通訳の苦悩
一章分はとりあえずまとめて更新します。
Sideティリア
私達が部屋に足を踏み入れた瞬間、いくつもの剣呑な視線が私達を突き刺さった。
いや、おそらく彼らは私など見ておらず、それらの視線は全て隣に立つ青年に向けられたものだろう。それでも、こちらを睨むいくつもの顔を見て、私は銃口を突きつけられたかのように身体を萎縮させてしまう。
「すみません、遅れました」
それなのに、隣の青年はまるでそれらに気づいた様子もなく、いつも通り申し訳なさそうな顔で何事もなく室内に入っていってしまう。彼のいた国では、睨まれることは友好の証とかだったのかな。いや、そんな訳ないでしょ。
「シューベルト少尉」
氷を思わせるような冷たい女性の声が、私の名を呼んだ。
それで、冷や水を浴びせられたかのように我に返った私は、自分の職務を思い出す。
「お、遅れてしまい申し訳ありません!」
神聖語の通じない青年の言葉を通訳するのが私の仕事だったが、彼の言葉を少しだけ丁寧にして訳すのは、既に私の中で決まりとなっていた。そうでもしないと、彼は今頃ブラウニー中佐によってとっくに決死隊として任命され、命を散らせていただろう。
「時間がありません。状況を説明します。一度しか言いませんのでよく聞くように」
その当人であるレイラ・ブラウニー中佐は、いつも通りの冷たい声音でそう言い放った。視線は既に私の方など見ていない。拡大された地図に視線を落としたブラウニーは、こちらの準備など待つ様子もなく、一方的に状況をまくし立てる。
「一言でいうと、戦況はかなり切迫しています。五分前、ウラヌスの丘に展開していた部隊が奇襲に遭い、ほぼ壊滅。精霊騎士は全滅し、精霊装も奪われました。その他、通常装備の歩兵もほぼ全て失いました。確認されている敵は精霊騎士が五人。そのうち三人はE級霊装のデミシリーズですが、残る二人は大量の『呪力』が検出されており、C級以上の霊装持ちと見て間違いないでしょう。おそらく、警備の薄いウラヌスの丘西側の切り立った崖を噂のバーニアとやらで踏破して奇襲を仕掛けたのでしょう。現在は近くに展開していた第二・第四部隊を向かわせています」
スラスラと並べられる専門用語を含んだ戦況を分かりやすいように噛み砕き、私は必死になって青年に通訳する。広く実装されているE級はともかく、呪力を大量放出して推進剤とするバーニア持ちのC級精霊装など、まだここに来て三ヶ月足らずの青年には言っても通じるわけがない。無論、それがブラウニーの思惑なのだろうが。
それらに律儀に相槌を打ちながら聞いてくれた青年は、聞き終えると持っていたタクトでパチンと地図のある場所を差した。勿論、それは目下の問題であるウラヌスの丘。そして、驚くべきことを口にする。
「うん、大体予想通りでしたね。それではこれから特別軍事戦術官として僕から一つ提案があります。これから敵部隊はウラヌスの丘に拠点を作成するべく、中規模程度の部隊があの丘に集結すると予想されますので、それらを出来るだけ引き付けた後、ウラヌスの丘をまるごと破壊するというのはどうでしょうか」
「ええっ!?」
思わず声を出してしまった私を、青年は苦笑いで、ブラウニーは不機嫌な顔で見る。
「……シューベルト少尉。彼はなんと?」
露骨に不愉快な態度で通訳を催促してきた彼女に、それでも通訳することに気が進まない私は、言葉を選びながらたどたどしく答える。
「も、申し訳ありません。あの、た、タイガ中尉からの提案としては、今後敵の中規模部隊がウラヌスの丘に展開することが予想されるということで、そのぅ……そ、それらが集結し次第、お……丘を爆破するのはどうでしょうか、と……」
「……なんだと」
怜悧な美貌を歪めたブラウニーが鉄拳をテーブルに叩きつける。喉まで出かかった悲鳴を呑み込んだ私は偉い。うん、私すごい。
「何を考えているんですか! ウラヌスの丘はかつてエーテル神が降りたったとされる聖地ですよ! どこの蛮族かも分からないあなたにとってはその価値も分からないでしょうが、あの丘は我が国にとって何物にも代えがたい場所なんです!」
「ティリア君。ミス・ブラウニーは何と?」
「あっ、えっと、その……」
これで青年も怒鳴りながら喋り出したら五分も掛からず私の胃には穴が開いていただろう。しかし幸い、彼はいつも通りの優しい声音で話してくれたので、私はパニックにだけはならず通訳することが出来た。
「……なるほどね。多分、彼女の剣幕からして、もっと酷い言葉を言ってそうだけど、言いたいことは大体分かったよ。それじゃあ彼女にこう言ってくれないかな――人間の命よりも大事な物なんてあるのかな?」
「ッ……それは……」
「いいから、そのまま伝えて」
ブラウニーからの答えが分かっていた私は迷ったが、それでも彼に言われた通り、そのままの言葉を彼女に伝えた。
「戯けたことを! そんなものあるに決まっています! 例え私達、いや、この国の国民全てが死ぬことになっても、エーテル神だけは汚してはならない絶対の存在です! 自分の命しか勘定出来ないあなたとは違うのです!」
予想通りのブラウニーの言葉。それを青年に伝えると、彼は優しく微笑んだ。
彼は、リアルタイム翻訳を私に頼んだ。
「なるほど、確かにそれはそうかもしれません。あなた方の文化について配慮が足りなく申し訳ありません。しかし、それならなおのこと、ウラヌスの丘は放棄すべきです。確かに聖地を破壊することは胸が痛みますが、それによって敵の侵攻を防ぎ、結果としてそれは聖アーノルド皇国を蛮族の侵略から護るということ。聖アーノルド皇国はエーテル神の信仰により作られたもの。つまりそれはエーテル神への信仰そのものといっても過言ではありません。それを喪うということはエーテル神への信仰が無くなるのと同義。それだけは絶対に避けるべきことではないでしょうか…………ならば! たとえここで聖地のひとつを喪うことになったとしても、信仰を維持し続けるためにも、ここは蛮族を退けるために手段を選ぶべきではないはずです。エーテル神の教えにも『信仰は心に勝るものなし』とあるではありませんか!」
青年の言葉をタイムラグなしで翻訳することはなかなか骨を折ったが、翻訳しながら、彼の言葉に感心する自分を私は自覚した。まだこの“世界”に来て半年も経っていないはずだが、彼の言葉には、この国の信徒に対する確かな理解と、それを踏まえたうえで理路整然と組まれた確かな論理があった。
青年の言葉に他の士官たちは渋面を作った。青年の言葉は説得力があったが、しかし聖地を破壊するなどという正に神をも恐れぬ行為を進んで取り入れることは出来ない。やがて自然と、その場の最高責任者であるレイラ・ブラウニーへと視線は集まった。
彼女は苦虫を噛み潰したような顔で地図を見下ろし続け、やがて重そうな口を動かした。
「……仮に破壊するとして、何か方法があるのですか?」
それはブラウニー中佐の実質的な敗北宣言だった。
青年は、相変わらず柔和な表情のまま答える。
「誠に勝手ながら、僕の方であらかじめポイントに誘爆性を持つ神聖核を複数仕掛けておきました。あとはブラウニー中佐が『エイリーク』の一振りをウラヌスに叩き込めば、展開しているザギール軍を掃討するには十分でしょう」
作戦室が感嘆とも呆れとも取れぬ溜息が漏れた。裏でそんなことまでやっていたのか。もしこのような事態になっていなければ懲戒はおろか、縄を掛けられてもおかしくないほどの所業だったが、もしかして彼は未来予知者か何かなのか。私は隣で微笑む少年が急に怖くなってきた。
「……分かりました。あなたの案を呑みます。但し、今後はそのような勝手な行動は慎んでください」
「はい、善処します」
いや、絶対慎む気ないでしょ。
私がそんな気持ちを込めた視線を青年に向けると、まさか届いたわけでもないだろうが、彼がおもむろにこっちを向いた。
お世辞にも愛想の良い表情をしていなかったので、私は慌てて取り繕った笑みを浮かべると、彼も笑みを返してきた。それが見ていて何故か心が落ち着くような笑顔なので、底が見えず、私はこの笑顔が苦手だ。
さて、方針が決まれば後は動くのみだ。俄かに騒がしさを取り戻した作戦室に、最早私の仕事はほとんどない。あとはたまに何か指示を出す青年の言葉を通訳するだけなので、私は地図の上に乗った、敵味方それぞれの戦力を示す置物を漫然と眺めていた。
「疲れたかい?」
だから、突然青年にそう声を掛けられたときはびっくりして「ほぁ!?」と奇声を発してしまった。幸い、近くを歩いていた士官がこちらを一瞥しただけだったが、隣に立っていた青年だけは可笑しそうにくつくつと笑った。
「ティリア君って、優秀なのに少し抜けてるところがあるよね」
「……放っておいてください」
そっぽを向いた私は、この青年について考える。
一言で言えば変わっている。それも、ものすごく。
そもそも、彼は初めて見たときから衝撃的だったのだ。顔が格好良くて一目惚れとかではない。登場の仕方自体がとにかくすごかったのだ。これは私だけでなく、あの場にいた多くの人々も同じ感想だろう。
いつの間にか私は、地図の上を躍動する戦力ではなく、半年ほど前の大聖堂での出来事を思い出していた。
読んでいただきありがとうございます。