Graylight
人類は直に滅びる。と、今の町を見れば誰もが思うはずだ。
そんな事を彼女は考えて、故郷の地面を踏んでいた。実に半年ぶりに踏み締めるアスファルトは到るところがヒビ割れていて、全く手入れ等されていないことが明らかだった。
ヒビの間に緑が見えていれば救いもあったが、彼女の視界に入るものは例外なく濁ったような色をしていて、自然など在りはしなかった。
灰だ。
人が地面に閉じ籠もっている間に、この世界は灰で汚れてしまった。
無論灰だけじゃない。
もっと沢山の、ろくな教育も受けることなく育った二人の少女には到底わからない物質も積もっているだろう。
そういう戦争だった。
少女が生まれて、精神はともかく肉体が大人になってしまう程の時間を要して人類が手に入れた物は、土地でも物資でもない。痛み分けの汚染物質だ。
「うっわー……予想以上に凄いことになってるね、これ私たち死ぬかな?」
個人用シェルターから出てきた二人の少女の内、背の低い方がヒビの断面図を指でなぞりながら言った。
彼女は名を数調シィナと言う。
「死ぬね、間違いなく」
もう一人の少女は、辺りを見渡したままで答えた。
この少女は練宮寺オリィ。
二人は幼馴染だった。
人生の大半を日に光に当たらずに過ごしてきた彼女らの肌は白く、だが栄養補助剤の物資だけは豊富に保持していたため痩せ細ってはいない。
心も壊れていないのは、生を受けた瞬間から人類が衰退していく様子を見てきた事で鍛えられているのだろう。
そんな二人の少女は安全なシェルターから足を踏み出したのだ。
理由は本人たちにしか判らないことだが、食料がなくなってしまったのか、ついに心が限界に達したのか。穴の中で生き延びることが無意味だと悟ったのか。
「セナのメッセージから考えて、生きられるのは三日くらい。三日で急死するのか、メッセージが送れないくらい弱るのかは分からないけど」
リオの左腕に埋め込まれた端末には、もう一人の幼馴染から届いていたメッセージが表示されている。
「もっと安全な、電波の介入できない地域がある可能性も、ある」
「……そうだね、セナは端末が壊れてメッセ送れなくなっただけで、外の汚染なんてとっくにダイジョブになってるかもしれないし」
端末は人体とほぼ一体化していて、それが壊れるというのはイコールで死を意味するのだが、そんな事を少女が知るはずもない。
「だとしたら、会いたいな」
しゃがんだまま俯いたシィナは、オリィにその顔を見せずに呟いた。
「死ぬかもしれないし、時間はあんまりないよ。行こシィナ」
感傷的になった所で今更変わらないことは二人共理解している筈だった。
それ程の事で俯くような人間は、三重のドアを開けぬ限り生きていられるシェルターから出たりはしないのだ。
「行きたいんでしょ、遊園地」
「……うん、そうだね。時間はないんだった」
二人が目指すのは、戦争が激化する以前に一度だけ訪れた事のある遊園地だった。
大きな観覧車があった事と、お化け屋敷が怖かったことだけが記憶に色濃く染み付いているその場所を、二人は死に場所として選んだのだ。
幼い頃に行ったきり、営業停止してしまった遊園地に、最後に入りたかったのだろう。
きっとその頭の中に、遊園地が既に焼け野原になっている可能性等は微塵もないのだろう。二人は途中見つけた汚染された川で水浴びをしていた。
「良かったね、今が夏で」
「太陽が出てないのが残念だけど、久々に体が洗えたのは嬉しい」
「いくらスプレー使えばエイセイ的に平気になっても、ベタつくもんねー。オリィの茶髪が黒髪に見えてたもん」
ここで川に入ったことが、二人の寿命を大きく縮めてしまったのだが、例え入らない未来があったとしても、彼女たちの死に様は変わらなかった事を思えば正しい選択だったかもしれない。
灰混じりの川で汚れを落とした二人は、一糸まとわぬままで遊園地へと歩みを再開した。
服も大分汚れていたし、遊園地のある隣町まで行ってしまえば服屋は全て巡れば文字通り寿命が尽きるほどある。
それに、廃墟の国を出歩く人間など二人をおいて他にいない。
「オリィ、遊園地に着いたら何したい?」
「コーヒーカップのやつ」
「チョイスが地味だね……私は観覧車かなー。きっと、小さい時に観た景色とは違う景色が観えるんだろうなぁ」
「それより私、キグルミ被りたい。人がいたら絶対できないことだから、今のうちにやらないと」
「えぇーキグルミなんて着たら暑いよ」
「いいの。シィナだって着れるんなら着るんでしょ、どうせ」
「そりゃ着るけどさー」
「というか、発電機生きてるといいね。調べた通りなら動いてもおかしくないけど、こんな町を見たら、壊れてる方が自然に思える」
「ネガティブに考えても仕方ないよ、私は電気が無くてもいいよ、別に」
「無いと観覧車は乗れないよ?」
「けどキグルミは着れるよ」
悲観的なオリィに比べ、シィナは明るく振る舞おうとしているらしく、表情筋は固いが笑顔を作っている。
「……自分で着たいって言ったけど、キグルミより先に下着だけでも付けたい」
素か無理して笑っているのに気づいて和ませようとしたのか、両手で自分の胸を抑えて呟いた。
「はは、確かに。そろそろ繁華街に出るし、適当なお店入ろ」
「うん、そうしよ。高い服も選び放題だね」
繁華街の建物は、二人の住んでいた街に比べてみれば以前の形を保っていた。その差が生まれた理由は運に他無いのだろうが、こんなに目立つ建物がある街の被害が一番少ないというのは何だか不思議なものだった。
遠目に見る限り、観覧車は崩れていない。
二人は複合商業施設に入り、思い思いの服を選び、身に付けた。
入り口のガラスは割られていたが、ここを訪れた亡霊の目当ては食料品、主にアルコールだったらしく二階より上のフロアは足跡がつくほどホコリが溜まっていた。
だがそれは逆説的な話、一階にはホコリがそれほど溜まっていないということ。
食料品を必要とする人間が周囲に居るというのは、つまり汚染された街で活動している者も一定数いるという事なのだが、二人はそんなことを気にするつもりは毛頭ないらしい。
気にしたとして、あの川に浸かり、シィナに関しては口に含んだのだから助かりはしない。
二人はここからどんな選択肢を選んでいようと、選んだ服は死に装束になるし、辿り着いた場所はそのまま死体が野晒になる場所なのだから。
もう助からない。
「はぁーもう満足した、一生分の服を着た気がする」
結局ラフな服を纏ったシィナは、映画館の売店に残っていた未開封のポップコーンを食べながら少女似合う笑顔で言った。
「一生分の服は着れたし、一生分ボウリングも出来た。手動でピンを立てるのは面倒だったけど、楽しかった」
海外の人形の様な服を選んだオリィは、ボウリングで少し痛めた腕を摩りながら笑った。
この街でまだ生きている人間がこの二人の行動を見たらどう思うのだろうか。
この町の亡霊たちは映画館にまだ食べられる物が残っているなど、おそらく誰も考えはしなかったのだろう。二人が興味を示さなかっただけで、実はボウリング場にもスナック菓子の袋は残っているというのに。
残念な事に二人は食より楽しみを求めているのだ。
シェルターの中での暮らしは、食こそあれど楽しみは二人で話す事くらいだった事を思えば仕方が無いことなのだが。
「にしてもオリィ、あんなにボウリング上手かったっけ? 前行った時両手投げしてなかった?」
「シェルターの中で運動してたからだと思う、ほら、結構筋肉付いた」
リオは腕に力を入れて差し出した。
「うわ、本当に硬い!」
「でしょ、ポップコーン少し貰う」
「ん、いいよー」
世紀末という事を忘れているように、二人ははしゃぎながら灰色の町を歩く。
所々割れたガラスが外側に飛び散らず、ほぼ全て内側に飛び散っている事には目もくれずに、廃墟の遊園地に辿り着いた。
「門閉まってるね」
「登る?」
「当たり前でしょ、オリィその服で行ける?」
「いける」
悪戯するかの如く笑って、二人は園内に入った。
当然動いているアトラクションなど無いが、動かすアテがないわけじゃない。二人はその遊園地の事情には詳しかった。
戦死した(確証はないが)シィナの父親は、ここで働いていた。
そのため戦争が激化する以前、シェルター内がほぼ倉庫として使われていた時の忘れ物が残っていた。この遊園地の非常用マニュアルだ。
そのマニュアルによれば、観覧車の下に非常用発電機が備わっているとある。
「あった、これを……こっちに挿して……うん、これでいいはず」
手を油と灰で汚しながら、発電機をセットし、開始ボタンに指を置いた。
「これを押して動けば、私たちの勝ち。私たちは遊園地で遊べる」
「動かなくても私たちの勝ち、遊園地では遊べないけどね」
シィナがそう言うと顔を見合わせて笑った。
「押すよ」
「いいよ、オリィ」
二つの白魚のような指を並べて、力強くボタンを押した。
するとかなり大きな音を立てて、発電機の内部で何かが稼働し始めた。
「……成功?」
まさか動くとは思っていなかった二人は、中で発電を始めたカラフルな箱から指を離さないまま、少しの間固まってしまった。
「動いてる、動いてるよシィナ! やった!」
最初に声を上げたのはオリィ。
らしくもなく飛び跳ねて、シィナを抱き締めた。
「すごい……本当に、この観覧車が動くかも」
そう言った矢先、ギギギ……と音を立てて頭上のゴンドラが動き、積もっていた灰色の粉が二人に降り注いだ。
それはまるで、雪のように。
「ねぇオリィ、最初は何する?」
「片っ端から回ろう! お化け屋敷もジェットコースターも!」
二人の少女は理想郷の中で、死ぬ程遊び倒し、遂には全てのアトラクションを制覇してしまった。
観覧車を除いて。
まさか数年前に廃墟になった遊園地に、これほど状態のいい発電機が残っているとは誰も思わなかったのだろう。
もし誰かが気づいてこの発電機を他のことに利用していたら、少女たちはここまで満ち足りはしなかったはずだ。
多くの人からすればこの上なく貴重な電気を無駄にしているが、二人にとって世界は二人だけのものになっているのだから、そんなことは関係は無い。
そんな幸せな二人も、自分たちがもうすぐ死ぬ事から目を背ける事だけは出来なかった。
段々と身体が動かしにくくなっていくのは、最初疲労だと思っていた。
だがシィナが崩れ落ちた時、それがタイムリミットが近い事を意味しているのだと二人は悟った。
元から分かっていたことだ。
良くても一週間と内心二人は思っていた以上、怖くもなかった。
観覧車に向かう二人の心境は、先に歩けなくなったのがシィナで良かった、おんぶして連れて行くのが楽だから、というものだろう。
「ごめんね、足以外はまだ元気なんだけど、足はもうダメみたいでさー。オリィはまだ平気?」
「うん、私は割と元気。多分シィナ、川の水飲んでたから先に悪化しちゃったんだよ」
「あちゃー……あれがいかなかったかぁ……まぁ仕方ないね、アトラクション回れたし、もういいや」
「おんぶしてる私の辛さを分かれ、重い」
「ごめん」
「いいけど」
強がってはいるが、オリィの方も大分ガタが来ていた。何とか観覧車まではと耐えて、ギリギリ観覧車に乗れはしたが、もうその時には足に感覚はなくなっていた。
段々と、身体が毒に蝕まれて行くのを感じながらゴンドラに揺られ、二人は廃墟の町を眺めた。
特に何を話すでもなく、ゆっくりと回る観覧車に身を任せて。