夕焼けとキイロタマホコリ
「ここが事件の現場か……」
傾きかけた日差しのせいで校舎裏は日が陰り、空気が湿っぽく淀んでいた。
北側に位置する校舎裏は、草の生い茂った敷地だった。小高い山を背負うようにして建てられている私達の青葉台学園の校舎の裏手には、裏山が覆いかぶさるように迫っている。
私達が立っている場所から見て左側に校舎の背中。右側は山。
真ん中に道幅2メートルぐらいの未舗装の道がずっと向こうまで続いている。ここを抜けていけば、職員の駐車場や花壇などがある東側へと通じている。
すぐ近くには、プレハブの部室棟の建物。そして錆びた物置小屋が2つほど。文化祭の時に使ったであろう舞台の大通具や、壊れた陸上部のハードルなんかが積み上げられている。
「サッカー部は、こんな場所をランニングするのか? ヤツら、日光を浴びないとダメなんだろ?」
「とんでもない悪意に満ちた偏見ね、日陰で生きるひねくれ者らしいわ」
「お褒めに預かり光栄だ」
「それに、サッカー部はこういう校舎裏はもちろん、神社へ続く石段とか、田んぼのあぜ道とか、あちこち走り回っているわよ」
「ここを通ること自体は不自然じゃない、のか」
サッカー部のマネージャを目指す私。当然それぐらいリサーチ済み。
「ってか、シメジはいつから探偵になったのよ?」
「探偵? 面白い冗談だ、彩」
「じゃぁいったい何を調べているの? さっき事件って言ってたでしょ?」
クラスメイトの人気者、悠真くんが校舎裏のランニング中に転んだこと。
事件だというのならそれこそが私達にとっては大事件。もし何かのイタズラや嫌がらせでそんな事になったのなら、犯人を見つけ出して女子全員の前で焼き土下座ぐらいしてもらわないと気がすまない。
でも事件を解決して私はサッカー部のマネージャーに。細かいところまで行き届く気の利いたマネージャーとして認められる。この流れ悪くないわね、ウフフ。
「……彩、気持ち悪いやつだな、何ニヤニヤしてるんだ?」
「アンタに言われたかないわよ!?」
シメジが口元を少し緩める。
「俺は粘菌に関する好奇心を満たしたい。それだけだ」
メガネを光らせると日影シメジは、周囲をぐるりと見回した。
「なっ? それだけ……?」
「それだけ」
「もう。シメジの気が済むまで調べてよ」
「言われなくてもそうするさ」
校舎裏に女子を連れてきてこの言い草。さすがクラス一、いえ学年一の変人である。告白とか、そういう場面とかと勘違いされたら非常に困るので、シメジとは適度に距離をとって歩くことにする。
いかにも先生に何か用事を言いつけられました、オーラを放つ器用な私。
シメジくんは丹念に校舎裏の壁や、地面、倒木の根本を調べている。時々スマートフォンを取り出して、写真を撮ったりもしている。
もし探偵ならマジメに仕事しているなぁ……という感じ。
「はぅッ!? おぉおお! これは……見事だ!」
「どうしたのシメジ!?」
「見てくれ彩! 道の真ん中にキイロタマホコリとは……! 可愛い、最高だ、あぁああ綺麗な色だねッ!」
興奮気味にシメジ君が声を上げ、地面に膝をついて写真を撮りまくっている。
「うわ、ヤバイわぁ……」
ドン引きの私。
確かに道の中央付近に、黄色いペンキをこぼしたようになっていた。大きさは直径数センチから10センチを超えるものまで。鮮やかな黄色い謎の付着物が地面に点々と残っていた。
シメジが「見事なキイロタマホコリの変形菌だ」と言っている。つまりあれらも「粘菌」なのだろう。アメーバが合体した「変形菌」つまり移動形態なのだろう。まぁ、近づいて仲良く一緒に覗き込む気にはならないけれど。
「そんなところを見られたら変人だと思われ……」
遅かった。
気がつくと、誰かが校舎の影に立ってこっちを見ていた。
「シメジ! シメジ! 立って! 見られてるわよ!」
「んー?」
あわあわとしながら叫ぶと、シメジが立ち上がった。
「おまえら……何してんだ?」
それは、直人くんだった。さっきと同じ白地に青のラインの入ったトレーニングウェア。
「直人……くん?」
犯人は現場に戻ってくる――。
一瞬、そんなフレーズが脳裏を駆け巡る。
ザワッと背筋を冷たい指でなぞられたような錯覚に陥る。
直人くんは苛立たしげな顔つきで、睨みつけながらゆっくりと近づいてくる。
ヤバイ、なんだかめっちゃ怒ってない?
まさか、クラスナンバーワン人気の悠真くんを転ばせた犯人って……。
「おや、直人くんじゃないか? そろそろ来ることだと思ってたよ」
悠然と立ち上がるシメジは、真正面から直人くんと対峙する。まるで最初から来ることが分かっていたみたいに。
「……おいメガネ、ウロチョロしやがって、何だってんだよ?」
「シメジ! サスペンス劇場なら、私達このあと殺されちゃうシーンだよ!?」
「かもな」
思わずシメジの方に駆け寄って、背後に回り込む私。
気がつくと私達は崖っぷちに立っていた。断崖の下で白波がザバーンと跳ね返る――そんな緊迫したサスペンス劇場のワンシーンを描いた舞台背景。大通具が、すぐ横の小屋に立てかけてあった。
直人くんはギリッとシメジを睨んでいる。
二人を眺めながら、ハラハラする私。
すると、シメジは静かに、近くの草むらを指さした。
「お探しのものは、そこじゃないか?」
「えっ……? マジ?」
「あぁ、田島悠真くんがスッ転んだのは、この辺だろう?」
「そうだけど、何でわかったんだ?」
言われるまま草むらにしゃがみ込む直人くん。一体、何? 何かを探しているの?
すると、待ってましたとばかりにシメジがメガネを指先で「くっ」と持ち上げて、口角をやや持ち上げる。
「真実はすべて、粘菌が教え――」
「あったぁあああ!」
シメジくんのキメ台詞を遮るように、直人くんが叫んだ。
ずる、とメガネがずり落ちるシメジの横で、小さな「ミサンガ」を天に掲げて喜ぶ直人くん。
「直人くん、それって……?」
「あぁ、オレがさ、悠真にあげたミサンガなんだよ。高校に入って、一緒にサッカー部のレギュラーになろうぜ、って誓ってさ」
嬉しそうに微笑むと、夕日色に染まり始めた空にミサンガをかざす。
「そっか……、直人くんはミサンガを探していたんだね」
「そうだよ。悠真のやつ、校舎裏で転んで無くしたって教えてくれたんだ」
「そ、そうなんだ、捜し物、見つかってよかったね!」
「あぁ! これ大事なものだからな」
嬉しそうに笑う直人くん。
「わかったから、足元のキイロタマホコリを踏んづけるなよ。もし踏んだら……お前の弁当で変形菌を繁殖させるぞ」
「うっわ!? なんだこれ、キッショ!?」
直人くんが足元にいた黄色いネバネバしたもの――キイロタマホコリに気がついて、思わず飛び跳ねた。
っていうか、シメジの脅し文句がキモチ悪すぎるんですけど。
でも、頭の中で順序立てて整理すると、私にも真相が見えてくる。
直人くんが何かを企んでいた……というのはシメジの推理過程でのミスリード。でも、直人くんが校舎裏に居たのは真実。だって、悠真くんが失くした「ミサンガ」を探していたのだから。
シメジが私の考えを先読みしたみたいに、小声でつぶやく。
「悠真くんがランニング中に転んだのは、間違いなくこのあたりだろう。けれどその時、直人くんはこの現場には『居なかった』んだ。おそらく、怪我をした悠真くんに『ミサンガ失くした』と話を聞かされた直人くんが、練習をサボって後で探しに来た……。そんなところだろうな」
「なるほど、そういうことなんだね」
ようやく一連の出来事の流れが理解できて、そして納得する。
「ヒントは教室でも言った、直人くんの背中の汚れさ。あの大通具の絵をよく見ろ」
「あ、茶色い……胞子?」
地面から這い登って胞子に変形したのだろうか。背中ぐらいの位置に茶色く盛り上がった2センチぐらいの胞子の塊が見えた。
「そう。ムラサキホコリの子実体の胞子群さ。同じ色の胞子群が見えるだろ? きっと直人くんは、あの辺りを探していて背中についてしまったんだろう」
「ほ、ほぇ……すごい」
つい、私はシメジの推理に感心して目をみはった。
けれどそこで私はもう一つ、思い出した。
「でもさ、シメジは犠牲者が別にいるかもって言ってたよね? あれは何のことだったの?」
するとシメジはスマートフォンの写真を私しに見せた。黄色い粘菌の変形菌の写真で、地面の上に撒き散らされたような黄色いネバネバしたものだ。
「犠牲者というのは、この黄色い粘菌。地面の上のキイロタマホコリさ」
「あぁ!? まさか……」
「ここをよく見てくれ、靴で踏まれた跡が残っているだろう?」
「うーん? 言われてみれば……」
「そう。あろうことか何の罪のないキイロタマホコリが地面を移動中、サッカー部のエースとやらに無残に踏み潰されたのさ。証拠はこの潰された変形菌。悠真くんが転んだ場所と、ピタリと一致するんだからな!」
いきなり興奮気味に話し始めるシメジ。コイツにとって事件とはむしろこっちのほうだったのか……。
「あ……でも、悠真くんがころんだ原因って、この黄色い粘菌!?」
「そうだろうな。さっきの直人くんの反応を見て、ピンときた」
直人くんはさっき、この黄色い地面の上の粘菌を見て、思わず驚いて飛び退いた。
きっと悠真君もランニング中に同じように驚いて飛び退いて、着地した先にも黄色い粘菌がいた。そして運悪く滑って転んでしまった……のかもしれない。
「俺の推理が正しいかは、悠真くんのウェアでも調べれば判るだろう」
「そっか、黄色い汚れが付いていたら……」
「汚れではない。可愛いキイロタマホコリの体の一部、犠牲者の細胞片の一部、原形質だ」
「あー、はいはい」
あれ?
でも、なんでミサンガを探していることが秘密なのかな?
別に皆にも正直言ってくれれば、みんなで喜んで手伝ったのに……。
と、直人くんの方を見ると、ポケットにミサンガをしまいこんだ。
「その、見つけてくれてありがとうなメガ……いや、日影くん……」
「いや、いい。気ににするな」
「へへ……」
直人くんが白い歯を見せてシメジに微笑んだ。好感度は元に戻る。
「あっ、でも、俺がミサンガ探してたのは内緒だぞ! 言うなよ? な!?」
そう、私はその理由が知りたかった。知られちゃ不味いものなの? 高校に入って、一緒にサッカー部のレギュラーになろうぜ、って誓ったのは素敵だと思うけど。
「あ……!」
私はそこではたと気がついた。
直人くんの足首に、同じ柄のミサンガが付いていることに。
つまり、悠真くんと直人くんは、お揃いのミサンガだったんだね!
こりゃ、確かに女子は歓喜するわ。
「わかったよ、君が悠真くんに普通の友情以上の感情を抱いていた……なんて、言わないでおくよ」
シメジがメガネを夕日で光らせながら、意地悪く口元を歪める。
「ブッとばずぞメガネ! そういんじゃねぇ! 友情だよ、サッカーを通じた友情。わかる? わかんねぇのか、あぁ? そうだよな」
よほど恥ずかしかったのか、直人くんはシメジくんに叫んだ。けれど、それは怒っているわけじゃなくて、照れ隠しみたいな感じで。
こうして――事件は幕を下ろした。
◇
「というわけで、彩。俺はもうすこし粘菌を調べてゆく。生物部としてな」
直人くんが去った後も、その辺りを観察しているシメジ。
「とかなんとか言っちゃって、本当は私の帰る時間に合わせてくれてるんでしょ」
「ばっ、ばか違う、そんなんじゃ……ない」
めずらしくシメジが動揺する。
顔が赤いような気もするけれど、夕日せいかしら。
メガネが輝いていなかったら、その瞳を覗き込めるのに。
「じゃぁ、またあとでね、粘菌探偵さん」
「あぁ、またあとで、彩」
私はちいさく手を振ると踵を返し、サッカー部が練習しているグラウンドに向かって歩き出した。
<おしまい>
★
というわけで「粘菌探偵」いかがでしたでしょうか?
(よろしければ感想など評価をいただければ嬉しいです)
彩とシメジ、二人の活躍(?)はこれから始まります!
けれど、それはまた……別の機会に♪