48 断罪
「お屋形様、参られたようでございます」
オセロットが淡々と告げた。
「さ、参上仕りました。リューコ伯父上、ティガール殿」
「……」
現領主、リューコは何も言わずに、自分の姪であるナドリネを見つめている。老いたりとはいえ、その金色の眼光は、見るものを竦みあがらせる威光があった。
「それで……御用の向きはなんでございましょうか?」
ナドリネは努めて平静を装いながら久しぶりに会う伯父を見上げた。
「心当たりがないと申すか?」
氷のようなティガールの声に、ナドリネは必死で己を叱咤し、拳を握りしめて体の震えを抑える。
重厚で厳しい領主の居間、ここには領主の側近や、オセロットも控えている。この城での自分の地位は、ティガールに次いで高いのだ。領主の姪の誇りを持って額を下げてはいけない。
「はて? わかりませぬが」
「いとこ殿、あの二人は白状した。足を折ったら動けなくなったので、いっそのこと切り落としてやろうかと言っただけで震え上がってあらいざらい喋ったぞ。所詮は世間知らずの浅知恵だ。今後、人を雇う時は人物を見極めることだな」
ティガールの言葉にナドリネの肝もちぎれそうになる。しかし、彼女は最後の足掻きを試みた。
「それは物騒な話でございますな。それでその、なにやら無頼の者が、苦し紛れに私の名を出したことを信用されるのでございますか? ティガール殿」
「なるほどシラを切られるか? まぁそれもよかろう。俺はお前とカラカをこの城から追放することもできる」
思いもよらないという風の見え透いた演技にうんざりして、ティガールは冷淡な言葉を返した。
「なんとな? そんな無体をご領主様が承知なさる訳がない! そうでございましょう? 伯父上様」
リューコは答えない。ただ黙って、一段高い椅子の上からナドリネを見下ろしている。
「領主は、この件に関しては一切口出しせぬ。お前も直接口をきいてはならん」
ティガールは父の方を見もせずに言い放った。
「そ! そんなことがゆるされましょうや? 私こそ、ご領主様からカラカをこなたの花嫁候補と認めるとのお言葉を先にいただいておるのだぞ! な、そうでありましょう! 伯父上様!」
ナドリネは必死に領主の方へ体を折って嘆願し、ティガールがその中継ぎをする。
「親父殿、如何?」
「うむ、確かに申した。これがカラカを連れて戻ってきた折にな。あんまりうるさく言うので適当に返事をしておいたのだ」
リューコは熱なく答えた。
「だが、我が花嫁はすでに決まっている。先だっても伝えた筈だ」
ティガールは紅玉を取りに行く際に、カラカへ送るものと思い込んでいたナドリネに対し、レイフェリアに捧げるものだとはっきり申し伝えている。
「まさか、こなたはあの……あんな貧相な北の娘を娶ると本気で言われるのか? あの娘は本丸から追い出されて、街でさもしい商いをして日銭を賄のうていると聞く! ご領主様は認められぬ筈!」
「そうだ。あの娘は敢えて親父殿が下した試練に見事に応え、民に親しみ、自分で自分の身を養える逞しい働き者だ。我が花嫁にふさわしい」
「じゃがあれは罪人の娘でございます! そんな者を後継の花嫁にするなど……正気の沙汰とも思えませぬ!」
「フェリアは父御が罪人でないことを証明しようとしている。健気で気高い魂の持ち主だ」
「そんなことが潔白の証にはなりませぬ! どうぞ、目を覚ましてくださいませ!」
「おまえこそ話を逸らすな。お前は俺がレイフェリアを選んだと見て、あの娘を亡き者にしようとしたのだろうが!」
「ですからそれは無頼の者の苦し紛れのでまかせ」
「そうか。だが、あの者どもは支払われた金を、袋ごと差し出したぞ。その袋を温めると香油の香りがしたわ。お前からこの瞬間も漂ってくるきつい香油の香りがな!」
「……な……な! そんなことは証拠になりませぬ!」
「この上まだ罪を認めないか? では、情けをかける余地もない。追放がせめてもの情けかと思ったが、もう許せぬ。母娘して地下の水牢に三日も浸かってみるがいい」
金色の目は今、酷薄に細められていた。ついさっきまで、飴のような甘い光を湛えてつがいを見つめいたのと同じものだとは思えない。
「連れて行け」
ティガールの合図で扉が開かれ衛士たちが入ってくる。彼らは無表情にナドリネの体に手をかけた。
「ひぃっ!」
無口ないとこが本気だと知って、衛士の手を逃れるようにナドリネが床に身を投げ出した。
「お、お許しを! お許しを! ティガール殿! あの日、あなた様に言われたことがあまりに受け入れがたく、腹立たしく、あの娘さえいなければ、と浅慮を起こしたのでございます!」
金切り声が薄暗い室内に響く。
「ですが、これだけは信じてくださりませ! 私はあの娘を、誓って亡き者にするつもりはございませんでした! あの者たちにもそれはきつく言い含めてございました! なにとぞお慈悲を!」
ナドリネはもはやなりふり構わず、床に這いつくばる。
「すべて私が勝手にしたことでございます! カラカはなにも知りませぬ! ティガール様! 罪は私だけのものでございます!」
「お願い、お願いでございます! カラカは一途にティガール様のことをお慕いしているのです! 罪に問うのであればどうか私一人に! お願いでございまする!」
額は床に擦り付けられ、その指先はティガールの足元に伸ばされた。赤い爪が汚れた長靴をつかんだ。
それは高慢な貴婦人の姿ではなく、娘を大切にする一人の母親としての姿だった。
そこへ──。
「お母様!」
部屋に飛び込んできたのはカラカである。
「い……いったいこれはどういうことですの? ティグ兄様、お母様になにがありましたの?」
這いつくばるナドリネを見て、愕然と立ち尽くしたカラカは震える声でティガールに尋ねた。
「……ティグ兄様?」
「お前の母はレイフェリアを襲い、攫おうとしたのだ」
「攫う? レイ姉さまを? お母様、本当なの?」
カラカは乱れきった母親の元に駆け寄る。
「……すまぬの、カラカ。私はお前をどうしても四方侯領主の令夫人にしてやりたかったのじゃ……」
ナドリネは娘の視線を避けるようにゆっくりと立ち上がった。そのまま部屋の隅に下がって行く。
「しかし、私は道を誤った。愚かな母を許してたもれ」
「え? どうして? だってお兄様は私のために紅玉を探しに行って下さったのでしょう? だったらなんで……」
カラカは訳がわからないように母親とティガールを交互に見つめている。
「カラカ、よく聞け。俺が紅玉を捧げるのはレイフェリアだ」
「……え……え?」
言われている言葉の意味がわからないと言うように、カラカは小首をかしげる。
「だって、兄様は王様の勧めで義理を果たすためにレイ姉さまをお迎えに行ったのでは?」
「そうではない。俺たちはずっと昔に出会っていたのだ」
「でっ、でもレイお姉様はそんなこと何にも……」
「あいつは覚えていなかったからな。でもやっと思い出してくれた。俺たちが出会った時のことを」
「……」
「フェリアは俺のつがいだ」
ティガールの言葉が重厚な領主の部屋の壁に響き、そしてそれからカラカの耳に入るまでに少し間があった。
「そんな、そんなことって……」
紅色の瞳に涙が盛り上がる。
「俺はたった一人の年下の身内であるお前を大切に思っている。だが、一度たりとも誤解されるような態度をとったことはない」
「でもっ……私はずっとティグお兄様のことをっ!」
涙が溢れてつやつやしい頬に流れ落ちていく。
「すまない、カラカ。だが、俺はお前に勘違いさせるようなことを言ったことはない筈だ」
「でも……そんな! お兄様! 私は!」
「これはもう決まっていたことだ」
「じゃ、じゃあ! 私は二番目でいいわ! お兄様のことが好きなの!」
カラカがティガールの胸に飛び込んでくる。乱れた紅色の髪も、涙に濡れた瞳も健気で可憐で、普通なら胸に訴えるものがある筈なのに、ティガールの心の琴線を揺るがすことはない。
「俺のつがいはずっと前からただ一人だ。お前がわかる言葉でいうなら運命か」
優しくカラカの小さな体を押しやりながら、ティガールはしかし、はっきりと言った。
「お願いよ……お願いです。どうかそばに置いてください……このお城に来てからずっとお兄様のお嫁様になることを夢見てきたのに」
「カラカ、少しでも南方の血を引くお前にならもう、わかっているだろう」
「いや……いやぁ……いやよぅ」
細い首が振られる毎に涙が暗い部屋に散った。
「カラカ、そしてナドリネ。よく聞くがいい」
ティガールの声は彼らが初めて聞く、次期領主のものであった。
「お前たちはもう西方領主家の人間だ。ナドリネが西方領主の弟君に嫁いだ時から、仕える家は西方領主家になったのだ」
「でも……」
「ナドリネ、あなたは現西方領主家に長らく後継者が生まれなかったために、弟グエノン殿を領主に立てようとする一派に加担し、自分がその令夫人に収まろうと思っていたのだろう」
「……そ、それは」
「しかし、遅まきながら現西方領主、オットー殿に男子が二人も立て続けに生まれたために、その望みは絶たれた。だから、実家であるこの南方領主家にカラカを嫁がそうという野心を持ったのだ。グエノン殿と離縁してでも」
「……」
「そしてそなたは離縁を渋る弟君を捨てて里帰りの名目でここにやってきた。西方領主殿からはしばらく好きにさせてやってくれという書状がきたので、親父殿もあなたを好きにさせていたのだ」
言いながらティガールは部屋の隅に置かれた櫃から、丁寧に巻かれた書紙を取り出し、部屋の隅で佇立しているナドリネに示す。
「だが、ここに一つの知らせがある。西方領主家から親父殿に宛てた正式な書状だ。ナドリネ、今までは南方領主家にお預かりの身分であったが、この度、正式に西方へ帰還の命令がおりた。これは無視するわけにはいかん。わかるな、いとこ殿」
「き、帰還命令が? 西のご領主から?」
「そうだ。それに、あなたの夫からも書状が添えられている。これだ」
「グエノン殿から⁉︎」
ナドリネはよろよろとまろび出て、ティガールが示した手紙を受け取った。
「……」
「グエノン殿は寛大な夫だ。全てを許すと認められている。あなたはそれに物足りなさを感じて、勝手に嫁ぎ先から飛び出してきた。だが、二年間自由は満喫しただろう、夫の元に帰るべきだ」
ナドリネは夫からの手紙を貪り読んでいる。
「……」
「お、お母様……お父様からはなんと?」
カラカの問いかけもナドリネには届いていない様子だった。
「あ……あなた」
「ナドリネ、あなたの罪は明白なのだ。だがフェリアの意向もあって、大人しく従うなら罪には問わぬ。グエノン殿、と我が花嫁、二人の寛大な意向に感謝するのだな。もう気が済んだだろう、諦めて帰るが良い」
「……」
ティガールの言葉にふらふらと一礼し、ナドリネは黙って部屋を出てゆく。その後を追いながら、カラカはティガールへ涙の乾かぬ瞳を向けた。
「お兄様……」
しかし、その声に応える者はここにはいなかったのだった。




