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奴隷の死に方 A

 夕食前、サンドラは竈の場所へと向かっていた。

 自分の剣の柄を触りながら考えるのはやはりあの男のことだった。料理のことはまだ全然教えてもらっていない。もっと知りたいことが一杯ある。そういえばあいつの名前すら私は知らない。

 今更である。今更知ったところで意味がない。あの男のことは忘れよう。明日にはもう忘れることにしよう。

 そう決めた。だから今日ぐらいはちゃんとあいつのことを見よう。そう思った。

 竈の傍にはあいつが立っていた。竈に火が入っていないところを見るとこれから準備にかかるのだろう。少し遅い。今から準備してたんじゃ、私に教えてくれる時間が無いじゃないか。

 一つ文句を言ってやろう。あいつが脅えない程度に文句を言ってやろう。

「おい、遅いぞ!!」

 肩を叩く。反応が無かった。

「なにやってるんだ!早くしないと晩飯の時間に・・・おい・・・おい?」

 無視されているのではないかというぐらいに反応が無い。

「いい加減にしろ!お前は・・・・・・・おい?」

 彼の身体が重力に従って地面へと倒れていく。受け身の一つも取ることなくその男は地面に倒れた。

「おい!!おい!しっかりしろ!!ど、どうしたんだよ!」

 肩を揺さぶるが反応は無い。

「うっ・・・・・・ぁっ・・・・・」

 わずかなうめき声だけが聞こえる。

何があった?どうしてこうなっている?

「お、おい!動かすぞ!」

 肩を掴んで仰向けに寝かせる。

「うっ・・・こ、これ・・・」

 顔面は蒼白。唇は真っ青。そして、彼の口から呼吸音がほとんど聞こえなかった。

「おい!おい!!」

 名前が呼べないことがもどかしい。だが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 頭の中に学生時代に学んだことが一瞬で駆け抜けた。身体の構造、治癒の技術、応急処置。

「や、やばい・・・」

 だが、それらは驚く程に頭の中を駆け抜けていく。吟味している時間などない。

 何が必要かもわからない。何をしたらいいのかもわからない。

「と、とにかく・・・呼吸と、心拍を!」

 彼の着ているシャツを切りさく。薄い胸板が露わになる。

「こ、これって・・・」

 酷い有様だった。内出血でところどころが青くなっているのはまだいい。明らかに右の肋骨が数本折れていた。呼吸の度に折れている箇所が不規則に曲がる。

 それだけじゃない。左の胸に至っては異様な程に膨らんでいる。胸の中に無理やり風船をふくらましたような有様だ。

「えと・・・えと・・・・・」

 どうしたらいい?何をしたらいい?頭の中から学んだことを掘りだそうとするも何も出てこない。真っ白になっていた。

「そうだ・・・全身・・・他に、他はどうなって」

 震える手でお腹に触れた。

「うああっ!!」

「い、痛いのか!痛いんだな!」

 お腹が痛いってどんな原因があったっけ?

 そうだ、とにかく治癒魔法を・・・

 悩んでいる間にも彼の状態は悪化の一途をたどる。身体の回復力を高める治癒魔法なら万能なはずだ。

「え・・・・血?なんで?」

 いざ魔法を放つ掌に意識を集中しようとして改めて気づいた。掌にべっとりと血がついていた。

「出血・・・どこに・・・あっ・・・」

 腕だ。右の二の腕のところのシャツが赤く染まっていた。

「どうしてこんなとこに出血?なんで!?」

 とにかく、シャツを切り裂く。シャツの下は血の海だった。腕は真っ赤に染まり、今もなお出血が止まらない。その中心には鋭く尖った骨の切っ先が皮膚を突き破っていた。折れた骨が皮膚を破っているんだ。

「あっ!や、やばい!治癒を治癒魔法を!」

 その時、サンドラが思い出したことは『何をすべきか』ではなく『何をしてはいけないか』だった。

「そうだ・・・ひどく骨がずれてる時って治癒魔法を使っちゃいけないんだ・・・じゃあどうすんだよ!!」

 治癒魔法をしてはいけない。それだけしか思い出せない。どうやったら治せるかを思い出せない。

「や、やばい・・・やばいよ・・・」

 こうしている間にも彼の呼吸は更に弱くなっていた。

 どうしよう・・・どうすれば・・・

 もはや泣きそうだった。人間は脆い。脆くて弱い。すぐに死ぬ。今まではそれが下等種族の証のようなものだった。でも、今は違う。目の前の人間が弱いことをここまで理不尽に思ったことはなかった。

「どう・・・すれば・・・そうだ!!」

 数だ。頭数だ。こういう時には数多くの手がいる。

「でも・・・」

 人間を助けてくれ、なんて誰に頼めばいい。他の隊の奴らには絶対に言えない。私達の隊のエルフにも言えないに決まってる。

「そうだ・・・テスラ様なら!」

 駆け出そうとしたサンドラ。だが、このままこいつをここに一人にしていいのか。

 今にも死にそうなのに。

「・・・人間!死ぬなよ!絶対に死ぬなよ!!」

 今はそう言う他なかった。口に出すのはこんなに簡単だ。でも人間の命が吹けば飛ぶことを最もよく知っているのはエルフ達なのだ。

 サンドラはテスラのテントへと走った。テスラはテントの前にいた。隊長と話をしているところだった。

「あ・・・・・・・」

 どうしよう。どう言えばいい。奴隷の話だぞ。隊長との話より優先できるわけがない。

 それに、彼を助けるなんてこと言えるはずがない。

「おや、テスラ。部下が話があるようだぞ」

「あら?サンドラ。どうなさいましたの?」

 ここ数年でこんなに嬉しかったことはないと言えるぐらいに嬉しかった。

「あ、あの・・・・」

 どうする?言葉は選ばないと?

 サンドラは目立たないように深呼吸をした。

「ど、奴隷の奴が・・・竈のところでくたばりかけてるんですよ・・・ど、どうしましょうか?」

 隊長は「奴隷の話か」とすぐに興味を無くしてしまった。テスラ様はというといかにも迷惑そうな顔を浮かべていた。

「あらそう・・・でも、竈のところね・・・食事に死体の腐臭が混じるのは勘弁願いたいですわ。さっさと片付けなさい」

「は、はい・・・」

 助けてくれないのだろうか。そりゃ、中隊長の立場で奴隷を助けるなんてできない。しかも相手はあいつなのだ。さっさと死んでくれた方がいいに決まっている。

 わかっている。わかっているのに。

 サンドラは泣きたくて仕方がなかった。

「・・・ミシェーネ様。あの奴隷は私の預かりものです。処理をしてきますので、お話は後でよろしいですか?あの者が死んだら新しい食事係の選定も必要ですから」

「そうだな。私の方も急ぎではない、好きにするといい」

「ありがとうございます。サンドラ、ゴミの転がっている場所はどこですの?」

「案内します。こっちです!」

「こら、はしたないですわ。あなたもエルフの貴族の末席にあたるんです。もう少し節度をもった行動をしなさい」

「はいっ!」

 二人はのんびりとした足取りでその場を後にした。

「・・・・・・」

 その後ろ姿をミシェーネ隊長は不安そうに見ていたが、すぐに興味を無くしたのか彼女は自分の仕事に取り掛かった。

 テントの角を曲がり、周囲に人目が無くなると二人は一目散に駆け出した。誰かの目に付きそうなところはのんびり歩き、誰もいないのを確認すると駆け出す。

 気持ちが抑えきれないせいかすぐに息が上がり、鼓動が高くなっていった。

「それで、どういう状態なのです?」

「腕から出血と。えと、胸が・・・胸が・・・」

「落ち着きなさい!さっきも言ったでしょ!」

「えと、肋骨が折れてるんです。あと右胸がすごい膨らんでて」

 竈が並ぶ場所にきた。

「あいつが・・・そこに・・・あ、あれ?」

「いないですわよ!」

「そんな!動ける身体じゃ・・・あっ」

 草の上に血の跡が点々とついていた。

 サンドラはそれを追って、陣地の端へと目を向けた。そこに誰かが倒れている。確かめるまでもない。あいつだ。

「お、おいっ!なにしてんだよ!!」

 這って移動したのだろうか。彼は今もどこかへ行こうとしていた。

「なにやってんだ!」

 手があがりそうな自分を必死に抑える。唇をかみしめて彼を仰向けに転がすと、彼はあろうことか笑っていた。

「・・・なに・・・笑ってんだよ!」

「・・・飯が・・・俺の死体で・・・臭くなったら・・・いやだろ・・・」

 あろうことかそんなことを言うのだ。

「馬鹿言ってんじゃねぇよ!!」

「どきなさい!」

 サンドラを突き飛ばし、テスラが彼に覆いかぶさった。

 テスラは彼のむき出しの胸に耳を当てた。膨らんでいる右胸から呼吸音が一切聞こえない。心臓の拍動は聞こえるが、ネズミの心臓かと思うくらい異様な速度でリズムを刻んでいた。

「これは・・・とにかく出血を・・・」

 身体の構造そのものはエルフも人間も変わらないはず。なにせエルフは神の現身、そして人間は神の姿を模倣して作られた存在。両者の間に差異はほとんどない。エルフの治療法もそのまま通じるはずだ。

「出血はここだけですの!?」

「は、はいっ!腕だけです!」

 テスラは腕を見る。出血は酷い。酷いのだが・・・

「どうして放置したの!これぐらいの治療ならあなたもできるでしょ!」

「す、すみません」

 怒鳴っていても仕方ない。このまま何も考えずに治癒魔法をかけなかっただけましだ。

「とにかく、骨の位置を戻すわ!サンドラ、肩を抑えて」

「はい!こ、こうですか!」

「しっかり抑えなさいよ!」

 ステラは折れている腕を肘から引っ張った。

「うううっ・・・」

「我慢しなさい!人間!!」

骨が皮膚の中に戻り、血が噴き出る。それが顔にかかるのもものともせず、ステラはその掌を傷口にあてた。

掌が淡く光るようにして傷口に吸い込まれていく。だが、彼の傷は遅々として治らなかった。

治癒魔法はその体に本来ある止血能力や、免疫能力を強引に高める魔法だ。

あまり使いすぎると本人に過度の負担がかかるばかりではなく、別の場所の治癒ができなくなることもある。不用意にぶっ放せばいいものではない。

とにかく今は大きい血管の血を止めるだけで精一杯だ。今は他にやることがある。

「す、ステラ様!呼吸が!」

「わかってるわ!!」

 ステラはすぐに次の処置に移る。ステラは短剣を抜いた。それを彼の左胸にあてる。

「え・・・ステラ様?何をする気ですか!」

「黙ってなさい!!」

 この新人騎士は治癒魔法の授業を本当に聞いていたのかしら。

 ステラは短剣の切っ先を肋骨の間に差し込む。指先の間隔に集中する。わずか数ミリでもずれれば余計な損傷を与えることになる。

 その切っ先が何かの膜を破った感覚が指先に伝わる。

「・・・よし・・・」

 短剣を引き抜くとその傷痕から空気が噴き出た。

「うっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」

 彼の呼吸が元に戻る。

 テスラの肩からどっと力が抜けた。

「ふぅっ・・・ひとまず、処置はいいですわ」

「で、でもこいつこんなに出血してますよ!輸血とか・・・あ、あたしの血をわけたら!」

「このお馬鹿!」

「あいたっ」

 わりと本気で頭を叩いた。

「あなたは治癒魔法の時間に何を聞いていたの!」

「す、すみません・・・だって・・・使うなんて思ってなくて」

 エルフという種族が大きな怪我をすることなど滅多にない。それ故に治癒を疎かにする者が多いとはいえ、これはいくらなんでも不勉強が過ぎる。

「私達の血を人間に入れてごらんなさい!彼らの血が体内で固まりますわ!」

「あっ・・・そ、そうでした。でも、こいつ滅茶苦茶血を流して・・・」

「・・・そうね。相手がエルフなら私達の血を分けるとこです。でも、私達にもうできることはありませんわ・・・後は・・・彼の力次第です」

「治癒魔法は・・・もう使えませんよね」

「わかっているならいいですわ」

 治癒魔法は無限に使えるわけではない。生物が本来持つ能力を過度に上回ることはできないのだ。もし、そんなことをすれば必ず別の場所が破綻を起こす。

「うっ・・・・・ぁ・・・・」

 今にも消えそうな呼吸音。それだけが彼の命を繋ぐ生命線だ。

 治療は間に合わなかったかもしれない。

今夜を乗り切れなかったら、彼は死ぬだろう

 どちらが何かを言わずともそれぐらいはわかる。

「サンドラ・・・夕食の支度を・・・」

「えっ・・・」

「食事が遅れれば他の隊の者達がうるさいですわ。彼のことを嗅ぎつけるかもしれません」

「はい・・・わかりました」

 しぶしぶ。そんな様子でサンドラは少し離れてしまった竈のところへと歩いていった。

「・・・・・・・」

 苦しそうにあえぐこの男を見ていると、酷く胸の奥がざわつく。

一つは多分恋煩い、もう一つは酷い後悔。

 見殺しにしとけばよかった。

 そうすれば、全ての愁いは解決したのだ。彼に二度も真剣勝負で負けたという汚点は残るが、そんなこと些細なことだ。目の前に直面している問題からすれば本当に些細なことだ。

「・・・・・・くれ・」

「え?」

 ふと、彼の口から言葉が漏れているのに気が付いた。

 寝言というか、うわ言というか。死の間際に口にする言葉。

 興味が湧いた。

 想い人への言葉かもしれない。神への祈りかもしれない。私達への恨み言かもしれない。

 だが、この人間を理解する足がかりになるかもしれない。

 ステラはそっと口元に耳を近づけた。

「・・・・・ろして・・・くれ・・・」

「・・・え?」

「・・・ころして・・・殺してくれ・・・」

 耳を離す。彼の顔は何かに追われているような必死な表情をしていた。


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