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9 客人

「叔父上、参りました」

 階下の大広間の隣にある、領主の接見の()の扉の前にレイフェリアは立った。母とこの城を出て以来、この扉を見るのは初めてだ。

「入れ」

 今、この中に客人たちが集まっているのだろう。何年かぶりにレイフェリアが扉を潜ると、室内には三人の男がいてそれぞれの席に腰を下ろしていたが、一斉に立ち上がりレイフェリアに視線を集めた。

 皆、一様に肌の色が浅黒く背が高かった。そして少しずつ色味の異なる赤い色の衣服を纏っている。彼らが南からの客人なのだ。

 中央の大きな椅子にイェーツがゆったりと座っていた。彼は勿体ぶった様子で、組んだ指の中に尖った顎を埋めている。だがレイフェリアの眼中には叔父などいなかった。

 ──部屋の中央に立つ、大柄な男に目を奪われていたから。

 それは昨日、張り出しの下からレイフェリアを見上げた男だった。今は外套は羽織っていない。だからその全身がよくわかる。

 彼はこの部屋の誰よりも体が大きかった。北国の男たちは長身でも痩せているものが多いが、この男の体は分厚い。それでいて引き締まっている。腰など、肩幅に比べると細いくらいだ。昨日はフードで見えなかったが、豊かな髪はまとめられないのか首の周りであちこちに跳ね返っている。色は橙色に近い濃い金。この国で最も尊重される色合いだ。しかし珍しいことに、ところどころに黒い毛束があり、一層彼を豪華に見せていた。褐色に近い皮膚は滑らかで、身につけているものは他の男たちのものよりも一際赤く、装飾も多い。

 要するにどこから見ても非常に目立つ男なのだ。

 ──わざと髪をあんな風に染め分けているのかしら? だとすれば相当屈折した美意識の持ち主だ。悪趣味と言ってもいいかもしれない。

 それに。

 ──あの眼。

 部屋に入った瞬間から自分を見据えている、恐ろしく透き通った金の瞳。

 レイフェリアは、このところずっと金色ばかりを見ているような気がしている。

 ──この既視感はなに? 昨夜の夢のような記憶と重なる。これは偶然? いやでも……。

 男は眉間を寄せ、厳しい目つきで瞬きもせずにレイフェリアを見つめていた。不躾(ぶしつけ)だと思えるほどに。頭のてっぺんから足の先までを。

「……無礼な男」

 まるで品物を検品するような男の視線に、不愉快な気持ちがどんどんせり上がり、レイフェリアは口の中で悪態をついた。

「レイフェリア、なにをぼんやりしている、お客人に挨拶をしないか!」

「あ……」

 叔父の叱責にレイフェリアは我に返り、慌ててスカートをつまんで淑女の礼をする。

「……これは、失礼いたしました。お初にお目にかかりまする。私は前領主の娘、レイフェリアと申しまする。皆様方には遠方より、この北の地にようこそお越しくださいました」

 レイフェリアはノーザン家の名を敢えて伏せて名乗った。叔父に追放された身の上であると、暗に彼らに示したのである。

「方々、これは我が兄の娘である。ご存知の通り、兄は不名誉な罪により、私に北の領主の地位を譲って没した。故にこの娘は父の汚名を被って今はこの城には住んでいない」

 ──よく言える。

 これではまるで、レイフェリアが自分から出て行ったように受け止められるではないか。

「レイフェリア姫、どうぞ顔をお上げください」

 頭を下げたまま顔をしかめていると、渋い声が叔父の隣から聞こえた。

 ──姫? 

 レイフェリアはゆっくりと顔を正面に戻した。

 豪華な男はまだ自分を見据えているが、声はその後ろの壮年の男から発せられたようだった。

 彼は落ち着いた紅色の丈の長い上着を着ていた。腰や首にも赤い縞模様の布が巻かれている。こちらも立派な身なりだった。彼は大変(うやうや)しく腰を折り、そしてすぐに伸ばして言った。

「お初にお目もじ叶い大変光栄に存じます、レイフェリア姫。私はオセロットと申す者。南方領土の首府にある居城、蘇芳城の次席家令を仰せつかっております。今はただの従者ですが。そしてこちらが……」

 初老の男性が視線を中央に立つ男性に流した。それはレイフェリアをじろじろ見つめ、自分も先ほどから意識を向けている男だ。

「我らが(あるじ)、南方領主、リューコが後継、サーザン・ティガール卿でございます。姫様」

 ティガールと呼ばれた男は一つ瞬きをすると、一歩だけレイフェリアに歩み寄った。こぶしが握りしめられている。

「ティガールだ……見知りおくがいい」

 男は唸るような声で言った。レイフェリアの眉がピクリと上がる。

──なんて尊大な口のきき方! 私のことを見下しているの? それとも私に口をきくことが不愉快なのかしら? あんなに指を握りこんで……。

 男の視線の強さに負けないように、レイフェリアも丹田(たんでん)に力を込めて見つめ返した。

「こ、これ(あるじ)、姫君にはもう少し(うやうや)しく接するものですぞ! お顔も恐すぎます!」

「……む?」

 従者の言葉でティガールは我に返ったように、拳で自分の顔を擦っている。

「……いえ、かまいませんの。それに私は姫ではありません」

 レイフェリアは平静を装って軽く受け流した。こんなことで感情を乱していると思われたくなかったのだ。それに、さっきから姫、姫と呼ばれているが、領主の娘だった頃からそんな尊称で呼ばれたことなどない。家族はレイと呼び、召使いたちはレイ嬢様、レイフェリアお嬢様と自分を呼び習わしていた。もうどちらも長いこと呼ばれてはいないが。

「そうとも、お客人。気持ちはありがたいが、レイフェリアは人馴れしていない娘なのでね。体もそう丈夫ではない。あまり大げさなことは勘弁してやって欲しい」

 作り物のようなイェーツの声がレイフェリアの言葉を遮った。一生懸命愛想よくしようと努力している叔父と目が合う。叔父の目は余計なことを言うなと明確に語っていた。

 なるほど、とレイフェリアは思った。

 イェーツは南の客人のことを嫌っているのだが、自分の都合の悪いことは伏せておきたいのだ。彼らに、前領主の娘である自分を冷遇してきたと知られたくないのだろう。だから不本意ながら、レイフェリアをこの城に逗留(とうりゅう)させ、お下がりでも見栄えのする衣装を与えたのだ。

 その、時──

「レイ、レイフェリア……ひめ」

 低い声が彼女の名を呼んだ。

 その声にレイフェリアは我に返った。それは真ん中に立つ男から発せられたものだった。彼はずっとレイフェリアを見ていたのだろうか? 整った眉は寄せられたままだ。

「先ほども申し上げましたが、私は姫ではない故、そのような呼び方は無用に願います。ティガール閣下」

「……ならば俺も閣下ではなく」

 二人の視線がぶつかる。男は複雑そうな表情をしていた。さっきから一度も金色の視線が外れないのがどうにも居心地が悪い。

「ティガールと呼んでもらおう」

「……畏まりました、ティガール卿」

 さすがに呼び捨てにはできないので、レイフェリアは最低限の尊称だけつけて呼んだが、相手は大変不服そうに眉をしかめた。

「俺は……」

 男は自分の中の何かを探り出しているように、ゆっくりと言った。

「はい」

「あなたを南方へ連れて行く」

「ティガール様はそれをお望みなのでしょうか?」

 正式にはなにも聞かされていないので、尋ねるのは今しかないと考え、レイフェリアは思い切って問い返した。

「控えろ! 言葉使いがなっていないぞ、レイフェリア」

 すかさず叔父の叱責が飛んだが、レイフェリアはそちらを見ようともしなかった。ティガールも同様である。オセロットが取り成すようにイェーツに幾度も頷いている。

「俺は……そのために来た。あなたを我が城に迎え入れるために」

「花嫁候補として、ですか?」

「……そうだ」

「国王陛下に推挙されたから?」

「う……そ、そうだ。そうとも言える」

 なぜだか目をそらせて男は頷いた。周りの従者たちは心なしか、はらはらしているようだ。

「候補というからには、私だけが迎えられるのではないのですね?」

「親戚の娘が……いるにはいるが、まだ……」

「そうですか」

 ──やはりそうか。他にもどこかの令嬢が候補になっているのだろう。それでも……。

 南方。

 レイフェリアは想いを馳せる。

 肥沃な大地に流れる豊かな水。豊かな色彩をもつ動植物。赤っぽい石で作られた不思議な形の建物。大きくて荒々しい人々が暮らす土地。

「だが、この国の今の王は南と北の友好を望んでいる」

 ティガールは取ってつけたような口調で言った。

「はい」

 ──やはり国の政策の一環というわけか、この人もそう思っているのだわ。……まぁ納得はできる。そういう理由なら……私がこの人の花嫁に選ばれる可能性も高いのかもしれない。そこに愛はなくとも。

 愛など、もうずいぶん前に諦めてしまったものだ。父と、そして母の死以来。

「……南方はここからどのくらい遠いのですか?」

 ティガールに興味をなくした風で、レイフェリアは隣のオセロットに向かって尋ねた。

「はい。この北の地からだと、馬で一月ぐらいの旅になるのではないかと思われます。姫君……レイフェリア様には馬車を用意いたしましたし、これから気候も良くなるのでさほど辛い旅にはならないと存じます」

 オセロットはレイフェリアを励ますように微笑んだ。

「……それは随分遠いのですね」

 父が亡くなってからずっと孤独だったレイフェリアだが、この土地に未練がないかといえば嘘になる。痩せた土壌に厳しい気候。しかし、なんと言ってもここだけが故郷なのだ。北の領主の直系たちは先祖代々この土地で暮らし、そして死んでいった。

「大丈夫です! 俺たちがお守りします!」

 答えたのは今まで黙っていた若者だ。彼も背が高く、砂のような髪色の青年だった。瞳は明るく邪気がない。

「黙っていろ、ヒューイ」

「あっ! 失礼いたしました! 主様」

 ヒューイは、主であるティガールの不機嫌な声にも全く悪びれず、大げさな身振りで頭を下げるとレイフェリアににこにこと笑いかけた。

「ありがとう……それで出立はいつになりますか?」

「レイフェリア様にもご準備がおありでしょうから……そうでございますね、三日後くらいには出立しとうございます。できましょうか?」

 さりげなくヒューイの前に立ちふさがりながらオセロットが答える。

「三日、ですね。承知致しました」

「本当か!」

 大声をあげたのはティガールである。部屋中の人間の視線が彼に集中していた。

「はい?」

「あ……その別に……もし嫌だったら……い、いや、なんでもない。三日だな! 重畳(ちょうじょう)である」

 もごもご言いながらも、なんとか威厳を保とうとしているのがよくわかる。レイフェリアがじっとみていると、むっとした顔つきで視線を逸らした。浅黒い肌が、ほんの少し赤みを帯びている。

 ──この人は何を焦っているのかしら? 迎えに来たと自分で言ったんじゃない。

 無礼な男だが、案外表情が顔に出る。

 ──こんなに立派ななりをしているのに、なんだか子どもみたい。

 レイフェリアは、ほんの少し彼をおもしろく感じている自分に気がついた。




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