幼なじみは粘菌マニア
リーンゴーンと終業を告げるチャイムが鳴った。
教室はとたんに椅子を引く音や、クラスメイト達の話し声でいっぱいになる。
「あー、終わったぁ」
私――日向彩も、思わず「うんっ」と伸びをする。
楽しげな様子のクラスメイトたちを見回しながら、放課後のお楽しみ、「クラブ見学」に想いを馳せる。
今日はどのクラブを見に行こうかしら。やっぱりサッカー部よね。マネージャー募集しているって話題になってたし。
窓から吹き込む春風はとても暖かくて気持ちがいい。柔らかな日差しも放課後への期待を膨らませてくれる。
「彩、放課後はどうするんだ?」
右隣の席に座っていた男子生徒が、静かな声で話しかけてきた。
高校1年生になったばかりの私の名前を馴れ馴れしく、しかも下の名前で気軽に呼び捨てにするヤツなんて一人しかいない。
日影シメジ。私の幼なじみ。
「放課後はクラブ見学って言ったでしょ。私、マネージャーになりたいし」
リュックを机の上に乗せてジッパーを開き、教科書を適当に詰め込みながら、シメジに向かって短く答える。
「なら、うちのクラブのマネージャーになれよ」
「お断りよ」
「何故だ……?」
黒縁メガネを光らせて、口元をぽかんと半開き。あからさまな驚きを浮かべている。
「だって、シメジは生物部でしょ!?」
私もつい下の名前で呼び返す。
彼とは家が近いこともあり、幼稚園から高校まで一緒という腐れ縁。まぁ知らない仲じゃないのだけれど……。
「そこは心配ない、大丈夫だ」
「何が大丈夫なの!? 生物部のマネージャーなんて聞いたことないわよ!」
「生物部期待のルーキーの誘いを断るとは愚かな。……後悔するなよ」
「しません!」
っていうか生物部のマネージャーってなにするのさ。
「だといいが」
クールな表情で黒縁メガネを指先で「くいっ」と持ち上げる日影シメジ。
見ての通りちょっと……いやかなり変なヤツである。
シメジという名前は、漢字では「注連司」と書く。
『注連縄』の『注連』に『宮司』の『司』で、シメジ。
キノコの「湿地」を連想してしまうので、小学生の頃はずいぶんクラスメイトにからかわれていた。結局、イジメっ子は全部私が追い払ってあげたけれど。
彼の実家は神社で宮司をやっている。しかも私の家の裏山にある神社の社務所に住んでいる。
けれどシメジはどちらかというと妖しげな雰囲気を漂わせている。友達もあんまりいないし、見た目が地味で……暗い。
でも実は、性格も顔そんなに悪くない。黒縁メガネを外せばむしろ美少年という感じ。なんたって肌は白くてスベスベでニキビなんて一つもない。日焼けした私よりも「美白」というのが実に腹立たしい程に。髪は黒髪のサラサラなストレート。茶髪でくせっ毛な私より毛艶が良いのは一体どうゆうことなの?
成績だって私よりいつも優秀。何かと目の上の「たんこぶ」なヤツ。
おのれ、シメジのくせに生意気だ。
「気が向いたら俺の生物部へ来てくれ」
「俺のって……、いつからアンタの部になったのよ? わたしたち1年生だし、入部してまだ一週間でしょ?」
当然シメジも私と同じ青葉台学園の1年生。当然、部活だって入部したてのはずだけど。
「俺の粘菌に対する愛と情熱を、先輩や担当教諭殿が認めてくれたんだ」
「はぁ!? 粘菌……てアレ?」
「そうだとも。既に次期部長候補、しかも担任の女教師は家督を譲っても良いとさえ言っているくらいだからな」
「いやいや! ありえないでしょ!? 家督を譲るってどーゆうこと!?」
思わず椅子から立ち上がってツッコミを入れる私。
周囲のクラスメイトの視線が集まる。うっ……恥ずかしい。
「日向彩さんって、日影くんと仲良しねぇ」
「同じ中学だって言ってたよ」
「なるほど……そういうことですか」
「ふたりは……なるほど」
後ろの席の女子クラスメイト達が早速、誤解しまくりの会話を交わしている。
――ヤバイ、なんだか勘違いされている!?
恥ずかしくて顔が真っ赤になるのがわかる。
後ろの女子クラスメイト達に向かって、「ち、違うし! シメジとはただの幼なじみなんだから、かっ、勘違いしないでよね!」と叫びたい。
って、それじゃ私はテンプレなツンデレキャラじゃん。
「勘違いしないでくれ、彩はただの幼なじみだ」
シメジが黒縁メガネを指先で「ついっ」と整えながら後ろの席のクラスメイト達に説明する。
「お前が言うんかい!?」
気がつくと私はシメジにズビシ! と本気でツッコミを入れた。アホかこいつは。
「それは私のセリフでしょうが!?」
「誤解は解いておかねばならないからな」
「この……!」
わなわなと拳を握りしめる。ツッコミよりブン殴りたいわ。
「やっぱり仲良しさんだねぇ」
「息もぴったり!」
「やれやれ」
「違うぅ!」
後ろの女子二人組は私達のやり取りがよほど面白かったらしく、とても喜んでいる。
ツインテールの子が優美さん。セミロングの黒髪が琴美さん。同じクラスになって知り合ったばかりだけど、私とシメジのやりとりに興味津々の様子だけど、恥ずかしい。
「どうした彩、アカフクロホコリみたいに顔が赤いぞ」
「粘菌に例えないでよ!」
「即座に粘菌の名前と判るとは素晴らしい。ちなみにアカフクロホコリは結構レアで、赤い子実体が実に魅力的だから、覚えておくように」
「あぁ……そう、ハイハイ」
私は軽い頭痛を感じ、こめかみを押さえた。
シメジは『粘菌』という謎の生命体にハマっている。
――粘菌。
それは微生物の一種で、大きさ自体は数ミリ程度。けれど時には無数に合体して10センチを超えるアメーバ状になって動き回り、挙げ句キノコのように変形するという、あまりにも謎すぎる特性を持った生き物の総称。
シメジいわく、粘菌は公園や森、田んぼや落ち葉の裏など、そこら中にいるらしい。
動物でもなく、植物でもない。かといって菌類でもないらしい。
「粘菌は粘菌。それ以上でもそれ以下でもない。孤高の存在。そこに痺れる憧れるッ!」
という具合に、シメジの心を捉えているのは、大きなアメーバみたいな「変形体」。
色も赤や黄色や白と実に様々、成熟するとミニサイズのキノコみたいな「子実体」に変形。更に胞子を出して増えるという謎仕様。
シメジいわく、子実体は色も形も個性豊かで、図鑑を一日中眺めていても飽きない、らしい。
正直……ちょっとキモイ。てか引く。
試しに『粘菌』をスマホなんかで検索して見るといい。すると「他の星の生命体」としか思えない画像がドバドバ出てくる。まぁ、見ていると別の意味でドキドキするのは確かかもしれないけれど。
私はシメジが帰り道に熱く語ってくれたおかげで、通常の女子の三倍いえ、人並み以上の知識が身についてしまった気がする。
朱に交われば赤くなる。とはこの事か。
「アカフクロホコリに交われば赤くなる……フフッ」
「そういう例えもやめて!」
「面白いとおもうが」
「思いません」
少ししゅんとするシメジ。言い過ぎたかな。
窓から吹き込む風にのり、校庭からは運動部の生徒たちの掛け声と、下手くそなトランペットが聞こえてくる。それにボールの弾む音――。
すべてが「放課後」という特別な時間を形作っている。私もこの時間に紛れ込んで、クラブを散策して楽しみたい。
けれど――。
私達はこの後、粘菌が絡むちょっとした事件に巻き込まれるのです。
<つづく>