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【完結】月下の虎は甘く冷たい指先を食む  作者: 文野さと
南の領地

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28 敵意

 レイフェリアがこの城にきて三日が過ぎた。

 その間特にすることもなく、マヌルからこの地方の習慣や作法を教えてもらったり、いろいろな種類がある南方の衣服の着付けを覚えたりしている。

 しかし、どうにもよくわからないこともあった。

 部屋に籠ってばかりいるのも退屈だし、この城のことも知らなくてはいけないと思ったから、レイフェリアはマヌルに城内を案内してほしいと頼んだ。

 マヌルは勿論承知してくれたが、その前に少し難しい顔をして言ったのだ。

「すれ違う人たちの中には、あまり好意的でない振る舞いをする人がいると思います。でもお気にされることはありませんから」

「ああ……それはそうね」

 この城の召使い、特に侍女や侍従という、上級の使用人は、カラカやその母が西の領地から連れてきた者が多い。彼らは、新参者で国王から推奨された花嫁候補であるレイフェリアを、よく思わないものがいるのだと言う。

「それはこのお城に来る前に聞いたわ。でも、いつまでもお部屋に引っ込んでいるのも性に合わないの」

「そうでございますよね。主様からは買い物でも食事でも、レイフェリア様の好きなようにしていただくようにと、お言葉を賜っております」

「そうなの?」

 それは意外だった。

 ティガールとは一昨日、彼が好いていると言う、猫好きの婦人の話をしていたと思ったら、急に怒り出して立ち去った。それから一度も顔を合わせていないのだ。

 彼はレイフェリアを迎える旅で一月以上この地を留守にしていた。そのため、春を迎える領地の視察に出かけると言うもので、数日は戻らないとのことだった。それはオセロットを通じてもたらされた伝言で、ティガールは彼女になんの挨拶も無しに旅立ってしまったのだ。

 だから自分はよほど彼を怒らせてしまったのだろうと、レイフェリアは思っていた。

 ──出かけることすら私に教えてくれなかったのに、そんなことを言ってくれていたなんて。

「じゃあ、何も遠慮して、じっとお部屋に籠られることはなかったですね!」

 ルーシーも喜んで言った。彼女も退屈していたのだろう。

「そうね……でも、当然行ってはいけないところもあるはずよね?」

 レイフェリアは意味ありげにマヌルを見た。

「まぁ、左様でございますね。レイフェリア様のおいでになるこのお部屋は、二階の表に面していまですが、三階にはあまり上がられない方がいいかと……」

「ああ……」

 そうか、とレイフェリアは思った。おそらく三階にはティガールの身内の私室が並んでいるのだろう──父領主や、おそらくカラカの部屋も。

「わかったわ。でも階下やお庭は大丈夫ね。私が見てみたいのは、このお城の人たちが働いているところなの」

「まぁ、それは皆も喜びましょう。早速参りましょうか?」

 マヌルはレイフェリアの表情が明るくなったことを喜びながら言った。

「私、何か被り物を取ってきます! こちらは日差しがとっても強いのですもの」

 ルーシーは楽しげに言って、頭に被る薄布を探しに衣装戸棚をひっくり返していた。


「まぁ、素敵!」

 中庭は春の花で溢れかえっていた。それは王都の宮の庭園でよくみる、人工的に造園されたものではなく、ただ自然の野や小川をそのまま持ち込んだような広大な庭だったのだ。聞けば、城の北側には森や泉まであるという。また東側にはここよりも小さめの庭園があるとのことだった。

「まるで妖精の花園に迷い込んだみたいですね!」

 ルーシーも目を丸くして色鮮やかな花々や、レースのような葉を持つ羊歯(しだ)類に見入っている。だいたいどの植物も北のものより大きくて、華やかだった。

「美しゅうございましょう? こちらには真冬の一時期を除いて、大抵お花で溢れているのですよ。すぐに夏の花が咲き始めます」

「それは楽しみね」

 レイフェリアは庭師の腕に感心しながら答えた。一見、自然の造形をそのまま取り込んだように見えているが、花々の色合いや、樹木の高さや種類が調和して見えるように計算し尽くされている。

 地面も歩きやすいように、素焼きの煉瓦が埋め込まれていた。しかし、それも街道のように整然とした並びではなく、さりげなく、しかし歩きやすさを損なわないように巧みに敷かれている。

 ──これは、かなりの美意識を持った庭師によるこだわりの庭だわ。

「まぁ、ここには可愛い花がいっぱい咲いていますわ」

 ルーシーはすっかりこの庭が気に入ったらしく、丸い鈴のような花をいっぱいつけた花壇にしゃがみこんでいた。そこは比較的丈の低い花々が植えられている一隅で、樹木が少なく、青く広がった空から午後の光が降り注いでいた。

 ──陽が強いわね。

 レイフェリアは眩しい日差しから目を保護するため、ルーシーが探してきてくれた更紗の布で顔に影を作り、広い庭園を見渡していた。気温が高くなってきていたが、ここは樹木が多いせいか吹き抜ける風が湿って涼しい。

 向こうの木陰に小さな四阿(あずまや)の屋根が見えた。

「暑くなって参りましたね。あちらでおやすみくださいませ。何か冷たい飲み物をご用意いたしますので」

 マヌルはそう言って本丸の方に姿を消す。多分、厨房に近い出入り口がどこかにあるのだろう。

 レイフェリアはそのままゆらゆらと四阿の方に歩き出した。ルーシーは夢中で花を見て回っているので、しばらく放っておくことにする。

 ──つい一月前までは雪の残る北国にいたというのに、なんだか夢のようね。

 閉じた(まぶた)に透明な光を受けながら、レイフェリアはわずかな風に身を任せた。その──時。

「あ!」

 何かが強く肩にぶつかったのだ。

「この無礼者!」

 はっと目を開けたレイフェリアの前に、薄い紅色の髪が飛び込んできた。同時にきつい花の香りが鼻腔を刺す。

 目の前に立っているのは美しく大柄な女だった。後ろに侍女らしき者を四人も引き連れている。

「申し訳ありません。あまりにお庭が美しいのでつい見とれてしまいました」

「こなたは庭を見るのに目を閉じて歩くのかえ?」

「……」

 言い方は横柄だが、言われていることは正論だから、レイフェリアは黙って頭を下げた。

 一目でわかった。この女はカラカの母親だ。体つきこそ大柄だが、薄紅色の髪に同色の瞳、やや浅黒い肌はあの美少女の面影を残している。というより、この女性を小さく優しげにした形がカラカということだろう。

「話は聞いておる。こなたが野蛮な北方領土から参った、落ちぶれ田舎娘であろ」

「多分そうでございましょう。私はレイフェリアと申します」

 レイフェリアはおとなしく相槌を打った。

「それにしても、貧相な体つきよのう。それにみすぼらしい色の髪、妙な色の瞳。ティガール殿もさぞ失望されたことであろうなぁ」

「ティガール様がそうおっしゃったのでしょうか?」

「無礼な。こなたから私にものを尋ねるでないわ。私はナドリネ。当家ご領主、リューコ殿の姪にして、その後継ティガール殿のいとこにあたる」

「……それは大変失礼を致しました。ナドリネ様、申し訳もございませぬ」

 親戚というものに全く良い印象のないレイフェリアは、馬鹿丁寧に教えられた通りに南方風の礼をしてみせた。こういう手合いに逆らっても、面倒だということは身に染みているからだ。

「ふん。わかればよい」

 レイフェリアが殊勝に見せているので、ナドリネは一応満足したらしい。口調をわざとらしく優しげなものに変えて言った。

「はるばる北の辺境から来たこなたであるが、ご苦労でもすぐに故郷に帰るがよい」

「それは、なぜでございましょうか?」

 尋ねるなとは言われたが構わず、頭を下げたままレイフェリアは尋ねた。

「ふむ、特別に質問を許してやろう。理由はな、こなたがティガール殿の花嫁に選ばれることはないからじゃ」

「……」

「ゼントルム王陛下は酒宴での(たわむ)れに、ティガール殿にこなたを推挙したのだと聞く。そのようなものに縛られる謂れはない」

「戯れ」

「そうとも。ご病身の現ご当主リューコ様も、こなたなど息子の嫁に認めぬとのきつい仰せじゃ」

「現御領主様にはまだお目にかかっておりませぬ」

「ははは! それが何よりの証拠であろ。こなたはこの城の誰にも認められてはおらぬ。故にさっさと帰るがよい。金子(きんす)、馬車などの手配はしておいてやろうほどに。のう、キティ。皆もそう思うであろ?」

 ナドリネが後ろの侍女たちに視線を送ると、四人とも同じように頷き、嘲るような微笑みを浮かべた。

「ナドリネ様のお優しさにすがるが良いかと」

 キティと呼ばれた目の間の狭い侍女が、レイフェリアを見下しながら言った。この女がマヌルの言っていた召使頭なのだろう。つまり城中の女の使用人の長である。

「なんでしたら、私が今すぐお支度をお手伝い致しましょうか?」

「では、私は馬車の手配を」

「悪いことは申しませんわ。早々に立ち去られませな」

 皆同じように一言ずつ言い立てるのが、このような待遇に慣れたレイフェリアの目には滑稽に映る。殊勝げな顔の下で、心は少しも挫けない。

「ほれ、この者たちもこう申しておる。こなたがこれ以上ここにいても益はないぞよ」

「益はなくとも、それは私の一存では決められませぬ」

 レイフェリアは(へりくだ)りはしても、引く気は毛頭ないのである。

 ──申し訳ないけどいとこ殿、私は尻尾を巻いて帰るわけにはいかないの。

「レイフェリア様! こちらでしたか!」

 振り返ると、マヌルとルーシーの姿があった。二人とも緊張した面持ちだ。

「どうかなさいましたか?」

「偶然ナドリネ様と、こちらでお会いしたの。ご挨拶をして、少しお話を伺っていただけよ」

 レイフェリアは二人を安心させるように、頷いた。

「お前たち何をしておる。さっさとその娘の帰り支度をしてやるがよい。今その話をしておったところじゃ」

 ナドリネが高慢にレイフェリアの二人の侍女に命じる。

「私の直接の主はティガール様です。若様のご命令でない限り、そのようなことはできかねます」

 マヌルははっきりと言い返した。

「なんと! この私に対して無礼な女め。リューコ殿に申し上げて今すぐ放逐してくれる!」

 ナドリネは怒りで口を歪ませながら言った。

「新参者の召使いのくせに!」

「失礼ですが、ナドリネ様」

 レイフェリアは一歩踏み出してマヌルの前に出た。すっと背筋が伸びる。こうすれば、身長差はそれほどでもない。

「ナドリネ様にこのようなことを言うのは誠に心苦しいのですが、今マヌルが申したように、私もティガール様に、あるいはご領主様から直接命じられない限り、故郷には帰るつもりはございません」

「なに? なんと申すか、この小娘め!」

 今や、ナドリネの頬は真っ赤に染まっている。豊かな髪の両側が逆立ち、まるで怒り狂った猫のようだとレイフェリアは思った。

「確かに私は小娘ですけれど、私には私の事情があるのです。カラカ様と張り合うつもりは毛頭ございませんが、私はここに残ります」

「なんと無礼な野蛮人じゃ! このような者をティガール殿が妻に望む訳がない! ましてやリューコ様になど絶対に認められぬわ!」

「ええ、そうかもしれません。でも我が北の領地でも、南方は野蛮だと教えられてきましたのよ。私は両方知っていますから、どちらも間違っていると思います。文化の差異はあっても、理解はできましょう。それが貴族の嗜みというものですわ」

「なに? この、利いた風な口を! 今すぐご領主様にこなたの無礼を進言してやる!」

「お好きに、ナドリネ様。ですが私は、こちらで自分のできることを致します。私も北方領主家直系の一人娘。いたずらに私と、私の家を愚弄するのはやめていただきたく存じます。それこそ無礼というものですわ」

「なんとな! 私が慈悲を持って接しておればつけあがりよって!……では、ティガール殿に申しつけて、こなたをここにいられなくしてやるほどに。その時にせいぜい泣きを見るがよい」






こちらはわかりやすいテンプレ奥様。

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