66 夢のおわり
「私はやりすぎたのでしょうか?」
五日後、ティガールとともに報告に上がった王宮で、レイフェリアはゼントルム王の前で全てを告白した。
「四方侯の一人である、東方の領主をほとんど廃人にしてしまいました。存分なご処分を覚悟しております」
様々な色合いの大理石が敷き詰められた床の上で、レイフェリアは膝をついている。ティガールはこの部屋への立ち入りを許されなかった。ゼントルムはレイフェリアの話を聞きたかったのである。
ここは以前も入ったことのある、国王の私的な謁見室である。ゼントルムは大きな椅子の上で片膝を挙げた楽な姿勢をとって話を聞いていた。
「まぁ、そう悲壮な顔つきをしなくてもよかろう」
「……」
「それに、廃人とまではいかぬであろうよ。ただ、その……毒薬、いや薬品なのか? を奴にぶっかけた時、雨で幾分薄まったのと摂取した量が少なかったことが幸いしてか、自我はちゃんとあるし、俺のことも、家族も一応認識している。医師の話では支援されつつ元どおりの生活をしていれば、ある程度回復することもあるそうだ。だが、自分がかつて幼いそなたにしたことと、そなたに関することの全てを忘れてしまっている。あと、この数ヶ月間の記憶もな。つまり自分が罪悪だと感じていた記憶が抜け落ちたと言うべきか」
この二日前にゼントルムはファハルに会っている。王自ら、東方領主の現在の様子を確認し、しかるべき判断と沙汰を待てと言い置いていた。
「承っております。しかしそれでも、私がしでかしたことによって、東方領主家、ひいてはその治世の混乱を招いてしまったことには変わりはありません。罰は甘んじて受けましょう」
レイフェリアは深く首を垂れた。
「だから、そう生真面目に思い詰めるなって。命には特に別状はないし、本人は今、すっかり毒気を抜かれていたって穏やかな心持ちでいる。顔からも尖った部分がなりを潜めてな。それに東方領主家には親戚が多いから、その中から俺が適切な人物を領主の補佐に推してやる。そなたと、そなたの父にしたこと、そしてわが身内を危険に晒したことは許しがたいが、奴も相応の罰を受けたのだから、東方領主家自体の罪は問わない。あの家が医学や薬学の面で、この国に貢献してきた歴史もあるのだからな」
「……」
それでもレイフェリアの表情は晴れなかった。
「聞けば、そなたの貞操も命も危なかったのだろう?」
「貞操はともかく、命に関してはファハル様に罪はありません。私は自分から塔から飛び降りたのですから」
「だが、その原因を作ったのは奴だ」
「……でも」
「もうよい。奴のしたことと、そなたのしたこと。これで相殺とする。よいか」
「はい。ありがたきお沙汰、心より感謝いたします」
レイフェリアは神妙に言った。
「そしてこれが一番重要なことだが、先の北方領主であったそなたのお父上のことだ」
「……」
「奴はそなたを手に入れんがために、誠実なエイフリーク殿を陥れた。すり替えた祝いの品に揮発性の毒物を仕込み、結果として女官が一人死んでしまった。我が父は、庶出とはいえ、若い愛妾が生んだ娘の誕生を、それは喜んでいたからな。怒りで物が見えなくなっていたとは言え、本来はもっと調査をするべきだったのだ」
「……」
先王、ゼントルムの父は老いてから迎えた若い側室を寵愛し、授かった初めての姫の誕生を、それは喜んでいたと言う。幸か不幸か、湿ってしまった敷物を乾かそうとした女官が毒に触れて死んでしまわなければ、側室か赤子が命を落としていたと思うと、いてもたってもいられなかったのだ。
そして、その怒りをうまく操作してエイフリークを追い詰めるように、唆したのが東方領主だったと言うことも、ゼントルムの綿密な調査でこの度明らかになった。
「結果、エイフリーク殿は王の怒りと恨みを買い、疑いを晴らせないまま嫌疑が確定してしまうことを恐れ、妻とそなたに類が及ばないように、自ら死を選んでしまった。これには王家にも責任がある」
「しかし、先王陛下はすでに亡くなり、ご側室様とその姫君も、今は穏やかに離宮でお暮らしになっていると聞き及びます。そのことを私は既に受け入れておりまする。それに、今回の件では、ゼントルム陛下には良くしていただいて感謝しております。父の疑いも晴れた今、これについてはこれ以上追及するつもりはございません」
「そうか……これでそなたの七年間を相殺できるとは思えないが、もう一つそなたに伝えるべきことがある」
「伝えること……でございますか?」
「そうだ。俺だって王宮でちんまりと座っていたわけではないぞ。わが調査はそなたの叔父にも及んだ」
「イェーツ叔父上?」
レイフェリアは意外な名前に目を見張った。
「ああ。イェーツは、エイフリーク殿が王宮に贈る祝いの品の目録と、その品が王宮に届く日時と、どの門から搬入されるかを兄に尋ね、その情報をファハルに渡してしまったと俺に告白した。無論奴がうまく誘導したのだがな。ただイェーツは、まさか自分のしたことが兄の死の原因になるとは思ってもみなかったらしい」
「……そんなことがあったのですね」
「ああそうだ。そなたの父のことに関しては、弟たるイェーツにも責の一端はある。彼はそなたら母子に辛く当たっていたたのだろう?」
「そうです」
「イェーツは自分のしたことを正当化し、自分が領主に収まることで、そなたら母子への負い目から目をそらしたのだろう。自分のしたことを罪だと認めてしまっては彼の自己価値が崩壊してしまうからな」
「そんなものなのでしょうか」
粘着質で小心者な叔父。彼は母と自分を罪人の家族と貶めることで、自分を保っていたのだろうか? それではあまりに失意の中で死んだ母が浮かばれない。
「正直、私は叔父も、その家族も好きではありませんでした」
「さもあろう。そなたにはイェーツを告発することも可能であるぞ」
「告発」
それは今まで思いもよらなかったことである。しかし、レイフェリアの心に響くものではなかった。
「確かに、母に対する仕打ちは今でも許せないと思っています。でも、今更そのことを糾弾しても母は帰ってきません。許せませんが、私も過去に拘って生きたくはないです」
「そなたは強いな」
ゼントルムが静かに言った。
「……そう思えたらよいのですが。それで、叔父上は現在どうしているのでしょうか?」
「とりあえず屋敷に蟄居を命じてある。家族もだ。伝えたいことはあるか?」
「はい、ございます」
「それは?」
「北方領地における父の名誉回復の触れを民に示すことと、両親の廟の建立をお願いしたいのです」
「それだけで良いのか?」
「はい。叔父はずっと父に劣等感を持っていたのでしょう。こう申しては憚りながら、彼は陰気で気の弱い人物です。しかし、一概に悪い領主というわけではありません」
「ほう……?」
「父の死後、四方侯の中で最弱になってしまった領主の地位や、減ってしまった交易の中で、ある程度の増税はあったものの、堅実に領地の運営を行なっておりました」
レイフェリアはまじめに言った。
「そなた、なかなかの適切な評価の目を持っておるな。執政者になれるぞ」
「いいえ。私はすでに南方領主後継の花嫁となるのですから、北へは早々帰れません。王にはいとこのアリーナに叔父よりは誠実で英邁な人物を婿に推挙してやってください。私にそうしてくださったように」
「ははは! やはりそなたは強い。強くてしなやかだ。では、……そうだな。そなた、その要求を自分の言葉で直接伝えるが良い。イェーツを我が前に呼び出してやるほどに」
「……」
「こら! あからさまに顔をしかめるな。今、ええ〜とか思っただろう。だが、これは大事なことなのだぞ。それに俺にだって責はある。死んだ俺の親父が、冷静に充分に調べていればそなたの父を救えたかもしれないのだ。だから俺は公にそなたの父の名誉回復をこの王宮で成さねばならない」
「……はい。私は陛下自身にはなんの恨みもございませんが」
「それでもそれが欠ければこの件は結審にならない。執政者とはそう言うものだ。だから、そなたもイェーツと向き合え」
「わかりました。これは確かに私と叔父の問題ですね……わかりました。あまり気は進みませんが、腹を括って叔父と対峙いたします。ですが、王宮ではなく、かつて父の屋敷だった北方屋敷での面会をお願いしたいのです」
「そなたに不利ではないか?」
「慣れておりますわ。叔父の領分で私は自分の言いたいことを言ってきます」
レイフェリアはきっぱりと言い切った。
「よし承った。しっかり、毒を吐いてくるのだぞ」
「はい」
「うん……では、そろそろかな?」
ゼントルムはレイフェリアの肩越しに後ろの扉へと顔を向けた。つられてレイフェリアも振り返る。
「なにが、でございますか?」
「来る、来よるわ。ほら、聞こえてくるだろう?」
「……?」
確かに扉の向こうから、重いものを落とすような音が連続して聞こえる。それはどんどん大きくなり、ついには扉から直接響いてきた。
「おおお! 俺の部屋を叩き壊す勢いで暴れているぞ!」
「……あれは」
その時、ひと際大きな打撃音とともに扉が揺れる。こんなことができるのはただ一人だろう。
「うわ! 怒ってらぁ! 頼むよ。あの扉一枚三千万リーラもするんだよ。壊れたら俺が侍従長にどやされるんだよ」
「はぁ……わかりました」
ゼントルムがあごでちょいと合図をすると、二人の侍従がさっと扉を開く。と、同時に猪のような勢いで派手な男が転がり込んできた。
「フェリア!」
王の前で床に両膝をついていたレイフェリアはそのままティガールに抱き上げられる。
「王に虐められていたのか?」
「いませんが」
「本当か? 跪かさていたのだろう?」
「跪いていたのです」
「そうか。膝は痛くないか?」
「膝」
王の御前で女の膝を心配しているこの男は、いったいなんなのだろう?
「あーあ、少しは大人になったかと思ったんだけどなぁ……」
「王よ、東方領主の屋敷で狼藉を働いたのは俺だ」
「知ってるよ」
「レイにはなんの罪もないぞ! 俺が一人で暴れたんだ。衛兵だって七、八人は倒したし」
「七、八人だって? 冗談言うない! 十二、三人ほどは再起不能だぞ! けど、誰一人死んじゃいないよ、その点は褒めてやる。で、とりあえず……って聞いちゃあいないな」
「フェリア、帰るぞ」
「ええ」
「帰って、早くお前を抱きたい」
背後で「おい!」という抗議の声を完全に無視してティガールはすたすたと大股で歩き出した。
「私もそうして欲しいわ、ティー。あなたの熱を私にちょうだい」
***
「フェリア、早く南に帰ろう」
男はレイフェリアの首に鼻を埋めながら強請る。
「ええ、帰りましょう。収穫祭が終わってから」
「面倒だ。それに寒い」
「ティーは昔から寒がりだったわね。あんなに立派な毛皮があるのに」
「毛皮は今関係ない」
確かにティガールは何一つ身にまとっていない。寒いのは当たり前だ。だがしかし、それはレイフェリアも同じなのだ。
「あなたの肌はこんなにも熱いのに」
レイフェリアは男の滑らかな皮膚に指先を滑らせた。彼の皮膚は分厚く硬い。しかし、非常に滑らかで、その下の筋肉のうねりを感じさせ、熱を発するレイフェリアの好きな手触りなのだ。
そしてティガールも、レイフェリアの冷たい指先が大のお気に入りで、愛し合う時には飽かずその指先を舐め、自分の体に触れてもらいたがる。
「私は寒くないのだけど」
「お前は北の人間なのだからな」
ティガールはレイフェリアの指先を咥えながら言った。
「私の指はお菓子じゃないわ」
「菓子より甘い。氷蜜のようだ」
「くすぐったいから」
「お前も俺を咥えて構わんのだぞ……あっ!」
レイフェリアは指先を引き抜いて起き上がった。そろそろ身支度をせねばならない。今夜は王宮での今季最後の宴である清秋祭が行われるのだ。
ティガールは南方領主リューコの代理として出席し、そしてレイフェリアはその婚約者として初の披露目となる。
「支度をしてくるわ。ルーシーを呼んで」
「まだ! まだいいだろうに」
「女には女の都合があります。お風呂に入って、髪も結わないと。貴方に付き合わされていては身がもたないわ。こんなに痕をつけて……あんなに注意したのに」
「胸の開いた服を着せないためだ」
「あなたが誂えてくださったんでしょうに!」
レイフェリアは部屋の隅のトルソーに着せてある衣装に目を向けた。今夜着る衣装は南方風のものではない。
王都ミッドウェルシュの王室ご用達の仕立屋で、その中でも一番人気の服飾職人が手がけた最高傑作なのだ。
瞳に合わせた紫色の生地は柔らかく体に絡みつき、月光を吸ったようなレイフェリアの髪色を際立たせた。身ごろは細く、高い位置で結ぶ帯の端が裾まで流れている。広がった袖口と裾は布が幾重にも重ねられていて、細かな宝石が星空のように縫いつけられていた。
問題の胸元はさほど開いていないのに、共布の飾り紐を花型に首に結んで、ティガールが肌に残した痕を隠す役割を果たしている。
印象としては上品な中に華やかさの漂う、レイフェリアが非常に気に入った一着だったのだが──如何せん。
隣に立つはずの男が壊滅的に紫が似合わない。
婚約披露の席では男女が揃いの服を着るのが緩い慣例になっているのだが、ティガールは自分の服装のことは全く考えなかったのである。
髪は濃い金色と黒の斑ら。肌の色は浅黒。これで紫が似合うと考える方がおかしい。服飾職人は当たり前のように揃いの服を注文したティガールの機嫌をなんとか損なわないように説得し、無難に濃紺の礼装を仕立て上げた。胸元に南方領主家の紋章が紫の糸で刺繍されているのが唯一の共通点だ。
「あなたは一日寝ているつもりなのね?」
尚も未練たらしく寝台から物欲しげに自分を見つめるティガールに、ついにレイフェリアは嫌味を言った。
「そんなことはない! が、もう一度くらい……」
「これで我慢して……ね」
仕方がなさそうに、美しい髪を撫でてやる。豊かな髪は乱れているようでも、すぐに手に馴染んで触り心地がいい。うっかりするとずっと撫でたくなってしまうから、レイフェリアも人のことは言えない。
「我慢するのは得意だ」
ティガールはやっと身を起こしながら自慢そうに言った。
「我慢が得意? あなたが?」
「そうだとも。俺が何年我慢したと思っているんだ。声も聞けず、姿も見ないで」
「……」
「嘘じゃない。虎はな、獲物を動かないでじっと待つんだ。じっと、身を潜めて息を殺して待つ。そして襲いかかる時は一気だ」
ぐいとレイフェリアの腕を引く。
「あっ!」
「あと一回だけ、口づけを」
レイフェリアの返事を聞かずに裸の男は立ったまま、足と腕で華奢な肢体を拘束する。もうこうなっては止めようがないので、レイフェリアはおとなしく嵐の過ぎるのを待った。
「あーあ、また痕をつけたわね。これじゃせっかくの衣装が着られないかも。この服を着た私を見たくないの?」
「見たい。でも、何も着ないあなたが一番美しい。くそ! 仕方がない。俺も支度をする。一緒に風呂に入ろう」
「それだけは絶対遠慮させていただきます。ルーシー! 来てちょうだい!」
布を体に巻きつけたレイフェリアは、大急ぎで寝室を飛び出す。
後には勢いよく勃ち上がったものをもて余した虎が首を垂れていた。
アスタリスクの部分はまた後日。
モッフモフのティガール君です!
王のセリフ「冗談言うない!」の「い」は仕様です。一般的ではありませんが、こういう言い回しもあると思ってください。




