3
シャイロックはそのまま国の宿に押し込められた。国中に興味津々といった様子で、いますぐにでも出ていきたいといった様子の青年を止めたのは導師の言葉だった。
「今後のことはこの子、フランフィールが明日案内に来ます」
「あ、はい」
「お疲れでしょうし、今日はくれぐれも大人しくしていてください」
大人しくしていなければ放り出す、とその後に無声で続いたようにフランフィールには感じられた。シャイロックも思うところがあったのだろう。神妙に頷いて部屋に閉じこもった。
導師に連れられて行ったのは王城だった。王への報告を、と謁見室に連れていかれ、見つけた状況を説明する。導師は青年を湖からの客としてもてなす、との報告をした。よきにはからえ、とは王の回答である。
睡蓮の乙女に選ばれたとき以来の謁見室で正直緊張したし、この時点でもうフランフィールはいっぱいいっぱいだった。
しかし導師の足はとまらない。
「この後はどうされるのですか」
「文献室に向かい、湖からの客で人が流れ着いた件の参照を行います」
「文字として残っているのですか」
「若い頃読みました。探すのを手伝ってもらいますよ」
「はい、分かりました」
ここまでくるとなんで自分が、という意識がすっかり抜けてきていた。すべては湖の平穏のため、主様のため。文献室で資料の山をあされば、あっさりとそれはでてくる。
「読んでみなさい、フランフィール」
「湖から人が来たのをもてなしていたが、つまらない嫉妬であるとき疎遠になり恵みも耐えた、とありますね」
「それ以上詳しい話はでてこないでしょうね」
丸メガネをかけた学者が続ける。おそらくこの湖からの客はなにかを湖岸の国にもたらしていて、こちらの落ち度でそれがなくなった、と。古い話としては世界中にありふれた話でもあるらしい。
「なんでしょうね、湖の精霊のいたずらでしょうかね」
丸メガネの学者は今回のことをそう評していた。精霊たちはいたずらをする、とは伝承によくある話だ。導師はそれには答えずフランフィールを見る。
「フランフィール。過剰にもてなす必要はありませんが、落ち度があってもいけません。彼をいつまでも宿に閉じ込めておくことはできないでしょう」
「そうですね、導師様」
「あなたには乙女としての務めと湖からの客の相手、両方をこなして頂かなければなりません」
「導師様、そりゃ無茶ってもんですよ」
「いえ、やります。それが勤めでしたら果たします」
フランフィールの口からは自然とそんな言葉が出ていた。先ほど宿で別れたときのしょんぼりした顔。あれを見たらじっとしていろとは言っていられない。
それに文献も気になる。なにかしらの恵みが絶えるのが睡蓮の乙女の落ち度だなんてことがあっていいはずがない。
「乙女さん……」
「日中は、祈り手様のところへ預けてはいけませんか?朝夕に確認しに行きます」
「伝手はあるのですか」
「私の育った孤児院の祈り手様はお年を召しております。男手があれば喜ぶでしょう」
「ふむ」
丸メガネの学者が導師をじっと見る。フランフィールも祈るような気持ちで導師の言葉を待った。
「あの孤児院なら湖から近い。いいでしょう。孤児院へは私の方から話をしておきます。あなたはシャイロックへ説明を」
「ありがとうございます」
詰めていた息を吐いて、深々とお辞儀をする。この時、フランフィールは疲れですっかり忘れていた。シャイロックが彼女に求婚していて、諦めた様子がないことを。
すべての用事が終わって寮に帰ったころには夕食の時間をすぎていた。
一人で用意された食事をとっていると、レーデシェスカが来て隣に座る。
「今日は大騒ぎだったみたいじゃない?」
「疲れた」
「もうちょっと話をしてよフランフィール。どんな人?」
「銀色の髪に紫の目。あとちょっと変」
「あなたにそう言われるなんてよっぽどの方ね」
レーデシェスカが笑う。
ちょっと物語の中の王子とか精霊に似ていた、と伝えた。冷めきった葉野菜のスープを飲みながら、じっとレーデシェスカを見つめる。
「みんな年頃だから興味津々なのよ。私その代表」
「だったら代わって。世話係になっちゃった」
「あら、いいじゃない。素敵な相手だったらそのまま結婚してもいいし」
パンが気道に入ってむせる。急いで水に手を伸ばせば、レーデシェスカがとって渡してくれた。ついでに背中も撫でてくれる。
「わたしは導き手になるの。外にはでない」
「もったいないわ、可愛いのに。お勤めだってあと1年じゃない」
「あと1年しかない」
「これが終わればどんな相手とだって結婚できるのに。相変わらず主様に一途なのね」
レーデシェスカはフランフィールの同期だ。結婚活動の一環として睡蓮の乙女になったと言ってはばからず、にこにこと愛想のいい美人と町でも評判がいい。
睡蓮の乙女はそのストイックな生活を称えられ、勤め上げれば結婚相手には困らないというのがこの国の常識である。
けれどフランフィールは主様に仕えていたいのだ。睡蓮宮に残るには導き手になるしか道はない。結婚なんてもってのほかだった。浮かんでくるシャイロックの顔を振り払う。どうせ人の気は変わる。なびかなければいいだけだ。
翌日の午前の仕事はシャイロックの世話係に回された。睡蓮の乙女になって初めて一番乗りじゃなくなった日。フランフィールは若干不機嫌だった。
これも仕事、と呟いてヴェールを被り、昨日の宿へと向かう。ノックすれば、昨日の服のままのシャイロックが若干青い顔で出てきた。左手にはきちんと包帯がまかれている。
「生きてる?」
「おはよう、生きてる。なんか寒いけど」
そういえば昨日、水に落ちたまま舟に乗せたなと思い出す。風邪の引きはじめだろうか。祈り手にその件を伝えておかなければ。心の中のメモ帳に記す。
「あなたには、孤児院にいて貰うことになった」
「俺はあんたと同じところにいたい」
「いい祈り手様だから安心して」
「待て、それは男か」
「おじいさん。いいから行こう。あなたには休息が必要だ」
宿屋をチェックアウトして、大通りを抜けて広間に出る。蜘蛛の巣みたいな道をくねくねと曲がれば、件の孤児院にあっさりとついた。シャイロックは道が分からないだろうから後日改めて説明するかしなければならない。
「祈り手様、いらっしゃいますか」
「待ってたよ、フランフィール。そちらの方が湖からの客人じゃな?」
「はい。名をシャイロックと言います。申し訳ないのですが、風邪の引きはじめのようなので早々床をに用意していただいてもよろしいですか?」
「おや、それは一大事」
久しぶりに会った祈り手との挨拶も早々に、部屋の準備を手伝う。昨日のうちにできるところまでやっておいてくれたらしい。リネンを広げるだけで眠れる部屋になった。
「シャイロック、挨拶は元気になってからでいいから今は眠って」
「えーと、あんた」
「夕方にはまた見に来る。大丈夫」
なにが大丈夫なのかはフランフィールにも分からない。けれど、今のシャイロックは病人に片足を突っ込んでいるのだ。早々に休んでもらわなければいけない。安心させるために言葉を重ねる。
「わたしはフランフィール。あなたの世話係。朝夕には必ず見に来る」
「俺に会いに来てくれるのか、フランフィール!」
「大声をださない。仕事だから」
「それでもいい。ときめいた、結婚してくれ」
「お断り」
ベッドに入ったのを確認して、ここでの暮らしを簡単に説明する。基本は孤児院だから子供しかいないこと。分からないことは祈り手に聞けばいいこと。孤児院はカツカツなので元気になったら手伝いをしなければいけないこと。
思いのほかシャイロックは真面目に聞いていた。
「弱っているうちは素直に休んでおいて、元気になったら働いて」
「今の奥さんみたいでいいな」
「馬鹿なことを」
「弱っているんだ。見知った人がなびいてくれたらよくなる気がする」
「口だけは達者。それじゃ」
祈り手のところに顔を出す。話をしてみれば、だいたい導師と決めごとは作ってあるらしい。左手の包帯に代えが必要そうだと伝え、昔語りになる前に早々に退散した。
なんといっても午後からは睡蓮宮に通えるのだから。