33 父子
同日、更に深更。
本丸の三階層の一番奥の部屋にティガールは立っていた。
その部屋は広くて暗い。入り口近くにほんの小さな灯がたった一つ点っているだけなのである。奥の窓は開いているようで風が流れ込んでくるが、月の光は弱く、明るいというにはほど遠い。
「親父殿、どういうつもりだ?」
「どういう、とはなんのことかな? 倅よ」
暗い帳の向こうの寝椅子から物憂げな声が返る。こちらからでは投げ出された足しか見えない。
「とぼけるな!」
「お前こそ、その解りづらい話し方をなんとかせい。よくそれで部下どもに指示が出せる」
「俺の部下は察しがいいからな」
「だが、女どもにはわからないだろうよ。あやつらはとかく言葉を欲しがる生き物だからな」
「語るに落ちたな、親父殿。俺のいうのは女の話だ」
「ほうほう、お前から女の話を聞くのは久方ぶりじゃて。その女とはあの北の娘のことか?」
「最初からわかっているのだろうに、喰えぬ親父殿め」
「おまえから見てどんな女なのだ?」
「どんなって……」
ティガールはレイフェリアを飾るにふさわしい言葉を見つけるためにしばし瞑目した。自他ともに認める言葉知らずである。
「まず気概がある。それに……優しくて……け、賢明で」
「ふぅん」
リューコは、一生懸命乏しい語彙をひねくり回している息子を愉快そうに眺めた。
「で、結局なにが言いたいのだ?」
「そうだ、それだ! 親父殿はなんで、あの娘を本丸から追い出した? 俺が連れてきた女だぞ!」
つかみどころのない父親の態度に業を煮やしたティガールは、どかどかと部屋をよごぎって帳を開け放つ。寝椅子の上には長々と体を伸ばした壮年の男の姿があった。奥の窓から小さな月が見える。
「理由はあの娘から聞かなんだか?」
闇の中で金色の瞳が眇められる。
「聞いた。だがあの娘に否やが言えぬと知っていて、わざと親父殿はあのようなことを言ったのだろう」
「まぁな。だが、案外素直に引っ込んだぞ。お前のいうほどには気概がないのやもしれんて」
あざけるようにぐいと口角をあげてリューコが息子を煽る。
「何を言う! 気概ならありすぎて困るほどだ! あいつは……自分がよそ者だと知っていて、わざと気を遣って引いているんだ」
「それは知らなんだな」
リューコは信じられないという風に頭を振った。それがますますティガールを苛立たせる。
「とにかく、彼女を本丸に戻す!」
「それはまだやめておけ」
「聞かぬ」
「まぁ待て。私とて、ただのいじわる爺ぃでやったことではない」
「……」
今度はティガールが疑わしそうな目つきで黙った。
「のぅ、倅や? あの娘が逆境の中でどこまでやれるか見とうはないか?」
「ない。俺はまだ忘れられたままなんだ。余計なことをしている余裕はない!」
「お前にしては自信のないことよ。忘れられてそれほど不安か?」
「……不安というか、なんだか気がかりだ」
父親と同じ、しかしずっと光の強い瞳が下を向いた。
「あいつにはきっと何か事情があると思う。だが、その事情すらも忘れているようだ」
「北方領主家のことは私も知っている。前の領主は温厚で誠実な人物であったが、王家の慶事に毒を盛ろうとしたのであったな。確たる物的証拠は出なかったものの、疑いをかけられた領主エイフリークは自死。曖昧で悲劇的な結末の事件であった。今から思えば、何か陰謀があったのかもしれぬが」
「あいつは多分それが知りたいのだと思う。だから、俺についてここまでやってきたんだ」
「お前を好いてという訳ではないことが、不満であり腹立たしいと言う訳か。若いのう」
「俺はどうしていいのかわからない」
ティガールは素直に心情を吐露した。
「やれやれ」
すっかり威勢をなくしてしまった一人息子に、リューコは慈愛とも哀れみとも取れる微笑みを見せた。
「倅や? お前は私のたった一人の子で、この領地の後継だ。我が亡き妻アムールの忘れ形見でもある」
「だからなんだ! 思い出話に付き合う気はないぞ」
「思い出などではない。この地を治めるお前の花嫁は、それにふさわしいものでなくてはならんのだ。我らが獣を従わせなくてはならない胆力、知力、決断力。それに加えて我らが血を受け継ぐ子を産んでもらわねばならんのだぞ。普通の女では勤まるまい」
「カラカにそれができるというのか?」
「少なくとも、我が一族の血は引いておる。我らが血が薄まることはないだろう。我らには血を受け継ぐことが重要なのだ」
「俺にとってはどうでもいい。それにあいつだって北方領主家の直系だ。受け継ぐ血は濃いはずだ」
「さもあろう。ただ、我が家の血と合うかどうか」
「……血など!」
ティガールは歯をむいて吐き捨てる。今は黒く見える皮膚に青い文様が浮かび上がった。
「おお、こんなに月光が弱いのに文様がはっきり浮かんでおる。見事な獣の血よ。であるのにこの父に抗うか? 獣は血によって強くなる。そして強さが血を守るのだ。お前も強さが欲しいだろう。全てを守る強さが」
「……ぐぅ」
ティガールは荒い息をこぼして、怒りをなんとかやり過ごそうとしている。
「まぁそんなに怒るでない。それにな、これはあの娘にも機会を与えることになるのだぞ。絶対的に不利な状況に追い込まれて、さぁ、あの娘はどうするかな? あの氷室で宛てがい扶持をもらって暮らすのか、それとも本人が言っていた通り使用人で満足するのか、あるいは何か自分で行動を起こすのか。なにを我らに見せてくれるのか?」
「……」
「ほれ、私はこんなに優しい老人だろうが。それで、お前はあの娘はどうすると思うな?」
「わからない。あいつの考えていることは時々よくわからない」
「そうか。ふん、まぁよい。ふぅ」
リューコはどうやら疲れたようだったが、なんとか上半身を起こして足を床に下ろした。
「我々はそれを見届けなければならん。南方領土にふさわしい花嫁をな」
「しかし!」
「これは命だ。我が血にかけてお前に命ずる。見極めるのだ」
そういうとリューコは自分の指の腹を噛んだ。ぶつりと犬歯が肉に食い込み、血が筋となって床に滴り落ちる。南方領主家の血の大命である。
「くそっ! こんな時にだけ……姑息だぞ! 親父殿!」
「姑息、大いに結構! よいな、違えるなよ。あの娘の処遇は私が決めたとおりとする。あの娘に今以上の待遇は与えない」
「くっ……」
ティガールは握りしめた拳で横の壁を打ち付けた。
「いいか、ティガールよ。わたしとてお前に一番ふさわしい伴侶を、と願っておる」
「……くそ親父」
「そう苦い顔をするな。せっかくアムールに似て美しく生まれた顔が台無しではないか。それでだな」
打って変ったようにリューコが明るい声をだした。
「この城で久々に宴を催すことにした」
「宴だと?」
あまりに突拍子もない話にティガールは思わず顔を上げた。いったい何を言いたくらんでいるのか、この親父はという顔つきだ。
「そうだ、宴だ。時期は赤夏の月の新月の夜。新月ならば、いろいろ面倒事がないからの。名目はそうさな、仲夏の節とでもしようか」
「仲夏の節。なんのための宴だ」
「まぁ、表向きは夏の恵みに感謝するというところかな? 城下には酒蔵や貯蔵庫を民に下す。城では夜会を開き、主だった貴族や町の名士を招いて音曲や踊りを奏しよう。そして、お前の花嫁となる娘を知らしめす」
「俗な考えだ」
「俗でよいのだ。その方がわかりよいからの。若い女子をたくさん集めるがよい。その中で花嫁の名を宣言する」
「そんなものはもう決まっている」
「私の中ではまだ決まってはおらぬよ」
「俺のつがいは俺が決める。それに宴など……親父殿は人前に出ないではないか」
「さすがの私も、後継に決めた一人息子の嫁となる娘を披露する宴には老骨に鞭打って出席しようぞ。それまでに少しはこの老残の見てくれをよくしないとの。なに大丈夫さ。重大発表をした後は高いところから様子を見させてもらう。ふむ、久々に楽しみができたわ」
「高いところなど足を踏み外して転がり落ちるのが関の山だ。宴など無用だ。俺は俺の心に従って動く。花嫁はあの娘だ」
「思い出しても、もらえぬのにか?」
「……」
ティガールはうっと言葉を飲み込んだ。
「あのな、代々我が南方領主家では、つがいは愛と信頼の元でまぐおうてきたのだ。私とアムールもしかりな。こうして独り身を貫いてきたのもひとえに、あれへの愛が深ければこそ。だが、お前達にはまだそれがない」
「それは……」
「赤夏の月の新月までにはまだ二月以上ある。お前も冷静になって考えることだ」
「考えている。だが、血の大命は遵守する。あの娘が我がつがいにふさわしいかどうか親父殿にも見定めていただく」
「やっと話が通じたか」
にやりと笑うリューコをティガールは忌々しそうに睨み付ける
「ともかく、私はお前よりもよほどこういうことについては心得ている。まぁ、様子を見に行くことまでは止めやせん。だが深入りしてはならぬよ」
「……」
「ふふん。後な、あえてカラカを蔑ろにするでないぞ。あの娘のことはよう知っておるが、あの娘にも良いところはあるのだからな。決して慈しみと礼を欠くでないぞ。言っておくが、私は今の時点では血筋を重視しておるのだからな。ゼントルム王には殊勝に頭を下げて、たんまり貢物をすれば済むことだろうと思っておるよ。そのくらいの信頼は今までに築いてあるわ」
「これ以上余計なことはするな。親父殿」
「しないよ。もうやるべきことはすませたからの。しかし、協力もいっさいせぬよ」
「初めからあてにはしておらん」
「結構結構」
ようやく収まりの付きそうな話にリューコは満足そうに手を擦りあわせた。そして改めて息子に向き合う。
「よいか。我らの使命は強い後継を残すことである。この血を守り、連綿と絶やさぬこと。お前がどうしてもあの北の娘をのぞむのならば、せいぜい見苦しくあがいてみせるがいい」
「わかった。そうするとしよう、親父殿」
息子は瞳をぎらぎらと燃え立たせた。二組の金色がぶつかる。
「しばらくここへは顔を出さん」
そう言い捨ててティガールは父の部屋を辞した。




