24 紅い城
「レイ様! ログウッドの街が見えました!」
「え⁉︎」
ルーシーのはしゃいだ声に、レイフェリアは自分が居眠りをしていたことに気がついた。
規則正しい馬車の揺れと午後の温まった空気の中とは言え、うっかり眠ってしまった自分が信じられない。いよいよ南方の首府へ、ティガールの居城へと足を踏み入れるのだと、自分では緊張していたつもりだったのだ。
陽射しは幾分赤みを帯び、夕暮れが近いことがわかる。
「私はずいぶん眠っていたの?」
「いいえ、ほんの半刻くらいですよ。実は私も同じように、うとうとしていたんです。お暑くはないですか?」
「そう言えば少し暑いかも」
レイフェリアは昼食後に部屋を借りて着替えた。
ルーシーは贈り物の南方の衣装がいいと言ってくれたのだが、レイフェリアは自分の出自を皆に示す方がいいと、ギンシアからもらったアリーナのお古の服を着ることにしたのだ。
それは別に見すぼらしくはなかったが、なにぶん冬物で首が詰まっているため、あまり風の入らぬ馬車の中では、結構暑いのだ。うっすら汗をかいている。
「窓を開けましょう。外がよく見えますよ」
ルーシーはそう言って横の小さな窓を開けた。斜め前に大きな街が見える。城壁から突き出している家の屋根は全て赤で統一されていた。
「あれが南の首府、ログウッドの街なのね。大きいわねぇ」
「そのようですわ。私も名前だけは知っています。ティガール様のお城は……あ、あれですよ、きっと!」
「……」
オセロットが説明した通り、その城は台地の上に建っていた。真ん中に本丸と思しきなかり高さのある四角い建物、両翼にはそれよりも低い左右対称の棟が並んでいる。壁の全てが赤い。南の領土の人々は赤を尊ぶと言うから、城までも赤い石で作ってしまったのだろうか?
紅鷲城とはよく言ったものだ。まるで緑の台地の上から街を守り、敵を睨みすえる大鷲のような城だった。
「街を通り過ぎます」
速度を増した馬車は、低い城壁に囲まれた街の手前で左に方向転換した。台地の更に向こうに山が見える。きっとあれが最南端の国境なのだろう。
この草原全体がなだらかな丘陵になっており、街は平原に突き出した台地に沿うように広がっている。きっと坂の多い大きな街なのだろう。北の領地では城の周りを取り囲むように小さな街が点在しているから、こんな大きな街を見るのは、昔王都に行った時以来だ。
馬車は街を右手に見ながら斜面に差し掛かった。
「レイフェリア様、これから少し登ります。お二人とも後部座席にお座りください」
開けたままの窓からオセロットが顔を覗かせた。
「あれがログウッドの街なのね、とても綺麗ね」
レイフェリアが窓から顔を出して見ると、街は既に下方にあって全体が見下ろせた。
城壁や建物の壁は屋根ほど赤くはないが、街全体が暖色系の色みで統一されている。所々ににょきにょき生えている大きな木の緑色が、その色を一層引き立てていた。
「左様でございましょう? 北方の青灰色の城や街も美しいですが、また違った味わいがありましょう?」
「ええ、本当に」
そう言っている間にもどんどん道は登り続け、さっきまで見えていた城の全貌が、だんだんと下から見上げる角度になっている。
「もうじき城門です……おや?」
オセロットの言葉が途切れ、馬車の窓から別の姿がレイフェリアを覗き込んだ。
「俺の城が見えるか?」
「はい、ティガール様」
ティガールはその答えに満足したように頷いた。
「外から見てみるか?」
「よろしいのですか?」
馬に乗れということなのだろうと解釈してレイフェリアは嬉しくなった。彼が合図したのだろう、すぐに馬車が停まり、扉が開いた。ティガールが自ら開けてくれたようだ。
「パブロに」
ティガールは自分の馬を指した。確かにこの重くて長い北方の服では一人で馬に跨がれない。ティガールの馬に横乗りさせてもらうしかなかった。
「その青い服は……」
「申し訳ありません、お気に召されませんでしたか。南方では赤が尊ばれるということは知っていたのですが……」
「それでいい……よく似合っている」
言い訳しようとしたレイフェリアを遮り、ティガールは思いもよらぬ言葉を零した。初めて褒められたことにレイフェリアが呆然としている間にさっと腕が腰に回され、鞍つぼに引き上げられる。
「あっ……」
「進め!」
体に巻きついた腕にまごついている間に一行が再び動き出した。馬車の窓から顔を出しているルーシーと目が合い、レイフェリアはいたたまれない思いがしていた。彼女は明らかに面白がっていた。
「城門だ」
先頭に立つティガールが短く告げる。
街道の角度が変わったせいか、彼の住まう城が真正面に見えてきた。
近くで見ると、ますますその威容が伝わってくる。城壁は街のものよりもよほど大きくて頑丈そうだった。おそらく、武器庫や厩も兼ねているのだろう。城壁の前にもいくつか石造りの建物があり、兵士が大勢出入りしていた。彼らは一様にティガールをみると敬礼し、深く腰を折った。
「大きなお城なのですね」
「規模だけならな。しかし、北の城ほど優雅ではない」
「……」
レイフェリアは故郷の町や城を思い出す。これだけ距離が離れているのだ。建物の様子が違うのは仕方がない。
北の領地ではあまり大きな街はない。平地も人口も少ないのだから仕方がないのだ。北方の建物は長い冬と強い風を避けるため、窓は小さく壁が分厚くできている。
領主の城は同じ石づくりでも、壁も屋根も青みを帯びた白い石で、屋根は雪が積もらないように先鋭な形になっているから確かに白鳥のように一見優雅に見える。しかし、内部は薄暗くて重々しいのだ。
対して、南の城は赤くて窓も大きく、部屋ごとに露台があるようだった。涼しげな布がはためいている部屋も見える。真ん中にある四角い塔は高く、てっぺんは平たくできていて、上に立てば街や後方の草原の果てまでも見渡せるだろう。
──今日からここが自分の居場所となるのだわ。
草原を落ちてきた大きな夕陽に染まり、城は燃えるように紅く染まった。
「ああ……なんて……美しい」
「そうか? ただの不恰好な城だ。北の城の方が品がいい」
ティガールはそれからしばらく黙り込んでしまった。レイフェリアも黙って馬の揺れとティガールの胸に体を預ける。
斜面はだんだんと緩やかになって行き、城門がすっかり視界に収まる頃にはほとんど平坦な道となっていた。城に堀はない。台地にあるからだろう。二人は兵士がずらりと並んで槍で敬意を表す道をゆっくりと進んでいく。
門衛の中には目を丸くしてレイフェリアを見つめている者も多かった。
──きっと、貧相な女だと思われているのだわ。
南の人間は概して体が大きく、髪の色も濃い。青白くて髪色も薄い自分ではティガールのそばでは見劣りがするのだろう。
その時、ようやくティガールが口を開く。
「この城では俺にもままならぬものがある。というか、ままならぬことばかりだ」
「……どういうことでしょう」
「一方的に連れてきておいて、今さら勝手なことを言うのだが、この城はあなたにとって、良き住まいにはならぬかもしれない」
「かまいません。そういうことには慣れておりますから」
レイフェリアは落ち着いて答えた。昼間オセロットが注意してくれた、よそ者扱いが待っているということだろう。ティガールも同じことを言うのは、よほど面倒なことがあるのだろう。しかし、その気遣いには感謝だ。無口で無礼な時もあるが、決して不誠実な男ではないということか。
「食事さえもらえるなら平気ですよ」
「……お前は強いな」
背後の男から大きなため息が漏れ、レイフェリアの後ろ髪を揺らした。先日の鬼神のような闘いぶりからは想像もつかない意気消沈ぶりだ。
「もともと多くは望んでいません」
「それはどういう意味か?」
「私はここで自分の人生を始められたらそれでいいです。だから、ティガール様も、もし不本意ならば、王陛下の推奨だけでご自分の意に染まぬことをなさらなくてもいい、と思うのです」
「それは、あなたが俺の奥になりたくないということか?」
途端に男の声が固くなった。確か数日前にもこんな風になって、それから気まずくなったのだった。
「奥? ああ、奥方ということですか? なりたくないと言う訳では決してないのですが、今までたった一人で暮らしてきたので、そういうことが私にはよくわからないのです」
「……これからは一人ではない」
「ええ、そうですね。この旅も私には物珍しいことばかりで楽しかったのです。でも、結婚は特別なことでしょう? ティガール様が私を望まれぬなら……無理に私を娶ることはないと言いたいだけです。だいたい、私は候補の一人であって、こちらにも何方かがいらっしゃるのでしょう?」
「あなたはそう思っているのか!」
レイフェリアの言葉は、またしてもティガールを怒らせてしまったらしい。
自分が謙虚になればなるほど、彼は怒り出す。この美丈夫にとって、自分の恋人や情人になりたくない女など、今までいなかったということなのだろうか?
ティガールは再び黙り込んでしまった。ただ、手綱を掴む拳がぐっと握り締められ、両の肘がきつく狭まってレイフェリアは身動きができなくなった。
これは罰なのだろうか?
「ティガール様、城門が開きます!」
陽気に声をかけてきたのはヒューマだ。大きな櫓の真ん中に重そうな門がある。その中がいよいよ領主の居城、本丸なのだ。
「さぁレイフェリア様、前を向いて皆に笑ってやってくださいよ!」
レイフェリアが前に目を向けると、鈍い音を立てて二つの重い扉がゆっくりと開かれるところだった。
目の前に道が開いていく。
この中に自分の本当の居場所があるのかどうか。
それはまだ、レイフェリアにはわからなかった。
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