匂いに、ようむ取り込まれそうに成る。
「ゆわぁ! あみゃあみゃ!」
ゆっくりは、甘いモノの総称として【あまあま】として呼ぶ。
それが人工物か果物なのかは問題ではない。
何はなくとも、ソレさえ在ればゆっくりには幸せが訪れる。
必死に舌を伸ばし、なんとかその幸せを掴もうとようむは足掻いた。
必死にボヨンと跳ねる。 だが、高いところに在る駄菓子には届かない。
「あれ? そんなに欲しいかい?」
「ほしい! あみゃあみゃ!!」
必死なようむに、巨人は笑った。
「あー、悪いんだけどさ、君だけってダメじゃない?」
「ゆ、ゆん?」
「ほら、自ゆんだけじゃアレでしょ? 君の家族の分も在るからさ。 案内してくれないかなぁ? みんなにも、お菓子あげたいしさぁ」
猫撫で声に、ようむは頭を巡らせる。
そして出た答えは、身体を縦に揺する事だった。
「わかったみょん! こっち!」
どうせなら、家族にも幸せを分け与えたい。
だからこそ、疑う事を知らないようむは巨人を案内し始めた。
ポヨンと跳ねる子ゆっくり。 その顔は、必死だが暗いモノではない。
寧ろこの世の救いを見出したで在ろう希望に満ちている。
ただ、背中に目が無い以上は見えないモノもあった。
それは、背後から自分の後に続いてくる巨人の顔である。
どんな顔をしていても、ようむには見えては居なかった。
*
ゆっくりにとって【にんげんさん】とは何なのか。
幼い頃のようむはまだソレを理解していなかった。
単純に大きい誰かという認識でしかない。そして、その認識は大問題と言えた。
危険性の高いモノを危ないと認識出来ない場合、時には危機が訪れる。
「ただいまだみょーん!」
自宅へと向かって、みょんは意気揚々と声を上げた。
人間から見れば、其処に在るモノは家とは言えない。
単に横倒しに成った段ボール箱。
だが、それはれっきとしたゆっくりの家である。
単なる箱ではなく、ビニール袋を被せて防水加工が為されたソレは、それなりに高い知能を有したゆっくりが作った事の証明だろう。
更に言えば、その家は公園のトイレの裏という、人には見えない位置に在った。
何故そんな場所に家を建てたのか。
答えは単純に、にんげんさんに見られたくないからである。
だが、響いた声が子のモノであれば、話は違う。
「ゆぅん? みょん、どこいってた……」
箱からのそりと姿を現したのは、子ゆっくりであるようむをそのまま大きくした様なゆっくりである。
同じ様な顔立ちではあるが、それは真っ青に染まった。
「おかーしゃ! このにんげんさんがね! あみゃあみゃくれるみょん!」
子であるようむは信じていた。
自ゆんは家族の為に【幸せ】を運んだのだ、と。
にんげんさんがくれるお菓子を皆で分かち合い、全員が幸せを感じられる。
そんな妄想に取り付かれる子を、親が慌てて自ゆんの背後に隠した。
「に、にんげんさん! わるいことはなんにもしてないみょん!」
親の急な焦りに、子であるようむは目を丸くする。
「みょん? おかーしゃ?」
ようむは理由がわからない。 自ゆんの親は何を焦っているのかを。
自ゆんが連れてきた巨人は、あまあまという幸せをくれると約束した筈である。
そんな約束だか、実は何の意味も無かった。
ゆっくりが時には人間に取引を持ち掛ける様に、時に人間もソレをする。
親の身体が揺れたと思った途端、飛ぶ。
「野良ってのはさ、ほーんとに馬鹿しか居ないんだよなぁ。 ね?」
無知なようむは何が起こってるのかを気付けない。
事は単純で、巨人はようむの親をサッカーボールが如く蹴り飛ばしていた。