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変わり者

「――初めまして。僕の名前はカナキ・タイガと言います。以後お見知りおきを」


 その日、聖イリヤウス様の見初め式のため、私は家族と共に大聖堂に来ていた。

見初め式とは、大司教が世代交代し、新しい大司教に変わるとき、その背中にエーテル神がかつて信者に授けたとされる言葉、神聖語を刻む儀式だ。言葉は専属の彫師によって刻まれるが、想像を絶する痛みを伴ううえに、その様子を多くの信者たちに見せなければならないため、衆人環視の前で服を脱ぎ、裸にならなければならない。今代の大司教は、十四歳の少女という異例の事態ということもあり、年頃の少女にとっては耐えがたい羞恥だっただろう。正直、それを見るというのは同じ女としても気が進まなかったが、信者にとっても大事な儀式だということで家族に半ば強引に連れられて、その日は大聖堂に来ていた。

祭主たちが長々とした前口上を終え、いよいよそれが始まろうとした時だった。誰が気付いたのか、大聖堂の天井に謎の穴が開き、そこから一人の青年が落ちてきたのだ。

そして、大司教の眼前に軽やかに着地した青年は、先ほどのような挨拶をオルテシア語で述べた。この世界では、異世界から迷い込んでくる人間も少なくなかったので、その「オルテシア王国」という異世界にある国から転移してきた人間も、結構な数存在していた。


「“はぐれ者”が、まさかこんな場で現れるとは……!」


 この世界で異世界から迷い込んだ者――“はぐれ者”は、基本的に良い境遇ではない。奴隷として扱われるのが大半だし、それ以外で力のある者は犯罪者となり、異世界の不可思議な力で好き放題しようとするといったとこだろう。犯罪者となったはぐれ者の話を聞くと、いつも許せない気持ちになるが、それまでに彼らがされてきた仕打ちを考慮すると複雑な気持ちになるのも事実だった。

 なので、そのときの青年も祭主の判断で即座に衛兵に捕まった。その場で殺されなかったのは、大事な見初め式を優先したかったということもあるだろうし、エーテル神の教えでは、異世界の人間にも寛容に接しなさいという項目があったからだ。この国でその教えが完全に守られているかと問われたら首をかしげるが。

 ともかく、槍を持った衛兵に囲まれた青年は、特に抵抗らしい抵抗はしなかった。後日、彼はそのまま地下の牢へと送られたという話を耳にして以来、私たちが彼を見ることはなかったし、きっと地方の農村へ働き手として送られるか、奴隷兵士として戦場に徴収でもされたのだろうと皆考えていた。

 しかしどうだろう。それから二ヶ月後、今から言うと三ヶ月前、彼は私達の前へと戻ってきた。特別軍事戦術官という大層な肩書を引っ提げて。

 彼にその任を命じたのは、この国で大司教に最も近いとされる司教の一人だった。パーズ・アグィナ・ノットールという名のその司教は、周囲の反対を押し切り、彼を軍属扱いにして戦場に送った。今この世界は戦争中で、我が聖アーノルド皇国も、隣国のザギール、そして破竹の勢いで隣国の国々を征服して領土を広げているイスカン帝国の脅威にさらされていた。ザギールはともかく、大国であるイスカン帝国に本腰を入れて攻め入られれば衰退したこの国などひとたまりもないが、幸い、未だにイスカン帝国は攻め入る様子はなく、ザギールとこの国の小競り合いを静観している形だった。

 ともかく、軍属だった私は、それから偶然にも(不運にも)オルテシア語を話せるということで通訳兼彼直属の部下として二階級特進し、このウラヌスの丘近郊の最前線の基地である城へと招かれたわけだ。ただでさえ敗色濃厚なこの国の、しかも要な戦場の基地にいるのだ。敵の侵攻も最も苛烈で、軍事学校を今年卒業したばかりの私は、毎日を生きた心地がしない程度には必死で生きている。






「それにしても、ブラウニー中佐も難儀な人だね」


 彼は掴み所のない人だ。

 絶えず柔和な笑みを浮かべ、優しい声音で話してくれるが、その実、瞳の奥には常に昏い光が宿っているし、本当は何を考えているのかを全く読み取らせてくれない。

 その日も、ウラヌスの丘の爆破するというこの国ではとんでもないことを決断した彼は、自室に戻るなり、そう切り出した。


「はぁ……」


 彼の言葉の真意を掴みかねた私は、そう曖昧に返事する。変に誤解を招く発言をして、上官を侮辱したと捉えられるのは絶対に避けねばならなかった。誰がどこでこの話を聞いているか分かったものではない。


「ああ、別に彼女を馬鹿にしている訳じゃないよ? むしろすごいなって尊敬してるんだ」


 それを察したのか、彼は苦笑しながら手をひらひらと振った。本当に彼は察しが良く、そして気遣いが得意だ。


「僕のことをあれだけ嫌ってるのに、自分の立場を理解して忠実に職務をこなしている。もう感情と理性を切り離して物事を考えられるんだろうね。あの若さで大したものだよ」


 どこかで聞いたが、この城で最高責任者であるブラウニーでも歳は三十になるかどうかという程度なのだそうだ。これまでの戦争でベテランと呼ばれる大人たちから次々と死んでいき、残った高齢の大人たちも、呪力が弱まったことと経験豊富なベテランを絶やすわけにはいかないという名目で身分の高い者の多くは首都に移るか、基地本部などの後方に回されるようになった。最前線の一つであるこの基地では、三十に達していないこの青年でさえも、年長者として五指には入るだろう。


「この国はもう駄目かもしれない」


 一ヶ月前にウラヌスの丘周辺に広がる森林で死んだこの基地唯一の五十代だった老兵がそう言っていた。彼の残した言葉の真意が、今は少しだけ分かるような気がしていた。


「彼女だけじゃない。この基地の子供たちは本当に良くやっているね。気になって調べてみたけど、この戦場なんて人手不足だからって徴兵令で集めた一般市民や奴隷の少年兵まで斥候とかに使っているみたいじゃないか。戦争に負ける国っていうのは、どこも同じようなことをするのかなぁ」

「……タイガ中尉の故郷も、戦争を?」

「僕の生まれる前の話だけどね。だから知識としてしか戦争は知らないけど、この国の状況は、敗戦間近だった僕の国によく似ているよ」


 青年はどこか遠くを見るように目を細めた。

 この青年は、たまに二十代には思えないような表情や雰囲気を出すことがあり、狼狽する。


「……でも、この国の凄いところは民衆の団結力、結束力だろうね。同じ神を、宗教を崇めているからかもしれないけど、この国の人達の助け合いの精神は素晴らしいものだね。そのせいかも分からないけど、この国にはまだ希望がある」


 確かに、彼の言う通り、私達は敗色濃厚ではあったが、まだ敗北が決定しているわけではなかった。

 理由としては、やはり隣国まで支配を広げてきたイスカン帝国が静観の姿勢を崩さないことが挙げられるだろう。かの帝国までが私達の国に侵攻を始めれば、たとえザギールがいなくとも、聖アーノルド皇国はひとたまりもないだろう。

 そして、私が言うのもなんだか不思議な話だが、ザギール軍との最前線である、このウラヌスの丘戦線基地が陥落していないことも、大きな理由の一つと言っていいだろう。ここを突破されると、各地に展開している前線基地への物資の補給がままならなくなり、更にこの基地を越えた先にあるいくつかの重要な鉱山についても抑えられてしまう。そうなれば精霊装を作る際に核となる神聖核の採掘や武器弾薬などの供給が止まってしまい、この国は戦うことすらできなくなるだろう。この基地の存在とは、この戦争を左右するまでに大きい物なのだ。

 ――そう考えると、この戦いの希望とは、目の前の青年であるともいえるかもしれない。


「しかし、ウラヌスの丘を抑えられたとなると、いよいよこの基地も厳しくなるね。今まではウラヌスの丘に“眼”を置いて、眼下に広がる森林の中でゲリラ戦を持ち込めば、数で劣るこちらにもアドバンテージがあったわけだけど、流石に“眼”が無くなったとなれば、今まで通りにはいかないだろうね」


 戦いの希望である青年は、これからの戦局についてお考えのようだ。

 各地の兵士へ指令を送るオペレーターや、通訳の仕事しかしたことのない私は、実際の戦局などについてはイマイチ分からなかったが、それでも彼の発言には気になることがあった。


「でも、ウラヌスの丘は中尉の指示で先ほど爆破しましたよね? それなら、あそこは抑えられるというよりは、どちらも失ったと考えるのが妥当ではないですか?」


 言ってしまってから、「やっちゃったかな?」と冷や汗が流れた。戦争のせの字も分からない私が上官に、しかも戦術を提案するいわばエキスパートに質問、下手をしたら意見と捉えかねない発言をしたのだ。直後に、厳しい叱責が飛んできてもおかしくないと思ったが……。


「ああ、そういう風に君には聞こえてたのか」


 返ってきたのは何てことない、朗らかな笑みだった。


「流石にA級精霊装を持つブラウニー中佐でも、あのウラヌスの広大な丘の地形を変えられるほどの火力なんてそうそう出せないよ。まあイスカン帝国やかのガルガンチュア竜王国とかの大国にいる精霊騎士だったら別かもしれないけどね。僕がさっき指示したのは、丘に陣取ろうとしていたザギール軍を一時的に排除しただけの話さ。あれで精霊騎士を二、三人くらいは倒せてれば御の字だろうけど、しばらくすれば、またザギール軍はあそこを制圧しにくるだろうね。そうすれば、僕達の方はもうお手上げさ」


 彼の説明は、何故かいつも板についている。それは説明というより、勉強を教える学校の先生という感じに近い印象だ。


「なるほど……では、丘を爆破したあと、私達は出来るだけ早く、ウラヌスの丘に陣を敷いた方が良いということですね」

「そうだね。でも、同じ手は二度も通用しない。噂のC級精霊装持ちを倒せたら良いけど、今度またザギールに今回以上の戦力を投入されたら今の僕達の戦力だけじゃ厳しいかもね。だから、このままの戦術というわけにはいかない――」


 彼は、そこで言葉を止めると、デスクに座り、地図を拡げた。

 また何か説明してくれるのかとその横に立ち、地図を眺めるように顔を近づけたが、彼は何も言わない。そっと横顔を伺うと、間近に映った彼は、静かに地図に視線を下ろし、何かを考えているようだった。

 ――ていうか、近っ……!

 遅まきながら、自分と彼の顔が拳一つ分くらいの距離まで近づいていたことに気づいた私は、不自然に思われない程度に素早く顔を引いた。


「? どうしたの?」

「いえ、何でもありません、失礼しました」


 不思議そうにこちらを向いた彼に、私は外向け用の笑顔を向けた。

 彼は他の士官から相当嫌われている。直属の上司とはいえ、彼と一緒に自分までも疎まれるということだけは絶対避けねばならず、そのためにも、彼とは一定の距離を置く必要があると私は考えていた。

 そのまましばらく沈黙の時間が続いた。彼は、右手でタクトをくるくると器用に指元で回しながら目線を地図から離さない。私も特にすることはなかったが、いつでも彼の指示に従えるように休めの態勢で待機していた。


「……うん、まあこれしかないよね」


 どれほど時間が経ったときだろうか。彼は弄んでいたタクトを置き、しきりにうんうん頷いた。ようやく考えがまとまったようだ。


「うぁ」


 変な声が出た。

 突如、これまで聞いたことのないほどの大きな爆発音と共に、床がぐらぐらと怒ったように震えた。

 遂に敵がここまで来たのか!? 

 そう身構えてしまった私は、次の一言で一気に気が抜けて脱力した。


「ああ、どうやらちょうど中佐がウラヌスの丘の爆破を決行したみたいだね。彼女のことだし、タイミングは完璧だろうね」


 そういえばそうだったな……。

 その場に座り込んでしまいたい気持ちを堪えて、私はなんとか休めの姿勢を維持した。自軍の爆撃で腰を抜かしそうになったなど、口が裂けても言えない。

 そして、私がなんとか平静を取り戻したのと、彼が立ち上がったのはほぼ同時だった。


「作戦司令室に戻ろう。爆破の結果を確認したいし、これからの動きについても大体考えられたから」


読んでいただきありがとうございます。

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