奴隷の死に方 C
「そいつは有り難い申し出だ」
「そうでしょう!」
「毎日、ぶん殴られない職場なら歓迎なんだが」
「なっ、だっ、だからそんなはしないと言っているでしょう!」
「でも、生憎だったな。どうせ俺は長く生きられない」
「だから違うと・・・」
反射的に言い返そうとしたテスラは言葉を噛みしめるように間を置いた。
「え?どいうことです?」
「なにがだ?」
「長く生きられないって。どういうことですの?それは、ここでの生活のこと・・・ですか?」
聞きたいという好奇心が声に表れ、聞きたくないという不安な気持ちが表情に浮かんでいた。
「違うね・・・」
「じゃあ、どういうことですの?どこか身体が・・・あっ・・・」
何か心当りがあるらしい。
その答えを示すように、喉の奥から強い嘔吐感がこみ上げてくる。
「ごほっ!ごほっ!ごほっ!」
今度の咳は長かった。喉の奥から淡が飛び出てて来て口の中に溜まる。
「・・・はぁ・・・」
咳が収まり。痰を飲み込む。それは血の味がした。
「あなた・・・まさか・・・」
テスラが何かを察したようだ。
盛大にここまで咳をしたのだ。わからない方がおかしい。
「肺を?」
「ああ・・・あと、半年もてば良い方さ」
この世界では『咳嗽』と呼ばれていた。早い話が『結核』だ。咳が止まらなくなり、肺が穴だらけになる不治の病。日本にいた時は治療法がありはしたが、あの時代でも完治はできない病。こんな魔法がある世界のくせに、不治の病はきちんとあった。
「理不尽だよな・・・どこ行ってもよ」
この世界では生まれも、暮らしも最初は多少ましだった。だがそれも、この病が全部持っていった。
結核は人に感染する。俺は迫害を受け、泥水を啜り、そして流れるように軍へと辿り着いた。
そんな経験が初めてじゃないというのもまた、悲しくなる事実だった。
「ちょっ、ちょっと待てよ。それ、どういうことだよ」
「サンドラか?」
「お前・・・死ぬのか?」
思わず笑いが込み上げた。
そんな台詞を誰かの口から聞けるとは思ってなかったからだ。
「本当なのか、肺の病気って・・・本当なのか!!」
サンドラの手には石鉢があり、中には赤くなった炭が入っていた。こいつもこいつでどういう風の吹き回しなんだか。
ついさっきまでなら新たな拷問でも思いついたのかと疑うところだ。だが、飯関連でテスラに気に入られたとなるとサンドラの方も同じことを思っても不思議ではない。
「嘘ついてどうすんだよ」
「・・・そ、それなら先に言えよ!だったら、咳ぐらい・・・」
「許してくれたか?」
「う・・・あ・・・・・」
許さなかった自分がありありと浮かんだのだろう。むしろ、病だと知られていたら、ここのエルフ達にその場で切り殺されていた可能性だってあった。
ようやく口にできたのはこいつらが俺の料理を気に入っていることを知ったからだ。異性を落とす時に真っ先に胃袋を掴むのは古今東西どこ行っても変わらない常套手段だ。
「・・・でも、だったらどうして軍なんかにいたんですの?」
テスラの声は冷静を装ってはいたが、震えが言葉の端に見られた。
そこまで動揺してもらったんなら話した価値があったというものだ。
ついぞ気分がよくなって、口からこぼれるままに俺は話し出す。
「死体を相手の陣地に送りつける作戦があるのを知っているか?」
「人間同士の戦争でそんなことをしたという記録はありますわね」
即答したテスラに対してサンドラは固く口を結んでいた。知らないんだろう。というより、サンドラはどうもこういった知識の蓄積が少ないように思える。
「確か、川岸の陣地に死体を山積みした船を流したり、投石器で砦の中に放り込んだりするんですわよね。相手の陣地を不衛生にして病気を蔓延させるために」
「ああ、そういうことだ」
「・・・まさか・・・」
「え?テスラ様。どういうことですか?」
「俺がいた殿の部隊はな。このエルフの陣地にこうやって奴隷か捕虜として捕らえれらることが前提の部隊なんだよ」
「・・・あっ・・・」
サンドラも理解したらしい。
「俺がいたのは病人部隊・・・全員が全員、他者に感染する病を持った病人だよ。俺達はあんたらエルフを病で殺す為に集められたんだ」
二人は絶句していた。
それは部隊そのものの凄惨さを想像してくれたからだろうか。それとも、人間の策にまんまとかかっている自分達に絶望したのだろうか。
「お笑い草だよな・・・お前らが美味いといった飯はな・・・俺が作ってんだ。感染力はすごいぞ、そのうちお前らは・・・」
「・・・そのことはいいですわ」
「は?」
「そんなことはどうでもいいですわ」
「・・・・・・・」
絶句するのはこちらの番だった。
「ど、どうでもいいって・・・一応、不治の病なんだぞ」
「それは人間に限った話ですわ。わたくし達には関係ありませんの」
「なっ・・・」
テスラが一際大きな溜息をついた。
唖然とする俺の肩をサンドラが優しく叩いた。
「悪いな・・・私達エルフってのは人間よりも免疫力が強いんだ。結核程度なら産まれたばかりの赤子でも1000年生きてる長老様でも抑えられる。だから、そのことは気に病むな」
気に病むな。
なんだよその台詞は。
見上げたサンドラは気の毒な子供でも見るような優しい目で俺を見ていた。
「はぁ・・・・」
身体から力が抜けていった。
「じゃあ・・・俺達の部隊は・・・」
誰か一人でも送り込めばいいと意気込んでいたあいつらは・・・
犠牲になる覚悟はできるさと泣いて笑っていたあいつらは・・・
「死に損か・・・」
「・・・そうなるな・・・ったく、だから人間って奴らは」
「サンドラ、言ってもはじまりませんわ。所詮、命の重みのわからない虫けら以下の存在です」
「・・・それには俺も概ね同意だな」
こんな作戦を立案し部隊を編制して、あまつさえ戦場に置き去りにして捨て駒にした人間達が実際にいるのだ。否定はできない。むしろ肯定したかった。
「でも・・・・・・そっか・・・死に損か・・・」
「だから、死にたいのですか?長く生きられないから」
「・・・まぁな・・・」
「・・・どうしてそう思いますの?生きたいと、生き続けていたいと思うのは、人やエルフを超えた生物としての純粋な気持ちではありませんの?」
「そうだよ!それに諦めることなんてねぇよ!エルフは長い時間いろんな研究を続けてきてる!お前の病ぐらい治せるって」
フォローを入れているつもりなんだろうか。つい先程まで殺されかけていた相手に慈悲をかけられるというのはなんとも居心地が悪い。
だが、久々だった。
こうして誰かから優しくされるのは本当に久しぶりだった。
「・・・治って・・・どうなるんだよ」
「だから、わたくしの御屋敷で料理をしてもらいますわ」
「・・・そうか・・・」
まだ言ってやがる。
本気なのだろうか。
こいつの御屋敷ってのがどういうものかはわからない。でも、浮かんだのは西洋の城のような館で料理を振るう俺の姿。
柔らかな木漏れ日の刺す厨房で野菜を切り、竈で卵を焼く。スープが焦げないように動き回り、給仕の奴らに急かされて怒鳴り返す。
それは、確かに楽しそうだった。
「あっ、テスラ様!そんな約束いつ取り付けたんです!」
「今さっきですわ」
「ずっ、ずりぃ!抜け駆けだ!」
だから、どうしても思ってしまうのだ。
この優しい世界はきっと長続きしないのだと。
幸せはすぐに終わる。喜びが大きければ大きい程、落胆もまた大きくなる。
次に絶望が訪れた時、俺は、耐えられるだろうか。
全身の毛が恐怖で逆立った。
手に握られた欠けた包丁が冷たい温度を伝えてくる。
「それに、彼が結核というのなら。十分な栄養と休息が不可欠です。わたくしの屋敷でしたらそれを十二分に提供できます。道理的に考えて彼はわたくしの預かりとするのがよろしいのではなくて?」
「テスラ様のところは柵とか掟とかで大変じゃないですか!しかも、使用人のエルフも多いしこいつの精神が不健康になります!それに引き替え私のところなら・・・あんまり変わらないですね」
今までも何度も繰り返してきた。
全てが打ち砕かれた日もあった。希望すら抱けない日もあった。
そんな日ばかりだった。
「もう・・・いい・・・今が・・・一番だ」
もう、次は耐えられない。
だったら、このまま・・・
「なにやってますの!!」
包丁を構える。
切っ先は自分の首筋だった。
「ふっ、ふざけんな!!」
包丁を突き立てようと力を込めた瞬間、強い衝撃で腕ごと包丁を弾かれた。テスラが剣を振るっていた。
剣が当たった時にボキリという嫌な音がした。左の前腕に剣の峰が直撃したのだ。折れたかもしれない。
「・・・・・・・」
エルフの二人が見下ろしていた。
「もう一度聞きますわ。何をやってますの!」
「そこまでして死にたいのかよ!だったら・・・」
「殺してくれるのか?」
「っ・・・」
「殺してくれるのかって聞いてんだ!!」
涙がこぼれた。枯れたはずの涙がこぼれた。
「殺してくれんのかよ・・・殺してくれよ!もう二度と生き返らないように、二度と生まれ変わらないように。殺してくれよ!」
理不尽な転生に怒りを覚えたのは遥か昔。諦めようとしたことは数知れず。だけど、そんな俺の心情に関係なく死も生も必ずやってくる。
どんな世界でどんな目にあっても。必ずやってくる。
「頼むから・・・もう・・・いいんだよ・・・俺は、生きたくない。もう、どんな世界もいらない!転生なんざクソ喰らえだ!もう、楽にしてくれ・・・」
困惑している顔が見えた。
「なにを・・・言ってますの?」
「お前らには関係ねぇ!」
彼女らの剣を奪おうと体を起こした。
途端、ひどい眩暈と激しい咳に襲われる。
「ごほっ、ごほっごほっ!」
「ああ、ああ・・・だから大人しくしてろって・・・」
近づいてきたサンドラ。その腰には短剣がある。俺は息苦しさを抑え、短剣に手を伸ばした。柄を掴む。引き抜こうとした瞬間、上からサンドラの手が覆いかぶさった。
「だから、ダメだって言ってるだろ!」
「くっ、このっ・・・ごほっごほっごほっっっ!」
腕がびくともしない。コンクリで固められたかのように手が抜けなくなった。
「ごほっ、ごほっ!!」
口の中から赤みのある痰が噴き出た。
「ごほっ、ごほっ、おぇっ・・・」
咳のしすぎで吐き気がしてきた。
喉の奥から酸味が吹き上がり、そのまま胃酸をぶちまける。
「・・・だから言わんこっちゃない」
サンドラの腿から足にかけてが嘔吐物で汚れていく。
「ったく、無理するからだよ・・・」
「・・・はぁっ・・・はぁっ・・・殴らない・・・のか?」
「えっ?」
「・・・いつもなら」
「ああ、そりゃいつもならな・・・でも、もう『いつも』じゃねぇの。『これから』は殴らねぇことにしたんだよ」
「・・・・・・はぁっ・・・はぁっ」
「でも、やっぱお前一度気を失っといたほうがいいかもな」
俺の目がまだ刃物を探しているのに気付かれているようだ。
「なんでそんなに死にたいんだよ。そんなに・・・私達の専属になるのが嫌なのか・・・」
本気で落ち込まれている。
「そうじゃない・・・そうじゃないんだよ・・・」
その誤解はしてほしくない。俺は、こんなに嬉しいんだから。
俺をこんなにいい気分にさせてくれた彼女らに落ち込んだままでいて欲しくない。
「・・・幸せだから、幸せだから・・・もう、それを失うことに耐えられない」
「失うもんかよ!私らがいるんだぞ!」
「そんなことわかるか・・・俺はもう、これ以上の不幸に耐えられない」
奪われることに、失うことに耐えられない。
「だから・・・もう、殺してくれ」
咳のし過ぎで掠れた声。それが俺が出せる最大の叫びだった。
エルフの二人は顔を見合わせ、彼の傍に寄った。
「なにがあったかは、また今度聞かせてください。とにかく今は休むことが先決ですわ」
「そうそう、お前ついさっきまで死にかけてたんだから。今死んだら本当に私らが何のために助けたのかわかんなくなるじゃねぇか」
短剣を掴んでいた指がサンドラに解かれていく。テスラの指が口元の吐瀉物を拭った。
優しく、しないでくれ。
思い出してしまう。幸せだった頃を。
抱いてしまう。微かな希望を。
それでも、俺は拒絶することなんかできなくて。また、思い描く。
今度こそ。今度こそ・・・と・・・
「あっ、そうそう。聞こうと思ってましたの」
「そうだった。忘れるところだった」
「・・・・・・」
肩を支えられて、火鉢の傍に横たえられる。微かに暖かな空気がお腹から体全体を暖めてくれた。
「名前、まだ聞いていませんでしたわ」
「そうそう、呼びにくくてしょうがねぇんだ。それぐらいいいだろ」
「名前・・・」
そんな記号に意味があるとは思えなかった。
名前はいくつもある。この世界の名前もある。だけど、口にしたのは最も長く使った名前。最初の人生で使った名前だった。
「廻 一士だ」
「マワリ?カズシ?どっちがファーストネーム?」
「・・・・・・・・」
「私はマワリって呼ぶよ。なんか丸っこい音が気に入った」
「そうですか?わたくしはカズシの方が人間の男らしくていいと思いますわ」
好きに呼べばいい。
火鉢の温もりと徒労感が酷い睡魔を運んでいきていた。




