奴隷の生き方 E
おぼつかない足取りで竈のところへと歩き、暖かな場所を探す。地面に触れて温もりを確認し、俺はそこに身を横たえた。
身体が言うことをきかなくなってきていた。衰弱していっているのが嫌でもわかる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・ごほっ、ごほっ!ごほっ!」
強い咳が出た。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
「てめぇ・・・起きろ・・・」
殺意にまみれた声がした。溜息が出そうになるのを押し殺す。
「なんでしょうか・・・」
なんとか体に力を込めて立ち上がると、目の前にサンドラがいた。
こめかみに血管が浮き出ているし、握りしめた拳は震えている。
「お前みたいな奴が・・・どうやって二度もテスラ様を倒した」
「どうやって、と言われても・・・頑張ったとしか」
彼女の血管が切れるような音がした。
鼻っ柱に拳骨を叩きこまれた。
「ぐふっ、うぁ・・・」
地面に転がされる。草の上に点々と赤い滴が落ちた。鼻血を袖で拭ってると、後ろから奥襟を持たれた。
「ううっ・・・」
「おい、いい加減なこと言ってんじゃねぇぞ。貧弱で力も遅けりゃ剣も並み以下の人間がテスラ様に勝てるわけねぇんだよ。どんな姑息な手を使ってやがる。吐け!!」
勢いのままに地面に顔を叩きつけられる。
ひでぇよ・・・
勝っただけじゃねぇか。たった一日の休息と、一回の飯の為に命張って勝っただけだろ。なのにどうしてここまでされなきゃならないんだよ。
長らく捨てていた涙がこぼれていた。久々の涙だった。
「おいっ・・・」
「すみません・・・許してください・・・俺は、何も・・・してないんです」
「泣き落としのつもりかよ」
再び地面に叩きつけられた。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!」
一言ごとに地面が激突してくる。額から血が流れだした。鼻血がさらに噴き出てくる。口の中が切れた。
「どうして・・・どうしてお前が・・・人間風情が!」
襟が離され、頭が力なく地面に横たわる。
あちこちからの出血で顔中が血まみれだった。
「どうやって・・・勝ったんだよ!」
腹を蹴られて仰向けに寝転がされた。
「おいっ!答えろ!」
腹にブーツの裏が乗った。ぎりぎりと内臓が潰れる。
「がっ・・・ぐっ・・・あぁっ・・・」
うめき声しか出ない。両手で足をどけようとしても、非力な俺の力じゃサンドラの力には対抗もできない。
何をしてもこうなるんだ。
手に入れたら奪われて、頑張ったらなじられて、努力したら踏みにじられて。いい日だと思っていた日の最後にはこうして殺されかかっている。
不幸だ。理不尽だ。俺が何をしたっていうんだ。なんで生きることがこんなに辛いんだ。
俺はただ、小さな幸せでいいのに。
「ううっ・・・・ううっ」
もう・・・殺してくれよ・・・
「本当に・・・なにもねぇのか」
「ないって・・・言ってるだろ」
涙ながらに出た声は随分と震えていた。情けない声だ。子供に戻ったみたいだ。
「・・・・・・・・・・」
サンドラは足を引いた。
次は何が来る。俺は身を縮こまらせた。背を丸め、腹を庇って丸くなる。
「・・・・・・・・」
目からこぼれる涙が顔の血を洗い流していた。
「・・・・・・はぁっ・・・」
溜息が聞こえた。
蹴りが飛んでこない。魔法が放たれる気配もない。もう、飽きてくれたのだろうか。
「もう蹴らねぇよ・・・」
その代り、隣に誰かが座ったような音がした。
「・・・え・・・」
「だから、そんなに怯えるなよ。なんか・・・悪いことしてる気分になるじゃん」
「・・・・・・・」
彼女は頭をかきながらそんなことを言った。
悪いことをしてるんだよお前らは。俺はこんな理不尽な目に合わせているんだぞ。
とはいえその時は言葉が出なかった。
「・・・お前、ほんっとうに何もしてないんだな」
小さく頷く。
それは今まで見たことのなかったエルフの姿だった。俺の前のエルフは常に俺に罵倒を浴びせ、冷酷な目で見て、足蹴にし、時に得物で打ち据えてくるような存在だった。
例外などなく、俺はいつもゴミのように扱われていた。
「・・・そうか・・・なら・・・よくねぇけど」
「・・・・・・・」
「だからそう脅えんな。もう蹴らないって言ってるだろ」
ゆっくりと身体の硬直が解けていった。涙が引いていくのがわかる。
「なんだよ、そんな珍しい動物でも見つけたような顔しやがって。言っとくけどな、エルフだって他の生き物に優しくすることぐらいできるんだぞ」
それぐらいできるとは思っていた。彼女らは馬や野鳥なんかにはとても優しい。
だけど、その対象が俺に向くとは一切思っていなかった。
「・・・そりゃな、人間ってのは同じ種族で殺し合ったりするし、エルフの知識とか土地とか求めて襲ってくるし、実力差もわかってないのに偉そうにするしで種族としてクソだとは思ってるさ」
「・・・ごほっ・・・ごほっ」
咳が出た。
「おいっ!てめぇ咳をすんなって・・・まぁいいや、もう」
「・・・悪い・・・」
「いいよもう・・・怒んのも疲れた」
「・・・ん?」
「お前のせいだぞ!久々に雑用なんかやったからもうくたくたなんだよ」
「・・・それを俺は・・・毎日やってたんだぞ」
「んなもん、奴隷なんだから当たり前だろ。俺はお前と違ってデリケートなんだよ」
人間の方が身体も心も貧弱だ。わかってて言っているのは彼女の目を見ればわかった。
「・・・それで・・・お前、どうやって二度もテスラ様に勝ったんだ?」
「だから!俺は何もしてないって・・・」
「ああ、ああ、ああ、脅えんなよ。もう蹴らないって言ってるだろ!」
脅えてなんかないと言い返すには俺の手は震えすぎていた。
「昨日も今日も、お前は体術でテスラ様から勝利を取った。なんか特別な動きかなんかしてるんだろ!相手を惑わす視線誘導とか、目の前から消えたように見せる動きとか、そういうことしてるんだろ!」
「・・・してねぇよ・・・」
「嘘つくな!もっぺん蹴る・・・ああ、蹴らない、蹴らない!」
言い直したサンドラ。余程俺が脅えた顔をしたんだろう。それぐらい身体にエルフに対する恐怖心が染みついていた。
「じゃあ、どうやって勝ったんだよ。昨日は不意打ちってことでなんとなくわかるけど。今日はそんな感じじゃなかったし、テスラ様も本気でお前を殺す気だった」
ああ、やっぱりそうだったか。
普通の処刑という形を取らなかったのは負けて失った誇りを取り戻す為だろう。俺が死んでしまったら、テスラはこれからの長い人生を『人間に負けっぱなし』という汚点を背負って生きていく羽目になる。
「小細工でお前が生き残れるはずがない。なのに、お前は生きてんだ。やっぱりなんかしたんだろ」
「してない・・・けど、ちょっとは狙った」
「狙った?なにをだ?」
「多分・・・俺は・・・明日死ぬと思う」
「ん?どういうことだよ」
ようやく呼吸が整ってきた。
見たことの無いサンドラの姿。俺は仰向けに転がり、楽な体勢になる。
「あれは一回しか通じないことをしたんだ」
「わかるように話せって!」
語気がわずかに強まる。それだけで身体がビクリと震えた。もう条件反射並みだった。3か月も酷い扱いを受けていたら皆こうなる。
「だ、だから・・・昨日、俺はテスラに勝った・・・その時にテスラには投擲と打撃が印象付いてると踏んだ。だから、それをやる仕草を見せることでテスラの行動を縛ったんだ」
「そんなことできるのか?」
「テスラがあれだけ気合入ってたんなら。気負ってると思った。反応が過剰になるともな。だから勝てたんだ」
「・・・それ本当かよ」
「明日になったらわかるさ。もう、通じねぇから・・・俺の引き出しはもう全部見せた。あれ以上の不意打ちはない・・・もう、勝てないよ・・・」
明日もきっと稽古台に使われるだろう。次はテスラもあんな過敏な反応は見せないだろう。一つ一つを確実に潰されたら、あとは殺されるしかない。
よくても、明後日には絶対に負ける。
「・・・信じられねぇな。だって、単なるフェイントだろ。本命にビビッてこそのフェイントの効果がある。そんな人間の非力な攻撃相手にテスラ様がビビったりするのか?」
「・・・できたんだから・・・そうなんだろ」
サンドラは一切信用していなかった。エルフが人間の攻撃に欠片でも恐怖を感じたなんてことがどうしても納得いかないらしい。
「そうだ。だったらそれを俺にやってみせろよ!俺は・・・テスラ様程強くないけど、人間相手の攻撃にビビったりはしねぇぜ!」
「・・・え・・・」
「え、ってなんだよ!いいからやってみろよ!」
本当のこと言うともう眠らせて欲しかった。今日は雑用が少なかったとはいえやはり身体が重い。ここでまた激しく身体を動かすのはもう勘弁してほしかった。
「早く立てよ!早く!!」
俺が何を言ってももう聞いてくれそうになかった。こっちがごねればまたパンチかキックが飛んでくる。もう、やるしかない。
立とうとすると膝が笑っている。限界が近い証拠だった。
「ほら、やってみろよ!」
両手を広げて待ち受ける構えのサンドラ。
「やってみろって・・・これはまず最初に相手を打ち負かして死の恐怖を与えてからじゃないと」
「だったらそれからやれよ」
エルフのくせに頭が悪い奴だな。
口には出さずに唇を噛む。
「いや、だからそれにはサンドラをいくらか痛めつけないと」
「だぁかぁらぁ!それをやれって言ってんだ!」
もう、聞いてくれなさそうだった。
「このことで怒らないでくれよ・・・」
「怒らないから早くしろ!!」
一切信用ならない。
だけど、このままだと何もしなくても殴られそうだ。
意を決することにした。
「はぁ・・・行くぞ」
「こぉい!」
両手を彼女の頭に伸ばす。のけ反ってかわそうとする彼女の膝を踏み、膝蹴りを顎にぶちこんだ。
「ぐふっ!」
本気でやれと言ったのはそっちだ。容赦はしない。
今まで散々やられてきた恨みを込めた飛び膝蹴り。その勢いのまま頭を掴む。髪を掴んで引きずり倒すようにして引き寄せ、顔面に左肘をぶつけた。攻撃は一発で終わらず、二度、三度とエルボーを叩き込む。攻撃を休める。サンドラの顔からは鼻血がこぼれており、目からは殺意が見えていた。
「てめっ・・・」
隙を見せたてめぇが悪い。
容赦なく掴んだ髪を引き寄せて足を払った。彼女の身体が宙を浮く。その顔面に全力の膝を合わせた。
殺す。
「・・・・・・・・・」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
膝を寸止めした。
顔は見えないがその息遣いが十分に恐怖を感じたことを物語っていた。
髪を離してサンドラを突き飛ばす。
「どうだ・・・怖かったか?」
激しい運動のせいで俺の呼吸も激しく乱れていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・」
サンドラの呼吸は十分に乱れていた。恐怖で顔が硬直している。怖がってくれたらしい。
「お前、よくも!!」
俺はまた一気に駆け出した。今度はサンドラも本気で相手をしてくるつもりのようだ。
俺は膝蹴りの構えを見せた。サンドラは真っ先に血だらけの顔を庇おうとした。そうなると下半身がお留守である。
下段蹴りを放ち、足を掛ける。上半身に意識が行き過ぎていたせいか簡単にバランスを崩した。そのまま、肩からタックルするように体をぶつける。大きく弾き飛ばされたサンドラの髪を狙って腕を伸ばした。
「う、うわっ!」
素早く払いのけられるが、やはりこれも囮。
そのまま体を回転させ、後ろ回し蹴りをサンドラのこめかみ付近で止めた。
そして、小突くように踵をこめかみに当てた。
「・・・・・・・はぁっ・・・はあっ・・・」
止めていた息を吐きだす。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
酸欠だった。もうこれ以上動けそうにない。俺は足を降ろしてその場にへたりこんだ。
「どうだ・・・二回・・・勝てたろ・・・」
サンドラもまた荒い呼吸をしていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
サンドラはそのまま腰を抜かしたようにへたりこんだ。
「はぁぁ・・・・・・」
俺ももう限界だった。地面に大の字に倒れる。
心臓が早鐘を打ち、呼吸のし過ぎで肺が痛かった。
「・・・次は・・・次はぜっていにまけねぇ!」
「うん、だから・・・はぁっ・・・次は・・・俺は死ぬ」
「あ・・・」
理解してくれたのだろうか。
サンドラの方を見ることができないぐらいに俺は疲れ果てていた。
「・・・もういいだろ・・・俺は・・・もう・・・寝る」
このまま目を瞑ればすぐにでも眠りに落ちるだろう。その間に怒り狂ったサンドラが刃物を握ってももう気づけない。ぶん殴られたら目が覚めるかもしれないが、あまり想像したくない。
でも今日は割と悪くない日だった。仕事はほぼ半分。朝食は良い物が食べることができた。テスラとの勝負も乗り切り、サンドラとは少し会話もできた。最後の戦闘も気持ちいいぐらいに技が通じた。
悪くない一日だった。
このまま俺をサンドラが殺してくれたらどれだけ楽だろう。
もう、これ以上辛い思いをしなくていい。程よい疲労感と確かな充足感。そして、この小さな小さな幸せの中で死ねるならどれだけ楽だろう。
そんなことを思ったのが最後。俺の意識はすぐに闇へと落ちて行った。




