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21 斑紋

 足の悪い老婦人は特に怪我もなく、様子を見に戻ってきたオセロットが背負って村長の家に送り届けてくれることになった。

 昏倒している野盗達はヒューイが見張っている。御者もじきに戻るだろう。

 オセロットはお互い目を逸らしているレイフェリアとティガールを心配そうに見比べながらも、老婦人と共に立ち去った。一緒に戻ろうとも言わなかった。

「レイ……フェリア、あなたは……」

 ティガールが言いかけたまま黙っている。レイフェリアも居心地の悪さを感じながら、しかし、あえて問い返そうとしないで、小さな家の前に立ち尽くしている。

「さっき……特技とか言ったか?」

「はい、申しました」

 努めてなんでもないように応じる。

「聞いてもいいか? その、特技について……よければだが」

「かまいません、ティガール様。吹聴(ふいちょう)する必要はありませんが、別に秘密というほどのものではないですから」

 レイフェリアは言葉を選ぶように一呼吸おいて話しだした。

「……私の家には直系の血を持つものにのみ、受け継がれる特徴がいくつかあります。その一つがこの瞳。青でも赤でもないのに、光の具合で混じる変な色でしょう? これはその世代に一人現れるそうです。私の亡くなった父もそうでした。そしてもう一つが隔世遺伝的に現れる、跳ぶ力。私には人よりも高く跳べる脚力があります。これは三世代ぶり、そして女では初めて私に表出したと、父から聞きました」

「……」

「飛ぶといっても、鳥のように飛ぶのではなく、せいぜい五リール程度跳べるくらいなんですけども。でも普通の令嬢だったら一生使わない能力でしょうね」

「……るのか?」

「え? なんですって? 聞こえない」

「四方侯の家にはそれぞれ異なる遺伝……というか、体質があるということなのだろうか?」

「さぁ、よくは知りませんが史書の神代の項では、四方侯の祖先は動物たちから能力を授かり、王を守ったということになっていますよね」

「俺は史書など読まない」

「……」

 さもありなん、とレイフェリアは思った。この派手な男が神妙に書物などに向き合っている姿が想像できない。美女をはべらしている姿なら容易に思い描けるが。

「そこには北方家は大鷹から飛ぶ力を、西方家は神猿から手技(てわざ)を、東方家は黒蛇から医学と薬の知識を、そして南方家は……」

烈虎(れっこ)から戦う力を……か」

「……」

 史書といっても神代の項目は史実と思っている者はいない。

 レイフェリアとてただの御伽話と思っていたが、こうなってみると案外それは、幾ばくの真実を含んでいるのかもしれない、とレイフェリアは思った。

 先ほどのティガールの戦闘能力はどう見ても並の人間のものではない。おそらくヒューマもオセロットも彼と血が繋がっているのだろう。

 ──動物から能力を貰ったというのは伝説でも、何らかの能力を持った人間が王家の祖先に重用された、とか?

「烈虎という名は知りません。私の読んだ史書には戦う大きな獣とありました。もともと伝説だから、地方によって色々言い回しが違っているのでしょう」

「そう……なのか? 俺は無学だから」

 ティガールは瞳の光を暗くして呟いた。感情が目に出る男だ。

「父ならもっと知っていたかもしれないけれど。ですが、どの四方侯家もあんまり家系のことや、領地のことは外で話さないのが普通なのではないですか?」

「それなのに、あなたはなぜ俺に話した?」

「私は……もう、北方領主家の後継ではないし、家を守る義務もない。それに、王命とは言え、一応あなたの花嫁候補となるのだから、隠し通すのも良くないと思って……まぁ、今考えた理屈なんですけど……」

「そんな……もんか?」

「多分」

「……」

 ティガールは無言で一歩踏み出した。

 今まで家の影に隠れていた彼の姿が、顔を出した月明かりの下に明らかになる。

「……っ! それは⁉︎」

 レイフェリアは思わず腰を抜かしそうになった。

 なぜならば──。

 浅黒い彼の皮膚の上に、青い模様がうっすらと浮き上がっていたのだ。

 純粋な青ではない。

 緑青とか翡翠とでもいうような不思議な色味(いろみ)である。弱い月光を反射して、それは仄かに不思議な模様を浮かび上がらせた。縞模様のような不思議な紋様だ。

 北方を出てからティガールは袖の短い服を着ていたが、今むき出しの二の腕を回り込むように縞模様が浮き上がっている。そして首筋からも伸びたそれは、頬や額を囲むように現れていた。おそらく手甲や衣類で見えない胴や脚にも続いているのだろう。

「その肌は……」

「俺の家のしるしだ」

 ティガールは苦々しく答える。

「綺麗……」

「なんだって⁉︎」

「美しいと申したのです」

「気味が悪くないのか」

「不思議な現象だとは思います。でも、あなたの赤みを帯びた肌に青い色はとても映えます」

 レイフェリアは思った通りを答えた。そしてティガールの肌の上に遠慮なく視線を這わせる。もっとずっと見ていたかった。

「夜にしか表れないのですか?」

「いや、月の光を浴びた時だけ表れる……あまり見るな」

 ティガールは自分で服の袖を引っ張りながら言った。まるで少女のように恥じらっている。

「でも、今日の月は小さくて。もしかして、満月に近づくほど濃く表れるとか?」

「なっ、なんでわかる⁉︎」

「やっぱりそうか。それは特殊な顔料で掘られた刺青なのですか」

「……生まれつきだ」

「この紋様は……ずっと前にも見たような気がします……そしてつい最近も同じようなものを見たわ……それもあなた達が来てから」

「……」

「あなたの家はやはり、戦う獣と関係があるのですか?」

 ここまで見たからには聞かずにおれないと、真正面からレイフェリアは尋ねた。そういえば、南方領主家の紋章は並んだ三日月のようだと思ったが、鋭い爪にも見えなくはない。

 ティガールはしばらく黙り込んでいたが、やがて観念したようにぼそぼそと呟いた。

「あれは……我が家に()いた獣だ」

「憑いた?」

「姿は見えなくても、いつも俺たちの近くにいる……それだけだ」

「人を食べたりはしないのですか?」

「食べるか! あ……いや、余程のことがない限り人間は襲わない」

「……」

 ティガールは一瞬憤慨したように怒鳴りかけ、それから言い訳がましくもごもご下を向いてしまった。

 確かに北方領主家のそれと違って、南方領主家の特質は世に(はばか)るものだろう。しかし、ティガールの言うことが本当なら、叔父から聞いた話と異なる。彼は従者が殺されたと言ったのだ。

「余程のこととは?」

「い、家の者に危害が加えられる……とか」

 ティガールの声はますます弱い。しかし、レイフェリアは考え込んでしまった。

 とりあえず、ティガールの言を信用するなら、叔父は彼らの一族に何かよくない企みを南方領主家に仕掛けたのだ。その辺りの事情はわからないが、あの陰険な叔父のことだから、何か理由があればそのくらいのことはしそうな気がする。

 ──まだまだ知らないことが多すぎる。叔父から父の無念を晴らす助力を引き出すのなら、私が獣に襲われて、しかも逃げ切らなくてはいけないのだし。でも、そもそも私はイェーツ叔父のことを……

「信用してないのだわ……」

「本当だぞ!」

「え⁉︎」

 突然両腕を掴まれてレイフェリアは我に返った。

 どうやら物思いに(ふけ)っているうちに、何か誤解を与えてしまったらしい。すぐ近くに必死な色を浮かべた金色の目がある。

「あの獣はあなたを傷つけたりはしない!」

「え? あ、は……はい」

 出立前夜、アリーナの部屋から飛び出してきた獣は、彼女を何も害しなかった。別に若い娘をとって喰うという訳ではないのだろう。

「怖いのか?」

「怖い?」

「こんな……獣に取り憑かれた家に迎えられるのが」

「……え」

 ──そういうことか。

 もしかしたらこの瞬間も、どこかで自分たちを見つめているかもしれないのだ。あの、恐ろしくも美しい獣が。

「あれは……普段、姿はないんだ」

 ティガールはその考えを察したように言った。

「……どうなったら見られるのですか?」

「それは……言えない。でも、あなたに害は及ばない。約束する」

「……」

 しかし、叔父は自分を襲わせて獣が実在する証拠をつかめと言った。しかし別にそんな手段に頼らなくても、ティガールの気持ち次第では、獣に接する機会も見つけられるかもしれない。

「わかりました」

 レイフェリアの気持ちは、北の地を出ると決めた時に定まっていたのだ。

 これからの人生は自分で切り開くと。

「共に参りましょう、南へ」

「……だが」

「まだ何かあるんですか?」

「うん……」

 ティガールは憂鬱そうに下を向いている。

「それは一体なんでしょう?」

「我が城にはあなたの気を悪くするようなことがあるだろう……と思う」

「私の気を悪く?」

「北と同じく、南は南で閉鎖的なところがあるのだ。保守的な者も多い。よそ者は受け入れがたいと考える人間もいる」

「ああ、そういうことですか。でも幸い、私は理不尽な扱いには慣れておりまして。それにこの一件は国王陛下の推挙でございましょう? だったら私たちは、とりあえず割り切るしかないではありませんか」

 レイフェリアはさばさばと言ってのけた。物分りが良い女と思ってもらえるほうが、気を使わなくていいだろうと思ったのだ。

 しかし──。

「ああ、そうだな! その通りだ! それが俺たちの関係だからな!」

 急に気を悪くしたようにティガールは声を荒げた。ついさっきまで乙女のように恥じらい、レイフェリアの様子を伺っているように見えたのに。

「はぁ」

 ──なんで突然怒り出すのかしら、この人は。今回の件は国王の肝入りであると自分で言ってたのに。でも……。

 ティガールの皮膚に浮かんだ文様が僅かに色合いを変えているように見えた。

 もともと月の光が弱いせいか、近づかなければわからないほど淡いものだったのだ。だが今、少しだけ濃くなったような気がする。もしかしたら月光の他に感情にも影響を受けるのかもしれない。

 ──だとしたら、今この人は、なぜだか知らないけど私に怒っているのだわ。

 頬を取り囲む不思議な斑紋。男の態度には不可解だが、この紋様だけは美しく見飽きることがない、とレイフェリアは思った。

「そんな目で見るな!」

 突然腕が引かれる。

 顔が何かにぶつかる寸前、思わずレイフェリアは目を閉じた。

「……っ⁉︎」

 きゅう、と妙な音がする。自分の唇が吸い上げられているのだと、レイフェリアが気がつくまでに、ほんの少しの時間を要した。

 男の体温は高かった。そして更に熱いものがあることをすぐに思い知らされる。

「んぅ」

 噛みつかれるように唇が蹂躙されているのだ。

 ──喰われる!

 そう感じた途端、熱く濡れたものがレイフェリアをぺろりと舐めた。思わず背けようとした首を大きな掌にがっちりと掴まれる。動けない。

「甘い」

「な、なに?」

「甘いな。生意気な言葉を吐く口がこれほど甘いとは」

 そう言うと再び覆い被さり、あろうことか唇を割って侵入してくるものがあった。それは無礼にもレイフェリアの口腔内を我が物顔に暴れた。上顎も下も歯の裏側さえ思う存分味わわられる。

 彼の唾液は熟れた果実の香りがした。それは記憶の深いところで知る香りと同じような気がした。

 しかし、最初の衝撃から既にレイフェリアは立ち直りつつあった。

 男の太い腕が腰に巻きついているため、自由になる腕は片方だけだった。迷わずにその手を上げる。

 ぴしりと頬を打つ軽い音。口付けに夢中になっていた男には避けようがなかった。

「……俺を打つとは、あなたはやはり大した女だ」

 体を離したティガールは低く唸る。その声自体が獣のようだとレイフェリアは思った。

 掴まれた指が消えた。男が口に含んでしまったのだ。

 ──食べられる!

 と思った指先は、ねっとりと舐めあげられた。爪、指先、指の間、そして掌。唇と同じように、どこもかしこもじっとりとしゃぶられる。

 レイフェリアの手首を唾液が伝い落ちた。

「ここと違って指は冷たい」

 ここという言葉を補うように最後に軽く口付け、男はふてぶてしく笑った。

「……」

 レイフェリアは怒りで口がきけない。睨みつける紫瞳を嘲笑うように男は口の端をあげた。

「俺の城はさぞかし居心地が悪いだろう。だが、どうあってもあなたは我が城に居着かなくてはならない」

 青い斑紋を鮮やかに浮き上がらせた男は重々しく宣告した。

「逃れることは許さない」






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