2 従姉妹
城に到着したレイフェリアは城壁をくぐると正門から入らずに、使用人が使う側面の出入り口から中へ入った。
その方が後々面倒がないからだ。叔父に直接仕える王都から来た召使いたちは、こぞってレイフェリアに冷ややかなのだ。
しかし、厨房や下働きの使用人たちは先代領主、つまり彼女の父の代から働いている人間が多く、城を追放されたレイフェリアに同情的な者が多い。彼らは表立ってレイフェリアを助けられない分、見えないところではいつもレイフェリアを気遣ってくれる。
「こんにちは。ノーナ」
レイフェリアは厨房に顔を出し、料理人の女に声をかけた。今は彼女一人のようで好都合だ。
「まぁまぁ! レイ様! またこんなところから!」
「いいのよ。久しぶりね、どう? 皆は元気?」
「ええ、それはまぁそうなんですが、レイ様は……ますますお美しくおなりに……」
ノーナは滲んだ涙を前掛けで抑える。
「美しい? 私はこの通りの隠者よ。成りも姿も男の子みたいでしょ?」
「そんなこと! レイ様のお美しさには誰もかないませんわ。でも、またお痩せになったみたいで……これ、召し上がりませんか?」
そういって差し出されたのは、昼に焼いたと思われる干し果実入りの焼き菓子だった。ほんのり甘い酒の匂いもする。北国の冬はなかなか新鮮な果物が手に入らない。干し果物とはいえ、これは贅沢品だった。
「ほんと? いいの? あとでノーナが叱られたりしない?」
「大丈夫です。さぁ飲み物もここに。こちらが暖かいですよ」
ノーナは大きく切り分けた菓子の横に、蜂蜜入りのミルクのカップを置いた。レイフェリアは遠慮なく手を伸ばす。久しぶりの甘味は文字通り、頬が落ちそうなほど美味しく感じられた。
「すごく美味しいわ。ノーナのお菓子は久しぶり」
「秋の終わりにお届けしたっきりですから……すみません、なかなかそちらへいけなくて。皆心配しているのですが」
「冬場なんだから無理に出ないほうがいいわよ。気にしないで、私は元気よ」
「レイお嬢様……」
「でも、なんだか人が少ないわね。今なら夕食の支度で忙しいと思うのだけど」
前掛けの端で滲んだ涙を拭うノーナにレイフェリアはわざと陽気に尋ねた。
「ええ、夕食の支度はもうすぐいたしますが、今、厨房係の私たちまであっちこっち駆り出されることが多くて、何かと忙しいですわ。なんでも近々お客様が来るようで……」
「お客? どなた?」
「それが私どもなどにはよくわからないのですが、どうも他領のえらい人みたいで。領主様も奥方様も……こう申してはなんですが……見栄をお張りになって、城のあちこちを直させたり、磨かせたり、飾らせたりするのでございますよ」
「こんな陰気な城、少しくらい弄ったって、どうなるものでもないのにね。だけど、確かにこんな季節にお客様ってなんだか変だなぁ……」
レイフェリアは子供の頃から見知った厨房から顔を出して、薄暗い廊下を眺めた。このあたりは特に変化はない。叔父たちは客の目につくところだけを整えているのだろう。
「私は叔父上に呼ばれてきたのよ。とにかく着替えないと。ちょっと物置を貸してもらえる? ノーナ」
「物置は冷えますよ。こちらに布をかけますので、暖炉のそばで着替えてください」
「ありがとう」
レイフェリアはノーナの好意に感謝しながら、背負った袋から少しは見られる衣類を出した。寒さで布がごわごわしている、少し暖めてから着たほうがいいだろう。
「お手伝いいたします」
「いいよ、忙しいんでしょう?」
「いいえ、せめてこのくらいはさせてくださいませ」
ノーナはレイフェリアが着込もうとしていた青い服の背中の紐を結んだ。従姉妹のアリーナのお下がりだが、上等の毛織り物なのでなんとか見られる。アリーナよりもやや背が高いレイフェリアは裾と袖口の縫いしろを自分で出し、ごてごてした飾りは外して胸元に蝶結びを縫い付けた。
「こんな、古い服を……先代様と奥方様が見たらなんと思われるか……」
「見られないから平気よ。アリーナの趣味がいいのが救いだわ。青色は好きな色だし」
体の線にあった飾り気のない青いドレスは、確かに元の持ち主よりもレイフェリアに似合っていた。ドレスの下から覗く白いシャツとの対比も品がいい。
「お髪は……まぁこんなに長くなって……少し結い上げましょうか?」
厨房女中であるノーナだが、二人の娘がいるので、着付けも髪結いも心得がある。だが、レイフェリアはその行為を断った。
「ありがとう、ノーナ。でもあなたはもう自分の仕事をしてちょうだい。髪を結うのはもう慣れたものよ」
そう言ってレイフェリアは腰まで伸びた薄い色の髪の両脇をゆるく編見込み、革ひもで後ろで結んだ。その様子をノーナは感心したように見つめている。
「なんてお美しい……」
北の領地特有の白い肌にはそばかすの一つも浮いていない。背はこの地方の平均よりも少し高めで、すらりとした手足は優雅で曲線の深過ぎない体つきも上品である。髪は金と銀の中間色でさほど珍しくはないが、たっぷりと量がある。
そして何よりも——。
北の領主直系の証拠である証の紫色の瞳。
この目は彼女の父から受け継いだもので、一世代に一人しか現れないものだ。北の領地では金髪に青い目が一般的なのだ。
紫水晶のようなその瞳で全身をざっと見回したレイフェリアは、彼女に見とれているノーナに笑いかけた。
「これで我慢してもらいましょう。さて、お優しい叔父上にご挨拶をしてくるわね。みんなによろしく。帰りも裏から帰るから、荷物はここに置いておく」
「わかりました。お土産をどっさり用意しておきますわ」
ノーナに礼を言ったレイフェリアは裏から表に抜ける廊下を進んだ。
——本当だ。ノーナが言った通り、なんだか掃除もゆきとどいてあちこちに綺麗な織物が飾ってある。そんなに気を使う……というより見栄を張らねばならないお客というのは一体誰なんだろう?
「まさか、私が呼び出されたことと何か……」
考えかけて、レイフェリアはふっと笑った。
こんなにもてなす大事な客と、厄介者扱いされている自分が何か関係あるわけがない。多分、召使が足りなくて呼び出されたのだろう。アリーナの侍女の一人でも加えられるのかもしれない。となると、目一杯こき使われるだろうから、数日はここに滞在することになる。
「どうせ嫌味を言い倒されるんだろうな……」
うんざりとレイフェリアは正面階段の下に立った。近くを通った下男に言付けを頼んでそこで待たせてもらうことにする。
「おや、レイフェリア樣、ようこそお越しくださいました。かなりのご無沙汰ですな」
かなり待たされてからやっと顔を出した家令が横柄に言葉をかける。
ここにいたことを知っていたんだろうに、という言葉を飲み込んでレイフェリアは家令の方を振りかえった。この男には必要以上のことをいう気はない。
「叔父上のお呼び出しなのだから、当然来る。さぁ叔父上のところに案内しなさい」
「ただいまご到着をお知らせいたします。もう少々お待ちを」
まだ待たされるのか、と憮然とレイフェリアが冷え冷えとしたホールに突っ立っていると、左の廊下から人の気配がし、数人の女たちが現れた。従姉妹のアリーナと付き添いの侍女たちである。
「あら、レイお姉様、いらしてたの? お久しぶりね」
「ごきげんよう。アリーナ」
「あんな寂しいところにお暮らしなのに、随分お元気そうだこと」
「お元気よ。歩いてここまで来るくらいには」
「あら、その服私の一昨年のだわ。まだ着てらっしゃるの? 随分物持ちがいいのねぇ、お姉さまって」
「そうね。幸い私はあなたよりも細いから、充分入るわ。ごてごてした飾りは取ってしまったし。似合うでしょう?」
「……私にそんな口を聞いていいの? 厄介者の罪人の娘のくせに」
「あなたが私に口を聞かないでくれるんなら、喜んで黙るけど」
「ふん! せいぜいお父様に叱られてしょげるといいわ。ねぇお前、レイお姉様のきれいな服をもっと見栄えよくしておやり」
アリーナは花瓶を持って後ろに控えていた侍女に顎で合図した。
その侍女は花瓶の花を取り替えようとしていたのだろうが、前に進み出ると、枯れた花ごと汚れた水をレイフェリアにぶちまけた。レイフェリアは身軽に避けたが、いくらかはかかってしまい、服が濡れる。
「とんだご挨拶ね、アリーナ」
「あら、お古の服しか持ってないお姉さまに、お花を飾ってあげようとしただけじゃない。よくお似合いよ。あはははは!」
「レイフェリア様、お掃除お願いいたしますねぇ」
笑い転げながらアリーナと侍女たちは階段を登って行く。
「嫌な娘だ……」
レイフェリアは水滴と枯れた花をはらいながら毒を吐いた。
幸い大きな花瓶ではなかったので、肩口と裾が濡れただけだが、服に濃いシミができてしまった。
「お待たせいたしました。領主様がお会いになります。おやおや、少しの間に随分な姿になられましたな。そのままお会いになられますか? それともお着替えに?」
戻ってきた家令が大げさに驚いた様子を見せる。レイフェリアはうんざりして肩をすくめた。
「着替えはないし、どうせ手布も貸してもらえないんだろうからこのまま行く」
「お似合いですよ、レイフェリア様」
途端、男は紫の煌めきに射竦められる。レイフェリアが正面から彼を見据えたのだ。
「余計な口をきくな。この泥靴でお前の頭の上に立たれたくなければさっさと己が役目を果たせ」
「こ……こちらへ」
レイフェリアに気圧されて家令は怯み、黙って階段を上がった。
そして、レイフェリアは半年ぶりに現北方領土領主、叔父のイェーツの部屋の前に立った。