まあまあ不器用な子と耳の聞こえな子の恋物語。
次の日の朝は、まるで僕の心のように最高に晴れた空。清々しい風。何もかもが最高だ。家から一歩出ただけで気分が昂ぶる。
ポッケに入れた携帯が震える。開いてみると百合香からで、写真付きのメールだった。 セーラー服姿で手を振ってる写真だ。本文は『行ってきます。大事な彼氏へ』との内容だった。
大事な彼氏。なんて甘美な響きなんだろう。また、百合香のことを好きになってしまった。
後少しで結婚しそうだ。それくらいに僕らの関係は進んでいる。
昨日の夜も遅くまでメールをして、朝も少ししてきた。何でもないことでもたくさんメールしてくれる。ちなみに何回も『好き』だと言わされた。ほとんど誘導尋問のように言わされた。
団地の前で少し待つと啓介がやって来た。
「オッス。で、どうだった?」
簡単な挨拶してから、昨日の激動の一日を事細かに話した。自分で言うのもなんだが、結構面白い話になったと思う。
「マジか。そんなことってあるんだな。でも、良かったじゃん。可愛い彼女が出来て」
「うん。ありがとう。啓介にも感謝してるよ。啓介がみっちゃんと付き合うときは全力で応援するよ。うん!」
「つきあわねーよ。俺は女の子が好きなんだよ」
「でも、一回女装してデートしてみたら。みっちゃん格好いいし優しいし。最高の彼氏になれるよ」
「ぶっちゃけ、あいつは手が早いんだよ。すぐにやられちゃうよ。俺なんて」
「確かに物事には順序があるからね。貞操観念の問題なんだね」
「そうじゃないけど。それでいいよ。話すのものめんどくせぇーよ」
それから二人で学校に通う。小学生の頃からずっと一緒に通ってるが、こんなにも特別な朝は久々だ。
「ねぇ。昨日一緒にいた子って彼女?」
いきなり知らない女の子に話かけられた。戸惑いながら縦に首を振る。
「そうなんだ。凄い綺麗な子ね」
と、嬉しいことを言って去って行った。昨日街で見かけられたんだな。
「この前校門で待ち伏せされてから、目立つ存在になった、お前も」
「別に目立たなくていいよ。僕は普通の人だから」
「でも、まわりはそうは思わないよ。耳の聞こえない美人な恋人なんて、世間はほっとかないよ。それも覚悟の上なんだろうけど」
そう言われてみればそうかも知れない。僕のせいで百合香が嫌な思いをしないように気を付けなければならない。もちろん、百合華の為ならなんだってする。
「百合香の耳が聞こえないことは黙ってた方がいいかな?僕としては静かに日々を過ごしたいんだよね」
「それは変じゃないか。耳が聞こえなくとも俺は何とも思わないけど。逆に隠す方が変だろ。もっと堂々としてろよ」
「そうだよね。あんまり考え過ぎない方がいいかもね」
その日は僕が思ってるほどの質問責めには合わなかった。いい気分は続いた。
放課後はもちろんバイトに向かった。そのあいだも百合香とは何度もメールをした。
バイト中に高橋さんと共に、商品を棚に並べながら、昨日のことをなるべく事細かに説明した。高橋さんも聞きたがっていたし。
「そうなんだ。良かったね」
「はい。高橋さんのおかげです。ありがとうございました」
「お礼が必要だよ。お金なんて必要無い。必要なのは誠意よ。お医者さん紹介して。人生で一度くらいお見合いもしてみたいし」
「えぇーそんなこと頼めませよ」
「あぁーおめぇ舐めてんのか!一度聞いてみろよ。こっちは人生が掛かってんだよ」
「そんなこと言われても困りますよ」
「頼むよ。優しいお姉さんの為に人肌脱いでよ」
「分かりましたよ。一応聞いてみますね。期待しないでくださいよ」
「最悪の場合は泌尿器科の先生でもいいからね」
なんであんたは泌尿器科を下に見てるんだ。
いくらなんでも百合香に独身のお医者さんを紹介しろなんて言えないな。だいたい百合香の前で他の女の人の話したら、きっとい酷いことされて土下座させられてしまう。それですめばラッキーな方だ。
もし機会があったらそれとなく頼んでもみよう。
それにしても今日はお客さんが少ないな。仕事も早く終わって仕方ない。しまいやることがなくなってしまった。気が付かなかったが、雨が降っている。洗濯なら昨日お母さんがしてくれたから心配ないが、やはり突然の雨は気が滅入ってしまう。それに傘がない。まぁ家まで走って5分で帰れるから平気だけど。
「おーい。ちょっと来て」
高橋さんも今日は暇をもてあましているのだろう。また、僕にちょっかいだしに来たみたいだ。
「あれって良太の出来たての彼女じゃないの?」
へ?彼女がこんなところにいる訳・・・いた。今日は初めて見るパンツスタイルでスプリングコートも着て、なんだか大人びて見える。それに片手にいつもの高そうなバックと反対の手には傘が二本握られていた。
「まさか、まさか、傘が二本。愛されてるな。小僧」
「もういいですよ。こっち来ないでください」
走って百合香の元に行く。走らずにはいられなかった。
手紙を渡された。
『雨が降ってきたから、傘持って来た』
「もうすぐバイト終わるから待ってて」
と、言う。もちろん耳は聞こえないが口の動きで何を言ってるか判断出来るので、僕の言いたいことは伝わるだろう。
可愛い笑顔を添えて縦に首を振ってくれた。
それから、すぐに高橋さんに話して帰る準備をして従業員通用口から急いで出て百合香の元に行く。
携帯で文字を打ち込みそれを見せる。
『来てくれてありがとう。送るよ』
それに対して手話でありがとう。で、答えてくれる。二人で並んで外に出る。片手で傘を差して片手で携帯をいじりながら歩く。
二つの傘が開き距離が出来てしまい、携帯が濡れるのに恐怖を感じて、会話にならない。
百合香の家は閑静な住宅街だし、雨も降っている為に誰にもすれ違わない。
「痛い!。痛い痛い痛い痛いよー」
いきなり何度も蹴られる。するどいローキックが僕の脛や股を捉える。百合香はさしていた傘をたたみ、僕の傘に入り携帯を見せる。
『今相合傘しないでいつするのよ。なんの為に来たと思ってるの?』
と、僕の目の前5㎝の位置で携帯を見せて反対の手を握ってくる。嬉しそうに甘えてくる。一瞬で怒りが消えて甘えが顔を出す。
これで完全に会話が出来ないな。それでもとても嬉しそうなので邪魔はしないことにする。口が聞けることが当たり前の僕らには不便で仕方ないが、何も言わずに寄り添うだけでも充分幸せだ。
百合香の手が僕から離れて携帯に文字を打ち込む。それを見せてくれた。
『ちょっと話していかない』
百合香の指さす方向には、公園があり。そこには雨を凌げるベンチがあった。
嬉しそうに僕をひっぱてベンチに座る。もちろん、ぴったりとくっついて座る。
さっそく憶えたての手話を試してみる。
人差し指で百合華を指して『あなたに』左右の人差し指を前後から合わせて『会えて』左右の手の甲を相手に見せて、交互に上下させて『うれしい』
百合華も自分を指してから、左右を手を上から下ろしながら親指と人差し指をくっつける『ワタシも』
なんでか筆談やメールだと平気で『好き』と何回も言えるのに、目を見て手話だと照れてしまう。お互い赤面してしまう。
それから時間を忘れて手話を教えてもらった。
『お兄さんは大丈夫なの?まだ僕のこと怒ってるかな』
『すごい怒ってた。でも、大丈夫よ。それよりもパパにばれそう』
『そうなんだ』
『平気なの?』
そんな訳ない。めちゃくちゃ恐い。死ぬ程恐い。でも。
『だって、避けて通れないでしょ。お父さん恐いから百合香と別れる。なんてこと出来る訳ないから』
かなり強がってみた。本当にそうだろう。百合香と一緒にいたかったらこれぐらいは仕方ない。
『むしろ早く会って、仲良くなりたいくらいだ。それで百合香とのこと認めてもらいたいよ』
『無理よ』
即答かよ。さっくと戦意が折られてしまった。
『昔からワタシに彼氏が出来たら殺すって言ってたし。今日もご飯たべてから彼氏のとこに行ってくるって来たから。怒り狂ってた』
あんたが煽ってるだろう。どうすんだよ。本当に殺されたら。それにばれそうって言ってたけど、正確にはばらした。だろうが!と心の中で叫んだ。
『怒り狂って金属バットを素振りしてた』
撲殺狙いか。
『どうすればいいと思う?』
『大丈夫よ。何もしないで。誰かにワタシたちのことを邪魔で出来ると思うの?出来る訳ないでしょ』
その自信はどこから来るのか。
『それに今時の高校生が恋愛くらい当たり前でしょ。それに恥ずかしいことは何もしてないんだから堂々としてればいいのよ』
携帯の画面に映し出された潔い言葉。
『そのうち恥ずかしいことするけどね』
そしてドヤ顔。なんてエッチなこと言うんだ。それに積極的が過ぎるだろう。女の子なのに。
『したことあるの?』
一応聞いてみた。だって、百合香は僕よりもお姉さんだし。すごく綺麗だから・・・。聞いといてあれだけど死にたくなってきた。
『ないに決まってるでしょ。百合香の初めてあ・げ・る』
生きたい。生きる目的を見つけた。
そのうち美味しく頂きます。ただ、心と体の準備がまだなのでしばらくお待ちください。根っからの小心者なので。
僕の日常は百合香中心になった。学校が終わりバイトに行き、終わる頃になると百合香が迎えに来てくれ、公園で手話を教えてもらったりした。週末には必ずデートにも行った。いろんなとこにも行った。帰りには必ず百合香の部家に呼ばれてデートの反省会をした。だいたい怒られて、たまに土下座もさせられた。その後は必ず泊まっていけと言われ、いちゃいちゃしてると壁がドンと叩かれた。その空間に音が聞こえるのは僕だけだ。上手く僕だけにプレッシャーを与える作戦だ。それは功を奏し泊まるまではいたってない。
父親からも一度もアプローチは受けていない。それが逆に不気味だ。
最近の悩みは友達と遊べてないことだ。手話が上手くなるつれて啓介とみっちゃんと遊ぶ回数が減ってきている。二人とも何も言わないが、僕なりに悪いと思ってる。毎日バイトばかりで付き合いの悪い僕だ。
今日はバイトもないので僕の提案で三人でゲーセンに行くことにした。
「三人で遊ぶのひさしぶりだろ」
「そうだな。いつもの欧米人につきまとわれ迷惑してるから」
「そんなことないだろ。いい加減素直になれよ」
「俺が死んだらお前のモノになってやるよ」
「恐いこと言うなよ。生理が写るだろ」
「俺は生理にならないよ!なったとしても写らないし」
二人は相変わらず仲良しだな。
校門を出たところでウチの高校の女の子と仲良くし話して派手ななりの男がいた。
「お兄さん」
「あの軽薄そうなエイズぽい奴、良太の知り合い?」
「確かにエイズぽいな。ほら、見ろ。エイズの初期症状で『耳が取れる』が発症してる。写されないように気を付けろよ」
どうして人の見た目でエイズが分かるんだ。確かに性病にはなったことがありそうだが。それにあの耳は・・・見なかったことにしよう。
「あのー何してるんですか?」
「やっと来たか待ってたよ。ちょっと話しようか」
と、連れてこられたのはファーストフード店。二人には悪いけど先に行ってもらった。
どうでもいいけど、この人はかなり軽薄な奴なようだ。可愛い子にすれ違うと声を掛けて電話番号を聞きまくってるし、馴れ馴れしく触ったり、きっと彼女がいても平気で浮気するタイプだな。
だいたいそんな軽薄な奴に妹に彼女が出来たくらいで殴るなんて、自分のことは棚に上げて、最悪なクソ野郎だな。
「で、なんできたんですか?」
「お前、ちょっと怒ってるな」
普通に怒ってるよ。なんでちょっとって思うんだよ。自分のしたことを忘れてるのか。
「俺にまず謝れよ」
「逆でしょ。なんで僕が謝らないといけないんですか?」
「俺の妹を毒牙に掛けた」
「まだ、掛けてませんよ」
「じきに掛けるって意味か?」
「そうですよ。もうすぐってことです」
僕だって負けてられない。思い切り睨み合う。きっと、端から見たら視線が交差して火花が散ってるに違いない。
「週末にでもホテルにでも行こうかな」
僕の一言で今度は涙目になってしまった。
「冗談ですよ。そんなことしませんよ」
「するね。だって俺だったらするもん。あんな可愛くてスタイル抜群で乱暴者でわがままな子、何もしないなんて考えられない」
最後の方は悪口だと思う。が、確かにそこも魅力だ。あの子は先天的に小悪魔的な部分が強すぎる。飴と鞭を使い分けるのが上手すぎる。一緒にいればいるほど好きになってしまう。流石お兄さんよく分かってる。
「ところでチューしたの?」
「まだですけど」
「それはまずいんじゃないか、いくらなんでも高校生なんだし。百合香は待ってると思うよ」
「そうですね。がんばります」
それは薄々感づいていた。なんとなく待ってるんだろうな、と。僕だってしたいのは山々なのだが、いかんせん一歩が踏み出せない。
「次のデートは付き合って一ヶ月記念なんだろ」
僕らが付き合い初めて一ヶ月がたとうとしていた。
「そのことで今日は頼まれて来たんだ。まずはこれ」
と市町村指定のゴミ袋を渡された。中を見てみると洋服が入っていた。
「この前は殴って悪かったな。俺のお下がりで悪いけどもらってやってくれ」
「ありがとうございます。遠慮せずに頂きます」
確かに僕は衣装持ちではない。正直あまり、そうゆうことには無頓着な方だ。それにデートのたびに服を買っていたら、出費もばかにならない。百合香と一緒に歩いていて、完全に負けている。まぁ勝てる相手ではないのは充分理解しているが、最悪ドローくらいにはしたかった。
「あいつはお前がダサいことを嘆いていたんだよ。俺の予想だけど」
「予想だといいんですけど」
「そんなに悲観的になるなよ。ダサイのはダサイけど、あいつの目にはそうは写ってない。お前が思うよりも百合香はお前にのぼせ上がってる。いっつも母親に嬉しそうにお前の話して、何してても携帯いじるようになったし、アホみたいな顔してお前の写真みたりしてるし。それにファッション雑誌も読むようになった。誰が見ても恋してるなって分かるくらいに」
相当に嬉しいことだ。僕もまったく一緒だけど。
「俺とオヤジが怒ってるのは、百合香がそんな女じゃないと思ってたからなんだよな。百合香はさぁ、聾唖者だろ。俺とオヤジの中でそうゆう人間は控え目って言うか、周りに遠慮して生きてくってゆうか。フリフリのワンピース着て、犬と遊んで、ケーキ作って、恋愛小説読んで。化粧もナチュラルメークしかせずに、派手な格好はしない。大人になったらオヤジの連れてくるまともな奴とお見合いして結婚するんだと思ってた」
「・・・・・」
「でも、実際は違うんだよな。あいつだって人を好きになるし、好きな奴と一緒に遊び行ったり。そいつの為にオシャレしたり。したいと思って当たり前なんだよな。だって聾唖者である前に女の子なんだんから。怒りもするし悲しんだりもする。今のあいつが本当のあいつなんだなって最近になってそう感じました」
そう語るお兄さんは、なんがか悲しそうだった。
「いつまでも子供じゃないってことかな」
と、払拭するように明るくまとめた。
「あのー話ついでにお父さんのこと聞かせてください。正直かなりビビってるんで」
「お前は聞いておいた方がいいな。まぁ、今のところ、お前が生きてるってことは、ウチのオヤジは殺し屋の知り合いがいないってことだな。オヤジの百合香の溺愛っぷりは異常だ。百合香の部家は我が家で一番でかいし、送迎の運転手も精神鑑定までして、まともな奴を採用したくらいだ。それに百合華はオヤジの勧めで子供の頃から武道をずっと習ってたから、たぶん力でも俺とかお前よりも強いはず。オヤジ曰く、百合香は可愛いからいつか襲われる。とのことだ。自分の身は自分で守れと」
確かに蹴りに肘鉄、どれもなかなかのモノだった。
「そのうちオヤジからお誘いがあると思うから、覚悟しておいた方がいいよ。煮えたぎってるから」
「気に入られる方法ってないですか?たとえば野球が好きとか」
「好きなモノは百合香だな。それを奪うお前。好かれる訳ないだろ。俺な、こう見えても医大生なんだわ。オヤジも医者だし、一族みんな医者。だから、進路聞かれたら医者になりたいです。って言えば少しは気に入られるかもよ」
「そんなの無理ですよ。僕のウチ母子家庭で貧乏だし。学力も普通だし。医者なれるならなりたいけど・・・」
「今から毎日勉強すれば間に合うだろ。それにここだけの話、医学部の入試は名前書けば合格だから」
たとえそうでも僕には無理だろ。医者になるのにどれだけお金がかかると思ってるんだ。 バイトしながら勉強なんて、死んじゃうよ。本当に。
「まぁ、そんなに真剣に考えるなよ、いくらなんでも命までは取られないから。それから、百合香からこれ読んで」
ピンク色の封筒を受け取る。
「それから一ヶ月記念のプレゼントはピンキーリングがいいなー。って一人ごと言ってたよ」
それ絶対に嘘だろ。だって百合香はしゃべれないんだから。
百合華からの手紙には。
『これかた週末まで、会いに行きません。楽しみにしてて』
ハートがたくさん書いてある手紙だった。なんで会っちゃダメなんだろう。理由は分からないが仕方ない。メールは今まで通りに出来るので問題ないが。
次のデートは土曜日なので3日も会えない。同じ学校で付き合ってる奴は羨ましい。
もちろん。ピンキーリングについては生まれて初めて聞いた名前で、何も知らない。そうゆうときの高橋さんだ。
高橋さん曰く。サイズがあるから一緒に買いに行ったらいいとのことだ。それなりの金額なので、デートのさいはお金を多めに持っていけとのこと。二人で買い物なんてベタ中のベタだ。
そして、お兄さんから貰った服は、最高にイケてるモノばかりで僕の持ってる服とは垢抜けて過ぎている。それにどれも合わせやすく、オシャレな僕が出来上がった。
これで百合香の隣にいてもドローですみそうだ。いつでもこい土曜日。
気合い充分で望む土曜日。
付き合い初めて一ヶ月が経過した訳だが、一ヶ月で振られなかったことを素直に喜ぼう。出来るだけ長く付き合いたい。目標は高く、死ぬまで一緒にいたい。
いつもの待ち合わせ場所で百合香を待つ。たったの三日間会わなかっただけで、僕の中の飢えが尋常じゃない。どうしようもないほど焦がれている。
メールで何度も会いたいと言ったが、楽しみにしてろ、とだけ言うだけだった。
いつもの黒塗りの高級車が止まり後部座席が開く。百合香様の登場だ。
ドアが開いた瞬間、いつもと違う素敵オーラが垂れ流しになる。目も当てられないほど眩しい。それに僕は今、猛烈に緊張している。
顔の半分も隠れるサングラスをして、着ている服も最高に素敵だ。本当にモデルさんのようだ。白いワンピースに長い足を惜しげもなく出して、踵の高めミュールを履いている。 それよりも一番目につくのは髪の毛だ。少し明るく綺麗に染め上げられ、毛先がくるくるに巻かれていた。いつもよりも更に高級そうなバックを持ち、爪がすごく綺麗になってた。なんと表現していいか分からないけど、とにかく今日の百合香は最高に綺麗だ。
僕も気合いが入っているが、百合香も同様のようだ。
車から僕まで距離、およそ10メートルだけなのにすでに3人の男にガン見されている。綺麗過ぎてナンパもされない。ちょっと恐い感じもある。
僕の前に立ちサングラスを外す。今まで見たことない化粧をしっかりしていた。
「すげぇー綺麗。どうしたの?」
思わす手話を忘れて言ってしまった。
人差し指で僕を指して『あなたの』左右の指を輪かっかにして結び『為に』両手の拳を握り『がんばった』
右手を顔の前でボールを持つような手で回す『すごく』手の平を左右に動かして手の平と手の平を擦るよ『きれい』
右手で僕を指して『あなたも』手の甲の前で、指を曲げてから握った拳の花の前にもってくる『かっこいい』
お互い赤面してしまう。
自然と手を握り歩き出した。手を握ったのはいいけど、手の平の汗が止まらない。最高に緊張している。こんなに綺麗な子と街を手を繋いで歩くなんて、ちょっと前の僕では想像も出来なかった。
『どこいきたい?』
日頃の成果でだいぶ手話を覚えた。
『漫画喫茶』
めずらしいな。別に断る理由もないので行くことにした。手を繋ぎ並んで歩いた。以前行ったことある店に百合香を連れて行った。
漫画喫茶では、もちろんペアシートの席にしてもらった。
『悲しいお知らせがあるの』
そんなこと言われたら、もうすでに悲しい。
『パパが、一緒に晩ご飯食べよう。招待されたよ』
『わかった』
そうか。冷静を装って返事をしたが、死にそうなほどビビッてる。今日が僕の命日になりそうだ。
『何か買った方がいいかな?お酒とかお菓子とか』
『そうね。ワインがいいんじゃない。赤ワイン毎日飲んでるし』
赤ワインなんて外人しか飲まないと思っていた。リアルにいるんだな。
『後で一緒に買いに行こう』
それから二人で漫画を読んだ。百合香は僕の膝を枕にして読んだ。
それからしばらくして聞いてみた。あらかじめ聞こうと思っていたことは家で手話を調べてきていた。
『ピンキーリングをプレゼントしようと思うんだけど、一緒に買いに行かない?』
『そんなのいらない。もっと欲しいものがあるから』
『言って。何が欲しいの?』
起き上がり向かいあって、近寄って来る。唇を指して口の動きを見せる。
キスして。
唇の動きだけで僕でも分かった。
すでに準備万端の百合香は目を閉じている。
どうにもならない。行くしかない。
僕だって今日は決めようと心に決めていた。何度もシュミレーションしてきた。それに僕だってスーパーで初めて見たときから、ずっとしたいと思っていたし。今日決めれなかったらあそこを切ろうと思うほどの決意で来た。
ただ、僕のイメージではもっといい雰囲気で自然な流れでしようと思っていた。
告白したときよりも緊張するな。緊張しっぱなしだ。これが原因で心筋梗塞になったりしないかな?不安だ。
決意を固める。百合香は頬を赤らめて待ってる。唇にロックオンする。ぷるぷるとピンクで綺麗な唇だ。見ていると惹きつけられてしまう。どんどん距離が縮まって行く。
華奢な肩を掴み、顔を近づける。
いざ。と思ったが、急に百合香の方から距離を詰めてきた。唇同士が当たった。
感想としてはちょっと痛かった。
いきよいのついた百合香は、小悪魔的な笑みを作り、嬉しそうに再び近づいてくる。逆に肩を掴まれ、何度も唇を重ねた。飽きるほどに。
僕のファーストキスはちょっと乱暴な感じだった。
飽きた頃に化粧を直しだした。きっと二人にきりになれれば、どこでも良かったぽいな。
唇に触ってみる。べたべたした何かが付いている。これを拭いたいが怒られそうなので放置しておく。
百合華の唇は何よりも柔らかかった。飽きるほどしたが、もう一度したくなってきた。ぶっちゃけ震えるほど感動した。
時間も迫ってきていたので帰りしたくをして部家から出ようとしたら、振り向きもう一度キスされた。
『我慢出来なかった』
可愛い。なんて可愛い生き物なんだ。チワワの15匹分の可愛さだ。
その日は以上な上機嫌で、一秒たりとも離れたくないようで、若干うっとしく思えてきしまうほどだった。
それからお土産用のワインを買い、結局ピンキーリングも買わされてしまった。それが更なる上機嫌を誘った。
本当に嬉しそうにしているので、試しにチラリと他の女の子を見てみたら、ケツを思い切り抓られた。上機嫌でも百合香様は健在だった。
ちょっと早いが家に行こう。との提案で、心の準備が出来ないと激しく反抗してみたが、うるんだ瞳で上目遣いでお願いされてしまい、僕の小さなクーデターは終わりを告げた。
二人で手を繋ぎ京野家を目指しているときも、家が近づくにつれて、足取りは重くなり憂鬱な思いになっている僕に対して、百合香の足取りは軽く、僕の横顔を見てクスクス笑っていた。まったくもって面白くもなんともない。
家に着くと玄関には見たことのない、高そうな皮靴があった。
『もうパパいるよ。挨拶しておく』
『はい』
百合香と出会ってから緊張の連続だ。世の中に、女なていらない面倒なだけだ。と言って人間の気持ちが痛いほど理解出来た。
「おじゃまします」
と、大きな声でいい。リビングまで足を進める。
百合香を愛するモノ同士で言えば、その男は僕の宿命のライバルと言える存在だ。僕を抹殺しようと数々の姑息な手を使ってくる。恐ろしい男だ。それがこれから始めるのだ。と、のちのち思いしらされる。
リビングの扉を開けると百合華の両親がいた。父親の方に視線を移す。思っていたほど恐そうな人ではなさそうだった。
立ち上がり僕の前に向かってくる。
「初めまして。百合香さんとお付き合いさせてもらってます。三浦良太と言います。よろしくお願いします。今日はお招きいただきありがとございます。これつまらないモノですが」
「バローロか、ありがとう。ゆっくりしていってくれ」
とりあえず普通そうで、良かった。
「三浦くんちょっと話さないか」
「はい。失礼します」
なんだか嫌な予感がするな。恐喝とかされないよな。など、思いながらソファーに座ろうと思った矢先。
『上に行こう』
と、袖を捕まれて問答無用に連行される。
「ちょっと、百合香。今パパと話を・・・」
当然の訴えだが。
百合香は父親に向かって、手話で何かを訴える。あまりの高速の手話で何を言ってるのかさっぱり理解出来なかった。
「いや、でも・・・」
父親の抵抗虚しく、僕は百合香の部家に直行することになった。
部家につくとソファーに座らせられると、上機嫌の笑顔を覗かせ、大蛇のように僕の体にまとわりついてくる。耳を噛まれる。
右手を頭の上で拳を作り、それを二回開く。パッパと。
「それ分からない」
僕もだいぶ手話を覚えたが、分からない方が多いくらいだ。
素早くバックからノートを取り出して広げ書き込む。
『シャワー浴びてくるね』
は?意味分かりませんけど。頭が真っ白になる。何故このタイミングシャワーを浴びる必要があるんだ。
ものすごく赤面してるが、照れるよりも、もっと状況を正しく理解して欲しいな。
『浴びなくていいよ』
『終わってから浴びるの?初めてだから分からないの』
『そうじゃなくて、下に両親いるし。もしものことがあったら、僕本当に殺されちゃうよ』
『なら、とりあえず上に行こう』
なら。の意味がちょっと分からないけど、従うことにする。
階段を上りベットルームに行く。何度も百合香の部屋には遊びに来ているが、ここに来るのは初めてだ。ベットは想像通りに天蓋付きのお姫様ベットでおそらくセミダブルだろう。一人で寝るには少し大きいサイズに思えた。
ベットに横にはランプがあり、聾唖者専用の光で時間を知らせる目覚ましに、恋愛小説だろうピンクのカバーの本と一緒に僕の写真が飾ってあった。
嬉しいな。僕のことを本当に思ってくれているんだな。
あ!やはり思っていた通りに押し倒された。僕と百合香の身長差はわずか3センチ高いだけで、ほぼ一緒だ。あっさり倒され、簡単に乗られてしまう。
両手で胸を押さえる。その腕を無理矢理に剥がそうと百合香が力を込める。ここにいては僕の操を守れない。
がばっと覆い被さり、頬を舐められた。身の危険をリアルに感じる。
ドンドン!
誰かが壁を叩いてる。誰かは想像しないことにする。
「おい!ウチに娘にエロいことするなよ!」
すぐにお父さんの怒鳴り声が聞こえてくる。この部家カメラでも仕込んでるんじゃないだろうな。
百合香の肩を掴む引き離し、距離を取る。本当にこのままでは殺されてしまう。
『好き。大好き』
と、腕を首に回してくる。
「おい!ウチの百合香にエロいことすんなってば!」
どうなってるの?
お父さんの声が聞こえない百合華には、僕の切実さは分からない。それに状況が複雑過ぎて、手話では説明出来ない。一度下に降りて筆談で説明しなくては。
『好き』
「いい加減にしろよな!俺の大事な娘」
結局またキスされてしまう。したいと思っていたが、今は違うだろう。
どうしようもないほど焦っている僕。
ガチャ。
やっぱり、入ってきた。
「うちでは、本当に辞めてください」
入り口を指刺して、百合香に知らせる。口の動きだけで「お父さん、入って来た」と、伝える。上手く伝わり。すぐに階段を駆け下りて、一悶着。
「ごめん。ゴメン。でも」
百合香のターン。
「そんなことしてないよ。違うよ。明るいうちから・・・ねぇ」
百合香のターン。
「あと一時間くらいで夕飯だから。それを知らせようと思って」
今更そんないいわけするの?きっと、ものすごく僕のことを怒ってるんだろうな。恐くて下に降りれない。どうやって、これから顔を合わせればいいんだよ。
ドアが閉まる音がして、百合香が階段を上がり僕に向かってダイブしてくる。押しつぶされ、まとわりつかれる。
今度は静かだが、きっと近くで監視してるに違いない。
僕からの提案で二人で一緒に寝る。ただ、それだけで満足してもらった。これから一緒に食事をするので、リスクは回避したい。それに僕には、婚前干渉は早く過ぎる。
いよいよ食事の時間だ。きっと嫌みを言われるんだろうな。いたぶられると分かっていても行かなくてはいけない。本当に厳しいな。
僕の気持ちを、まったく理解しようとしない百合香は、どんなに短い距離でも手を繋ぐの忘れない。この行為も更なる怒りを増長させるに違いない。
リビングの奥にキッチンがあり。その前に6人掛けのテーブルがあり。そこには、すでに両親とお兄さんが着席していた。
お父さんとお兄さんに手を繋いでることで厳しい視線で睨まれても、百合香はまったく動じない。むしろ睨み返す。
テーブルには貧乏人には見たこともない料理が並んでいた。
「この料理は全部テータリングなんだ。ちなみにフレンチね」
お兄さんが説明してくれた。こんな外敵の僕に対して、ここまでしてくれるなんて。流石に金持ちで、これを毎日は食べているのだろうか、毎日は流石に辛いか。
「それじゃ、食べようか」
を合図に食べ始める。
僕の隣に百合香が座り。百合香の前にお兄さん、横にお母さん。僕の前は空席で隣はお父さんだ。
百合香は終始上機嫌で手話で母親にしきりに報告していた。あまりに早い手話で理解出来なかった。
「ママ。見て良太に買ってもらったの」「よかったわね。高くなかったの?」「大丈夫よ。そうでもない。がはははぁ」
お兄さんの通訳。それに僕にとっては高かったのに。テーブル叩いて笑う兄。全然面白くないから。
「それで機嫌がいいのね」「うん。それに・・・チューしたの。ってしたの?」
ガチャーン。
持っていたフォークを皿に落として、父親がもの凄い形相で僕を睨む。
余計なこと言うなよ。女の子って、母親にそんなこと言うんだ。って、今言わなくていいだろ。凄い熱視線のせいですでにお腹が一杯になった気がした。
「なんでそんなことしたんだよ!」
「すみません」
お兄さんに怒りをぶつけられた。なんで謝らないといけないんだ。まったくもって理不尽だ。
お父さんからは歯を向き「ガルルル」って言ってます。完全に怒ってます。
百合香とお母さんの会話は続く。
「ファーストキスはどこでしたの?」「漫画喫茶の個室で。強引にガバーって・・・しちゃった」「良太さんって見かけによらず大胆なのね」
何その誤解を招く言い方。まるで僕が襲ったみたいな感じになってるけど。なんで悪い方向に持って行こうとするの?酷い奴だ。親の顔が見てみたい。
すでに強烈な視線を感じている。
「グルルルルル」
犬歯を剥き出しにして僕を威嚇する父親。顔には「ぶっ殺す」と書いてある。
「おい!ウチの娘にエッチなことするなよ!」
我慢の限界のお父さんは、その場で立ち上がり怒りをぶちまける。
その様子をお兄さんが手話で聾唖者の二人に伝える。
「俺の大事な娘を・・・。お前と付き合ってから、髪の毛染め上げて、爪もこんなになって、まるでビッチじゃないか」
「別にビッチじゃないだろ。ビッチなんて言葉どこで教わったんだよ」
と、お兄さんが返してくれた。もちろん手話付きで。
「チューしたのはむかつくけど。よくよく考えれば、そこまで悪くないだろ。茶髪で色黒で頭悪そうでも軽薄そうでないんだぞ。ちゃんとこうして家まで来てくれて、挨拶してくれてるんだぞ。めっちゃいい奴じゃん。俺だったら、こんなことしなぜ」
「それでも嫌なんだよ」
「子供みたいなこと言うなよ。それにこいつは誠実で真面目で、人の道を外れたことは絶対にしないし、百合香のことを一番に考えてくれてるんだぞ。耳が聞こえない子を好きなるって大変なことなのに、理解してくれるなんて、誰にでも出来ることじゃないぞ。それに無理矢理引き裂くことなんてしたら、逆に強く惹かれ会うんだから。ほどほどにしないとな」
そんな風に僕のことを思ってくれてるなんて嬉しいな。
「百合香が生まれてから、ずっとこのときを恐れたたんだ。耳が聞こえなくてラッキー、一生一人で過ごしてくれるかも。とか思ったし。だから、どうしても受け入れられないんだよ。百合香に彼氏に出来るなんて。はぁー死にたくなってきた」
そんなにも嫌なもんか。僕の家は一人っ子だし、母子家庭だし、父親がどんな風に考えてるのか分からない。
でも、百合香はやはり人とは違うのは分かる。普通の人よりも実際に何倍も手が掛かるんだろし、人の何倍もの愛情を注いだことも容易に想像出来る。それが、僕のような頼りない奴がいきなり現れて、彼氏です。と言われても困惑するだけだろう。
もし、将来家庭を持ち娘が生まれたら父親になったら少しは、この状況を違う観点から見れるかも知れない。ただ、今は無理だ。
コツコツ。お母さんがスプーンでテーブルを叩き視線を集める。
そこで怒り顔で高速手話をで何かを訴えた。
「人によくそんなこと言えるわね。自分はどうなのよ。すぐにワタシにエロいことしたくせいに」
お兄さんが理解できない僕の為に訳してくれた。
なんとも言えない空気になってしまった。
百合香に肩を叩かれる。
振り向くとフォークに刺さった料理を「あーん」と僕の口に持ってくる。テーブルに上に並んだ肉料理の付け合わせのアーティチョークの付け合わせだ。あんまり好きじゃないんだな。それに、もうちょっと考えて欲しい。この子はもしかすると空気が読めないのいかも知れない。いちゃいちゃするときじゃない。困ったな。
ナプキンで僕の口拭いてくれて、手話で僕に伝える。
『コンビニに行きたい』
もちろん断る理由が、ないので縦に首をふる。
「コンビニなんて、何しに行くんだよ!コンドーム買いに行くんだろ!不潔」
父親はどうにもならない泥沼の中にいるようだ。いきなり立ち上がり叫んだ。この食事会は完全に失敗だろう。だって、誰も得をしないんだから。
父親に向かって言ってやりたい。そんなこと言うなら、コンドームはない方がいんですか?って聞きたいが、堪えることにする。火に油は注げない。
反対側に座るお母さんが、静かに手話で何か言った。それは僕にも分かった。
『百合香に嫌われたわね』
肩から力が抜けて椅子に落ちる。顔面蒼白だ。そんなにもショックなことなのか、この世の終わりのような顔している。
母親は何かをお兄さんに伝える。それで何か伝えたか知らないが、なんがだか揉めている。お兄さんはいやいやといった感じで、それを僕に伝える。
「もし、お前が良かったら、泊まっていけって」
その一言のせいでみなが揉め始めた。
百合華とお母さんVSお兄さんとお父さんだ。手話と言葉が激しく飛び交っている。
「悪魔に娘を差し出すつもりか!」
「百合香が死んじゃう!」
「やだやだ。なんならパパが百合香と寝る!」
その情景を見て、なんて仲のいい家族なんだ。と暖かい眼差しで見守る。
言葉がなくたって、家族はわかり合えるモノなんだな。口論しているが、お互いを思いやっての結果だ。(のんきすぎ)
母子家庭の我が家では考えられない光景だ。高校生の男だ。母とはそんなに話すことはない。言い合いをすることも、何かを共有して盛り上がることも、皆無と言えるだろう。
僕を一人で育てる為に一生懸命働き。母の負担にならないように、家事も勉強も一生懸命にやった。僕は自分で言うのもなんだが、なかなかのいい子だ。
神様が、そんな僕にご褒美をくれたら、百合香に会えたことだろう。それに百合香の家族ともだ。
テーブルの下で百合香が手を握ってくる。指を絡めて濡れた瞳で見つめてくる。こんなことされたら、なんでもゆうこと聞いちゃうよ。
「帰った方がいいだろ。明日、地球が終わると思うし。母親と過ごした方が後悔しないとおもうぞ」
反対側から言われる。こいつバカだな。医者のくせに。
それを言われて「わかりました」って言うと思うのか。それに地球が終わるなら迷わず百合香と過ごすさ。
「お金上げるから帰りなさい」
凄いことを言ってきた。分かりやすい賄賂だな。
反対側から百合香の手が僕に訴えてくる。
僕の中のシーソーは激しく揺れている。百合香を一緒に過ごしたい。今は純粋に一秒でも、一緒にいたい。一晩一緒に過ごすのも楽しみだ。一緒にコンビニに行って、アイスを買って食べたり。一晩中話をしたり。恋人なら誰だってそうだろう。
ただ、このお父さんの圧力はマジすぎる。それに純粋に、この人に嫌われたくなかった。僕には父親がいないし、父親の記憶も薄い。どんなものか、自分にとって、この人が一番身近な父親像になる。激しく娘を愛する父親。
それに僕は百合香と出来るだけ長く過ごしたい。出来ることなら一生がいい。それにはやはり、父親は他人でない。言うことを聞くことも、長い目でみたら悪いことではない。そう思えた。
「よーし。分かった」
いきなりそう言って立ち上がったパパ。
「今から出題する百合香に関する問題をすべて答えられたら、好きにしなさい」
思わず縦に首を振って返事をしてしまった。百合香に関する問題って、百合香のことは大好きだが、知り合って一ヶ月しか経過していない。それに対して生まれてずっと一緒にいる父親。おそらく答えらないだろう。
「問題はワタシが三問出題するから。正解か不正解は百合香に判断してもらいます」
百合香の手元に○と×に書かれた棒を持っていた。準備は整ったようだ。テーブルに人間誰も異論を唱えない。母親も楽しそうに見ている。
「では、早速第一問。最初は初級編から。百合香の誕生日は?」
「11月23日」
僕の答えをお兄さんが手話で百合香に伝える。すぐに○の札を上げる。
「正解」
ふう。まずは初級編だけ簡単だった。試練はきっと次からだろう。
「第二問。これは中級編。百合香の好きな花は?」
好きな花。急に難しくなった。でも、僕は知っている。会話の流れの中で、百合が好きかどうかを質問したことがあった。
「ユーチャリス」
再び○の札が上がった。
「おぉ。正解」
それがどんな花かあまり知らないが、百合香は好きらしい。もし花を贈る機会があったらユーチャリスを年齢の数だけプレゼントする予定だ。
「では、これが最終問題。難しいよ」
「はい。大丈夫です」
「百合香の好きな星座は?」
そんなの普通に知らないよ。これは一か八かで行くしかない。百合香の星座は確か射手座。射手座って答えていいのか。一番難し問題だ。そんなに安易に答えていいものか。相手は僕を陥れようとしている。気を付けないくては。
この問題は若干理不尽に思えるが、京野家のみんなは、僕が答えるのをみな待っている。百合香は僕が知っているでしょ。みたいな顔で見てくる。一度も聞いてことないのに。
「オリオン座」
やっとの思い出絞り出した。べたな奴ならなんとかなる気がした。
全員の視線が百合香の手元に集まる。ゆっくり上がる札は・・・。
「残念。はい。お帰りはあちらです」
満面の笑みで部屋の入り口を指さす。
「ちなみに正解は?」
聞かない訳にはいかない。百合香フリークの僕は欲しい知識だ。
「正解はカシオペア座でした」
そんなの当てられないよ。
あの父親の意地悪な笑顔を見てると悔しいな。そんなこと思っていたら誰かの携帯が鳴りだした。聾唖者の二人は着信音なんて使わないから、残りの三人になる。
「もしもし。・・・・うん。うん。分かった。すぐに行く」
さきほどまでとの顔が一変した。医者の顔に変わった気がした。
「患者さんの様態が急変したっぽい。たぶんオペになるから、行ってくる」
その言葉で食卓の空気も一変した。
「ウチのオヤジは外科医なんだ。一応凄腕なんだ」
そうなだったんだ。ちょっとカッコ良く見えてしまうな。外科医ってずるいな。すくなくとも泌尿器科よりはカッコ良い。
行くと見せかけて、お兄さんお耳元で何かを囁いてから、僕に向かって指を一本びっしーとされた。それの行動の意味が分からないが、釘を刺された気分だ。
急ぎ足で別室に消えて準備をして玄関から靴を履いて歩く音が、ドアを開けて完全に気配が消えた。耳が聞こえない百合香でも、それは分かっただろう。
テーブルの上にはデザートが運ばれて来た。これを食べたら帰ることになるだろう。元々泊まる予定ではなかったのだけど、もう少しは一緒にいたかったな。
母親が手話で何か言っている。もちろん僕は理解出来ない。
「お前が迷惑じゃなかったら泊まっていけって」
百合香が僕の両手で手を持って『きまり』と口の動きだけで伝えてくる。
なんだろうこの感覚は。嬉しい気持ちよりも急に緊張してきた。
それから緊張は取れないまま、食事が終わった。
家なら自分の使った食器は、自分で片付け、自分で洗っていたが、この家では当たり前のように家政婦さんがしてくれる。
ごちそうさまをしてから、手を引かれて百合香の部家に行く。
ソファーに座る。これでもかと間が持たない。普通なら、たわいもないことを話すのだが、口が聞けないので、最高に間が持たない。
百合香もそれに気付いてるだろう。これから、何かが始まる訳ではないのだか、なんとも言えない感じだ。お互い動くに動けない。
部家を今更ながら見回してみたり、爪をいじってみたり、携帯のメールなんて誰からも来ないのに確認してみる。困ったな。
『コンビニ行かない』
百合香からの助け船。さっきもコンビニに行きたい、と言ってたな。もちろん、僕も行きたい。
右手を差し出して、それを左手で握る。肌と肌が触れあうとなんだか、言葉が無くてもわかり合える気がする。
財布だけを持ち近くのコンビニに向かう。閑静な住宅街の中にあるコンビニは、日本中にたくさんある普通のコンビニだ。
僕と百合香が入店すると、レジをしていたバイトの店員と目が合った。もちろん僕は初対面だが、僕を見るなり苦悶の表情を浮かべ凍りついてしまった。思うに、百合香は日頃から、このコンビニを利用していたのだろう。バイトくんは密かに恋心を抱いていたのだろう。そこに手を握り入ってきた僕。
バイト中のスーパーに百合香が誰かと手を繋いで入ってきたら、同じリアクションをしてしまうだろう。涙を流さないだけマシかもしれない。
百合香は、そんな気持ちも知らずに僕に買い物かごを持たせ、自分はファッション誌を立ち読み始めた。僕はその横で漫画でも読む。
ところであれはどうするんだろう。お父さんが激しく指摘していた例のモノは・・・。それで僕の今後の人生が大きく変わる気がする。
そんな邪な思いが脳内を馳せていたら、うっかりと巻頭グラビアを熟読してしまった。案の序ふくらはぎに蹴りを入れられる。
手を引かれアイスやジュースにお菓子もかごに入れて行く。そして、見つけてしまった。
僕の視線は奴に釘付けになってしまう。そこに百合香の手が伸びてくる。それをどうするんだ。大胆だな。
一般的な感覚では、男の子が用意するのが常識だろう。
百合香は頬を軽く赤らめて、まじまじとそれを観察している。それをどうするんだ。完全にビビってしまってった。小心者はやはり健在。
たまらなくなって、レジに並び支払いを済ませる。もちろん、店員の態度は世界でもトップクラスの悪態だった。顔に『てめぇ。どこ中だ!』と、書いてあった。
店を出ると百合香が僕のポッケから携帯を奪い、文字を打って見せつける。
『いくじなし』
ごもっともです。これぞ草食系男子の鏡。
百合香の顔を見ていたら、最高に後悔してきた。コンビニに戻りたい。でも、もしかすると、あの店員、僕には売ってくれないかもな。もしかすると、おでんの汁を掛けられるかも知れない。もしかすると、ぶっ殺すって言われるかも知れない。あの感じなら充分ありえるぞ。今日は辞めておこう。
いや、でもお父さんいないし、百合香もまんざらでもなさそうだし。決定的なチャンスなのは誰が見ても一目瞭然だ。どうする僕。
んんんんー。嫌、やめておこう。僕にはまだ早い。
『世界で一番百合香が大切なんで。すみません』
『知ってる。でも、そこが好きかも』
思わず抱きしめたくなる。死ぬまで運を全部使ってしまったかも知れない。
百合香の笑顔を見ていたら、それでもいいかと思えてしまう。