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【完結】月下の虎は甘く冷たい指先を食む  作者: 文野さと
南の領地

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30/69

29 昼と夜

 中庭での一件以来、レイフェリアはナドリネの侍女から時折嫌がらせを受けるようになった。

 食事はマヌルやルーシーが直接厨房から運んでくれるので今までと変わりはないが、二階の廊下ですれ違うときなど、わざと体を当てられたり、よろめく振りをして運んでいる水差しの水をかけられたりする。

 そしてまた、聞こえよがしに「あの貧相なご様子」だとか「花嫁様に選ばれる筈がないのだから、早く田舎にお帰りになればいいのに」などと陰口を叩かれるのだ。

 マヌルやルーシーは非常に憤慨し、この城に残っているオセロットに言いつけて、ナドリネに抗議してもらうと息巻いたが、レイフェリアはそんな事は止めるように、と静かに言い渡した。

 女同士のつまらない争いごとで動揺していると思われたくない。

 また、これはレイフェリアの勘なのだが、オセロットはこの件を気づいているように思ったからだ。

 彼のこの城での立場は、副家令といったところのようだった。

 彼は留守中のティガールの代わりを務めているのでいつも多忙そうだが、一日一回はレイフェリアの元を訪れ、様子を気にしてくれている。

 レイフェリアに「困ったことがあればなんでもおっしゃってくださいませ」とも言っていたが、自分から進んでこの城の内情については話そうとはしなかった。

 恐らく家臣である彼は、領主の身内を批判することを控えているのだろう。

 それでもオセロットなら、レイフェリアがナドリネに嫌がらせを受けていると訴えたら、なんとかしてくれるのだろうと思う。けれど、もしかしたら自分は試されているのかもしれないとも密かに考えている。

 オセロットに、ティガールに、ひいてはまだ見ぬこの城の領主に。

 考え過ぎかもしれない、でもそうでないかもしれない。

 どちらにしても、レイフェリアはオセロットにこの状況を訴えて、なんとかしてもらおうと言う気は全くなかった。

 レイフェリアにしても伊達に不遇の七年間を過ごしてきたわけではない。

 大柄な侍女に体を当てられたら「体が大きいのも大変ね」と憐れみ、嫌味には「無駄口を叩けるなんてよっぽどお仕事がないのね」と言い返した。

 するとある日の午後、レイフェリアが自室を出ると、そこには大量の生ゴミが撒かれていて、嫌な臭気を放っていた。

 もちろん駆けつけたマヌルとルーシーがすぐに掃除をしてくれたが、このままではもっと面倒なことになって、二人に迷惑をかけてしまうのでは、と思ったレイフェリアは昼間はあまり出歩かないようにしたのだ。

 ただ想定外だったのは、母親があのような態度であるのにも関わらず、娘のカラカは相変わらずレイフェリアを構いに来るということだ。

 彼女は一日一度は他愛のない話をしに部屋にやってくる。大体は他愛のない話をして半刻くらいで帰るのだが、その大半は「ティグ兄様」のことだった。

 曰く、

「二年前に西のお城からこのお城にやって来て以来、兄様はいつも優しくしてくれたの」

「私が立派な淑女になってほしいと言ってくださる」

「いつか二人で王都に行って、ゼントルム陛下にお会いするのが私の夢」

 などで、レイフェリアはいつも微笑んで話を聞いていた。

 この無邪気さが取り繕ったものかどうかはともかく、この少女がレイフェリアを味方につけようと思っているのは確かだと思ったからだ。

 中庭でのことがあった日の翌日、お付きの侍女と共にやって来て、困惑するレイフェリアに悲しそうな顔で母親の態度について謝罪した。

「レイ姉様、お母様が酷い態度をとったって聞いたわ。本当にごめんなさい。お母様は私以上にティガール様のことを気に入っているの」

「そんな感じでしたよ。お二人はいとこ同士なんですってね」

「ええ、そうなの。血族意識の高いお母様は、またいとこに当たる私と、ティグ兄様の婚姻を強く願っているのよ。だから国王様に推挙されたレイ姉様のことが気に入らないんだわ」

「でしょうね」

「それにね、私も久しくお会いしていないんだけど、領主のリューコ様も、私たちの結びつきを望まれているということなので、尚更なのね」

「そう……」

 現領主にレイフェリアは未だ面会が叶わない。

 しかし、それが領主の出した結論だとしたら、いくら国王の推挙があったとしても、レイフェリアがティガールの妻になることは望み薄だろう。

 ──私には王に近づきたいって言う思惑がある。けれど、どうしても彼の妻になりたいって訳じゃないわ。ここにいればきっと機会はある。だから平気だわ……黙ってこの子の言うことを聞き流していればいいのよ。

 なのにどうして、心の奥で不愉快さを感じているのだろうか?

「そうなのですね」

「でも、私はなんとなく察するんだけど、レイ姉様もそれほどティガール様にこだわっていないのではなくて?」

「……」

 これはこの娘にしては珍しい洞察だった。しかし、その洞察が的を射ているかいないかは、当のレイフェリアにもよくわからないのだ。

 ──妻にはなれなくても、私は彼と繋がっていたいのだろうか? この娘よりも近い距離で?

「だからね、なんにも心配することはありませんって、私からお母様に伝えておこうと思うの」

「そうですね。でも、きっとカラカ様のお母上は、どんなことでも心配されると思います」

 思い込みが強いところはとても似たもの母娘なのだと感じながら、レイフェリアは曖昧にこの話を終えた。自分でもティガールについてこれ以上考えたくなかったからだ。

 あまり突き詰めたくはない。けれど、本当はこのままでいいとも思えない。

 そういえば、自分はまだこの城の領主に挨拶もしていないのだ。病身ということだが、医師が出入りしている様子は見たことがない。それらしい風体の者は見かけなかったが、この城にお抱え医師か薬師がいるのかもしれなかった。


 その日は昼前から、夏を思わせるように急に暑くなった。

 春とはいえ、南に面したこの部屋は、窓の日除けを下ろしてもかなり気温が上がり、北国育ちのレイフェリアには薄着をしていても身に熱が(こも)るようだ。

 いつも元気なルーシーも同じようにぐったりとしている。二人ともまだ、この地方の気候に体が馴染んでいないのだ。

「こんなに急に暑くなるなんて驚きです」

 マヌルが氷室(ひむろ)から砕いてきた氷を入れた飲み物を、二人に手渡しながら言った。

「今からこんなんじゃ、夏が思いやられますわぁ」

「無理しないで少しずつ体を慣らしていくといいわよ、ルーシー。若いのですから、きっとすぐに慣れていきますよ。暑い地方にはいろいろと涼しく過ごす知恵があるんです。レイ様、ほら、これを体に塗ってくださいな。ずっと涼しくなりますよ」

 マヌルが冷汗効果のある薬草を混ぜて練ったという、乳液を塗ってくれた。ほのかに爽やかな香りのするそれは、この地方の貴婦人には必需品だそうである。

「まぁ、いい香りがするわね。それにこの硝子の瓶がとても綺麗」

 薄くのばして皮膚に塗ってみると、確かに皮膚がすっと爽やかになる。それで幾分気分の良くなったレイフェリアは、思い切って領主のことを訪ねてみようと思った。

「ねぇマヌル。ご領主様のことなんだけど。ご病気なのよね?」

「ええ……はい、そうですわ」

 マヌルはいつかはその質問が来ることを予測していたように、真面目に答えた。

「どういうご容態か尋ねてもいいかしら? 私はまだお目通りもかなっていないのだけど、そんなにお悪いの?」

「ええ……そうですね。なんのご病気かというより、お体の衰えが著しいというところでしょうか? 私が前にこのお城にいた時から、少しずつ弱っておいでになって……以前のリューコ様はそれはそれはお強い戦士で、華々しいお方だっただけに、思うようにいかない体に歯がゆい思いをされているのではと皆が申しておりますの」

「そうなの……では、特になにかのご病気というのでは、ないということ?」

「そうかもしれません。呼吸器が弱くおなりになられてから、お風邪などはひきやすくなられたと思います。後、数年前に足を痛められてからその治りが悪く、あまりお歩きになられません。足を引きずる姿を見られたくないというのもその理由かと」

「お気の毒に」

「ティガール様は、リューコ様の遅くにできた、たった一人のお子様です。その三年後に奥様がお亡くなりになっていらっしゃいますから、一人息子のティガール様を非常に大切に思われておられて……いつも気にかけていらっしゃいます」

「……そうなの」

 おそらく、領主が気にかけているのは息子自身と、この先の領主家のことなのだろう。だから、息子の配偶者となるものには全く知らない北の娘ではなく、同じ血統のカラカを嫁にと望んでいるというのも頷ける。マヌルは言葉を選んでくれたが、つまりはそういうことなのだろう。

「では、当分ご挨拶もできないわね」

「でも、もうすぐティガール様も戻ってこられます。きっとそれからなにか進展があると思います。今しばらくご辛抱くださいませ」

「ええ、気にしていないわ。ありがとうマヌル。それにしても今日は暑いわね。早くに湯浴みをしたいわ。お願いできる?」

「もちろんでございます! お湯にも涼しく感じる薬草を浸しておきますね!」

 マヌルは話題が変わったことにホッとしたのか、足早に部屋を出て行った。


 夜になってやっと気温が下がり、涼しげな風が吹き込んできた。

 マヌルとルーシーを早々に下がらせたレイフェリアは、昼間の熱気をまだ残している部屋の窓べから、城壁の外側を眺めている。窓は最大限に開け放っていた。

 ──今日は暑かったな。

 眼下の草原に曖昧に大きな月と星が昇り始める。

 ティガールは今日も帰らなかった。

 今頃あの男は広い草原か、豊かな森のどこかで大らかに馬を駆っているのだろうか? 午後に顔を出したオセロットも、もう二、三日の内に戻ると言っていた。

「あんな別れ方をして、どんな顔をして会えばいいのかしら? まぁ、今更か」

 彼はレイフェリアを城に連れて帰ると、一度顔を出して短い話をした後、慌ただしく領地の巡察に出かけていった。あの印象的な口づけを残して。

 ──ああ、私も外に出たい。

 今日は一日部屋にこもりっきりだった。閉塞を嫌うレイフェリアは物欲しげに窓から身を乗り出す。

 今まで上を見なかったからわからなかったが、この部屋の窓の上には立派なひさしがついていた。思い切って窓枠に足をかけて立ち上がったが、庇の端はまだかなり上方だ。

 しかし、レイフェリアの跳躍力なら届かない距離ではない。ただ、足場が良くない上に体を捻って跳ばなくてはならないので少々難しい跳躍となる。しかし、気持ちを決めたレイフェリアの行動は早かった。

 慎重に狙いを定めて体を沈める。

「やっ!」

 空中で体勢を変えて腕を伸ばすと、上手く庇の端っこを摑むことができた。そこから指先に力を込めて体を引き上げる。自重の軽いレイフェリアだからできることだ。そこから先は簡単だった。

 庇の上に立つと、三階の窓からその上の庇へ跳んでそこから本丸の屋上に出る。

「……広い」

 想像した通り、そこは四角くて何もない空間だった。

 周囲には分厚い鋸壁(きょへき)が張り巡らされ、四隅には物見の塔があるが、今、人の気配が感じられない。深くなりつつある夜空の下、吹き渡る風は強い。昼間の熱気など、もうどこにも感じられなかった。

「気持ちがいい!」

 髪に残る湿り気を風が(さら)っていく。風が強いので鋸壁にこそ登れなかったものの、レイフェリアは爪先立ちでくるくると回りながら、久しぶりの開放感に思う存分浸った。素肌に纏った軽い服地が空気を孕んで膨らむのも心地が良い。

「……っ⁉︎」

 ゆったりと夜を楽しんでいると、視界の隅に何か黒いものが映ったのだ。

 東の方角に立つ物見の塔の上に、ちらりと見えたそれは、丸い頭をもつ獣の姿。月を背に、その姿は暗い。

「あっ!」

 レイフェリアがピタリと動きを止めるのと同時に、その影は物見の塔の反対側へと消えた。長い尾が弧を描いて見えなくなる。それはほんの一瞬の出来事だった。

 ──伯父上の言ったとおり、ここにはやっぱり獣かいるんだ!

 それはティガールが言っていた、南方領主家に憑いていると言う獣なのか?

 ──何でお前はここにいるのよ! 守るべき主人にくっついて、どっかに行ってたのじゃないの?

 それとも今回はティガールに付いて行かずに、病身の領主の元に残ったのか?

 ──もしかしたら、私が目的? 私がこの家に仇なすものと認識して……_? 

「冗談じゃない! 私はあんたなんかに追いかけられる(いわ)れはないわ!」

 レイフェリアは恐ろしさを誤魔化すために声に出して叫んだが、獣はもうどこにもいなかった。そう言えば、以前も、あの獣が彼女に危害を加えようとしたことはない。

「なによ! もったいぶって! 叔父上じゃあるまいし! 何も(やま)しいことはしてないわ!」

「そなた誰のことを言っておる」

 闇の中から唸るような声が届く。声がしたのは獣が座っていた西の塔の中からだった。

「だ、誰⁉︎」

 レイフェリアの問いかけに、ぽっかり空いた黒い塔の入り口から一人の男がゆっくりと姿を表す。

 それは壮年の男だった。





通り道にゴミをまく。

源氏物語に似たような場面がありました。

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