奴隷の生き方 D
翌日、俺の身体は夜明け前に叩き起こされた。脇腹を蹴り上げられるという乱暴な起こし方だ。本来なら朝食を作る時間帯。おそらく、朝食の支度は俺がしなきゃならないのだろう。捕虜の俺との約束をエルフが守ってくれるなど露程も思っていなかった。
「てめぇ、いつまで寝てんだよ。さっさと朝飯の支度しろよ」
「・・・わかりました」
予想通りと言えばその通り。本来の雑用係であるサンドラが俺を叩き起こしていた。一応、部隊の体裁を保つ為に朝早く起きて竈まで来たのだろう。だが、こんな陣地の端っこでそんなものを保つ必要はない。
そして力の差は歴然。昨日と違い俺には武器もなく、もう不意打ちもきかないだろう。俺には文句を言う権利は欠片程もない。下手にサンドラを刺激したら逆にいらぬ痛みを背負うことになる。俺はただ黙々と朝食の支度を始めた。
「ああ、朝飯は・・・私達と同じの食っていいぞ」
その言葉があっただけ、昨日の勝負に勝ったのは良かったのかもしれない。
朝食を運ぶのは当然俺の役目。
今日は運が良く、シャルルからもシファーからも体罰は無かった。
そして、最後に回したテスラのテントの前。俺は意を決して中に入った。難癖を付けられて殺されることまで覚悟していた。
「あら、来ましたのね」
向こうから声をかけられたのは初めてだった。
何か言葉を返した方が良いのだろうか。少し悩んだが、余計なことはするまいと思い、いつも通りの単調な言葉を繰り返す。
「・・・今日の朝食です」
テスラはそれを一目見て、俺に視線を向けてきた。
「これは誰が作ったの?」
これはどうしようか。正直に答えるべきか、否か。
サンドラが作ってないことを告げ口したらそのサンドラからボコボコにされるだろう。かといって俺が作ったと言ったら、サンドラが雑用をしなかったことになる。そのせいでサンドラが中隊長に怒られでもしたら、結局俺はボコボコにされる。
結果はどっちでも一緒だ。なら、波風が立たない可能性のある方を答える。
「・・・俺です・・・いつも通り」
「・・・そう」
どこで誰が聞いているかもわからない陣地の中心近くにあるテント。不用意なことを口走るような愚行をテスラはしなかった。
「・・・失礼します」
「お待ちなさい」
逃げ出そうとした足を止める。嫌な予感しかなかった。
「・・・今日の夜、稽古台になりなさい」
「・・・わかりました」
これはもうダメかもしれないな。
稽古台と称して真剣で切り刻まれるまで未来が見えた。
彼女にとって俺は恥そのものだ。まさか、エルフが人間相手に後れを取ったなどと知れたら中隊長としてのメンツに関わる。醜い物は樽にいれ、臭い物には蓋をしろ。今日の夜の稽古で俺は殺してしまえば情報が漏れることはない。
死ぬかもしれない。
そう思ってもあまり感慨はわかなかった。逃げようとも思わない。むしろ、今ここで殺されなかったことがまだ幸運だと思ってしまっていた。
俺が竈のもとに帰ると、意外なものを目にした。
サンドラが食事を器に注いでいたのだ。それをテスラの隊の者に手渡している。
「遅いぞ。なにやってやがった」
俺がこの隊の奴隷になってから雑用は全て俺がやっていたのだ。だから、給仕をするエルフという姿を初めて見た。しかし、美しい者は何をしても絵になるな。
今日という日にこれを見れたのはやはりラッキーだった。
「さっさと手伝えよ。他の隊の連中が来たら残りはお前がやれ」
「・・・はい」
「・・・っち!」
舌打ちをしたくなる気持ちはわからなくもなかったが、俺にはどうすることもできない。恨むなら軽はずみな約束をした中隊長を恨んで欲しいものだ。もちろん、それを口にはできなかった。
「ごほっ・・・ごほっ・・・」
咳が出る。
「てめ・・・・・・・・っち!」
サンドラが何か言いかけたがやはり舌打ちで留めてくれた。普段ならこれだけで脇腹を殴られたり、足の指を折られたりするのだから今日はかなりマシだ。
今日が最期の命かもしれない俺にとっては案外悪くない一日になりそうだった。
その後も、サンドラは仕事を手伝ってくれ、場合によっては全てこなしてくれることもあった。とは言っても、一番仕事の多い飯の支度は俺が一人でやったし、隊長達の給仕も変わらずだ。そのせいで俺はシファーに首を手刀で打ち据えられた。
エルフと同じ飯は約束通り一食だけ。昼からまた元のジリ貧に戻された。
決して生活が向上したわけではない。それでも、ほんのわずかでもサンドラが手伝ってくれたことが俺はこの上なく嬉しかった。エルフという種族はある程度の約束は守ってくれるようだ。俺はサンドラを信用したくなっていた。
多分、これがストックホルム症候群という奴なのだろう。
一番最初の人生の頃のかすかな記憶を呼び起こす。幸せだった頃の自分を思い出すのはいい気分だった。ほんの少しの間だけでも、今という時間を忘れられる。
その直後、俺はサンドラに声をかけられた。
「来な」
彼女の足取りを追い、連れてこられたのは昨日と同じ場所
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
鋭い沈黙が場を満たしていた。その中で一人、自分の剣を手に取って祈りを捧げているエルフがいた。テスラだ。持っている剣も昨日のレイピアではなく、細見の両刃剣。彼女の本来の得物だ。
「黙ってろ」
サンドラにそう釘を刺されては黙る他ない。しばらく、彼女が祈りを捧げ終わるまで待つ。
「・・・やりましょう。その男に武器を渡しなさい」
そうしてサンドラは昨日と同じ武器を渡してくる。
「勝負は一本勝負、あなたが勝ったら昨日と同じ報酬をあげますわ」
俺が負けたら、なんて交渉はできそうになかった。俺が口を開けば真後ろにいるサンドラが俺の首を飛ばしそうな雰囲気だ。
もっとも、俺が負けたら生きてはいないだろう。テスラの刃に乗った殺意は見るからに本物だった。
剣と短剣を腰にして俺は反りのある短剣を手にした。
ここで死ぬのか。
また、どこかで生まれ変わるのだろうか。
それは怖かった。
「・・・死にたく・・・ねぇな」
一歩、また一歩。エルフ達の輪の中心に向けて歩き出す。
「それでは・・・はじめますわよ」
先手必勝。一気に駆け出した。
テスラが構える。俺は短剣を手にしたまま、腰に手を伸ばす。
「っ!」
投げると思われたのだろう。テスラの構えが一瞬硬直した。
おかげで間合いが詰まった。短剣を左手に持ったまま大振りの右の拳。
「っっ!」
素直な人だね。見事なまでに反応してくれた。
おかげで足元が隙だらけだ。
低い姿勢から地面に触れるぐらいの軌道で短剣を振った。短剣の峰が彼女の太ももを滑る。
「くっ!」
屈辱そうな顔だ。頬がわずかに染まっているし、焦りと恐怖で表情が硬い。
これはこれで可愛いが観察している余裕はない。
俺はそのまま手首のスナップを使って真上に短剣を投げ上げた。
見事な反射で短剣は回避されたが、テスラの腰が引けていた。
もらった。
踏込み、直線的な掌底を彼女の顔面へと繰り出す。
「きゃっ!」
可愛い悲鳴。そして、彼女の顎先で止まった掌底。
俺は落ちてきた短剣を掴みとり、首筋にあてる。
思った以上に恰好よく決まった。自分でも驚く程だ。
「・・・・・・・」
ただ、それを間近で見ていたテスラからは挑発としか映らなかったらしい。屈辱と怒りに満ちた視線がテスラから放たれていた。
最初から最後までペースを握ったことが勝負の鍵だ。これで明日の雑用と飯を一食手に入れたことになる。とはいえ、命の危機が去ったわけではなかった。
周囲にいたエルフ達から放たれる殺意というか熱意が尋常じゃなくなってきていた。このまま勝ちを宣言すれば、エルフ達から袋叩きに合いそうな予感がひしひしと伝わってくる。というか、今にも飛びかかってきそうだ。
こういう時は立ち去るに限る。
「ごほっ・・・ごほっ・・・もういいか。休ませてもらう」
短剣と剣をその場に捨てて、俺は竈の方へと歩こうとした。
踏み出した足は震えていた。
一撃ももらわずに試合を終えた勝者とは思えない。たったあれだけの試合もできない程に俺の身体は弱り切っていた。
少し前までは戦場に立てるだけの体力があったのにな。
疲れ果てた体を引きずるようにエルフ達の輪を押しのける。
俺が触れたところを払う仕草が目の端に見えた。普段なら斬りかかってくるぐらいに怒り狂うところ。二回続けて中隊長を破った俺に一目置いてくれたのだろうか。
「このぉぉお!人間風情がぁあ!」
「やめなさい!サンドラ!」
「でも、あいつはテスラ様を!!」
「あいつはテスラ様が直接手を下すと言っていたでしょ。命令を守りなさい」
ああ、そういうことか。
そのテスラからは何も声がかからない。とりあえず、今日という日は乗り越えられた。
明日はどうなることやら。
とにかく今は一秒でも早く眠りたかった。




