幕間 エルフの生き方
テスラ様のテントに来るのは今日で二回目だった。
朝、あいつが起きそうになって慌ててマントを引っ張りあげて逃げ出した。自分でもなんで逃げ出してしまったのかわからなかったが、とにかく逃げ出してしまった。
結局、一晩悩んでもこの胸の中のわだかまりは解けることはなかった。
そんな時、テスラ様に声をかけられたのだ。
気が付けばあいつの延命を申し上げていた。あいつと私闘をしたことも包み隠さず話した。その為に自分の手で殺したいと嘘を言った。そして、あいつがエルフ相手に勝利を収めた戦い方は意図的に話さなかった。
こうして改めて考えると私、かなり危険な橋を渡ってるのかもしれない。
代々の名家にして、エルフの隠れ里の中でも貴族にあたるテスラ様を相手にこんなに隠し事をしている。しかも、内容は人間を庇っている。こんなことが知れたら、家名に傷どころか私まで里から追放されるんじゃないだろうか。
「いや・・・奴隷の扱いを・・・学んでいる。人間を・・・手なずける方法を・・・学んでいる」
そう考えれば少しは気が晴れるような気がするが、言い訳でしかないことは自分が一番わかっていた。
「・・・なんで・・・あいつなんかに」
あいつは私を殺しかけたっていうのに。なんでこんな気持ちになっちまったんだ?
わからない。思い出す度に感じるこの強い胸の痛みを説明することができない。
わかるのはあいつを痛めつけることは私にはもうできそうになかいということだけだ。
「テスラ様、お呼びでしょうか」
「サンドラ。そこの食事を片付けてくださるかしら?それと、昼食が残っているなら持ってきてくださる?」
「はい。ですが、昼食はもう残っておりません」
「・・・そう・・・それならいいわ」
テスラはテントの隅で椅子に座って疲れたように目を覆っていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、少し疲れてしまって。情けないところを見せるわね」
「いえ。私は構いませんが・・・」
散らばった食事を転がった器に拾い上げる。切り口が綺麗だ。これはあの人間が切った野菜だ。私のはもっと切り口が雑だった。
「・・・・・・テスラ様・・・また話を蒸し返すようですが」
「あの人間の話はしないでくださる?」
「で、でも・・・」
「サンドラ。次はなくってよ」
「・・・・・・はい」
でも、サンドラは話してみたかった。
彼女なら、自分と同じ経験をした彼女ならこの鼓動を説明してくれるかもしれない。
理解できない感情に一晩弄ばれただけでサンドラは随分とくたびれたような気がしていた。早くこの気持ちに整理をつけてしまいたい。悶々と日々を過ごすのはとても体力を使う。
「サンドラ・・・あなた、怖いと・・・思ったことある?」
「え?」
「だから、怖いと思ったことよ」
すぐに浮かんだのはあの男とやった昨日の私闘だ。だが、人間の話はできない。
「昔・・・命の営みを理解できずに・・・仲の良かった雌鹿が亡くなるのを・・・あっ、でも、あれは悲しかっただけですし。怖いということは・・・幼い頃、森で迷った時は最初は少し不安でしたけど、すぐに森の声を聞けましたし」
戦場に出ていく父を見送った時も特にいなくなる恐怖は感じなかった。人間相手にエルフが遅れを取るわけがないと信じ切っていたからだ。曾祖母が亡くなった時には命の循環に帰るだけなのだと、物悲しくなっただけで、やはり恐怖はない。
そう考えるとやはり『恐怖』というのを感じたのはあの人間の殺意だけだ。
むしろ、恐怖を感じたことのあるエルフなど他にいるのだろうか。
「あっ・・・・・・」
目の前にいた。
「・・・・他には?なにかなくて?」
よくよく見ると、彼女の頬はどことなく高揚している。
「えと・・・つい最近、ありました」
「そう?それじゃあその話を聞かせてくれる?最近、詩の出来が悪くて・・・何か気分が変わればいいのですが」
サンドラはホッと胸をなでおろした。
聞いて欲しかった。教えて欲しかった。共感が欲しかった。
「はい。殺されると思いました。すごく、怖くて体が固まって。でも、胸の奥がものすごく高鳴って」
趣味で詩を書いているとは思えない程に拙い言葉しか出てこない。
けれど、そう言うしかないのだ。
「ええ、わかりますわ。身体の芯まで冷えきっているはずなのに。身体はものすごく暑くて。心臓が・・・こう・・・ときめくように胸打つのです」
「そうです。多分、それはやっぱりあの・・・えと・・・襲ってきた獣のせいですよね」
「ええ、きっとそうですわ。あの獣、なにか今まで出会ってきたどんな獣とも違いましたわ」
「そうですよ。あの獣からちょっとした優しさが・・・優しさ・・・」
「ああっ!それですわ!殺意はあったのに、決して殺すつもりを感じない。こちらの身を案じるような優しさがあるんですわ!」
「そうですよ。だから、きっと私達の胸にこうも獣の・・・牙とか爪とかがとても印象に残っているんですよ!」
お互いの気持ちを語り合うエルフ。
二人の頬は赤く高揚していた。
自分の気持ちが一つの形に固まっていく。わだかまり、淀んでいた感情が紐解かれるように一本の道筋を辿っていく。
彼女らは答え合わせをするかのように、自分らの思いを言葉に変えていった。
「以前、古い文献に書いてあったことがありますわ。命の危険の心臓の拍動と他者に恋をする時の拍動は似通っていて、勘違いすることがあると」
「なるほど・・・だから私達は・・・・あ・・・・あの・・・・えと・・・」
その続きを言おうとして、彼女らはお互い赤くなったまま硬直した。
顔は次第に赤から青に、そして蒼白になっていく。
「・・・それは・・・ダメですわ・・・決してやってはいけないことですわ」
「そうですね。そうですよね」
感情に名前が付いた。自分の気持ちの輪郭が見えてきた。
「エルフは・・・他の種族と交わっては・・・いけませんわ」
「・・・・・・・そうです。そうですよ。だからこれはきっと恋なんかじゃ、ないんです」
「ええ、その通りよ」
たどり着いた答えは決して踏み込んではならない領域。
決して許されない掟。
誰にも祝福されない存在。
だから、答えは決まっていた。
「・・・私達の家名を守るためには・・・やっぱりあの獣には・・・死んでもらわなくてはなりませんね」
彼女らの気持ちの欠片でも外に漏れたら、事態は大事だ。人間相手に二度も敗北したことなど小さな問題に感じる程の一大事だ。
「・・・です・・・よね・・・」
家名に傷どころか、一族追放まで有り得る大問題だ。
人とエルフの恋。
古い詩や物語にも時折描かれる物語。誰しもが愚かな人間などに現を抜かさぬような教訓を込めて描かれる。その結末は常に最悪を辿る。
大概は心変わりした人間に全てを奪われるエルフの話になる。
どれもこれも多少の違いはあれどろくな結末を迎えない。
彼女らにも大事なものがある。家名であり、家族であり、一族である。
それらを守る為にあの男は生かしてはおけなかった。私達の気持ちを封じる為に生きていてもらっては困るのだ。この感情を無かったことにする為に私達の手でケジメを付けなければならない。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
無言の時が過ぎる。
二人共、考えていることは同じだった。
「テスラ様・・・」
「サンドラ・・・皆まで言わなくていいわ。やはり、わたくしが、やりますから」
「・・・でも・・・いえ・・・わかりました」
時間は早い方がいい。どうせ、奴隷一匹嬲り殺したところで問題にはならない。エルフ達は良くも悪くも人間なんかに興味はない。
「今晩にでもやりますわ」
「・・・・はい」
それは絞り出したような言葉だった。




