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【完結】月下の虎は甘く冷たい指先を食む  作者: 文野さと
3章 王都にて

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56 王

 王宮は壮麗な建物である。

 外壁は白と金で統一されており、内部は回廊と中庭で三重に仕切られている広大な建造物である。一番外側は身元の保証証と許可証があれば市民でも比較的気軽に入れる。庭園や、図書館、劇場、数々の役所がある。真ん中は政治や軍事を司る宮がいくつも並んでいる。四方侯達が宿泊できる施設もあり、王宮の夜会の折などは利用できる。そして、いうまでもなく一番内側には王家の私的空間がある。正確には内側のさらに奥ということになっている。

「ここに入るのは七年ぶりになるのね」

 ティガールとともに、第二回廊を潜ったレイフェリアは謁見の場である、美しい宮の一つに入った。

 ここはさすがに普通の市民は入れない。門の外側に調べ所があるのだ。レイフェリア四方侯の婚約者ということで、比較的すんなり通ることができたが、それでも初めての人物だということで、念のためにいくつか検査をされた。

「だけど、この宮は初めてだわ。私は多分、北方の宮とその周辺ぐらいしか行ったことがないんだと思う」

 検査が終わって、肩から斜めに掛ける肩章を貰ったレイフェリアは、珍しそうにそれを眺めた。

「それは略式の肩章だ。ちゃんとしたものは今作らせている」

 ちゃんとしたものとは、今ティガールが身につけているものと同じように、南方領主家の紋章が刺繍された豪華なもののことを言うのだろう。紋章は牙のある獣の横顔である。

「昔のことはあまり覚えていないのだけれど、こんな立派な小宮殿だったらきっと覚えているはずだから」

 急に緊張してきたレイフェリアは拳を握りしめた。

「いつものように偉そうにしていればいい」

 ティガールが真面目な顔で言った。

「え? 私、そんなに偉そうに振舞っている?」

「いやえっと、言葉選びを間違えた。そうだな、いつものフェリアでいい。自分を卑下せず、優美な白鳥のようでいろ」

「そうできればいいけれど」

 この日のレイフェリアの服は南国風の真紅だった。

 色素が薄い自分には赤色はあまり似合わないと思っているのだが、ルーシーもヒューマもさんざん褒めそやすし、何よりも南方領主後継のティガールの婚約者として王宮に赴くのだから、南を象徴する赤色を着るのがふさわしい、そう思って身に付けたのだ。

 真紅といっても布自体も色も薄く、幾重にも重ねて着る様式だから、決して下品にはならない。胸のすぐ下に巻く帯は共布で、ここにだけ豪華な金糸の刺繍が入っていた。

「ここで待つ」

 蔦の葉模様のタイルを敷き詰めた謁見室に通されたレイフェリアは、中央に描かれた複雑な意匠の上でティガールと共に膝をついた。

 そろそろ膝が痛くなったと思う頃になって、奥の扉が開く気配がして「よぉ、待たせたな。すまん、院のうるさ方につかまってな」という雑な言葉が降ってきた。

「お待ち申し上げておりました」

 ティガールが膝をついたまま、胸に拳を当てて深く頭を下げる。

「定刻通りに参ったはずでございましたが」

「だから謝ってるだろう。ほら立てよ。ご婦人がびっくりしているぞ。俺ぁ座るけどな」

 レイフェリアもティガールに腕を引かれて立ち上がる。ゆっくりと顔を上げると、灰色の髪の男が立派な椅子に行儀悪く座っていた。尻を座面からずらして白い長衣に包まれた足を投げ出している。歳は三十過ぎというところだろうか? 後ろには衛士と思われる四人の男性が無表情で立っている。

「ほぉ! そなたがあの時の娘か! 美しくなったなぁ。昔見たときはちっこくて細い、雛っ子だったのに」

 男は面白そうに黒い目を瞬かせた。

 これが大陸宗主国、真国王ゼントルム・ヒュルカライネンである。

「大変長らくご無沙汰をいたしております。ノーザン・レイフェリアでございます」

 レイフェリアは再び(こうべ)を垂れた。ティガールが一歩前に出る。

「陛下。このたびは南方領主後継、サーザン・ティガールと、先の北方領主が一人娘、ノーザン・レイフェリアとの婚約をご了承いただきたく参上仕りました」

「ああ、いいよ」

 レイフェリアがつんのめりそうなほどあっさり、ゼントルムは了承する。これが承諾の儀なら軽すぎる。同じことを感じたらしいティガールが不満そうな声をあげた。

「王よ、もう少し謹厳に出来んのか?」

「そりゃやってもいいけど、帳尻は合わしておかなくちゃな。十八歳になった途端、案内のものを蹴散らかして、血相変えながら嫁にしたい女がいるから、今すぐ許してくれって飛び込んできたのはお前なんだぞ」

「えっ⁉︎」

 驚いたのはレイフェリアである。

「そんなことが?」

「ああそうだよ。ありゃたった半年前くらいだったよなぁ。こいつはそらもう必死の形相でな。俺は今日十八歳になった! ってくるんだよ。何を言ってんだ、いい年をしておめでとうって言って欲しいか、とか思ったが違ってた。自分にはどうしても花嫁が要るって言うのさ」

「……」

 こっそりティガールを見てみると、彼は不味いものでも食べたような顔で渋面をつくっていた。

「でな、その娘は今、北で苦労しているはずだから、すぐに迎えに行くと言って、大急ぎで旅支度をして行っちまったんだよ」

「……あの時は失礼致した」

 いかにも渋々といった風でティガールが頭を下げる。

「それで、迎えに行ったのはいいが、帰りに近くを通るってのに挨拶もなしですっ飛ばされて、こいつめと思っていたら、やっと今日、そなたの顔を見せにきてくれたって訳なんだ。そうだよな?」

「恐れ入る」

「そんなこととは知らず、今までご無礼いたしました。今後はそのようなことがないように致します」

 レイフェリアも深く腰を折った。

「ああ、まぁな。俺も人のことは言えんがな。こんな不器用で馬鹿な男でも、一途さだけは鉄板だからな。長いこと連れ添ってやってもらえると俺は嬉しい」

「はい。受け賜りましてございます」

「顔を見せてくれ、北方の姫君」

 優しい声に自然と顔が上がる。

「お言葉、胸に刻みつけてございます。ゼントルム王陛下」

 レイフェリアは、そう言って王に微笑んだ。


「それで?」

 ゼントルムは大きなカップで濃い茶を啜りながらレイフェリアに尋ねた。

 ここは謁見の宮ではなく、少し奥まったところにある小宮殿である。宮殿といっても、田園の農家を模したような素朴でこじんまりとしたつくりであった。ゼントルムは専らそこを私的な客のもてなしに使っているようだった。木の卓の上に午後の軽食の準備が整っている。

「……はい」

 いささか緊張の面持ちのレイフェリアである。横ではティガールが、がつがつと菓子を口に運んでいた。

「俺はそなたの父君にかつて何度もお会いしている」

「まことでございますか?」

「ああ。あの人は誠実で慎ましく、いつも穏やかに微笑んでおられた。どう考えても陰謀を企んで、幼子や婦人を害したりする人物には見えなかった。だが、あの頃、若い側室に入れ込んでいた俺の親父にはとんでもない大事件だと捉えられたのだろう」

「……」

「二人ともこれを見てくれ。この五日の間に、俺も気になって少し調べさせた」

 ゼントルムは数枚の書紙を閉じた冊子をレイフェリアの前に差し出した。

「これは……」

「俺の直属の情報機関からの報告だ。昔のことなんで苦労したらしいが中身は信頼できる」

 二人は几帳面な文字で書かれた書紙を広げた。

 それによると──。


 7年前、当時の北方領主でレイフェリアの父、エイフリークが自領で作らせていた祝いの品を持って王宮に登城してきたのは、黒冬の月の十日目の午後のこと。品物は最上級の白貂(しろてん)の毛皮で作られた敷物だった。かなりの大きさで非常に高価なものだ。

 その日は天気が悪く、運んでいる間に品が少し湿ってしまったので、念のために王に捧げる前に空いている部屋で一日広げて乾かすことになった。王に献上するのは明日の朝ということになり、エイフリークは一旦城を下り、翌日改めて参上することになったのだが、事件は次の日の朝早く発覚した。

 早朝の部屋の窓を開けに来た召使いの悲鳴で衛士たちが駆け付けた時、その空き部屋の管理係で昨日敷物を広げていた娘が、暖炉の前で口から血を流して事切れているのが発見されたのだ。

 その上、発見した娘と死体を運び出した衛士二人ももしばらくして倒れ、命に別状はなかったものの、数日寝込んでしまった。それで毒ではないかという疑いが生じ、部屋中が調べられ、敷物の翠の模様から毒物が発見されたのだった。

 科学院の研究者が調べてみると、毒物の同定はできなかったものの、暖められて気化する猛毒で、染料として敷物に染められていたものであるということだった。

 レイフェリアの父、エイフリークが謹慎中の屋敷から審問所に召喚がかかったのは、事件から四日後のことだった。

 エイフリークは素直に出頭し、問題の敷物を見て、自分が贈ったものではないと断言した。

 彼が側室のために選んだ品は混じり気のない白貂の毛皮で、模様などは染めなかったと主張する。敷物は四日前に馬車で第一回廊を抜け、そこで荷台から下ろされて数人人の手によって第二回廊を通り、件の部屋まで運ばれたという。何か間違いがあるとしたらその段階だろうと推察された。

 しかし、若い寵姫を愛する王の怒りを恐れた審問官は、エイフリークへの疑いが濃いことを王に進言する。

 彼がすぐに投獄されなかったのは、品物を運んだ召使いの一人が事件の直後に姿を消したのだが、その男とエイフリークの間にはなんの接点も見出せなかったのと、エイフリーク自身の人柄ゆえだった。彼の友人たちはこぞってエイフリークの無罪を王に訴えたのだ。

 しかし、その頃四方侯筆頭であった北方領主の失墜を望む者も中にはいて、流言が広がり、王都での北方領主の評判は地に落ち、名誉は踏みにじられた。

 領主エイフリークとその家族は、王都の屋敷内に禁足を命じられ、そして──。

 事件から七日後、エイフリークは自室で喉を突いて自死したのだった。

 隣室には王に無実を訴える手紙が置いてあった。


「その手紙は申し訳ないが残されてはいない。先王、俺の父によって隠滅させられたのだろう。ただ、そこには自分が死ぬことで責任をとる代わりに、妻や娘には累が及ばないことを嘆願する旨が書かれてあったと聞いている」

「そうでしたか……」

 レイフェリアは嗚咽を飲み込んで頷いた。

「親父は概ね賢明な君主だったと思うが、晩年、若い側室に入れあげてしまってからは、その判断にかなりガタがきていたようだ」

「……」

「だがその親父も五年前に死んじまった。最後までお前の父のことについては何も言わなかったな」

 先王の寵姫とその娘は、今では王都の郊外の離宮で静かに暮らしていると言う。

「私の母はどうにかして、敷物の一部を手に入れたのでしょう。母は薬学の知識が少しあったので、父の死後、わずかな伝手を頼って必死で翠の染料を分析したのだと思います。その結果、毒物を含んだ染料は東方領土でごくわずか産出する鉱石から精製したものだと判明しました」

「しかしな。毒物などは金を積めば手に入れることは可能だろう。証拠もなく東方を疑うことはできん。できんがしかし……」

「俺は東方領主ファハルは信用できない」

 断言したのたティガールである。彼の目は強い光を放っていた。

「ここ数年の東方の動きは妙だ。特に数年前に代替わりしてからは」

「もともと、あの国は独特な文化で秘密主義だからな。だがその辺りを尊重してやれば、今まで大きな諍いは起こしていない」

「だが、南方とは良質な岩塩の採れる南東の土地を巡って、祖父の代に戦になりかけている。それに……」

「ああ、報告書のことだろう。国境付近での野盗の頻繁な横行、それから妙な術を使う旅芸人の暗躍だろう? 俺も秘かに調べさせてはいる。一つ一つは大事にするほどのことはない。果樹につく毒虫の一匹二匹というところか。気味が悪いが果樹を切り倒すこともない。巧妙だな」

 ゼントルムは苦い顔をした。

「……念を押すが、今のところ証拠は何もないんだ。それにな、東方領主ファハル・アジールは今ここにいる」

「祭か。もうそんな時期か」

 ティガールは渋面を作って言った。

「そうだ。夏の終わりは収穫祭だからな。四方侯や他の地方領主達から献上の品々が届く。家族を連れて王都に上り、俺に挨拶をする領主だっている。そら、そなたの伯父の家族も来る頃だぞ」

「イェーツ叔父上が、王都に来るのですか⁉︎」

 レイフェリアは意外そうに言った。今まで考えたこともなかったのだが、自分が知らなかっただけで、彼らは年に一度は王都まで上っていたのだろう。叔母のギンシアもいとこのアリーナも都会が大好きだったはずだ。

「驚くことはない。収穫祭の上に姪御の婚約が整ったのだ、祝いに現れても何もおかしくはない」

 ──叔父上が私に祝い?

 レイフェリアはどうしてもそんな場面を想像することができなかった。

 けれども。


 王都に人が集まる。それぞれの思惑を胸に秘めて。

 レイフェリアは胸の奥がざわざわと泡立つのを感じていた。







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