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3 叔父

「叔父上、ただ今参上致しました。レイフェリアでございます」

「入れ」

 家令が開けた扉からレイフェリアは室内へ進んだ。

 それはかつて彼女の父親の執務室だった。幼い頃には慣れ親しんだ広い部屋。だが、レイフェリアがここに入るのはほぼ一年ぶりなのである。

「なんだ、そのなりは」

 奥の執務机からレイフェリアを一瞥(いちべつ)したイェーツは、一年ぶりに対面する姪に挨拶もせず、狭隘(きょうあい)な眉を顰めた。それなりに整った容姿で長身なのだが、鶴のように痩せている。

「お見苦い姿を晒しまして申し訳ありません。叔父上のお優しい娘御に花瓶の水をかけられまして」

「アリーナか。あいつはお前を嫌っているからな。無理もない」

 ——私を嫌っているのはあなたもでしょうに。

 自分の娘のしでかしたことを詫びもしない横柄な叔父の態度に、毎度のことながら呆れ果てる。しかし、ここで挑発に乗るほど馬鹿ではないレイフェリアは、嫌味なほど丁寧に淑女の礼をしてみせた。

「ともあれ随分お久しゅうございます。それで、今頃私を呼び出されたのは、一体どういった御用でございますか? 叔父上様」

「それだがな。十日ほど前、突然に真国国王ゼントルム陛下から書状が参った」

「王陛下から?」

 驚くレイフェリアにイェーツは手紙を広げて見せた。

 そこには読みにくい凝った書体で数行簡潔に(したた)めてあり、王の印璽がくっきりと押されている。

 ゼントルム王というのは、病死した前の王に変わり、一昨年戴冠したこの国の新王である。彼は保守的な父王とは異なり、進歩的な考え方の持ち主で、改革王ゼンと呼ばれていた。

「……これは」

「ああ、見たときは私もなんのことだかすぐには理解できなかった。だが、どうやら事実らしい。ここには前領主の遺児──つまりお前だな。お前を南方領主後継者であるサーザン・ティガール殿の花嫁候補に推挙する、という意味のことが書かれている」

 イェーツは国王の書状を指の関節で叩きながら言った。国王の書状に不敬な態度である。

「私が南方領主様のご嫡男の……は、花嫁ですか? 申し訳ありませんが、アリーナの間違いでは?」

「私もそう思って何度も使者に確認したが、お前で間違いないと言う。使者は王に近い者のようだった」

「な……」

 普段、従姉妹や叔父の前では努めて表情を出すまいとしているレイフェリアだが、あまりにも思いがけない事態に言葉もないほど驚いた。

 ──いったい……なにが起きているの?

「まぁ、私としては可愛い一人娘のアリーナを、野蛮な南方などへやらなくて済むのだから僥倖(ぎょうこう)なのだがな」

「推挙……の意味はなんでしょうか? 私は幼い頃にたった一度、王太子だった頃のゼントルム様にお会いしたことがあるだけでございます」

 レイフェリアは子供の頃に何度か、両親に連れられて王都に滞在したことがあり、その折に前国王に拝謁したことは覚えている。その時に青年だったゼントルム王太子を紹介された記憶があるが、ただそれだけだ。幼かったため、言葉もほとんどかわしてはいない。

 ただ、灰色の鋭い目を持つ王太子が、父である王様より目立つ人だなと言う強い印象はあった。

「さぁな。あのけったいな国王殿の考えることはさっぱりわからん。あの方は南方と気が合うようだからな。派手好きな人柄だから、けばけばしい南方と気が合うのだろうさ」

 イェーツは苦々しい口調で答えた。

 彼は南方領土を、そしてその風土や、領主を昔から毛嫌いしていた。だが、南の領主のことを野蛮人だの盗人(ぬすっと)など、と言うだけなので、イェーツがそれほど嫌悪する詳しい理由をレイフェリアは知らない。

 叔父は父と違って若い頃からずっと王都で暮らしてきたため、その時に何か確執があったのだろうと想像するだけだ。

「ここではやっかいものであるお前にとっては、良いことなのかもしれんな。だが浮かれるでないぞ。南方は野蛮で解放的だからな、おそらく他にも何人も花嫁候補がいて、お前などその中の一人に過ぎんのだろうし、正妻に選ばれるという保証もない。おそらく南方特有のお祭り騒ぎなのだろうさ」

「浮かれてなぞおりません」

 正直、驚愕の方が大きすぎて浮かれるどころではない。なぜ自分などが選ばれたのだろうか? そこに政略や計略は隠されているのだろうか?

 なんとか冷静になって考えようとしたが、レイフェリアにはゼントルム王の真意がさっぱりわからなかった。

 しかし、一つだけ言えることがある。

 ──ここを出ていける。

 北方領土は両親の眠る愛する故郷だ。だが今の自分にはなんの未来も(もたら)さない。陰鬱さと閉塞感に囲い込まれた場所である。

 レイフェリアは固く閉ざされた目の前の扉が、ほんの少しずつ開きはじめる気配を感じていた。

 だが、そこから覗くのは光か闇か?

 ──私は南方のことは何も知らないのだわ。

 南の領土は豊かである。

 肥沃な大地、豊富な資源、そしてそこに住まう人々は大柄で逞しいと聞いている。太陽を信仰する風習があり、赤色を尊ぶということも。

 レイフェリアは子供の頃王都で見かけた南方の人々が、いずれも大柄で、風変わりで綺麗な服を身につけていたことを思い出した。

「……」

 黙り込んでしまったレイフェリアをよそに、イェーツも自分の思案に(ふけ)っている。それは使者を帰してからずっと考えていたことである。

 大陸の四方に置かれた四方領主の宗主である真国国王と、豊かな南方領土に繋がりを持つことは、厳しい土地柄の北方領主としては政治的に願ってもないことだ。また経済的にも、南と北では産出資源や特産品も大きく異なり、交易の幅が広がることは両国としても良いことだろう。

 そして、王都で教育を受けたイェーツは、新王ゼントルムの人となりを多少なりとも知っている。推挙に応じてレイフェリアを差し出すことで、王の受けをよくしておくのは、先々を見通すと悪い取引きではない。ましてや厄介者の姪を放り出すことはイェーツの損失には少しもならないのだ。

 しかし、彼はこの事態をそれだけで済ますつもりはなかった。

 ──この娘をつかって、多少なりともあの忌々しい男の国を汚してやれたなら。

 彼の脳裏に、金褐色の壮年の男に抱かれて去る美しい娘の姿が蘇る。

 ──かの国の領主家には、おそらく人に言えぬ秘密がある。それをレイフェリアに探り出させるのも悪くはない。この娘は昔から負けん気だけは強いからな。

 イェーツには先代領主の一人娘を行かせることに、欠片ほどのためらいもない。

 彼の兄であった先代北方領主、エイフリークは前の真国王に反逆を疑われ、不名誉な中で無実を訴えながら自死を()げたが、明白な証拠が出なかったということもあり、妻と娘のレイフェリアまで罪は問われなかった。

 しかし、兄の後を継いだイェーツは、レイフェリアとその母の身分を剥奪し、城から追放して新国王に叛意(はんい)なしの態度を示した。要するに自分が領地を継ぐために、前領主の家族を切り捨てたのだ。今から七年前のことである。

「書簡では数日中に南方から迎えの一行がやって来るらしい。だからお前は今日からこの城に逗留するように」

「まぁ、物置きでも用意してくださるのですか?」

 自分の父の城であった頃に使っていた部屋は、今では愛用していた調度品とともにアリーナのものとなっている。

 たまに用事で来なければならない時でも、レイフェリアの部屋は用意してもらえることはなく、ローナ達、召使いの部屋を借りて過ごしていたのだ。

「ふん。まったく口の減らぬ女だ。部屋は適当に用意させるから、うろうろと出歩かぬようにしろ。この城にはお前を不快に思う人間が多いからな」

「かしこまりました」

 レイフェリアは小腰をかがめて父の弟を挑戦的に見つめた。

「相変わらず生意気な娘だ。温厚だったお前の両親には似ても似つかぬな」

「申し訳もございません。長らく逆境におりましたので」

「そうか、それではさらなる試練を与えてやろう」

「……試練?」

 叔父の挑発に乗るものか、とレイフェリアは用心深く聞き返した。

「そうだ。試練だ。だが、これをやり遂げたらお前の父の名誉回復を国王に取り計らってやる。墓も建てると約束しよう」

「……」

 レイフェリアは顎を引く。父の無念を晴らすことは悲願である。その棺は先祖代々の墓地にも埋葬されず、城の裏に粗末な自然石の墓標の下で眠っているのだ。

「お伺いいたしましょう」

「ふむ……」

 イェーツはなんと切り出そうかしばらく考えている様子だった。彼は昔を思い出すようにしばらく背後の窓から外を眺めていた。その窓は南に面している。

 やがて彼は振り返った。

「お前の嫁ぐ……嫁ぐことになるかもしれない南方領主家には、おそらく(くら)い秘密がある」

 そう言う叔父の声こそ昏い。そして(よど)みがある。あまり聞きたくない話だと、レイフェリアは思った。

「秘密……?」

「そうだ。あの家は獣を飼っている。それも人を喰らう獣を」






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