それでも良いのなら。
繭樹さんは逃亡。他の連中も行方知れず。姉さんと廉太郎は逆茂木君と脱出。コトの顛末を簡潔に云えばそんなものだ。取り合えず事態は終息した。
僕にはもう出来る事など無い。お巡りさんに聴取を数回受けたし繭樹さん等の捜索もしてもらったが、効を奏さず。
姉さんは僕を家に上げる様に母さんに強く言った。でもこんな事件があったなら余計家には上げられないとは当の母さんの弁。荷物を纏めて家に上がる寸前で突き返されるのは嫌がらせも良い所だ。元の古い安アパートに戻る。
やることも無いのでその辺をぶらぶら。足取りは長年の暮らしでパターン化されているのか。ゆっくり、歩道に沿う線路を辿って何処かへ。曇り空を背景に黒く映る送電線。金属同士が小突き合うカタン、コトンと云う音。電車が僕を追い抜く。
歩き続けた先には嘗て通っていた中学校があった。僕が通った最後の学校。良い思い出はそれほど無かった記憶が有る。
夕方とか呼ばれる時刻なので生徒達も出てこない。部活動生が校庭を走り回っている位だ。
敷地を囲むフェンスに体を寄り掛からせて、何となくそれを見る。
校庭。
「そういえば、繭樹さんに無理矢理されたのも此処だった気がする」
誰にとも無く言った。
後ろからの視線に完全に気付いてしまった若かりし頃(?)の僕。校庭にある倉庫の壁まで追い詰められて、彼女は、首に手を掛けながら唇を、
…止めておこう。もう知らぬ。身を翻し過去の墓場とさよならバイバイ。
「被害妄想も甚だしい。あの生徒がそんな事をする訳が無い。後で指導室に来い」
「お前、そんな連中集めてどーすんの?優しさも其処まで来ると偽善者に見えるぜ。気分が悪い。あんまり近寄るな。お前の『犬』共は他人にゃ懐かねぇ、咬まれたらたまらん」
「先輩、御免ね」
「姉を見倣え。」
墓に葬られた記憶、亡霊もとい残響が僕の足を掴むが、止まる事無く僕は歩道を歩いて行った。
今更だけど事件後にぶらつくのも阿呆だなと思った。しかし足取りは遅くもならない。
…………………この先は。
高校か。気付いたら校門前。
校舎の窓から蛍光灯の光、吹奏楽部のラッパの音が漏れている。此処からでも分かる位賑やか。
そう、賑やかだ。
適度に勉強して、
遊んで、誰かと一緒に帰って。
きっと、そんな事はもう、無い。
煩わしいとさえ思って事が恋しくなるなどいよいよ末期だね。もしその場に居たとしても混ざれやしないか。
また背を向けてさようならバイバイ。また何時か。校門前の溜池横にあるボロッボロの歩道を歩いた。
横断歩道を渡った。それから急な斜面を降りる。
「もう、彷徨いて良いのか」
女声。
振り返れば、僕の目の高さに女の人の胴。見上げる。
彼女は居た。首を曲げて僕を見下ろし、曇り空と黒々と映える電柱の群を背景に。綺麗だと思った。
「若干未だ危ないかなーと思う。」
そう東口サンに返した。
「かもな」
「そのカッコは」
彼女の私服姿をそこまで見た事は無かったが、何となく今の格好は気になった。
東口サンはだぼついたタイガーストライプのズボンを穿いて、上は水牛(多分)の頭骨が描かれた灰色のシャツを着ている。手には泥の付いたスコップを持っていた。靴はゴム長。
「何だろうね。まあ、此処等蛇出るからな」
だからゴム長とダボダボズボンなのか。スコップはまぁ、言うまい。
「そう言うならそうなんだろうね。」
歩きながら話す。
「繭樹、見付かんないってな」
「らしいね。怖いな。」
「あのまま拘束しときゃ良かった。でもお前が真っ先に飛んでっちゃうからパトカーも呼べなかったしよ」
確かに。大分ポカやらかしたかも。
「ごめんなさい」
「良いよ。どうせ捕まっても直ぐ出てきてリベンジマッチだ。」
「………」
「それこそ、殺しでもしない限りは永遠に」
東口サンが云うと冗談に聞こえない。苦笑いする。
「本気にすんなよ。ジョーダンジョーダン」
「おっかないわ」
東口サンはポケットに手を突っ込んで僕に付いてくる。踏切近くのT字路を右に曲がる。彼女が止まって、僕の方へ顔を向け言った。
「神崎?家此方だろ?」
「アパートのままなんだよね。追い出されちゃった。ま、家族も危なくなるし、仕方ない仕方ない」
触れられたく無い事だ。淡々と返したつもり。
「はァ?お前黙って引き下がったのか?」
東口サンは眉を潜めて少し目を開いた。
「えぇ…いやー、ちゃんと考えた上でだよ?うん。」
自分が納得出来る様に、言い聞かせる様に言ってしまった。彼女は耳ざとくそれを察知したのか、更に語気を荒げた。
「お前はそれで良いのか?独りで怯えて、誰にも認められないで!仕舞いには家族にも鼻つまみ者にされて!」
「良いわけ無いだろ」
「…っ。」
「僕だって嫌だよ。だけど無理矢理上がり込んでそれからどうする?言わずとも分かるだろ。」
彼女は何も言わない。ただ、次の一言を待つ。
「処置無しだよ。」
「済まない。」
「分かって呉れれば良い。」
東口サンは元の読めない表情に戻る。僕とまた歩を進めて、アパート前。外付けの階段を登って、部屋の鍵を開けた。
ドアノブを掴んだ時、振り返って一言。
「君は何で僕についてくるとね?」
「…暇やけんさい」
遊びたいなら遊びたいって言いなよ。素直じゃない彼女に少し笑う。
「まぁ、上がって。あ、スコップはソコ」
東口サンはちょっと嬉しそうに僕の部屋に上がった。紐で引っ張るタイプの電灯に手を伸ばす。暗い部屋で細い紐を捕まえるのはかなり困難だ。少し手を動かして、有ったと思えば何処かへ行く。
すっと上から腕が伸びて紐を掴み、カチャリと引いた。パッと灯りが点いて網膜を痛めつける。
「お前、鳥目だな」
うん、有難うと応えた。
「夕飯は」
「後で良いよ、後で」
「へぇ」
彼女は僕の話を聞いているのか。
そのまま小さな台所のこれまた小さな冷蔵庫を開けて物色を始めた。おーい、恥ずかしいから見ないで。
「遊びに来たんじゃ無いのかよ」
「飯食ってから遊ぼうや」
東口サンは野菜室を見終わると「この前餃子買ってたよな」と言って冷凍室を開け、餃子を手際良く引っ張り出した。
「米も冷凍してるよ」
奥を指差す。優柔不断だ僕。
夕飯食べてく位なら違う日に遊んだが良いんじゃないのか?
「フライパン」
「あいコレ」
「野菜有るだろ、炒めるか」
「フライパン一つしか無い。洗ってサラダにでもする」
自然と作業を分担して夕飯を作ってしまう。その手際の良い事良い事。ざっと一時間掛けて旨そうなのを作りましたとサ。
「「いただきます」」
餃子かっ食らって米を掻き込む東口サン。滅茶苦茶早く食うなコイツ。
「噛みなよ。」
「ん"ー」
曖昧に頷き彼女は温めたご飯入りタッパーを引き寄せ新しく米を茶碗に盛り、また餃子と合流させて補給を再開した。
早い。凄まじい速度で口の中の物を噛む。しかも変わらずポーカーフェイスで少し怖い。
僕のが無くなる。元々結構有ったのに両手で数えられる位である。全部食われるのもシャクなので自分の分を取ろうとすると、彼我の箸が同じ餃子を掴む。そのまま彼女は餃子を持ち上げ、口へ運ぶ。
僕はこの時箸に力を込めており、手を離すのが遅れた。何が起こるか。
ガリッガリギガギガリガギガギガリガリゴッガッギリギリガッギリ
「ヒャッ」
コイツ箸ごと食べる気か!?て言うか喉喉。どうやって箸を奥まで
「おぉう!?」
我に返る東口サン。口から箸を出してゲホゲホと咳き込む。
「餃子でトリップするんじゃない」
「サーセンサーセン」
それから黙々とご飯を食べ御馳走様でした、を彼女が先に言った。少し遅れて僕も言った。
それから皿を洗って、適当にゲームをして、ジャケ買いしたCDを流したりして過ごした。
僕等は聴くに堪えない臭くて綺麗な歌詞に閉口した。もう少し破壊的なジャンルのアルバムでバランスを取ろうとした時に、思い出した。今日一日、東口サンに会ったら最初に言おうと思った事。
「東口サン」
「何だ?アルバム無かった?」
「有り難う。」
「あ?」
「ずっと前から、助けてくれて、有り難う。有り難う御座います。」
彼女は一瞬キョトンとしたが、気にするなよと笑った。
※
「高卒資格を取ろうと思う。」
「何で」
「僕もいずれは自立する身だ。今送られて来てるお金も止まったら本屋でバイトだけじゃ無理だ」
不安が有った。母さんも父さんも今回の件を心底不愉快と受け止めていて、生活費も渋り出したと姉さんが言っていた。
「そんなの取らなくて良い」
そう言う東口サンの顔は少し寂しそうだった。
「風季と逆茂木も付き合い始めて、合う回数も少なくなって来た。寂しい。まあソレは良い。彼奴にカレシ出来んのは良いことだ」
「でもお前に会えなくなったとしたらわたしの寂しさはその比じゃない」
「そんな重要な位置なの僕」
でも困るんだよなぁ…
「西口さんと北口さんは」
「んなモン知らん。」
はァ…
「チッ。生活費なんてわたしが稼ぐから。だから」
ちょっと待てィ。何故東口サンが生活費を稼ぐ事になっている。
「何で君が僕のを稼ぐんだ」
「…………………。」
思いきり三白眼で睨み付けてきた。うぉお…。僕が何をしたんだ。
「な、何さ?」
「面倒臭いし、回りくどいからもう言うわ」
「わたしは、お前の事が、好きだ。」
「どうしてそうなった」
四曲しか収録されていないアルバムが三周目に入る。向かい合う僕等の緊張感が最高潮を迎える。
「えぇ…困ったな……ちょっとタンマタンマ」
「お前が好きだ。もう本当に。狂おしい位に。本気で」
「別に嫌じゃないよな、うん?…おーい」
「満更でも無いですが…散々良くして貰った上に告白とか良いのかな」
「気にすんなっつってんだァ!別に今が初めてじゃ無ェだろ?ほら、中学ん頃さ」
思い出した。然り気無くされたぞ。恥ずかしい。まさか忘れてたとは。
「うん、思い出した。」
「だろう?だろう?アレでも結構度胸が要るんだって!二回目と言えども慣れないもんだな、告白ってのはァ!」
そこまで言うとハーハーと荒く呼吸する。僕がOK前提なのか。
確かに、今まで彼女以上に一緒に居て楽しい人間は居なかったし、好意を抱けた人間はそうそう居ない。僕も凄く魅力のある人だと思う。言葉遣い荒いけど。
告白して呉れたのは本当に嬉しい。この上無く。
「でも僕には何も無いよ。こんな僕で良かったら…」
うつむいてその言葉を放った。落伍者の僕を、惨めな僕を好きになって呉れて有り難う。
その時、笑い声とも付かない声が聞こえた。吐息かも知れない。優しく突き飛ばされた。レコーダーの電源が切られる音。重量と圧迫感がして、面を上げると、其処には。
僕の上に乗る、東口サンの姿が有った。
※
「一応、警告はしたんだよネ…ライター借りるよ」
眼鏡を掛けた男が煙管に火を点す。
要次のバイト先の店長、伊藤サン(33歳既婚)である。
「なーんか、分かって無かったかなー。多分別の奴の事だと思ってたんだろね」
«「おい神崎君、ちょっとお話ししよう」
バイトが終わり帰ろうとした要次に伊藤が吹かしていた煙管を口から抜いて声を掛けた。
「何でしょうか?」
怪訝な表情で振り向く。何か問題が有ったのだろうか。
「お前、彼女とか居るか?」
「はあ!?居ませんよ。どうしたんです?」
生まれてこの方彼女など出来た事が無い。一体どうしちゃったんだろうか。
「いやね、昨日辺りに店のペンキ塗ってたらよ、女の子が来た訳よ」
「はあ・・・・?」
「ソイツな、お前の勤務時間、顔出す日、聞こうとしてくるんだよな」
「うん!?」
驚く要次を他所に話を進める。
「あ、名は名乗らんかったけどな。何か怪しい感じだったよ。根が暗そうな」
伊藤煙草を吸って、大きく息を吐いた。
「アレは良くない奴だ。」
繭樹だな、と要次は溜め息を吐く。
「どうにも胡散臭い雰囲気だったよ。アレは犯罪をやる奴だ。関わるな」
「・・・はい。」
其処で要次は伊藤に問う。
「何でそう分かるんです?」
「勘。何となくな。」»
経験故の忠告だったが、無駄だった。まさか『ソイツ』と神崎が仲良く歩いていたとは。
どうしたら良いか。思考と事態は平行して進んでいく。
※
「楽しみだよな。明日から、今夜からわたし達正式に恋人なんだぜ。なぁ」
東口サンは僕の体を床に押さえ付けて嬉しそうに笑う。この娘が笑うなんてよっぽど嬉しいんだな。
「東口サンちょい」
「雅美って呼べ」
「恥ずかしいから雅美、放して」
何時の間にか灯りは薄ぼんやりとしたモノに変わっている。彼女の激しい吐息が顔に頸に掛かる。
「やなこった。」
両腕を掴んで動けなくされる。
「これからさ、もっと凄い事すんだから良いだろこれ位。暴れんなよ」
少し怖くなってきた。興奮に震える声と強いが痛みはなるべく抑えられた握力。
これって、似てる。
「今までの人達と」
「似てない。一緒にするな。わたしはお前を思うだけ。劣等感も嗜虐心にも動かされていない。わたしは愛欲だけで動いている。良いか、愛故に、そう愛故に、だ。それにしても…」
彼女の一言一言が耳元で、喜色を帯びて囁かれて、擽ったさに頭をそらそうとすると僅かな灯りを反射する眼に睨まれた。
顔や両手指にも雅美の髪が掛かりそれも少しむずむずする。
「ゆくゆくは二人でこの部屋で暮らして」
あ、そういう予定なの?
「わたしが働いてお前が家事をするってのはどうだ?」
「もうそんな段階なの?」
「きっとわたしより慣れてるよな。仕事は任せろ。」
息がドンドン荒くなってきて、フー、フー、と音が聞こえる。両手の拘束は解けて代わりに顔を両手で掴んで放さず、眼が、視線が杭を打つ様に僕の眼を捉えた。
「何も無いなんて卑下すんな。わたしにはお前が、お前しか居ないんだ」
「未だ済んでない事も沢山あるけど」
宜しく御願いします。
「うん。改めて宜しく」
我ながら凄いのに惚れられたなァ。
「お前は私の物だ」
「えっ?ちょっと待って、身体まさぐんの止めて」
「大丈夫。上手だから、多分」
「えっ。」
第三部完ッッッッ!!!!
終わり!




