お死事
布陣と方針が決まれば後は早かった。
にわかに活気づいた本部テントで、青年にしばらく休めの任を受けた私は、本部テントを後にした。配られた配置図に再び目を通す。
ウラヌスの丘は森林に覆われたこの一帯で唯一隆起している地帯であり、丘とその周りには草原に生えるような短い草しか生えておらず、その大きさも森林を抜け出して遠くからみてもその存在が分かるほどに大きく、そして高い。
丘自体の広さも結構なもので、現在私達皇国軍はおよそ千名ほど詰めかけているが、それでも充分なスペースを確保できている。この世界のどこを探しても、こんな地形はここだけだろうが、青年は初めてこの丘を見たとき、ぼそりと「エアーズロックみたいだね」と言っていたので、もしかしたらオルテシア王国にも同じような地形が存在していたのかもしれない。
とにかく、ウラヌスの丘は広く、そして周りと比べて高い立地だ。そのため、通常の兵器では丘側に陣取る敵に攻撃が届かないことはこれまでのザギール軍との戦闘で確認済みだ。ザギール軍がここを攻略しようとするならば、前方、そして左右になだらかに広がる坂を登ってくるか、後方に位置する断崖絶壁を駆け上がってくるしかない。
後者の方は、前回痛い目に遭ったため、既に私達の最高戦力が配置済みだ。そして、後方支援組を除いた五百余名が、最前線となるであろう坂の頂上付近に布陣している。現在ウラヌスにいる兵士が千名いることを考えると、最前線で戦う人数が半数程度しかおらず、青年が本当に怪我人や病人を連れてきて人数のかさましをしていることが分かる。
「あなたが連れてきた負傷兵たちはどうするんです?」
会議の中で当然そういう質問も出た。
それに対して、彼は涼しい顔で答えた。
「ザギール軍に攻勢を促すという意味では彼らはいることに意味があります。ただ、それでもこの戦力です。何かしらはしてもらおうと思っていますが、おそらく“眼”の役割をお願いすることになると思います」
“眼”とは、皇国が独自開発した偵察型レンズのことだ。
丸いフォルムで掌に収まるサイズのこれは神聖力で自在に操れるようになっており、これを操作することで中に搭載されたレンズが使用者とリンクして、レンズに映る風景をそのまま見ることが出来るという代物だ。
戦場の状況や偵察などで大きなアドバンテージを取れる代物だが、問題があるとすれば、レンズは使用者から半径五キロ内でしか使えないこと、そして万が一同期中にレンズを破壊されれば、神経さえも同期しているために使用者も、まるで自分の眼を破壊されたように痛みを感じるというところか。前者はともかく、後者の問題は致命的で、強い精神力がなければ、後遺症に悩まされることまであるらしい。大抵は奴隷階級の人間に与えられるその役回りは見方によっては前線以上に危険な役回りだと捉えることも出来る。
しかし、ただでさえ敗色濃厚な戦争でなりふり構っていられないのも事実。年間一万人は下らない失明者が出たとしても、“眼”の使用は今でも当たり前に行われているし、今回は後方で指示を飛ばす人間でさえも死地のど真ん中に陣取るのだ。負傷兵の中には一般階級の兵士も多くいたが、誰も反論しなかった。
「あ、私の配置」
そして肝心の自分の配置がどこだったかを確認するのを失念していた。さっき本部テントでチラッと見たときには見つけることが出来なかったが、後でエイラに伝える約束をしていたし、早めに確認しておいた方が良いだろう。
そう思って配置図を広げたは良いものの、なかなか自分の名前は見つからない。はじめに前線、次に本部テント、そしてブラウニーのいる後方。それらを順繰りに確認していき、名前が見つからずにおかしいなぁと首を傾げそうになったとき、ようやく自分の名前を見つけた。
第一次中継ライン 特殊遊撃隊 カナキ・タイガ
観測手 ティリア・シューベルト
「……うそ」
一気に血の気が引き、視界が急激に狭まる。先ほどまで蒸し暑いと感じていたのに、悪寒が走り、冷や汗まで出てくる。
観測手。私の名前の先頭に付いたその三文字に視線が吸い寄せられる。この言葉の意味することとは、つまり“眼”の役目ということだ。
先ほどまでどこか他人事のように聞こえていたやり取りが急に自分へと迫ってくる。負傷兵が“眼”の役回りにされると聞いた時、同情や憐憫の情はあったが、どこかほっとする自分もいた。本来オペレーターという職に就く者が兵士として前線に回される場合、大抵は補給部隊か、偵察――つまり“眼”の仕事に回されるからだ。
――たとえ後方にいても、常在戦場のつもりでいなさい。
「――常在戦場。軍学校のババアの言葉を思い出すな」
「ッ!?」
脳で流れていた言葉を突然耳元で囁かれ、私は心臓が止まったかと思った。
「お前の顔見てまさかとは思ったが、第一中継点の、しかも観測手ときたもんか。典型的な“お死事”じゃねえか。お前、何か上司に疎まれるようなことしたのか?」
「エイラ……」
震える声で同期の少女の名を呼ぶと、彼女は少し困った笑みを見せつつ、近くに転がっていた丸太を親指で指した。
「まだ時間はある。ちょっと休みながら話そうぜ、泣き虫」
「……うるさい」
目に溜まっていた涙を指で拭うと、私達は丸太に並んで腰かけた。
周りを見ると、準備に駆られて忙しなく行き来する人も多いが、私達のように座って休んでいる兵士も少なからずいた。やがてそれらが第一防衛ライン――真っ先に最前線となるラインに配属された人達だと分かった。
「偵察からも音沙汰ない。やっこさんたちも、まだ準備に手こずってんだろうさ。一度始まればしばらくあたしたちは休めないんだ。細かい仕事は後方の奴らに任せて、あたしらはのんびりしようぜ」
そう言ってエイラは懐から取り出した煙草を咥え、火を点けた。
一息入れてから、私の方にも出してくるが、勿論丁重にお断りする。
「……」
しばらく無言の時間が続いた。先ほどまでパニック状態だった脳内が、頭を整理する時間を欲しがっていた。エイラもそれが分かっているから、煙草をすぱすぱ吸うだけで、何も言ってこない。
それからどのくらい経っただろうか。エイラが四本目の煙草を靴裏で揉み消し、五本目の煙草に火を点けたところで、私は掠れた声で言った。
「……私、観測手初めて」
「だろうな。あたしだってねえもん」
「私、何かヘマしたかなぁ……」
今回の作戦を立案したのは私の上司である彼だ。ならば細かい所はともかく、私の配属は彼が決めたことだろう。中継ラインとは防衛ラインが突破されたときに、撤退する兵の殿を務め、撤退を支援する地点だ。その危険な地点に彼が同行することにも驚きだが、そこで更に観測手という、いわゆる“お死事”を私に任命したことに驚きを通り越して沸々と怨みの念がこみあげてくる。
なんだあいつ、これで私が死んだら呪ってやるぞ、的な。
「お前に過失がなかったとしても、上にとって何か都合が悪いことがあれば、それはあたしらに全部降りかかってくるもんさ。例えば、お前の上司は危険な配置につくことで、周りから信頼を獲得しつつも、もしもの場合に備えて、お前をスケープゴート代わりに使おうとしてる、とかな」
「うーん……」
そう言われて考えてみると、確かにその可能性もあるような気がしてくる。ああみえて、リスクマネージメントがとても上手いことは私にも分かっていた。
だが、どうにもそれだけじゃしっくりこない自分がいることも私は気づいていた。
「あの人が自己保身のためだけにここまで露骨にやるのかなぁ」
「知るかよ。あたしはそいつに会ったことすらねえんだぞ。それよりも、今はどう生き残るかを考えた方が良いんじゃねえのか?」
その通りだ。しかし、軍人である以上、上司の命令には絶対遵守だし、表立って命令を無視するわけにはいかない。私が注力すべきは、査問委員会に出頭を命じられない程度に彼の命令に従いつつ、どうにか命を繋ぐことだ。流石に彼も、「ここで死ぬまで敵を足止めしろ!」とか無茶苦茶言う軍人だとは思わないけど……。
「あたしの配置は左翼。そっちの方はあたしがいるんだ、よっぽどのことがなきゃ大丈夫だし、右翼にもヴィンセントがいる。だが問題は中央だな。一応ゴウズがいるが、あの怪力女が後方なんかに回ったせいでどうしても戦力に不安が残る。偵察が有能なら、敵の配置に合わせてあたし達も動けばいいがどうなるやら……。おまけに敵基地を攻略する部隊も、やっこさんの進軍に合わせて行動する。援軍なき籠城戦に近いな、こりゃ」
「うぅ……わざわざそんなこと言わなくても分かってるよ……」
「ならどうしようもねえことをうじうじ悩んでないで、これからどうするかを考えな。安心しな、運が悪くても死ぬだけだ。気楽に行こうや」
「あんたねぇ……」
煙草を靴底でにじって消すと、エイラは立ち上がった。配置に戻るようだ。
私も溜息を吐いて立ち上がる。流石にそろそろ青年の元に戻らねばマズイ。
エイラにはああ言われたものの、気分などそう簡単に変わるものではない。私は重い心をひきずるようにして本部テントへと歩を進めた。
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