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奴隷の生き方 F

「・・・うぅぅ・・・うぅぅ・・・」

 人間は眠るとすぐに苦しそうな寝息をたてだした。

 それを足蹴にしてたりたい感情を無理やり抑え、サンドラは鼻血を袖で乱暴に拭った。

「な、なんだよ・・・こいつ・・・」

 右手で握りしめたのは拳でも剣でもなく自分の心臓。

 心臓が高鳴っていた。かつてない程にバクバクと強く拍動していた。エルフの集落で素敵な殿方と会った時ですらここまでの高鳴りは起きなかった。

 なんなんだ。こいつは・・・

 サンドラは未だかつて味わったことのない強い動悸に混乱していた。

エルフという種族は寿命も長く、戦闘能力も人間よりはるかに高い。人間に対しては好戦的だが、エルフ同士で殺しあうことはまず起こらない。エルフという種族が死に直面するのは極めてまれなのだ。

 だからこそ、この昂ぶりがわからない。

 だからこそ、エルフ達は長い時を生きていてもなかなか知る機会がない。危険な状況に陥った時の心臓の高鳴りが恋をした時の心臓の高鳴りと同じだということを。

「うう・・・」

「っっ!・・・寝返りかよ・・・脅かすな!」

 大きい声が出た自分の口を咄嗟に抑える。

 馬鹿か私は!こいつが起きてしまう。

 いや、まて、落ち着いて考えろ。私はエルフの騎士の一人だぞ!その私が人間に負けたんだ。しかも二回も。これは恥以外の何物でも無い。私の家柄にまで関わってくる重要な問題なんだぞ!

 だったら、さっさと殺してしまうに限る。

 サンドラは剣を引き抜こうとした。

「ぬっ、ぬおっと!」

 焦ったせいか、鞘に剣が引っかかって抜けない。

「おおっ・・おおっっ!」

 更に焦ったせいで身体のバランスを崩した。

 体の下にはあの人間がいる。

「ううっ!ううっと!」

 踏ん張れ!踏ん張れってば!

 だが、強烈な打撃を受けた後の身体は思ってた以上に疲弊していたらしい。

 力を込めたつま先の奮闘むなしく、サンドラの身体は人間の方へと流れていった。

「ううっっと!」

 その拍子に剣が鞘から抜けた。月明かりを反射して白刃が夜の暗闇を一閃。ドスッという音と共に剣が地面に突き刺さる。

 剣は人間の喉元の隣に突き刺さっていた。刃が触れるか触れないかというギリギリの位置。一歩間違えば剣先が喉仏に突き刺さっていた。

「あっ、あぶねぇ・・・」

 剣の柄にもたれかかって体を支えたサンドラは安堵の溜息を吐いた。

 もう少しで殺してしまうところだった。

「いや、ちょっ、私なにしてんだ?殺しとけばよかったのに!」

「うう・・・うう・・・」

「っっ!!」

 驚いたサンドラは剣から手を離して尻もちをついた。

「な、なんだよ。脅かしやがって・・・」

 彼は目覚めない。ただ、苦しそうな寝息をたて続けるだけだ。

「・・・・・・・ったく・・・なんでそんな苦しそうに寝てんだよお前は・・・」

 彼の寝息は終始苦しそうだ。やけに咳もしてたし、どっか身体でも悪くしてんのかな。

「・・・・・・いや。別にこいつのこと心配してるわけじゃなくて・・・そうだ。テスラ様からこいつは殺しちゃダメっていうお達しを受けるんだ。うん・・・だから、その・・・身体壊されて・・・死なれた困る。うん。人間は貧弱ですぐに死ぬからな・・・このままはまずいよな。うん・・・」

 だが、サンドラの思考はそこで止まる。

 こいつ普段どうやって寝てるんだろう。外で寝てるのは知ってたけど。なにか厚着している様子はないし。

「・・・竈の傍だ。そうだ。あそこなら暖かいもんな・・・それじゃあ・・・どうしよう」

 人間を目の前にしてサンドラは唸る。

こいつを運べばいい。簡単だ。簡単だが。私みたいな高貴なエルフが人間に手を貸すなんて間違ってる。そうだ。うん。それにどこ持てばいいかわかんないし。引きずるのは・・・なんかかわいそう・・・いや待て、今までこいつの扱いを考えれば蹴って転がすぐらいでちょうどいいはずだ。それなら、私が持つ必要ないし・・・

その辺りで考えがまとまりそうだった。

 だが、なぜかサンドラはこの人間をぶん殴ったり蹴り上げたりすることが出来そうになかった。

「・・・くそぉぉっ・・・なんでこんな気持ちになるんだよ!たかが人間相手に!」

 思い出すのは二度も寸止めされたこいつの打撃。あの瞬間を思い出すだけで動悸が一際強くなる。決して心地よくはないが、それは確かに初めての経験。

「騎士としての心が・・・こいつの攻撃に昂ぶってるんだよな・・・多分・・・それ以外無いよな」

 詩を書くのが趣味のサンドラはなんとかこの拍動を言葉にしようと努力したが、どうにも上手くいかない。人間が相手だと今まで使ってきた詩的で美しい言葉が似合わないのだ。直線的な言葉にしようとすると言葉が表面を滑る。

 なんとかこの現象を整理したいサンドラはもどかしいばかりだ。

「・・・ううっ・・・ううっ!ああもう!お前がいるからいけないんだ!!」

 腹に拳をめり込ませようとした腕は彼のシャツに触れた時点で止まった。贅肉も筋肉もない薄くなった身体に触れたところで止まっていた。

「・・・俺達が・・・こんなにしちまったんだよな・・・」

 なぜか巻き起こる後悔。

「違う!違うぞ!戦士として全力のこいつと戦ったらどうなるかって思って・・・決して人間なんかの身体の心配しているわけじゃねぇからな!」

 誰に言ったわけでもない言い訳が口の中を巡る。

 悶々とした気持ちを抱えていても気持ちの整理はつかない。

「・・・苦しそうに寝やがって・・・」

 サンドラは自分のマントに手をかけ、そして言い訳を探す。

「違う!これは・・・これは・・・」

 言い訳を探し、適当に理由をこじつけてサンドラはマントを彼の肩にかけた。

「・・・・・・・うっ・・・」

 彼が少し反応し、サンドラの肩が音をたてて固まった。

 だが、彼は起きだしてくることはなかった。

「はぁ・・・」

 安堵の息が漏れる。

「・・・ったくもう・・・せっかく私のマントを貸すんだから。もう少し幸せそうに寝ろよ。こんな幸運めったにないんだからな」

 その声が聞こえたわけではないだろう。

 でも、ほんの少し彼の表情が和らいだように見えた。

「・・・・・・・」

 サンドラの鼻から血が滴り落ちる。

 この男から殴られた箇所が酷く痛んでいた。だけど腹は立たない。

 サンドラはまたその理由を探し始めた。



 翌日、明け方の鋭い冷気に目が覚めた。

 俺は昨日サンドラとやりあった場所に放置されていたようだ。

「・・・あれ・・・」

 冷たい地面に横たわっていたはずなのに、やけに身体が軽い気がした。

 いよいよ、もうダメかもしれないな。

 自分はもう死にかけてるんだろう。

体調も悪く、体力も限界に近い身体でこんな場所に寝ていたんだ。

いい加減、死期はもうすぐそこだろう。

 よく持った方だと自分を褒めたいぐらいだ。

「・・・・・・はぁ・・・」

 とはいえ、そんな状態にあっても俺に休む権利など与えられない。奴隷としての俺は働くしかないのだ。

 昨日ぐらいサンドラが手伝ってくれればいいのだが、期待は薄い。昨日散々殴りまくったのだ。腹に据えかねて殺されてもおかしくない。そんな彼女が手伝ってくれると思える程におめでたい思考はできない。

 案の定、サンドラは朝食の準備を終えても顔を見せなかった。

 いつものように飯を運び、シャルルに腹を殴られて胃酸を口の中に溜める羽目になった。シファーに至っては真剣まで取り出してきた。どうやら、届いた手紙が非常に腹立たしいものだったらしい。その日の夜はシファーの隊の稽古台を言いつけられた。

 最後にテスラのところに運ぼうと、テントへと近づく。

 一昨日、テスラに勝利してからこの隊の視線がかなり痛い。突き刺さるというか、抉られているという表現が一番近い。

 それらを背中に浴び、俺はテスラのテントへと入っていった。

「で、ですから。あれの始末は私が・・・」

「いえ。サンドラ。これはわたくしの不始末ですわ。自分のケジメぐらい、自分でつけます」

「で、でも・・・」

「あなたの申し入れはとてもありがたいわ。けれど、わたくしは引くわけにはいかないの」

 中ではサンドラとテスラが何かを話していた。こちらには気づいていないらしい。

 ちょうど良かったとばかりに俺はテントのテーブルに食事を置いた。話し合いの途中に割って入れない。完璧な言い訳だった。

「はぁ・・・」

 それでも何も終わらない。他のエルフ達の給仕をし、トイレの処理をして、馬の世話をしてようやく朝の仕事が終わる。今日は陣を移動する気配がないのがまだ救いだった。

 それにしても・・・

 俺は肩を回した。身体が軽いにしても随分と軽いままだ。本当に体調が良いのかもしれない。咳もあまり出ない。数日前から続いていた腹痛も今日は少ない。

 昨日、休みをもらえたのが効いているのだろうか。

「おい・・・」

 そんな時、声をかけられた。顔をあげるとサンドラがこちらを見下ろしていた。鼻の頭が赤いのは昨日俺が肘をぶち込んだせいだろう。

「・・・・・・・」

 昨日の意趣返しだろうか。

「何だよその目は。別に取って喰いはしねぇよ」

「だったら・・・なんのようだ?」

 また何か理不尽なことを言われるのだろうか。

 そう思っていたが、サンドラが口にしたのは意外なことだった。

「・・・お前、どんな風に料理を作ってる」

「え?」

「だから・・・料理だ、料理!お前の飯、俺よか美味いんだよ!どんな工夫をしてんだ!」

 それは無理やり絞り出したように苦しげだった。

 余程、俺にものを頼むのが苦痛なのだろう。

「お前、どうせそのうち死ぬだろ。テスラ様に遠からず殺される。そうだろ!」

「・・・ああ・・・」

 というか、今日シファーの隊で稽古台になった時にどうなるかわからない。夕飯まで生きてられるかどうかの問題だった。

「そん時、俺の飯が不味いってなったら・・・俺の家名に関わる!だから、俺が料理が上手くなるように・・・教えろ!」

「・・・いいよ」

「い、いいのか!」

 断ったら何をされるかわからない。仕事がまた増えた。溜息を吐きたいところを無理に抑えこんだ。

「・・・じゃあさっそく教えろ。もうすぐ昼飯の支度するだろ!」

「ああ、いや・・・まだこいつが片付かなくて」

 馬に乗せる鞍を磨く作業が残っている。これを終えてから昼飯に取り掛かるつもりだった。

「それは俺もやる。っていうかてめぇ!何働いてんだ!昨日テスラ様に勝ったんだったら、今日は仕事しなくていいはずだろ!!」

 あんたが言うか、あんたが。

 お前が代わりにやってくれるはずだったんだろうが。

 口から出そうになる百万語を抑え込んで俺は頭を下げた。

「すみません・・・」

「わかればいいんだよ。ほら貸せ!」

 サンドラと共に鞍を磨く。人手が二人なら時間は半分。予定していた時間よりも早く仕事は終わった。

「よし、それじゃあ何からやるんだ!」

「下処理からだ」

「下処理?」

 料理はかなり手慣れていた。最初の人生では最後は一人暮らしをしていたし、キャラバンにいた頃は料理の手伝いも仕事のうちだった。暗殺者時代は何日も森で過ごす訓練もさせられた。

「火を通す時間が短くてもいいように、色々方法があるんだよ。まずはそれからだ」

 錆びつきかけている包丁を手に、野菜や穀物の処理の方法を教えていく。彼女は米を研ぐことも知らなかった。

「エルフってのは・・・そのままの自然の味わいを大切にするんだよ!」

 無知だったことの恥のせいか、サンドラは顔を真っ赤にしてそう怒鳴った。

「野戦料理ってのは火の具合だけが肝心だ。他に工夫をするなら、香料と塩は多めにする。あとは果物はできるだけ火を通さない」

「あぁ、理屈はわかるんだけど。それを料理にすると単調になっちまうだろ!」

「それを見た目と火加減でなんとか差別化するんだよ」

 誰しもまずい飯なんか喰いたくない。というか、不味い飯を出したらどんな目に合うかわかったものではない。

 この3か月で俺の料理スキルは随分と上がっていた。エルフにものを教えられるぐらいに。

「ごほっ・・・ごほっ・・・」

 料理に何か飛ばないように脇を向いて咳をする。

「・・・・・・・・で、次は?」

 何か言われるか、それとも殴られるかと思ったがサンドラは意外にスルーしてくれた。昼食まで時間がない。焦っているんだろう。

 教えながらの料理。仕上がったのは時間ぎりぎりだった。

「ふぅん・・・だいたいわかった。よし、今日の晩飯は俺が作ってやるよ」

「・・・そいつは・・・ありがたいね」

 今はサンドラが飽きないことを祈るばかりだった。

 昼飯を運ぶのはいつも以上に神経が必要だった。シャルルはいつものことだが、シファーの機嫌は昼になっても最悪だった。また難癖を付けられて殴られる。口からも皮膚からも何も流れ出さなかったのが不思議な程だった。

「・・・昼食をお持ちしました」

 そして、テスラだ。

 俺が入ってきた瞬間に、凄まじい表情で睨みつけてきた。

「朝食を持ってきた時にどうして一声かけなかったのかしら。随分と不躾な行いじゃない」

「・・・お話中でしたので遠慮しました」

 テスラの顔にサッと赤みが差した。鞘をつけたまま、剣が横殴りに振り切られた。

 側頭部をぶん殴られ、持っていた盆から飯が飛んでいく。

「お話し中?いつっ!何の話を聞いたの!」

 ジンジンと側頭部が痛む。酷い眩暈お覚えていたが、答えなければ次が来る。

「・・・サンドラと話している時・・・です・・・何を言っていたのかは覚えていません」

「本当でしょうね」

「・・・本当です」

 立とうと手をついたが、肘から力が抜けた。身体が地面に横たわる。

 腹から蹴り上げられ、無理やり仰向けにさせられた。テスラが見下ろしてくる。

 こんな時に思うのもなんだが、良い眺めだった。下からだとその豊満な身体がよくわかる。

 とはいえ、自分の身体は反応しなかった。そんなことで興奮するような体力は残っていない。

「・・・昼食はいいですわ。気分が悪い」

「そうですか・・・」

 なら先に言って欲しいもんだ。

「それと、食事の片付けもいいですわ。サンドラを呼んできなさい」

「・・・はい」

「今日の夜の稽古台も必ず来るように」

 最後の命令だけは殺意が滲んでいた。

「・・・はい」

 疲れた身体でテントを出て、竈へと向かう。サンドラがテスラの隊の器だけは給仕を担当していたが、残りは俺の仕事だった。

 サンドラにテスラのことを伝えると、彼女は少し困ったような顔でテスラのテントへと向かっていった。

「おい、人間。昼が終わったらシファー様のテントの前に来るようにな」

「・・・はい」

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