第一防衛ライン
翌朝、周辺を巡回していた偵察から情報がもたらされた。
曰く、ザギールの大部隊がウラヌスの丘に向かって進んできているそうだ。彼の予想通りの行動だったが、そのタイミングは、予想より二日ほど早かった。
つまり、二日後に終える予定だった準備を、少なくとも今夜までには形にまで仕上げねばならないのだ。武器の最終調整を行う兵士以外は、士官も一兵卒も関係なく作業に取り掛かった。
とはいえ、私達がウラヌスに集結したのは昨日のことだ。頑丈な防壁や要塞など作れるべくもないし、精々が土嚢のバリケードや分解して運んできた大砲を組み立てて配置することくらいのものだ。
それでも、前左右の各ポイントに土嚢や弾薬を運ぶとなるとそれなりの手間だ。私も少年兵たちに混じり土嚢をえっちらおっちら運んだが、上層部が納得するバリケードを設置し終える頃には太陽が彼方へ半分ほど沈み、夕闇が空一面に広がり始めていた。
「偵察からの報告によると、丘の下に展開するザギール軍は歩兵三千、そのうち砲兵らしき者が三百、精霊騎士とみられる者が確認されているだけで十二騎います」
「三千……こちらの戦力は、負傷兵合わせても二千足らずだぞ……」
本部テントで行われた偵察の報告結果に、重い溜息が木霊する。
現在、ここで偵察結果と最終確認が行われるということで、各地点の隊長が集合していた。
その皆が報告を聞き、一度はブラウニーを盗み見るが、一言も発さない彼女に誰もが失望に視線を落とす。
「しかし、この程度の戦力差なら想定内です。大砲の整備も完了していますし、地の利はこちらにあります。問題は単騎で戦況を覆す精霊騎士です。向こうの精霊騎士で分かっていることは?」
私が訳して伝えると、偵察の一人である男はこう答えた。
「現在、ザギール軍はウラヌスを取り囲むように展開を始めていますが、そのうち左右にはE級精霊装を所持した騎士が三騎ずつ、中央にE級が六騎、D級が一騎、C級が一騎、後方は地形が悪く、確認できませんでしたが、強力な呪力を感じることが出来ましたので、B級レベルの精霊騎士がいる可能性が高いです」
「……仮に後方の部隊が動いても、私の方で対処します。問題は中央でしょう。左翼にはエイラ・ヴァース少尉、右翼にはヴィンセント・シュノア准尉がいますが、中央は、いくらゴウズ少佐でも、一人では流石に厳しいでしょう」
「中佐、私は一人でもこの程度の戦力ならば――」
「少佐、あなたは確かに一騎打ちなら負けることはないでしょうが、相手は大部隊です。それに、中央と一口には言っても、その範囲は右翼や左翼に比べ、二倍以上の広さがある。例えあなたが百の兵士を押し留めても、他の地点が攻略されれば意味はないのですよ」
いつもブラウニーの傍にいる佐官、ゴウズの主張を説き伏せるブラウニー。その彼女の視線を受けた青年は、彼女の意図することに気づき、口を開いた。
「中央は歩兵千と、精霊騎士はゴウズ少佐の他に、三人配置しています。どちらもE級精霊装持ちですが……」
「それでも厳しいでしょうね。ただ、二次防衛ラインまで敵を上手く誘導出来れば、伏せている砲兵と上手く挟撃出来るかも……」
それを聞いて私は息が詰まりそうになる。
つまりそれは、私達がいる第一中継ラインに仕事が回ってくるという事――
「ティリア君、通訳を」
「あ、はい!」
彼の指示で、私は本来の仕事を思い出し、いつもより丁寧にブラウニーの言葉を翻訳した。彼が分かりやすいそうに。彼にとって、私が有用だと少しでも思ってくれるように。
「なるほど……分かりました。僕は第一中継ラインにいますし、こちらで上手く誘導してみましょう」
しかし、私の願いなど通じるわけもなく、彼は驚くほどあっさりと、その危険な役まわりを二つ返事でオーケーした。なに、もしかして私を囮にするから大丈夫とか思っちゃったりしてるの? 置いて逃げたら化けて出ますよ?
「……良いのですか? 殿を務めることになりますから、かなり危険な役ですが」
「危険なのはどこも同じですよ。他の皆さんが自分の仕事をされているのですから、僕だって与えられた役割はこなさないと」
そう言って彼は爽やかに笑った。本当に曇りのない爽やかな笑みだ。思い切りぶん殴りたい。
視界の端で、エイラが苦笑いしているのが見えた。
「……どうやらあなたのことを私は見くびっていたようです。カナキ・タイガ殿、ではその任、どうかお願いします」
「はい、お任せください」
そうして、彼は私になんて一つも相談ないまま、戦場で一番危険な役回りに行くことを決めた。
本部テントを抜け、私達の配置である第一中継ラインに着いた頃には、既に外は夜闇に包まれていた。
土嚢が十数メートル横一列に並び、等間隔に大砲が設置されたそこには、簡易照明の下を忙しなく動いている奴隷兵士たちの姿があった。
予想通りというか、私達以外の第一中継ラインの兵士は、ほとんどが奴隷の兵士だった。
我が皇国は、国民を決して奴隷階級にすることはないが、他国の人間、神聖力ではなく呪力を操る異端の者とされる人々は、エーテル神への信仰がない者については、奴隷に落ちることが大抵だった。
そのような奴隷たちは、平時ならば国の生産性を上げるために地方の農村へ行き、そこそこにもてなされながら一生を終えたりするのだが、戦時中になると、こうして真っ先に戦場の危険地帯へと送り出される。
今回の作戦では、負傷兵も多く任に駆り出されていたが、この中継ラインばかりは、怪我をしている者はおらず、全員が初等部から中等部程度の年頃で、強い神聖力(信仰の厚い者から言わせれば呪力なのだろうが)を持つ時期の子供ばかりだった。
中には十歳くらいにしか見えない子もおり、自分の身の丈に近い機関短銃を抱くようにして運んでいるのが見えた。奴隷だからといって、あんな子にまで、この危険な地点を防衛させるのか。私の胸中に、「この国はもう駄目だ」と言い残した老兵の言葉と共に、自国への軽蔑の感情が沸き上がる。
「全員、作業を止めて集合させて」
「あ、はい!」
青年の指示で我に返った私は、滅多に出さない大きな声で、作業をしていた少年少女を集まらせる。
簡易照明の下に集まった奴隷の子供たちはおよそ三十名ほど。あまりの少なさに、一瞬私は眩暈を覚えたが、作戦を考えれば当然。なにせ私達は餌なのだ。楽に叩き潰せるような戦力をあえて投入し、引き付けたところで隠していた大砲で一網打尽にする。戦力的に劣っている私達からすれば、確かに有効な作戦だが、囮役の部隊の被害を度外視していることも確かだ。
そこで私はふと「もしかしたらこの配置は彼が考えたものではないのかもしれない」と思った。いくら彼が私を囮にしたとしても、あれだけの軍勢を前にすれば私一人など埃も同然だ。一秒とかからずに薙ぎ払われ、すぐに彼にもその凶弾は迫るだろう。彼が、自らの作戦でそこまで自分を陥れるとは考えづらかった。
全員が集まったのを見計らい、彼はいつもより厳しい声音で喋り出した。
「第一中継ラインの隊長を務めるカナキ・タイガだ。我々の仕事は、第一防衛ラインを突破された場合、撤退してくる部隊を掩護、及び殿を務めながら第二中継ラインポイントαの地点まで敵を誘導することにある。これだけの戦力でおよそ千の敵兵を誘導するのだから、無茶苦茶も良いところだ。でも、生きるためにはやらねばならない。諸君らはまず、自分が生き残ることに注力せよ。それが結果的に作戦の成功率を上げ、諸君ら自身の生存率を上げることになるだろう」
彼の言葉を訳しながら、私は今の言葉にどんな意味があったのだろうかと考えた。
私を介して伝えられた彼の言葉に、奴隷の子供たちは表情を変えずにただじっと立っている。皆一様に同じ表情で、彼らが私なんかよりずっと覚悟が決まっているということを分かるには十分だった。
「前線で睨み合っている部隊からの連絡はまだないが、おそらく今夜中に彼らは攻めてくる。各自、適度に緊張感は持ちつつ、今は無理をしないように。最後に力尽きてしまったら元も子もないからね」
彼の合図で全員作業に戻る。
すると彼は、今度は私の方を向いた。
「ティリア君、観測手の経験は?」
「あ、ありません」
「そうか、それなら一度慣らしておいた方が良い。車両の中にレンズが入っているから、君なりに調整をしておいてくれ」
その言葉に、私の心臓が暴れ出すように鼓動を刻む。本当にこれから私は観測手をやるんだ。私は無意識のうちに、まだ肉眼で見ることの出来る風景に視線を向けた。
「展開しているレンズのうち、その五割を破壊されれば、同期している観測手の視力に影響を与えると言われており、レンズの数を増やそうが減らそうがそれは変わらないと言われている。今回君に動かしてもらうレンズの数は五つ。つまり三つ破壊されれば今君の見ている景色は今後見れなくなるかもしれない。覚悟はいいね」
「ッ……はい!」
覚悟なんてない。今だってすごい怖いし、足なんてがくがくだ。
それでも震える声でそう返事したのは、先ほど目の前にした子供たちを見たからだった。あれだけ小さい子供たちでも、覚悟を決めて、死地に挑むというのだ。軍人である私が、それに臆するわけにはいかない。半ば意地と自棄になった気持ちが、私になけなしの活力を与えてくれていた。
けたたましいサイレンが聞こえてきたのはそのときだった。
近くを歩いていた奴隷の少年が肩を強張らせ、彼と私も血相を変えて通信機へと走り寄る。
私は受話器を取ると同時に、向こうから男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
『こちら第一防衛ラインC地点! ザギール軍の砲撃が始まった! 応戦を開始する!』
それは青年の予想を遥かに上回る速さで開戦したことを知らせる合図だった。
読んでいただきありがとうございます。