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カガミ少年少女

作者: 一倉

初投稿作品です。

至らぬ点があるとは思いますがご了承願います。

 薄汚れた雑巾のような空が一日続き、我も我もと求愛していた者達もツクツクと鳴くだけとなって久しい。そんな日だったと思う。

 HR前の朝、教室で自席に着席していた僕は誰と話すでも何に注目するでもなく、ただ前を意味もなく見ていた。

 周には重なり合って意味をなさなくなった声がBGMとして流れている。

 その中で一つ声が大きな音を立ててBGMから飛び出し、笑い声という意味を持って耳に届く。

 何に注目していたわけでもない、宙に浮いた意識はいとも簡単に発声源へと吸い寄せられていった。

 教室前方の女子数人が会話に花を咲かせているようで、顔に笑顔が張り付いている。

 いつもならすぐに意識は宙に戻るのだがその時は違った。さらに引き寄せられたのだ。一団の中の一人の少女が浮かべる笑顔に。

 それは他の貼り付けられた笑顔らしい笑顔とはどこか違い、惹かれるものがあった。



≪私は気づいてしまった。楽しくないのに笑い、悲しくないのに泣く、他人の顔色に合わせて表情を変える自分はカガミのようだと。思ってしまった。カガミのような自分は嫌だと。カガミから人に戻りたいと。その時から違和感というヒビがカガミに入った≫



 彼女の笑顔に惹かれた次の休み時間、僕は友人とアイドルの話をしていた。いや、聞いていた。

 推しメンがどうだとかこうだとか、まるで興味はなかったが友人が喜べば喜び、残念そうにすれば残念そうにする。友人との会話といえばだいたいがこんな感じで、僕は聞き手に回ることがほとんどだった。

 客観的にそれでいいのかと思われるかもしれないが、僕自身友人とのこの関係に不満はない。

 だから僕が話をちょいちょい聞き流し彼女を盗み見るようになったのは、友人が原因というわけではない。

 彼女の笑顔をまた見たくなったのだ。

 なぜ惹かれたのか知りたかった。

 高校一年から二年に上がり彼女とクラスメイトになってから、既に二つ季節を過ぎようとしている。彼女の笑顔なら何度か目にしていたはずだが、特別彼女と仲がいいわけでも人となりを知っているわけでもない。何も知らないままに僕は彼女の笑顔を求め続けることとなる。



≪いつからだろう私がカガミになったのは。心から笑って泣いたのはずいぶん前のこと。どうやって笑っていただろう。どうやって泣いていただろう。私はそんなことさえ忘れてしまったのか。鏡に向き合い作った笑顔は引きつっていた。何日も何度も笑顔を作った。でもダメだった。頬が引きつって上手く笑えない。こんな不自然な笑顔しかできない人に戻るぐらいなら、愛想笑いの出来るカガミに戻ってしまおうか≫



 彼女の笑顔を盗み見るようになってから数日経った頃。

 まだ惹かれる理由は分かっていなかったが、彼女が笑うタイミングはなんとなく分かってきていた。

 仲のいい女子と話をしているときが多く笑っているようだった。彼女は話し手というよりは聞き手のようで、話すより相槌を打っていることが多かった。

 逆に一人のときは笑顔になることはなかった。本を開いていることが多い。席に座ってただ黙々と読書。

 なんとなく僕は自分と彼女は似ていると感じた。友人の話を聞き、友人の顔色で表情を変える。そんな自分と同じかもしれないと。

 もしそうなら、僕が笑顔で彼女と話をすれば彼女は僕に向けて笑ってくれるかもしれない。そんな考えが浮かんだ次の瞬間にはどうやって実行するかを考え始めていた。

 実行するには自から笑えなければいけないと、試しに笑顔を作ってみた。

 休み時間の暇つぶしに寄ってきた友人に不気味に笑ってどうしたと言われてしまった。

 僕には笑顔を作る練習が必要なのだと強く感じた。



≪手鏡を片手に引きつった笑顔を浮かべる少年がいた。彼は何度も笑顔を浮かべるが上手く笑えていないようで。その姿は人に戻ろうとしていた私に似ていた。彼も私と同じカガミなのだろうか。……いや、私とは違う。彼は引きつっても笑い続けている。もしかしたら戻れるかもしれない。彼が人に戻れたなら、私も……≫



 鏡に向かって笑顔を作る日々が続いた。成果はあまりなく引きつった笑みしか出てこなかった。

 僕を見た友人からは、歯に物がはさまったのかだとか、虫歯になったのかだとか心配されてしまった。鏡に向かって口角を上げて笑っているのが、歯の様子を気にしているように見えるらしい。

 笑顔を作る時に口元を開くのはやめた方がいいのだろうか。それ以前にもう笑顔を作るのをやめようかと思い始めていた。

 練習するうちに慣れてくると思い続けていたが、一向に自然な笑顔を作れていなかった。

 長い間愛想笑いしかしてこなかった僕がたかだか数日で笑えるわけがなかったのだと落胆した。

 ふと彼女へ目を向ける。

 ちょうど彼女は笑っていて、やはりそれは他者のとは違う不思議と惹きつけられる笑顔だった。

 もし上手く笑えたらと想像した。

 僕が彼女との会話で笑顔を浮かべ、彼女も笑顔になる。今まで傍から見るだけだった彼女の笑顔を一番近くで見られる。

 そんな場景を思い描いた。

 友人に話しかけられ現実に引き戻された。

 また虫歯の心配だろうかと思っていると、何かいい事でもあったのかと聞かれた。どうしてそう思ったのかと聞き返したところ、どうやら僕は笑っていたと言うのだ。

 もちろん意識して作った笑顔ではない。どうしてと僕の頭の中は乱雑な本棚のように疑問という名の本が整理されず溢れかえった。

笑っていたとき僕は想像していた。彼女と笑顔での対面を、笑う僕に笑う彼女を。

 もし笑顔になれたら、もし笑顔で彼女と体面できたら、もしその笑顔で彼女も笑顔になってくれたら、嬉しいと思う。

 意識して分かった。僕は笑っていた。

 人は相手の笑顔を見たくて……、笑顔の自分を見て相手にも笑顔になって欲しいと願って笑うのだろう。それも無意識に、常に。

 唐突に生まれたこの考えが正解かどうかは分からなかった。ただ自分が辿り着いた答えなのだと思えるほどに納得していた。

 自分は友人に合わせて笑っているだけなのだと思っていた。だがそれだけではなく、僕も友人もお互いに笑顔を見たい相手だったからこそ笑い合えていたのかもしれない。

 だから想像の中で笑えていたように、彼女の前に立ったとき僕は自然に笑顔を浮かべることができる。そんな確信が生まれた。

 自分と似ていると思った彼女もそうだとするなら、僕が笑えても彼女は笑ってはくれないかもしれない。彼女にとって僕は笑顔を見たい相手ではないかもしれない。

 それでも僕は彼女の笑顔を見たいと思った。

 すぐにでも彼女の前にと席を立ってみたが、勢いがあったのはそこまでだった。冷静な自分が戻ってきて大きな問題を訴えかけたのだ。

 いったいどうやって、どういう風にして彼女の前に立てばいいのかと。

 僕と彼女はクラスメイトだということ以外、接点が何もないことを忘れていた。



≪なんで、どうして。彼は鏡と向き合うことをやめてしまった。あんなに練習していたのに、諦めずに続けていたのに、今は難しい表情を浮かべるばかり。変われたならと期待していたのに。私は勝手だ。彼を責めることは出来ないのに。思わずにはいられない、どうしてと≫



 今、僕と彼女は学校の図書室にいる。

 僕は読書席に座り返却予定の文庫本を机の上で弄くり回し、思い出したかのように彼女の様子を伺う。そんなことを何度も繰り返していた。

 彼女はというと貸出・返却カウンター内で利用者の対応を真面目にこなしている。

 ここへ来たのはまったくの偶然だった。

 クラスメイトとはいえ今まで声をかけたことさえない彼女にどうやって話しかけるか、いったいどんな話をすればいいのか、彼女の前に立つと決心したときから考え続けていた。だが良い案は思い浮かばなかった。代わりに思い出したのは未返却の文庫本の存在だった。笑顔の練習に没頭するあまり忘れていたのだ。返却期限は今日まで、思い出せたのは運がよかったと言える。

 そして今さっき図書室へと返却しに来てみれば彼女がいたというわけだ。

 そういえばと今更になって彼女が図書委員だったことを思い出す。何度か貸出の時に対応してもらった記憶が出てきた。肝心な時に必要な記憶というものは出てこないらしい。

 それはさておきこれはチャンスだ。本を返却するという目的で堂々と彼女の前に立つことができる。

 あとはなんと言葉をかければいいのかだ。こんにちは、放課後にクラスメイトへかける言葉としてはどうだろう。やあ調子はどうだい、いきなり何を言ってるんだと思われるだろう。ここは普通に返却手続きを頼んで、返却を忘れそうだったと話を繋げるべきか。本当にそこで僕は笑顔を浮かべられるだろうか。

 頭の中がぐるぐるしいるが、チャンスを得た今こそ行動しなくてはと文庫本を片手に席を立つ。早足気味に一歩一歩カウンターへ近づき、連動しているかのように胸の鼓動も早まる。もう少し、あと少しと思っている間にあっさりとカウンターへと辿り着いてしまった。


 彼女が僕の前にやってくる。受付当番なのだから当たり前だ。

「あ、え~っとこの本を返却で」

 とっさに出てきたのは何の面白みもない驚くほど普通の言葉。

「え……」

 僕を見る彼女は驚いたような表情になり、僕はなにか驚かせるようなことをしたのかと不安がよぎる。

 だが、それも一瞬のこと。

「はい、お預かりします」

 手を伸ばし文庫本を受け取る彼女には笑顔が浮び笑窪が出来ていた。

 瞬く間に目標が達成され構えていなかった僕の頭は沸騰して、話題を振ることも出来ず早々に立ち去ろうとした。

 後ろから声が届く。

「ちゃんと、ちゃんと笑えてたよ。私も貴方みたいに笑えるかな?」

 沸騰している頭で彼女がなんでそんなことを言ってくるのか分からなかったが、ただ答えなくてはいけないと振り返る。

 カウンター越しの彼女の表情は見たことがなくて、困っているのか悲しんでいるのか判断はできない。ただ文庫本を受け取ってくれた彼女は確かに笑顔だった。

「笑えてるよ。だから僕も笑えたんだと思う」

 僕の答えを受けて彼女は自身の頬に触れる。

「じゃあまた明日」

「……うん、また明日」

 軽く手を振る僕に彼女も一拍おいて振り替えす。

 彼女は笑顔で僕もきっと笑顔だ。

 ふと思う。

 僕が彼女の笑顔に惹かれたのは似ているからというだけではなくて、彼女の笑いたいという想いが滲み出ていたからかもしれない。



≪諦めてなんていなかった。彼はちゃんと笑えてた。決め付けたことが恥ずかしい。だけどそれ以上に私は嬉しかった。彼の笑顔を見られたことが。私が笑えたのはそのおかげ。今はまだ恥ずかしくて言えないけど、いつの日か彼に伝えたい。ありがとうと≫



 回転クリーナー26号によって清掃された空は青く眩しく、そして肌寒いほどに風通しがいい。今日はそんな日。

「おはよう」

 HR前の朝、後方の扉から教室内に入った僕に聞き覚えのある声が届く。

 視線を発声源へと向けるとそこには笑顔の彼女がいた。

「おはよう」

 僕は挨拶に答え、そのまま自席に向かう。

 彼女もすぐに女友達との会話に戻った。

 席に着くなり友人から今日もご機嫌だなと冷かされ、僕は天気が良いからだと照れ笑う。

 今日は図書室に行こう。係りは彼女だ。


                  END

最後までお付き合いありがとうございました。

ご感想お待ちしております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今となっては遠い学生時代。霞がかかってあまり覚えていませんが、そんなこともあった気もするなぁとしみじみと思ったり。懐かしさを感じました。
[良い点] 鏡か、面白いなーと感じた。 相手に合わせるときは、たしかに鏡みたいだ。 共感を求められる学校という空間ならではの感覚かも。 社会も変わらないけど、学校よりは、まだ自由か。 台風をクリーナ…
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