44 ウンピョウ
「ログウッドに連れて帰っていいですか?」
翌日、離れの朝食の席にウンピョウを伴って現れたヒューマは、食事が済むとティガールにそう尋ねた。彼の返事はいつも通り短いものだった。
「この子どもを?」
「はい。夕べいろいろ聞いたんですが、こいつは脅されていただけで、悪いことには加担していないんですよ」
「見ればわかる」
そっけなく答える彼の目はしかし、レイフェリアにのみ注がれている。ミルクをたらふく飲んで満足しきった猫のように、ティガールは粗末な食卓に頬杖をついて自分のつがいを見つめていた。
「ご苦労様だったわね」
昨日からレイフェリアは青年と少年を見ていない。会うのは一日ぶりだった。
あの後疲れ切って夕食まで眠り、夕食は部屋に運んでもらって、簡単に体を洗うとまた求められ、眠ったのは真夜中を大きく過ぎた頃だったのだ。体のあちこちが痛いし、寝不足だった。
「レイ様こそ大変だったんじゃないですか……って、なんでもな……いてっ!」
ヒューマはどこかを蹴られたように顔を顰めた。レイフェリアもウンピョウも不思議そうに彼を見たが、ティガールはしれっと彼女にチーズを挟んだパンを勧めた。
「フェリア、もっと食べろ」
「あ、ありがとう」
「大丈夫よ。ヒューマ達は一昨日の夜はどこに泊まったの?」
レイフェリアは彼と目を合わさずに尋ねた。
「一昨日は近くの警備隊の屯所に御厄介になりました。昨夜はこちらの母屋に。おかげですっかり元気です。レイ様もお元気そうでよかった」
──今朝はきれいに身支度をしたし、痕の残ったところには白粉をはたいたから、変なところはないと思うんだけど……でも。
多分ヒューマは察している。昨日あれからの出来事を。彼はティガールの気持ちを察することでは、オセロットに勝る従者なのだから。
異性に気遣われるなんて、こういうことに慣れていないレイフェリアにとって、気恥ずかしいことこの上ない。
しかし、ヒューマはデリケートな乙女の事情を知ってか知らずか、いつものように機嫌よくきびきびとティガールの世話を焼いていた。
ウンピョウはその様子を興味深そうに見つめている。少年は昨日ヒューマの活躍や、仕事ぶりを目にして彼の仕事に興味を持っているのだろう。ウンピョウは黄色味がかった肌と灰色の髪と黒い瞳の、レイフェリアがあまり見たことのない様子をしていた。
食事が済めばここを発つ予定で、準備はすっかり整っている。
警備隊から予備の馬も借りるので、ログウッドの城まで二日もあれば帰りつくことができるのだ。
その上、ティガールは馬車の手配までしていた。
「フェリアはこれで行く」
普段なら騎馬で十分だというところだが、さすがに昨日の出来事で体の深部に疲労を感じていたレイフェリアは、おとなしく従うことにする。内心、意外に細やかな気配りのできるティガールに驚いてもいた。
「どうした? 体が辛いのか?」
「普通です」
こういう無遠慮なところはいつも通りだと思い直しながら、レイフェリアも平気なふりをした。
昨日と今朝、自分の身に起きたことはあまり思い出したくない。ティガールの指先や唇を見るだけで、あの感覚が呼び覚まされて、落ち着かなくなってしまう。
レイフェリアは別の事を考えることにした。
「ウンピョウ……だったわね。とてもいい名前だと思うわ」
声をかけられた少年は、しばらく戸惑ったようにレイフェリアを見ていたが、やがてふいと目をそらせて言った。心なしか頬が染まっている。
「……父さんがつけてくれたんだ」
「そう、愛されているのね。それで、あなたのご家族はどうしているの?」
「父さんはずっと前に病気で死んだ。ここから二日ほど東にある村に母さんと妹たちがいる」
「二日……遠いのね」
ここから東ということは、そこはもうほぼ東方領土ということになる。
「よかったら事情を話してくれない?」
十二歳だと言うウンピョウは、しばらく躊躇っていたが、最後のパンを飲み下してから話し始めた。
それによると、彼らはもともと東方領土との自由国境の貧しい村の住民だった。ウンピョウは昔から身軽で、半年ほど前に村の祭りで軽業を披露しているところを、偶然通りかかった旅の一座に誘われたと言う。
「そん時かなりの金や食べ物をくれたし、これからもくれるって言うんで喜んでついていったんだ。俺たちの村はみんな貧乏で、母さんに楽させてやりたかったし……。でもその時はあいつらが悪い人間だってことは知らなかった。知ったときにはもう逃げられなくなって……。それからは前座をやらされたり、使いっ走りをやらされたり、一度逃げ出そうとした時には死ぬほどぶん殴られた」
「子どもをぶつのか! 屑みたいなやつらだ!」
ヒューマの声が珍しく怒気を含んでいる。
「ぶたれることくらい平気さ。俺はあいつらの曲が始まると、寝泊り用の天幕で布団を被っていた。奴らの仲間が常に周りを見張っていて、なかなか逃げ出す隙がなくて半年ぐらい経ったんだ」
少年の声は暗い。
「あんたらは役人なんだろ? 俺を牢屋に入れるのかい」
「さて」
ティガールはちらりと少年を見て言った。彼にしてみれば大したことではないのだろうが、ウンピョウは神妙にしている。
「大丈夫。牢屋なんかに入れないわよ。ウンピョウ、私たちと来てくれるのはいいけれど……故郷には帰らなくていいの? お母さん達が心配しているでしょう?」
「そりゃいつかは帰るよ……でも、俺だってあいつらの仲間として、悪いことの片棒を担いできたんだ。このままじゃあ帰れない」
少年は腹を括っているようである。
「警備隊にあの人たちのことを報告したんでしょう? ねぇヒューマ」
「ええ、こいつはちゃんと証言してくれましたよ。あいつらが軽業やナイフ投げで素朴な村人を油断させ、楽しませてから、音を使った幻術みたいなもんで、村人を扇動してたって」
「じゃあ、もう充分じゃ……」
「それじゃだめなんだよ。お金がないんだ。半年も家を空けて無一文じゃ帰れない。だから、この兄ちゃんとこで働きたいんだ。あんたが主人なら賃金をくれるかい?」
「……というわけなんです。お城に連れて帰って、何か仕事をさせようと思うんですが」
ヒューマはすっかりその気になっているようだ。ウンピョウはティガールを見ている。
「いいわよね? ティー」
レイフェリアも加勢するようにティガールを見つめた。雄弁なまなざしである。
「……お前が面倒を見るなら、俺は構わない」
「ありがとうございます、主様! やったなウンピョウ!」
「よかったわね」
ヒューマもレイフェリアも喜んだ。ティガールは照れたようにあさっての方向を見ていた。
しかし、ただ喜んでいる訳にはいかなかった。レイフェリアは気になっていた事をヒューマに尋ねる。
「それで、彼らの楽器は調べたの?」
「楽器は証拠品として預かっています。しかし、楽器そのものに仕掛けなどはなく、かなり色んな音が出せるだけのようで、それだけでは証拠にならないようです。」「ウンピョウ、お前何か楽譜のようなものを隠してる場所とか知らないか?」
ティガールが少年に尋ねる。
「そんなものはなかったよ。奴らは誰かに教えてもらったと言ってた」
「だろうな。証拠を残すとは思われない。やはり曲の調子なんだろう……俺にはものすごく不愉快な曲だった。ただの旋律の中に嫌な音が混じる……と言うか、同時に聞こえる」
ティガールがその時のことを思い出して、獰猛な顔になった。曲を聴いて突然ティガールが獣化したのは、やはり普通の人間には聞き分けられない音を笛が出したものだったのだ。
「俺、少しならわかるよ! あいつらの笛を毎日聞いていたから。はじめは嫌な気持ちになったけど、繰り返し聞くうちに慣れてきた。笛も少しなら吹けるよ」
「本当かウンピョウ! それなら立派な証拠になる。すごいぞ!」
ヒューマが大きな手でウンピョウの頭をかき回したので、小さな灰色の頭はくしゃくしゃになった。
「問題は、あいつらが雇い主を白状するか、だ。まぁ、白状したところで、間に介在する中悪人程度だろう。とてもあの男まではたどりつけない」
あの男とは東方領主ファハルである。
「下っ端は切り捨てると言うことですか?」
「そうだ。だが、こちらとしては、東方が我が領土を貶めようとする事実がわかっただけでいい。これからは警戒の仕様もある」
「でもなぜ、東方領主はそのようなことを?」
レイフェリアが尋ねた。
「さぁ、前代──つまり俺の爺様の頃の争いで、東方は領土の一部を南方に譲渡する羽目になったからな。この子の住むより東の、上質な岩塩や希少鉱物の取れる土地だ。おそらく二代積もった恨みで、失った領土を取り返そうとでも言うのだろう」
「恨み……」
──私も恨みを持っているのだわ……。
それは恨みというほど粘っこい感情ではない。しかし、父の無実を証明したいという強い願いである。
レイフェリアはこのところ忘れていた自分の役割を思い出していた。
「どうしてティガール様まで馬車に乗るの?」
レイフェリアは帰路につく馬車に揺られながら尋ねた。
馬は人数分以上あると言うのに、どういうわけかティガールはレイフェリアと馬車に揺られている。
「ティガール様ではなく、ティーと呼ぶこと」
大真面目に文句を言うティガールに、レイフェリアは参ったと言うように諸手を挙げる。
「もう! わかったわ! では、ティー。どうしてティーまで馬車なの?」
「あなたと二人で話したかったから」
「……」
馬車の周囲は村の外で待ち構えていた警備隊が囲んでいる。だから彼も安心して馬車に乗り込んだのだろう。
──だんだん、この人甘ったれになるような気がする。最初はこんな人じゃなかった気がするんだけど。でも、じゃあ丁度いいから尋ねてみよう。
「ティー? 聞きたいことがあるの」
とにかく失った時間の分話をしてお互いを知らなくてはならない。それにレイフェリアもどんどん彼に慣れつつある。そっけない態度は照れ屋をごまかすため、短い言葉は甘えを自制するため。しかし、この二日間でそれも幾分和らいできて、二人だけの時のこの男は、箍が緩んだようにレイフェリアに触れたがる大きな獣なのだ。
無論、ログウッドの城に戻れば、自分はまたあの小屋で暮らすことになるだろうから、今だけの話だが。
「聞きたいこと?」
「私の叔父が気になることを言ってたのを思い出したの。なにやかやですっかり忘れていたんだけど……」
レイフェリアは尋ねてから、自分の薄情さに苦笑した。身内である叔父の密令を簡単に裏切って、彼が嫌っていた当の相手にその実情を聞こうとしているのだ。
──だけど、正直良心が痛まないのは、私もよっぽど性格が悪いのだわ。叔父上のことを悪く言えないわね。
「イェーツ殿がなにを?」
しかし、ティガールはレイフェリアの笑いの意味を聞かなかった。
「ええ。叔父は若い頃、王都で暮らしていた時、南方領主の屋敷で獣に襲われたって私に言ったのよ。そして従者が一人殺されたって……そのことを私に探れと命じたの……従者を襲ったのはティーじゃないわよね?」
「それは多分親父殿だな」
なんでもないことのようにティガールが応じる。
「ご、ご領主様⁉︎」
叔父があんなにも秘密めかして探ろうとしていたことを、いともあっさり返されてレイフェリアもさすがに呆れかえってしまった。
「あなたにも、もうわかっているだろう? 俺たち南方領主の家は、代々その直系の男の体に獣を飼う。祖父は俺が赤ん坊の頃に亡くなっているから、イェーツ殿が見たそれは親父殿が変異した姿に間違いない」
「それなら、なぜ叔父は襲われたの? 確かに身内とは言え、小狡い人ではあるけれど……。叔父の話が本当なら、人が一人、亡くなっているわけだし」
「知らん。帰ったら直接尋ねるといい。俺も親父殿に話があるからな!」
「それは……ひょっとして私のことで?」
「それ以外になにがある。もうすぐ雨の時期となる。一月近く続く雨の季節だ。ログウッドの城も街もびしょ濡れで、一年で一番外に出にくい時期だ。二人で親父殿に会いに行こう」
「わかった……楽しみにしているわ」
こうして、国境での仕事は終わった。
旅に出る前と関係が違ってしまったティガールとレイフェリア、そしてヒューマとウンピョウの四人は、それぞれ胸に希望を抱きながらログウッドの都に戻ったのだった。




