6 月
使者の一行が到着したのは昼過ぎだった。
本丸の一階は大騒ぎになり、挨拶を終えた客たちがあてがわれた部屋に収まってからは二階までが慌ただしくなった。たくさんの召使いたちが忙しそうに表廊下を行き交っている。
しかし、レイフェリアの部屋がある二階の一番北の奥の廊下へは誰もやってこなかった。
食事も忘れられていたようで、朝に簡単な食事をとっただけのレイフェリアは空腹だったが、言いに行くのも憚られ、お茶でごまかすことにする。この様子では明日の朝食まで忘れられるかもしれない。
平常心を装ってはいても、その実好奇心がとても強いレイフェリアは、召使に様子を聞いてみようかと何度も廊下に顔を出してみたが、北側の暗い廊下は誰も通らない。
さっき見たところ、客人は四人だけのようだから、南側の客間が三部屋もあれば足りるのだろう。
なのにこの慌ただしさ。それはこの城がいかに客に慣れていないということを示している。
叔父はこの土地での友人は少ないし、ギンシアやアリーナは客をもてなすよりも、客として招かれる方が好きなのだ。彼らは社交は主に王都で楽しむ。
──やれやれ。ノーナだって今は忙しいだろうから厨房に行くのも気がひけるし……後でこっそり忍び込んで何か失敬してこよう。
空腹を抱えたレイフェリアはそう決めて、これ以上表の様子を探ることは諦め、夜までおとなしく部屋に引っ込むことに決めた。
何か目に見える仕事で時間を潰す方がいいと考え、叔母からもらったアリーナの服の手直しの続きをする。叔父ではないが、あの客──男の前で見苦しい様子は見せたくない気がした。そう考えると作業が捗る。レイフェリアはしばらくの間、縫い物に没頭した。
やがて、晩餐の支度が整ったのか、表の廊下がひときわ騒がしくなり、それが収まったら今度は一階が賑やかになった。今頃大広間で馳走が振舞われているのだろう。笛や弦の音まで聞こえるから、近くの村から誰かを雇ったと思われる。
──南方を嫌っているくせに、見栄は張りたいという訳ね。
予想通り、レイフェリアの元にはなんの知らせも来なかったが、時折従姉妹のアリーナの甲高い笑い声が聞こえて来たから、彼女も珍しいお客に大分興奮しているようだ。彼女は今、あの金色の目をした男と向き合っているのだろうか?
そう考えると、レイフェリアは胸の奥が少しざわつくのを感じた。アリーナは七年前まで王都で暮らしていたから、洗練された作法や話術を多く身につけている。
──そういえば叔父様はなぜ、ずっと真国王都で暮らしていたんだろう。父上は三人兄弟の長兄で、次男のアーサー叔父様は若くしてお亡くなりになった。叔父は後妻の子だから父上とは歳が離れているにしても、なんだか不自然だわ。父上も若い頃から都に遊学していたイェーツ叔父との接点はあまりなかったと言ってたっけ……。
アリーナには兄がいるが、早くから王都に留学していて、レイフェリアはもう何年も会っていない。
一体イェーツが何を思ってこの地で暮らしているのか、彼女にはよくわからなかった。今までほとんど話をしたこともないから当たり前なのだが、あまりに身内に対する情が窺えない。妻や子に対する愛情はもちろんあるのだろうが、ほとんどいつも面白くなさそうで、人生に退屈しているように見える。
今回レイフェリアを呼び出した件で、レイフェリアはイェーツがほとんど初めて積極的に行動し、感情を表すのを見た。その内容はレイフェリアにとって驚くべきことだったけれど。
──まぁ、叔父様の心中を忖度しても何にもならないわね。それより、これからのことだ。南の客人は私にどんな期待をしているのだろう?
暖炉の前で下から昇ってくる声や音に耳を澄ましながら、レイフェリアはいつの間にかうたた寝をしてしまったらしい。
目を覚ました時は真夜中近かった。夜になってから雲が晴れたのか、窓から見える月が煌々と照っている。
「……っ、さむ!」
暖炉の火は熾火になり、部屋には冷気が染み出していた。晩餐もとっくに終わってしまったようで城の中は静まり返っている。
「さすがに、もうみんな休んだみたいね……」
レイフェリアは外套の上から分厚いショールを体に巻き付けると靴を履き、手探りでそっと階下に降りた。目を覚ました途端、とても空腹なことに気がついたのだ。
案の定、厨房はすでに真っ暗で、竃の火も埋み火になっている。かすかに暖かさの残る空気の中には複雑に入り混じった食べ物の匂いが漂っていた。流しには汚れ物が山のように積み上げられている。きっと晩餐が遅くまで続いたので明日の朝に片づけるつもりなのだろう。
レイフェリアは月明かりを頼りに竃に置きっ放しの鍋を覗くと、嬉しいことに大鍋の底にスープの残りがあった。レイフェリアの好きな、魚の身を丸めた団子が入った滋養のあるスープだ。まだ少し温もりが残っている
レイフェリアはいそいそと壁際の棚から小さな鉢を取り出すと、具をたっぷりと入れてスープをよそった。熱々でなくて残念だが十分美味しい。
ついでに転がっていた瓶の底に残っているぶどう酒の残りも頂き、レイフェリアは質素な食事を終えた。紙に包まれたパンの欠片も見つけたので、明日の朝食用にポケットに入れる。空腹の問題はこれでとりあえず解決だ。
──でも眠くないわ。
夕方からずっと寝ていたのだから無理もない。レイフェリアは月の光に誘われるように窓の外を見上げた。冷え込んでいるが、少しの間なら大丈夫だろう。ショールを掻き合わせて、厨房の奥の裏口からそっと外に出る。
裏庭は真正面に城壁がそびえる他には、花壇も噴水もない殺風景な場所だが、広さだけでいうなら前庭よりも広い。すぐ横には井戸、様々な倉庫があるが、雪に埋もれて月光を浴び、昼間ほど見苦しくはない。さらに向こうには針葉樹の大木、常緑樹の植え込みなど、手入れが追いつかないのでちょっとした林のようになっている。
雪に注ぐ月の光は全てのものを白く浮き上がらせ、青い影を作っていた。
「なんて綺麗……」
冬の夜空は曇っていることが多いので、満月を見上げるのは久々だ。
レイフェリアは雪を踏んで裏庭の真ん中に立ち、目を閉じて冷たい光を瞼に浴びた。寒さは少しも気にならなかった。
その──時。
なんの物音もしなかったのに、どうして振り向くことができたのか、後になってもレイフェリアには説明できなかった。
異様な気配を感じて首筋が泡立ち、背後を振り返ったのは覚えている。
そして、そのまま動けなくなった。
ほんの数歩離れたところに異様な姿の巨大な獣がこちらを見つめていた。
長くなったので分けます。続きをどうぞ!