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 翌朝、早起きをして身支度をする。朝ごはんが出る前にシャイロックのもとへ向かった。どうせ眠っているだろうと検討を付けて部屋をノックすれば、返る声はない。そっと中をうかがうと姿もない。


 逃げたのだろうか。祈り手にどう説明しようと孤児院の中を足音を殺して歩き回る。子供のころからあまり変化のないこの場所は、フランフィールにとっては懐かしくまた複雑な感情を抱かせる。


 この孤児院の前に捨てられていたというフランフィールは、己の入っていた籠と産着それから名前の書かれた板しかもっていなかった。

 他の子たちにうまく馴染めず、仲間外れにされていた日々を思い出す。タイミングよく笑えないし、話すこともたどたどしい小さなフランフィールはだんだんと心を閉ざしていった。

 己の過去を思い出して憂鬱になりながらも子供の入り込みそうな隅までさがしてみる。


 屋根裏部屋の、東の窓から身を乗り出すようにしてシャイロックはいた。

 落ちそうな姿を見て慌ててシャツの裾をつかむ。なにをしているのだと大声を出しそうになって、まだ日も昇り始めたところなことを思い出す。

 振り返ったシャイロックはきょとんとしていた。


「何している」

「朝焼けってやつを見ようと思って」

「建物が密集している。ここからじゃ見えにくい」

「充分だよ。夜が明けるところ、初めて見た」


 シャイロックは興奮しているのだろう。ほほの血色がいい。そのままいかに朝焼けが素晴らしかったかを伝えてくる。

 夜の色が端から黄色く明るくなっていって空が七色に染まる。薄水色の空は湖の色にも似ていて、あっという間に時間がすぎた、と。楽し気に話すシャイロックに、フランフィールは不覚にも見とれてしまう。


「あんたの瞳の色とも似てるな」

「自分じゃわからない」

「絶対に似てる、すごい綺麗だった」


 はしゃいでいるシャイロックを見ていると、なんだか探し回っていた自分が馬鹿らしくなってくる。シャツから手を放し、距離を置く。

 睡蓮の乙女たるもの慎ましく、また何事にも冷静に対処しなければと頭が冷えてきたのだ。


「なあ、フランフィール。結婚して」

「お断り」

「なんで?」

「わたしは睡蓮の乙女。その後は導き手になるの」


 シャイロックが指をトントンとたたき出す。どうも考えているときの癖らしい。眉根を寄せて理解できないという顔をしている。


「その睡蓮の乙女、とか導き手、だと結婚できないの?」

「できない」

「やめることは?」

「睡蓮の乙女はあと1年しか役を勤められない。その後は導き手になる、予定。どちらも主様に仕える大役。わたしはそれを誇りに思っている」


 これはフランフィールの紛れもない本心だった。

 この国で主様に仕える役は睡蓮宮に勤める以外では祈り手になるしかない。多くの祈り手は本業を別に持っており、休日の祈りの時間に主様について話すといった簡単な仕事しかない。

 その上、女性の祈り手はほとんどいない。結婚して家庭に入ると祈り手としての役を全うする時間が足りなくなるそうだ。過去、導き手になれずに祈り手として市井に降りた乙女のうちでも祈り手になったものは数えるほどしかいない。


 フランフィールは自分のことをよく知っている。

 人付き合いがへたくそで表情だってろくに変わらない。融通の利く方じゃないし、商売だって向かないだろう。誇れることと言ったら手先が少し器用なだけだ。

 だから人生の目標は早いうちに立てた。睡蓮の乙女になって、導き手になって、叶うのならば導師になって、一生を睡蓮宮で主様に仕えて過ごす。


 悲観して立てた目標じゃない。

 主様の存在はフランフィールのほとんどすべてを占めている。

 信仰の度合いに差はあれど、湖岸の国の民に主様が好きでないものはいない。

 フランフィールも例外ではなく、子供のころから主様の話を聞くのが大好きだった。湖を見れば主様の姿を、影をいつも探していた。睡蓮の乙女の話を聞くたびに女の子でよかったと心の底から思ったものだ。


 睡蓮の乙女に選ばれたときには夢のようだと信じ切れずにいた。謁見室に呼ばれ、役を終えた乙女と交代する儀式を行っている最中にようやくこれが現実だと認識できたぐらいだ。


「主様に届いてなくても祈るんだ」

「主様に届いてなくても、あの場所で主様に祈れる、そのこと自体に意味がある」

「そんなに主様って大事な存在?」

「あなたもこの国で過ごせば分かる」


 シャイロックの言葉はフランフィールにとっては問題にもならないことだ。答えなんて考える間もなく決まっていて、主様がいかに偉大で素晴らしいかは心に根付いている。 

 シャイロックは少しうつむいて、それから顔を上げる。紫色の瞳がきらきらと輝いていて、なんだか嫌な予感がした。


「でもさ、俺の世話係はつづけてくれるんだろ?」

「それが勤めなら」

「導き手になる予定っていうのは?」

「選別試験を受けて合格すればなれる」

「じゃあ俺にもまだ希望はある!」


 シャイロックがガッツポーズをする。言われている意味が分からずフランフィールは真顔でそわそわするシャイロックを見つめた。ほこりが立つから足踏みだけはやめてほしい。


「フランフィールに言い寄る男はいない。先のことも決定していない。じゃあ俺は結婚してって言い続けるよ」

「なぜ」

「俺のことを好きになってもらって、将来設計を変えてもらうために」

「ありえない。それじゃ」


 一蹴して、フランフィールは屋根裏から降りていく。長話をしてしまったが、まだ朝ごはんも食べていないのだ。ここから寮まで帰って、朝ごはんを食べて、儀礼用の服をもう一度整える必要がある。

 今日も一番乗りで睡蓮宮へ向かいたいのだ。いつまでもシャイロックに構っている暇はない。


 お祈りの時間は心が休まる。睡蓮宮でいつも通りの日常に戻って、フランフィールはほっとした。シャイロックと話していると、当たり前のことが当たり前じゃないといった、常識をひっくり返されている気分になる。

 精霊のいたずらですかね、と呟いていた丸メガネの学者を思い出す。そうだったらどれだけいいか。


 お昼はレーデシェスカと舟を並べて一緒に食べる。サンドイッチを頬張り、フランフィールはじっと黙っていた。レーデシェスカが心配そうに声をかけてくる。


「フランフィール。導師様はなんて?」

「本当に嫌だったら祈り手様に頼むって」

「あら。難しいことを言われたわね」


 レーデシェスカはフランフィールが導き手を目指していることをよく知っている。ここで音を上げれば選別試験でマイナス評価が付きかねないという危惧を正確にくみ取ってくれた。


「やれることをやるだけ」

「そう」


 レーデシェスカは決してフランフィールを止めない。その思いやりが今はとてもありがたかった。


 午後の勤めを終え、真っ先に岸へと向かえばやっぱりシャイロックが手を振っている。昨日もおとといも見た頭が痛くなる光景だった。櫂を漕ぐ手を早くする。


「フランフィール、おかえり!」

「シャイロック。なにしにきた」

「あんたに求婚しに来た。結婚して」


 ざわり、周りの乙女たちがさざめく。フランフィールの答えなんてひとつだ。


「お断り。早く帰って」

「道が分からない」


 仕方なしに送っていったあと、寮の部屋へと閉じこもる。乙女たちから浴びせられた好奇の視線がまだ刺さっている気がする。湖からの客の世話係というのは思いのほか疲れる勤めらしい。

 フランフィールは少しだけくじけそうになった。

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