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後半

「ふんふーん」

「えらくご機嫌だな、ベアトリクス」

 俺は鼻歌を歌いながら紅茶をすする彼女を見てそう告げる。

「何か世界に対して悪いことが起こったのか?」

「……何? その問いかけ。普通なら『何か良いことでも起こったのか?』と聞くでしょうに」

 ベアトリクスが可憐な唇を尖らせるが俺は気にしない。

「お前が喜ぶのは大抵誰かの不幸を聞いた時だろ?」

「否定はしないわね」

 当然とばかりに頷いた彼女に俺はどう反応すれば良いのか。

「何というか……もしお前が死んだとき、悲しむ人間よりも喜ぶ人間の方が多そうだ」

 ベアトリクスの葬式に並ぶ参列者。

 彼らが一同に浮かべているのは安堵。

 ようやく最大の懸念事項が無くなったと、帰ったら祝杯を挙げることを考えている参列者達がありありと浮かんでしまった。

「私の死後なんてどうでも良いわ。それより大事なのは今よ」

 ベアトリクスは華奢な手でテーブルを叩く。

「カザクラ商会が製造している魔導器具――あれは本当に素晴らしいわ。全てを過去にしたカザクラ商会の魔導器具のおかげで濡れ手に粟状態よ」

 ……粟なんて植物はこの世界にあったっけ?

 と、いう突っ込みは野暮なのだろう。

「権力を握るに必要なのは金と武力。その両方を得られる魔導器具のおかげで私の地位は確実に上昇している」

「お前の最終目的は既存世界の破壊だろう。なのに何故既存世界の地位を高めるんだ?」

「あんた馬鹿? 最低限私の身の安全を確保するのが先決でしょうに。途中で私が殺された全ておじゃんじゃないの」

 まあ、その通りだけどな。

 が、微妙に目的が変わっていないか?

 前のベアトリクスは己の命と引き換えに世界を壊そうとしていたが、今は世界が壊れた後の自分の地位を確保しようとしている。

 ……指摘しなくて良いか。

 ベアトリクスの目的云々は俺にとってどうでも良いし。

「ユウキ、この調子でどんどん魔導器具を製造しなさい。私はそれを使って更なる力を手に入れるわ」

 非常にご機嫌な様子でベアトリクスは俺にそう命令した。

 俺としては憎まれ口の一つ叩きたいところだが懸念事項が一つ。

 これをどうしても解決しておきたかった。

「ベアトリクス、サラ=キュリアスを覚えているか?」

「サラ? ああ、あの期待のエースね。彼女の製造した魔導器具はユウキの次に素晴らしいわよ」

「で、そのサラが壁にぶち当たってしまった」

「へえ」

 陽気な様子が一転、冷たい気配がベアトリクスの周りに漂い始める。

「皆がいる前こそ笑顔だが、それは無理に作り出された代物。相当追い詰められている」

 温度を間違える、叩いたら駄目な個所を叩く――そんなケアレスミスが頻発していた。

「良いんじゃないの、別に」

 ベアトリクスは背もたれに体を預けてふんぞり返る。

「現状のままでサラの製造した魔導器具は評判が高い。私は真性の魔導器具を製造に拘っていない、今の質を保ち続ける限り私が口出ししないわ」

 至高の逸品よりも安定した量産品を求めるか。

 ベアトリクスは経営者側の視点で物事を見ているな。

「だったら俺に全てを任せて良いか?」

 サラの件でベアトリクスは肩入れしないことを確認できた。

 一安心。

 サラは俺にとって娘のような存在だからな。

 小姑が口出しして来たら堪らない。

「今、ムカつくことを考えていたわね。けど、まあ良いわ。サラに関しては別に構わないわよ。職人の問題は職人が知っている、職人の心を知らない私が関わっても碌な結果にならない。今回は傍観に徹するわ……しかし」

 ベアトリクスは身を乗り出し、互いの吐息が感じられるほど接近する。

「私の興味はあくまで魔導器具の製造。そこから外れるようなら私も関わらざるを得ない。良いわね?」

 最低条件は魔導器具を製造する職人であり続けることか。

「努力しよう」

 ベアトリクスの出した条件は最もだが、場合によってはサラの幸せを優先させてもらおうか。

 サラは本当にかわいい存在、実の娘のようだ。

 その娘が悩み苦しむ姿を見るのは己が傷つくより辛い。

 まあ、ベアトリクスの望みはサラが魔導器具を作ることでなく、優秀な魔導器具を作る職人を欲しがっている。

 そこを突けば、例えサラが魔導器具製造を止めたいと希望しても叶えられるだろう。

 サラはまだ十五歳、『日本』なら中学三年生。

 中学三年生に将来を決めろと宣告するのは酷だ。

 心と体が成長しきる二十五までは自由にさせてやっても構わないだろうと俺は考えた。



「さてと、今日は魔導器具を作る日か」

 背伸びをした大きく息を吐いた後、魔導器具製造工房へ向かう。

 場所は郊外にある建物。

 工房自体は、現代風にいうと体育館並みの広さであった。

「あっつ」

 俺がそこに足を踏み入れた途端に襲ってくる熱気。

 冬場とはいえ、幾つもの溶鉱炉が稼働しているのだから当然といえば当然。

「これ、夏は対策を取る必要があるな」

 寒い季節である冬でさえ薄着でないと堪らない。

 夏は文字通り蒸し風呂状態となりそうだ。

 と、まあそんなことはさておき。

「おお、お師匠様だ」

「今日はお館様の製造する魔導器具を見学できるのか」

「これを見たいがために俺は前の職場を辞めてきたんだ」

 俺の姿を認めた工房の職人達が手を止めて尊敬と崇拝の入りじまった感嘆を漏らす。

 彼らの中には俺の倍以上の年月を生きている者もいるが気にしない。

 師弟社会においては年齢や身分等は一切考慮されなかった。

「さて、作るか」

 俺は一つ肩を回す。

 俺が今日来ることは前もって伝えておいたので設備と材料はすでに調整済み。

 後は始めるだけだった。

「皆に言っておく。今回俺が製造する魔導器具は魔法や精神といった形無きモノを切る『魂の剣』製造時間は凡そ丸一日かかるから、各々必要だと思える箇所を注視してくれ」

 そう前置きした俺は金槌を握る。

 その瞬間、周りの景色が掻き消え、俺と魔導器具との一対一となった。


「――完成だ」

 俺は一振りの剣を掲げる。

 片手で使えることを念頭に置いたショートソード。

 しかし、その剣には刀身の部分が丸ごと欠いている歪な剣だった。

「ふむ」

 俺は目の前にあった、燃え盛る炎の前に立って軽く権を振ってみる。

 すると俺が振った個所から炎が上下に分かれ、斬られた上の部分は付近に落ちてしばらく後消えた。

「凄い」

「あんな綺麗に別れることなんて滅多にないぜ」

「さすが師匠、あんな代物を一日で作り上げるとは」

 俺としては普通の出来だと考えていたが、職人達の間では名器が誕生したらしい。

 相変わらずこのギャップにはなれないな。

「さあ、解散解散。各々、俺の姿を見て考えるなり製造するなりして時間を無駄にしないように」

 その言葉と同時に散っていく職人達。

 俺は完成した魔導器具を鞘に納め、一つ頷いた。

 そしてそのまま帰ろうとしたが、一番奥の工房にある少女の姿を認める。

「おーい、サラ。元気かー?」

 俺は手にを振りながら近づく。

 俺が使用する設備の次に充実した作りである設備がサラの指定席であった。

「あ、師匠! お疲れ様です!」

 俺の声が聞こえた途端、パッと笑顔を浮かべて迎えるサラ。

 レンガ色の髪の毛を短くまとめ、顔は煤で黒い。

 着ているツナギもよれよれなため、女性らしさは皆無だがそれで良い。

 サラはその純朴な笑顔と飾らない姿が魅力的だった。

「で、どうだ お前も俺の姿から何か感じ取れたか?」

「あ、はい……師匠の雄姿は本当に凄いです。私も必ず追いついてみせます」

 一瞬表情が曇ったがすぐに取り戻して快活に返事する。

 うん、確実に無理をしているな。

 俺はサラの様子からそう判断した。

「サラ、焦らなくて良い。優れた魔導器具を製造するには、まだ体が追い付いていないんだ」

 例えば、真性の魔導器具を製造するに必要な要素は、才能や経験もそうだが何よりも体力が必要不可欠。

 三日三晩一睡もせず打ち続けることはざらで、嘘かほんとか知らないが、ある真性の魔導器具は一年もの間休まなかったという。

 つまり化け物じみた体力が必要。

 女性で、しかもまだ十五歳という未熟なサラには土台無理だった。

「いえ! そんなことはありません! 体力など精神力でカバーしてみます!」

 反射的に怒りの口調でそう反抗する。

「サラ、その心意気は立派だが、一度落ち着いたらどうだ? 今のお前は三時間以上打ち続けるのは厳しいだろう」

 途中で熔炉にくべたり冷水で冷やしたりする時間を含めても十五のサラは一日以上無理。

 もう少し体の成長を待つべきであった。

「……でも、師匠って十七なのに二日間ぶっ続けでも平気ですよね?」

「うん?」

 俯いて何事か呟き始めたサラ。

 俺はもっとよく見ようと顔を近づけた途端、彼女は目に涙をためた状態で顔を上げる。

「もう掴んでいるんです! 後はそれを形にするだけ。なのに何故私の体は思い通り動いてくれないんですか!」

「お、おいサラ?」

 何か様子がおかしい。

 泣き喚きながらサラは訴える。

「師匠は十七! 私は十五! 二歳しか違わないのにこの違いは何ですか? 私が女性だからですか! こんなことなら男に生まれた――」

「サラ! 落ち着け!」

 俺はサラの肩を掴んで大声で怒鳴る。

「良いかサラ! お前は疲れている! 疲労と焦りで何も見えなくなっているんだ! 今日はもう帰れ! ゆっくり寝れば自分が何を言っているのか分かる!」

「そんな! 私はまだ疲れていません! 焦っていません! 大丈夫です!」

「サラ=キュリアス! これは師匠の命令だ! 今日と明日はここに来るな! 金槌を握るな! もし破ったら破門だ!」

「っ!」

 破門という言葉がよほど応えたのだろう。

 驚きに目を見開いたサラは項垂れて体の力が抜け。

 重い足取りで工房を出て行った。


「はあ~」

 屋敷に戻った俺は盛大な溜息を吐く。

 原因はサラの突飛な行動。

 まさかあんな形で爆発するとは思わなかった。

「ご主人様、お疲れ様です」

 メアリーがリゾットの入った皿を置く。

 これを食べたらすぐに寝るため、消化に良いものを頼んだ結果である。

「ちぇー、主様は今日一日バタンキューかー、退屈だなー」

「ルート、頼むから寝かせてくれ」

 まるで夜勤明けの父が睡眠を取ることに対して不満を感じる子供のようだった。

「性別か……」

 ほんのりと甘いリゾットを口に運びながら俺は考える。

 確かに男と女では体のつくりが違う。

 鍛冶職人のような肉体労働においては男性の方が優位だろう。

 しかし、だからといって諦めたり自暴自棄になったりして良いものか。

 事実は事実として認め、その上で別の道を模索する方が正しいのではと思う。

「なあ、メアリー。お前は男性に生まれたかったと思うことはあるか?」

 何の気なしに聞いてみる。

「男に生まれていればあれが出来た、これを諦めずに済んだ……そう歯噛みする場面はなかったのか……いや、すまん。忘れてくれ」

 と、そこまで口に出して後悔した。

 何せこの世界においては男尊女卑の封建社会。

 重要な地位や職業に就いているのはわずかな例外を除いて男性だった。

「ご主人様が気に病むことではございません」

 メアリーは気にしていないと微笑んで首を振る。

「確かに幼少期は羨む時期がありましたがもう過去のこと。今は女性であってよかったと心からそう思っています」

「まあ、料理や掃除といった細々した作業は女性の方が得意だからな」

 女性は力がない分器用なことに秀でている。

 しかもメアリーは王族専属メイドになるほどの腕前。

 その才能から、男性より女性の方が良かったのだろう。

「いえ、そういう理由ではないのですが」

 俺の推理が間違ったのかメアリーは困ったように笑う。

「もし私が男性なら誰かを愛する感情を持てなかったでしょう。私は愛するご主人様と共にいれて毎日が幸せです」

「……」

 メアリー、結構ストレートに伝えてくるな。

 全然心構えが出来ていなかった俺は目を白黒させてしまい、何も言えなくなる。

「「……」」

 メアリーも言い過ぎたと知ったのか顔を赤くして俯いてしまった。

 そして流れる気まずい沈黙。

 が、この時間は幸いにも長く続かなかった。

「ちぇー、僕も女に生まれたかったなー」

 当然ルートがぶち壊す。

「ねえねえー。姉さんー、まじりあうってどんな感じー? 気持ち良いのー?」

 大真面目に問いかけるルート。

 その気迫に押されたのかメアリーは手をもじもじしながら答える。

「ええと……気持ち良さもありますが、何よりも愛しい人と繋がっている喜びと充実感で胸が一杯になるんです。あの瞬間は女に生まれて良かったと心底思う――」

「メアリー、気恥ずかしいから止めろ」

 強制ストップ。

 これ以上は俺の神経が持たん。

「ご馳走さま、今回も美味しかった。俺はもう寝るから来客が来てもそのように伝えろ」

 早口にそう伝え、サッサと部屋に行く俺。

 たまに思うがルートって天然なサドだと思う。

 ベアトリクスとは違った意味で恐ろしい相手。

 俺はルートの天真爛漫な笑顔がベアトリクスの悪魔の微笑みとよく似ているなと考えた。


「で、それで私のところに来たのですか?」

「ああ、ヒュエテルさん以外いない」

 ある日の夜。

 ヒュエテルさんが次の日は休日という日を狙って誘っていた。

 場所は結構洒落たレストラン。

 来る客も皆恰幅が良く、知性に溢れていた。

「ベアトリクスやエルファは論外、メアリーやルートもあてにならん。最後に残ったのはヒュエテルさんだけだ……俺は友達が少ないですと公言しているようで悲しくなるな」

 意外と狭い交友関係に俺は愕然とする。

「……消去法ですか」

「ん? 何か言った?」

「いえ、何も」

 ヒュエテルさんは顔を赤くして首を振る。

 俺はヒュエテルさんをよく観察してみる。

 外出とあって純白のブラウスに淡い色のロングスカート。

 髪を整え、化粧を施してきた彼女は何処に出しても恥ずかしくない大人の淑女という印象を与えた。

「大分持ち直したようだな」

 俺は安堵の吐息を漏らす。

 ガガンによる血盟師団の件が起こって日が浅い。

 未だ引きずっているかと思いきや、意外と元気そうである。

 が、次のヒュエテルさんの言葉に俺は顎が外れるかと思った。

「ユウキさん、何故血盟師団が出てくるのでしょうか?」

 小首を傾げた彼女は続けて。

「まさかあんな危ない組織と関係を持っているのでは? 駄目ですよユウキさん。危険な組織に近づいてはいけません」

 そんなことをのたまう。

「ええと、ヒュエテルさん。貴女はその血盟師団に所属していたはずでは?」

「アハハ、面白い冗談ですね。私は生まれてこの方そんな組織に属した覚えはありません」

 冗談でも嘘でもなく、大真面目にそう言うヒュエテルさん。

 嫌な予感がした俺はある人物の名を口にする。

「ガガン=イクライドという人物を知っているか?」

「ガガン?」

 俺の問いかけにヒュエテルさんはしばし考え込んだ後。

「申し訳ありません、全く記憶にございません」

 素でそう言ってきた。

「……」

 人間の脳は上手いこと出来ている。

 本人が耐えられないと判断した記憶は脳が勝手に奥底へ沈め、忘却してしまう。

 ヒュエテルさんにとってガガンと血盟師団は思い出したくもない過去。

 ゆえに完全に忘れ去り、特にガガンに関しては念入りに消されていた。

「哀れだな」

 俺はガガンを憐れむ。

 全てを失ったガガン。

 血盟師団の幹部を殺してしまったため除名され、国からは犯罪者として追われる身。

 そしてそこまでしても手に入れたかったヒュエテルさんはその存在すら記憶されていない。

 敵とはいえ、さすがに同情してしまった。

(ヒュエテルさんもいつか俺のことを忘れてしまうのだろうか)

 俺の存在が許せなくなった時、ヒュエテルさんはガガンのように俺のことを忘れてしまうだろう。

 それで良いのか?

 俺はその事実を受け入れられるのか?

 ……

 …………

 ……………………

 受け入れよう。

 ヒュエテルさんに忘れ去られても構わない。

 いや、彼女だけどころか世界中、そして歴史から『カザクラ=ユウキ』が忘却されても良いだろう。

 そう、俺の存在と引き換えに『日本』を実現できるのなら。

「安い対価だ」

 迷う必要はどこにもない。

 逡巡する時間すら惜しい問いかけだ。

「そういえばユウキさん。最近施設で性質の悪い噂が流行っているんですよ。何でも私が血盟師団の元同志だとか。どうしてそんな事実無根のデマが出てくるのか分かりません」

「ああ、全くだ」

 俺は訳が分からないとばかりに首を振りながら熱弁するヒュエテルさんに相槌を打ちながらグラスを仰いだ。 


「で、相談内容なんだがな」

 俺はかいつまんでヒュエテルさんに説明する。

 サラは魔導器具製造の才能を持っていること。

 が、その才能は真性の魔導器具を製造するまでに至らないこと。

 そしてサラは製造できない原因を性別にあると決めつけていること。

「どうしたら良い? 俺としては変な悩みだと思うのだが」

 何も真性の魔導器具に拘る必要はない。

 レプリカはレプリカで優れている点もあるし、何より応用を効かした魔導器具を製造する手もある。

 とにかく、サラの悩みは金持ちが歴代の金持を見て羨んでいるのと同じだった。

 「……ユウキさん、その答えは貴方が一番よく知っているでしょう?」

 静かにヒュエテルさんは語り始める。

「別に『日本』に拘る必要はない。誰がどう言おうと貴方は浮浪児からここまで成り上がった成功者。そこまでの成功を収めておきながら何故さらに上を目指そうとするのですか?」

「決まっている、それまでの成功というのはどうでも良いからだ」

 俺は地位や金、名誉が欲しいわけじゃない。

 ただ、『日本』を実現するために過程で手に入れたオマケ。

 満足するわけにはいかなかった。

「それと同じです。サラちゃんはユウキさんの製造した魔導器具を知って夢を見てしまった。もう後戻りは効かない、それこそ燃え尽きるまで諦めないでしょう」

「……」

 何を犠牲にしても構わない。

 そんな心を持つ者にとって物理的な制約というのは相当な苦痛を伴う。

 体がついていかない、権力が足りない。

 どう足掻いたところでどうにもならない問題に直面した苦しさは俺自身が良く知っていた。

「で、どうしたら良い?」

 大きく息を吐いた俺は素直に尋ねる。

「このままだとサラは壊れる。だが、俺はそれを止めさせたくない」

 サラの努力を否定することは俺の努力をも否定することになる。

 ゆえに俺は指を銜えて見ていることしか出来ないのか?

「見守り続けることです」

 教え子を諭すような口調でヒュエテルさんは微笑む。

「どんな時も目を離さず、支えるのです。時には諍いもあるでしょうが、それでも続けるのです。何故ならば」


 サラちゃんはユウキさんと同類なのですから。


 ヒュエテルさんの紡いだ言葉が俺の心に抵抗なく落ちた。



「うーむ……」

 俺は腕を組み、二の腕に指をトントンと叩きながら唸る。

 俺がここまで不機嫌なのは。

「何故サラが来ないんだ?」

 無理矢理家に帰らせてからもう五日。

 毎日のように来ていたサラの足取りはパッタリと途絶えてしまった。

「仕方ない、行くか」

 俺は大きく息を吐いた後に次の行動を決める。

 サラに拒絶されたとしても会わなければならない。

 命より大事な願いを抱える者同士。

 是非とも会い、心ゆくまで話し合いたかった。

「さてと、サラの家は、と」

 サラの住所を記したメモは確かあの冊子の中。

 叶うならば今日中にサラの自宅に行きたかった。


 ガタゴトガタコト。

 馬車の振動を感じる俺だが、サラの家に近づくにつれて道路事情が悪くなっていないか?

 こんなに揺れるならおちおち考え事も出来ない。

「やれやれ、サラは思っていた以上に貧乏なのか?」

 トンビがタカを生む。

 貝の中から真珠が育つ。

 ふと俺はそんな格言を思い出してしまう。

「……極限環境がサラという人物を生み育んだのかもしれない」

 泥の中に咲くハスのように、最悪の環境でしか生まれない才能、信念、人物がある。

 もし俺が日本の国にいたとすれば、今の様な俺になれたか?

 答えは否。

 普通に卒業し、普通に就職、いくつかの恋愛を経た後結婚し、子供の成長を見守るごく普通の国民として生を全うしていた。

「でも、まあそんな人生も悪くない」

 実現が著しく困難な理想に四六時中追い回されることもなく、今日と明日だけを考えれば良い日々。

 特別な才能など要らない。

 いや、才能がないからこそそれに伴う責任と重圧を負わされることなく日々を過ごせる。

 ――非常に羨ましい。

「日本か……」

 俺は頬に手を当てる。

「帰りたいな」

 と、そんな無意識にそう漏らしてしまっていた。

「……」

 サラの家の前に立った俺は思わず顔を顰めてしまう。

 住所は間違っていない。

 店の看板も『キュリアス鍛冶屋』と銘打っている。

 なのに何故俺が躊躇っているかというと。

「想像以上にひどい」

 看板の文字の半分は消えて煉瓦もボロボロ。

 幽霊屋敷と紹介されても俺は素直に頷いてしまうだろう。

「ごめんください」

 かといってずっとまごまごしているつもりはない俺は、意を決して中に踏み入れた。

「ふむ」

 ここは武器屋も兼ねているらしい。

 数こそ少ないものの、剣や槍、斧といった一般的な武器が立てかけてある。

「…………普通だな」

 初見での感想がそれ。

 欠陥品ではないが、わざわざここまで買いに行くほどでもない。

 本業でないから当然かもしれないが、もし俺が客ならもっと大きい店に行くな。

「はいはい、お待たせしました」

 そんなこんなしている内に店の奥から中年の女性が出てくる。

 暮らしが困窮しているせいか、よれよれの衣服を着ている。

 悪い言い方をすれば貧相だが、その女性からはどことなく人懐っこい印象を与える。

 特に瞳、朗らかに笑うその顔は、サラの笑顔を思い起こさせた。

「突然押しかけて申し訳ありません。僕の名前はユウキ=カザクラ、サラ=キュリアスの師匠です」

「ユウキ=カザクラ……まあ、よくぞいらっしゃいました。サラがいつもお世話になっております」

 ハッと目を見開いた女性は深々とお辞儀する。

「申し遅れました、私の名はララ=キュリアス。サラの母でございます、娘から貴方の凄さについてはよく伺っております」

「いえいえ、私如きなどサラが高みに上るための材木程度ですよ。それよりもサラは今、いらっしゃるでしょうか?」

「ああ、そうですね。失念しておりました。今すぐ呼んできますので中に入ってお待ちください」

 俺を中に案内したララさんはサラの名前を連呼しながら消えて行く。

「さて、どう話そうか」

 ボロイ椅子に座った俺はサラに対し、どう話そうか思案し始めた。


 今後の予定としては、まずサラに挨拶をする。

 普段通りの声で、表情で挨拶をすれば彼女も安心するだろう。

 緊張を解した後は、俺の思いの丈をぶつける。

 やはり腹を割って話さなければ相手の心には届かない。

 しかもサラは純情なせいか変に鋭い。

 見栄や虚飾を張って不信感を持たれるよりかは泥臭く、ドロドロした感情だろうと遠慮なく解放しよう。

 そして互いに打ち解けたところでサラに戻るよう促し、彼女はそれを了承、これにて一件落着。

――と、いうのを想像していた時期がありました。

「まさか親父さんが現れて有無を言わさず連れ出されるとはな」

 俺は服についた泥を手で落としながらぼやく。

 本当にあっという間だった。

 ララさんが消えたと同時に筋骨隆々な壮年がぬっと現れた。

 俺はサラの親父だと想像し、席を立ったまでは良い。

 しかし、何故そこから無言で俺の襟首を掴み、引きずられて放り出されなければならないんだ?

 聞く耳がない問答無用。

 話し合おうとしない相手とはどう接したら良いのだろう?

「おーい、開けてくれ! おーい!」

 仕方がないで俺は扉を叩く。

「サラ! 聞こえているのだろう? 俺だ、ユウキ=カザクラがお前に会いに来た!」

 断っておくが俺は諦めんぞ?

 浮浪児時代に培った根性。

 例えドアが壊れようとも俺は誰か出てくるまで叩くつもりだった、が。

「お、おい。あいつはカザクラ=ユウキだぞ」

「あの浮浪児から成り上がった奴か?」

「もしかすると金をたんまりと持っているかもしれねえな」

 怪しい輩を含む野次馬が集まり始めたので、俺は身の安全を確保するため断念することにした。

「俺は絶対に諦めんからな」

 よけい惨めになる捨て台詞だったが、それを言わなければ落ち着かなかった。


 相談相手を整理しよう。

 ベアトリクスは最初から関わる気がない。

 メアリーとルートは相談相手として不適格。

 ヒュエテルさんはこれ以上関わらせるのは気が引ける。

 ……俺って本当に交友関係が狭いな。

 これ、何とかしないと後々大変なことになるから今から繋がりを作っておこう。

 さて、反省終わり。

 残る人物といえば――。

「それで、私に辿り着いたというわけですか」

 出されたお茶菓子に全く手を付けず、単刀直入にそう尋ねる緑髪のメイド。

 ベアトリクス唯一の従者――エルファ=ララフルだった。

「わざわざ私を呼び出すから何の相談課と思えば」

 額に手を当てて仰ぐ仕草をするエルファ。

 元が人形の様な完成された美のため、些細な動作でも絵になる。

「これで貸し借りをなしにするんだ。そちらにとってメリットしかないだろう」

「貸しとは?」

「お前が俺の屋敷から封印していた魔導器具を持ち出しし、ベアトリクスに渡した件だ」

 正直この程度の相談で釣り合わない行為だと思う。

 が、この貸しを大事に抱えていても使う機会があるかどうかわからない。

 不良債権化する前に使ってしまえという意味合いもあった。

「何を仰るのやら。私が魔導器具を王女にお渡ししたから貴方の夢が叶いそうなのです。それを鑑みれば感謝されるこそすれ責められる道理はないはずですが」

 小首を傾げてそう畳みかけるエルファ。

 無表情なため真意が読み辛い。

「じゃあ言い方を変えようか。サラの存在はベアトリクスにとっても無視できない存在。サラを救い出すことは彼女のためになるもなるが」

 俺のためでなく、ベアトリクスのためだという話に持っていく。

 すると案の定、切れ目の瞳を細めて沈黙する。

「それならば納得しましょう。王女のお傍から離れてまでも参ったのは王女のためならば大義が立ちます」

 あくまでベアトリクスのため。

 彼女の得にならないことはしないのか。

「前から思っていたが、エルファは余程ベアトリクスを崇拝しているのだな」

 紅茶を一口含む。

「何がそこまであんたを惹きつける? そこまでの技量があるならば引く手数多だと思うが」

 搾取する側として俺は相応の『闇』を見てきた。

 『闇』の中で蠢く彼らは人の皮を被った何かであり、性根も身に付けた技も想像のはるか上をいく。

 が、それでも目の前のエルファに比べたら霞んでしまう。

「お前は一級品だ。なのに何故沈みかけの泥船に乗る?」

 ベアトリクスは誰からも忌み嫌われる厄介者。

 敵対を超え、視界に入れたくもない人物に付き従っても、百害あって一利なしである。

「その質問は過去無数に聞かれました」

 表情を変えずにエルファは続けて。

「ゆえに私は過去無数に答えた言葉を述べましょう。ベアトリクス様は私の主、主故に付き従うのが従者です」

「完璧な答えだ」

 教科書通りの模範解答。

 揚げ足など取れようがなかった。

「そっか、なら良い。で、サラをどうすれば良いと思う?」

 俺はエルファと駆け引きをするつもりはないし必要だと思わない。

 答えないなら答えないで、それ相応の対応をするだけである。

「……なるほど、私を見限りましたか」

「うん? 何か言ったか?」

 良く聞き取れなかったので眉根を上げる俺。

「王女様の仰る通り、他の有象無象ならともかくユウキ様の関心が失われるのは耐え難い苦痛」

 しかし、当のエルファはブツブツと呟くだけで応えようとしない。

「分かりました、ユウキ様。本当の理由を話しましょう」

 人形の様に予備動作なく顔を上げたエルファ。

 その眼がいつもと違っていたのを確認した俺は知らず心が、邪龍がうずく。

「ほう、なら話してみろ。エルファ」

 そう云い放った俺の声は普段と違っていることを、俺は他人事のように感じた。

「あの悪意に惹かれました。悪魔を超える、底無しの悪意に触れた時だけ私の心は震える。私が従うのは私の心を震わせた者だけです」

「単純かつ明快な解答をありがとう」

 俺はクツクツと笑う。

 合理の塊、感情を欠落した人形かと思われたエルファらしくない理由に俺は喉を鳴らす。

「お前も人間だったのだな」

 感情だけの人間はありえないし、そのまた逆もしかり。

 エルファとの距離がぐっと近づいた。

「さて、じゃあもう一つ尋ねようか」

 俺はエルファに集中する。

 俺の中で荒れ狂っている邪龍の興味をエルファ一点に向けるよう仕向ける。

「お前も承知な通り、俺は『日本』を実現させたい。そのためなら全てを犠牲にする覚悟だ」

「存じております」

 すまし顔のエルファ。

 俺は身を乗り出してこう言い放った。

「俺は何時かベアトリクスを服従させて利用する。だからお前も俺に従え」

「……」

 さあ、どう答えるかな?

 この発言がベアトリクスの耳に入れば激怒することは必至。

 エルファはどうするかな?

 俺を危険人物とみなすか、それとも興味深い対象として観察するか。

 さあ、答えは?

「――まだまだ小さいです。貴方程度の野望だと到底ベアトリクス様の悪意に届きません」

 しかし。と、エルファは続けて。

「未来はどうなるか分かりません。現に私は少しだけ動かされ、濡れました」

 無表情から一転、妖艶な笑みを浮かべる。

「ところでユウキ様、これからの予定はおありで?」

「サラのところに行く予定だ」

「つまりノープランということですね。なら続きはベッドの中でというのは如何ですか? ユウキ様のその眼、その心、貴方の中で飼っている邪龍を味らわさせて下さい」

 言葉こそ誘っているが、俺の手首を掴む手は食虫植物のように捕えて離さない。

 想像していた通り、エルファも結構強引だな。

「では、参りましょう」

 エルファは俺の返事を聞かず、俺を引きずるように部屋へと向かった。


 寄り道をしたがエルファから解決方法を聞きだした俺は早速実践することにする。

 時刻は月の無い深夜。

 俺はサラの家の屋根、しかもサラがいるであろう部屋の前にて忍んでいた。

「しかし、なんとまあ実力行使」

 エルファの提示した方法は至って単純。

 サラに夜這いを仕掛けろということである。

 なんというか、手足として動き回るエルファらしい方法だ。

「しかし、本当に大丈夫か?」

 サラが部屋に戻ってくるまで待つ間、俺は不安に襲われる。

 治安が悪い地域での夜、しかも護衛なし。

「もしサラが俺を拒否し、外に放り出されたら最悪死ぬぞ?」

 一応護身用として魔導器具を準備しているがどこまで安心だか。

「おのれ、サラの父親め」

 サラの父親が対話を拒否しなければ俺はこの身を危険に晒すことはなかった。

 一種の八つ当たりに近い感情が浮かんだので、俺はそれを脳内のサラの父親にぶつけることにする。

 と、まあそんな風に時間を潰していると。

「お、戻って来たか」

 部屋の明かりがついたので軽く確認するとサラを示すレンガ色の髪。

「さて、後は行動あるのみ」

 俺の右手でガラスを叩く。

 全てはそこから始まる。

 賽を投げろ。

 俺はサラと会って話さなければならないんだ!

 そう心の中で叱咤した俺は覚悟を決め、コンコンとガラスをノックした。

「え? 師匠?」

 カーテンを開けたサラは俺の姿を認めて目を丸くする。

「すまん、サラ。まずは中に入れてくれないか?」

 傍目から見てこの状況は非常にまずい。

 誤解されないためにもまずは中に入らなければ。

「ああ、はい。分かりました」

 混乱しているサラはとりあえず俺の言われた通りにする。

 無意識化で俺のことを信頼している様子を知れて嬉しくなった。

「……ここも武器屋か?」

 サラの部屋を見まわした第一印象が逸れ、

 壁にところ狭しと掲げられた武具の山。

 軽く店を開けそうである。

「ふっふーん。凄いでしょ? 実はこれ、全部お父さんが作ったんです」

「え?」

 俺は丹念に武器を観察する。

 形状、刀身どれをとっても下に売られているのより数段上。

 この出来ならばここまで足を運ぶ価値があった。

「なるほど、サラの鍛冶屋は知る人ぞ知る名店というわけか」

 初心者や一見さんお断り。

 本当のベテランでなければ物を売らないのである。

「うむ……素晴らしい」

 俺もいっぱしの鍛冶師。

 調度品として何点か欲しいところである。

「しかし、それにしては質素だな」

 これほどの技量を持ちながらも極貧生活。

「サラには十分すぎる程の給料を支払っていたはずだが」

 俺に次ぐ魔導器具製造職人の報酬は生半可な額でない。

 一般市民が一年間働いて稼ぐだけの額を一月ごとに渡していた。

「アハハ。お父さんって結構頑固なんですよ。『娘に養ってもらう程俺は腐っていない』と断固として受け取りません」

「容易に想像できる」

 武士は食わねど高楊枝。

 それを地で行っているサラの父親がありありと浮かべられた。

「で、それで師匠は何の様です?」

 ベッドに座ったサラはそう尋ねてくる。

「大体予想はつきますけど、師匠の口からお願いします」

 サラは笑顔だが、唇の端が引き攣って緊張している。

 間違いなくサラは俺が尋ねてきた理由を知っている。

 そして、サラの様子から察するに確実に断るだろう。

 今のサラの陽気さは明らかに無理をしていた。

「サラ、俺の望みは知っているか?」

 まあ、何も馬鹿正直に罠へ突っ込む必要はない。

 汚い大人だと非難されようが構わんぞ?

「ええと、師匠の住んでいた国を再現させることですか?」

「そう、その通りだ」

 俺は首肯する。

「で、どうやって再現させるか。最も有効な手段は政治だ」

 いくら理想を叫んだところで実行できるだけの力を持っていなければ理想で終わる。

 俺の『日本』を実現させたいのであれば政治に関わることは避けて通れない道であった。

「けど、師匠って平民ですよね。貴族でも王族でも無い者が政治に関われるのですか?」

「ない」

 俺は断言する。

「この社会は封建社会。俺達市民の役目は特権階級から下された制約の中で富を集めることだ」

 この世界の市民の役割は金を稼ぐこと。

 一言で言うと国庫を潤すのが市民に課された義務である。

「じゃあどうするのですか? 市民である師匠は望みを叶えられない――」

「方法は二つある」

 俺は部屋を歩き回りながら指を二本立てる。

「一つは特権階級の者と懇意になること。欲を言うなら金を必要とする特権階級の者と一緒になれば話は早い」

 領地の経営や地位の行使に興味がなく、趣味や余暇に時間を使いたい特権階級の者の一員になれば、少なくとも今の立場より望みに近づく。

「……」

「汚いと蔑まれても仕方ない。が、この方法が最も効率的だ」

 弱小でも構わない。

 そこからどうのし上がり、政敵を蹴散らすかが政治の醍醐味だ。

「そしてもう一つ、国の権力が及ばない地方において成り上がる」

 中央が無理なら地方から。

 地方は切羽詰まっていることが多いため、実力があれば市民でも奴隷でも政治に参加できる。

「俺が目をつけているのは辺境のジグサール。そこが最も望みを叶えやすい」

 未開の地、ジグサール。

 未だに強力な魔物が出没する危険地帯。

 常に死と隣り合わせな場所ゆえ、実力が地位に結び付きやすかった。

「そんな、危険です」

「確かに危険だ。しかし、考えてみろ。願いが叶えられないのに長生きして何になる? 剣や槍で殺されなくとも、理想を求める俺の心がやがて俺を殺すだろう」

 狂人か死か。

 二者択一ならば迷う必要はない。

「むしろ慈悲だ。叶えられない、分不相応な望みを抱え続けるぐらいならいっそ殺してほしい」

 死ねばそれだけ苦しまなくて済むからな。

「師匠、それは望みではありません、呪いです」

「クツクツクツ、呪いか。言い得て妙な表現だ。が、残念ながら呪いを解いてくれるお姫様はおらず、逆に加速させる魔女がいた」

 シマール国第一王女――ベアトリクス。

 王族の地位と政治力の二つを兼ね備えた魔女。

 ベアトリクスの存在が俺を願いの達成へ急かしたのは紛れもない事実だろうな。

「師匠、理解できません。何がそこまで駆り立てるのですか? 言い方は悪いですが狂っています」

 サラはどうしようもないと言わんばかりに首を振る。

「狂ってる……狂ってるねえ。他人事のように評価しているが、俺からすればサラも十分狂っているぞ?」

 魔導器具の製造を始めて一年未満のサラが真性の魔導器具を製造する。

 それは俺が『日本』を実現するに劣らないぐらい無謀な野望だ。

「……確かに私は狂っていたかもしれません。しかし、今は気付きました。そんな願いを持つのは愚かだと、身を亡ぼす悟りまし――」

「サラ、お前は嘘がつくのが下手だな」

 最後まで言わせる必要はない。

「俺から見れば“逃避”だ。欲求不満を解消するため、何かのせいにして無理矢理諦めているようにしか思えない」

 誤解しないで欲しいのは、俺は逃避を否定しない。

 願いを叶えるまでの道程は果てしなく遠い。

 常に同じ速度で進み続けるのは土台無理な話、たまには座り込んだり寄り道したりしても構わない。

 どうせ逃げられないのだから。

「師匠……師匠は私を連れ戻しに来たんですよねぇ? だったら私はこう言います! イイエと! さあ、これで話は終わりです。帰ってください、早く!」

 ようやく根を上げたな。

 さて、ここからが本番だ。

「サラ。絶対に信じて欲しいのは、俺はサラの幸せを第一に考えていることだ。俺にとってお前は娘のような存在。サラの両親には劣るが、お前のことを大事に想っている」

「だったら何故私を惑わせるのですか?」

「惑わせているというのはお前の主観だろう? 俺は一度も戻れといった覚えはないが?」

 言外には言っているがな。

「ついでにもう一回惑わせよう――自分を何時までも誤魔化せると思うな。騙しに騙し、積もりに積もった鬱憤は必ず爆発し、今まで築き上げてきたもの全てを葬らせるぞ?」

 日本にもいたな。

 大手会社の幹部の地位を捨ててバンドを結成する壮年。

 夫や子を残して海外を放浪し始める主婦。

 サラも遅かれ早かれそうなる確信があった。

「サラ、今のお前は焦っている」

 俺は繰り返す。

「性別という自分ではどうにもならない壁にぶち当たり、どう解決して良いのか分からず戸惑っているんだ。時を必要とする問題な以上、頑張っても逆効果。この場合は今のお前のようにゆっくり休むのがベスト。サラは成長期の十五歳、年月をかけて体を鍛えれば解決できる類の問題だ」

 これ以上混乱させるのもなんだから俺はお暇しようか。

「色々言ったがサラ、これだけは信じてくれ。俺はお前の幸せを願っている」

 ――それが『日本』の実現に関係ない場合に限るがな。

 その時浮かんだ笑みを俺はサラに見せない。

 さぞかし醜い顔をしているんだろうな。

 自嘲を胸の内に噛み殺し、俺は窓から出て行った。


「酷い雨ですね」

 窓の外に目を向けたメアリーはそう呟く。

「ガーデニングに被害が無ければいいのですが」

「そこはもう神に祈るしかないだろう」

 見えるは漆黒の闇。

 聞こえるは窓を叩きつける雨音。

 もし外に出れば五秒と経たずに濡れ鼠になってしまう。

 昼から降り始めた雨は陽が落ちると同時に強まり、今では嵐とほぼ遜色なかった。

「ところでルートは?」

 安楽椅子から身を起こした俺はメアリーに尋ねる。

 するとメアリーは言い淀むように死線を彷徨わせた後。

「……花や木が心配だからと言って外に出て行きました」

「って、おい! それは危険だろう?」

 メアリーの言葉に目を見開く俺。

 もし突風に煽られれば軽いルートはただで済まない。

 そんな危険なことを何故メアリーは黙認したのだろうか。

「それはその……いくら注意しても弟は聞かず、それどころかご主人様にあの秘密をばらす……」

 最後になるにつれてごにょごにょと有耶無耶になるメアリーの声。

 メアリーがルートにどんな秘密を握られているのか気になったが、今はルートの身の安否の方が気になる。

 俺は急いで立ち上がって部屋を出ようとする、が。

「お待ちください、ご主人様」

 何故かメアリーが俺の前に立ち塞がった。

「ご主人様、ルートが外に出て行ったのは弟自身の独断、ご主人様が出る幕でありません」

「何を言っているのか。ルートは家族だ、例え独断でも俺はルートの元に行く」

「駄目です。それだからルートはご主人様に何も言わず、私に口止めしたのです。ルートは自分よりも花や木、そしてご主人様が好きなのです」

 嵐に晒されている花や木が心配だ。けど、守りに行ったら確実に止める、若しくは俺もついてくる。

 幼い頭でそう判断したルートは俺に知られるのを避けたのだろう。

「どいてほしい、メアリー」

「駄目です、ご主人様」

「どいてくれ」

「厳しいです」

「どけ」

「無理です」

「「……」」

 互いに一歩も引かないゆえ睨み合いになる俺とメアリー。

 これは先に目を逸らした方が負ける。

 そう判断した俺とメアリーは視線の一つ動かさず、そのまま時が過ぎ去る。

 永遠に続くかと思われたが、次の瞬間に終わる。

 ルート本人の手によって。

「主様―、ちょっと良いー?」

 ずぶ濡れになった姿に関わらずルートは無邪気に手を上げる。

「ルートか」

「ルート、何をしているのです!」

 俺とメアリーに共通しているのはルートを非難する眼差し。

「アハハー、ごめんごめんー」

 が、ルートには全く堪えていない。

 何故だ? もしかして人の感情を察することが出来ないのか?

 俺はルートについて考え始めていると。

「それよりも主様―。お客さんだよー」

「客?」

 こんな夜更けの嵐時に?

 どんな物好きだ?

「ええとー。サラっていう子だよー」

「っ」

 ルートからサラの名前を聞いた俺は弾かれた様に駆け出す。

 サラと最後に出会ってから三日。

 何故こんな嵐の夜に来なければならなかったのか。

「勘当されたのか?」

 考えられる理由はそれ。

 が、今はそんなことなどどうでも良い。

 一刻も早くサラに会いたかった。


 俺は基本馬車で移動するが、馬に乗れないわけではない。

 意外かもしれないが、乗馬には興味があったのでクラブに参加し、ある程度乗れる。

 どの程度乗れるかというと、嵐の夜を馬で駆け巡れるほどである。

「確かこっちだな」

 俺は記憶を掘り起こしながら先へと進む。

 防雨の装備をしていたのだがこの嵐だとほとんど意味がなさず、体中がずぶ濡れになっていた。

 しかし、今の俺はそんなことを気にする余裕はない。

 心と体が怒りに満ち、全てを些細なことへと変えている。

「絶対に許さんぞ」

 知らず俺は手綱を強く握りしめていた。

「出てこい!」

 目的の場所――サラの実家の前に辿り着いた俺は嵐に負けない怒声を上げながらドアを叩く。

「早く出てこい! でなければドアをぶち壊す!」

 これは脅しでない。

 俺はやると決めたら確実にやるぞ?

 ドアを更に叩くこと数回。

 すると何の前触れもなくドアが開き、厳めしい壮年が立っている。

「お前がサラの父親か?」

「……」

 俺の問いに首肯、ゆえに確定。

「この……馬鹿野郎が!」

 次の瞬間には、俺はサラの父親の頬を力一杯殴り飛ばしていた。

 これでも週の大部分は魔導器具の製造をやっているため力がある。

 岩石の様なサラの父親が吹っ飛ばされ、後ろにあった樽にぶつかる。

「何故サラを泣かせた?」

 脳裏に浮かぶのは雨と涙でぐちゃぐちゃになったサラの顔。

 何が起きたのかまるで理解できていないサラは止めどなく涙を流しながら「帰りたい、帰りたい」と呟いていた。

「サラに、純粋な娘にあんな表情をさせるなど人間失格だ!」

 どんな理由があろうとも夢と希望に溢れた少年少女を傷付けてはならないんだ。

「……」

 サラの父親は俺の拳など聞いていないとばかりにのそりと立ち上がる。

 そして俺の眼前に立つサラの父親。

 俺と負けず劣らず怒っていた。

「貴様が……それを言うか!」

 鍛え上げられた鋼の拳が俺の顔面を捕える。

 それは凄まじい威力で、わざと後方に飛んだとはいえ、道の真ん中まで投げ出されてしまった。

「全て貴様のせいだ!」

 雨に濡れるのも関わらずサラの父親は通りに出て俺に突進する。

「貴様が魔導器具なんかを! サラに会い来るからわしはサラを勘当せざるを得んかった!」

 俺は頭がくらくらしたが、それでも気力を振り絞ってサラの父親の蹴りを避ける。

「何が『勘当せざるを得んかった』だ! 責任から逃れようとする卑怯者が!」

「誰が卑怯者だと!」

 嵐の中の殴り合い。

 互いの拳がぶつかり合う。

「卑怯者だろう! 対話を拒絶し! 有無を言わさぬ態度を取る言動は卑怯そのものだ!」

「なら貴様はどうだ! 言葉を巧みに用いて惑わし、決心を翻すことのどこが正義だ!」

「正義など国や社会によって相対的な概念だ! 俺の心にあるのは哲学! 対話こそ! 直に会って話し合うことが正義だ!」

「で、その結果がこれだ! わしはサラを勘当し、サラは深い傷を負った! まさかこの結末を望んでいたのではあるまいな!」

「戯言も大概にしろ! サラの幸せ! 笑顔! それが俺の望む結末だ! それ以外絶対に認めん! もし失敗しそうになった時! 俺はあらゆる手段を以て成功へと導く! 俺は諦めん! 例えお前に殺されようとな!」

「そうか! なら望み通り殺してやろう!」

「俺は死なないし負けん! 何故なら俺とお前では覚悟が違うからだ! 少なくとも俺は対話を信じている! その結果、万人から非難嘲笑を受けようと、殺されそうになっても構わない! 対話こそ! 言論の自由こそが『日本』だ!」

 殴り合いはサラの父親が有利。

 俺は体中が痛いのに、サラの父親はまだまだ平気そうである。

 が、不利だからといって止める理由にはならない。

 何故なら、寡黙なサラの父親がようやく口を開いてくれたから。

 拳をまみえることでしか対話が出来ないのは困るがこの際贅沢は言ってられん。

 気を失う最期の瞬間まで付き合ってもらおうか。

「お前はサラの亜の絶望した顔を見たか? あんな顔させてもなおサラのことが大切だと言うつもりか?」

「ぬかせ青二才が! この世に娘の幸せを願わん父がいないと思うのか? サラは変なところで頑固! それこそ勘当でもせん限りサラは折れん!」

「自分の諦めをサラに転嫁するな! 俺ならサラが折れるまで諦めん! それこそ徹底的にな!」

「はっ、わしも最初はそう思っておった。が、いずれ知る、サラの執念は他と一線を画すぞ?」

「面白い! 俺の『日本』への執念とどちらが強いのか確かめてみようか?」

 クロスカウンター成功。

 が、膝をついたのはサラの父親でなく俺だった。

「どうした? それで終いか? だとしたら立派な『執念』だ」

「スリップしただけでそこまで言うか? 普通?」

 強がった俺は何でもない風を装って立ち上がる。

「言っただろ? 徹底的に付き合うと、それこそ死ぬまでな?」

 口の中にたまった血を吐き出す。

 口内の出血量が半端ない。

 しばらくは染みる食べ物が食えん。

「それに、サラが受けた苦痛に比べるとこれぐらい羽根で頬を撫でられたようなものだ」

「当然じゃ。サラをずっと育ててきたから分かる、サラはもっと痛かった。これまでの殴り合いを百回繰り返してもまだ余りあるほどな」

「望むところだ」

 決闘が再開されようとした時。

 飛び出した二つの影が俺とサラの父親を羽交い絞めにした。

「あなた、もう止めましょう。これ以上はユウキさんが死んでしまいます」

 サラの父親を止めたのは母親のララさん。

 ならば俺を止めた人物は。

「師匠! もう良いです! お父さんと師匠の気持ちは十分伝わりましたから」

 サラであった。

「私はお父さんも師匠も大好きです。だから私のことで争うのはもう止めて下さい、お願いします」

「ほら、あなた。サラもああ言っているでしょ。これ以上サラを悲しませたら承知しませんよ」

「「しかし」」

 俺とサラの父親は同時に否定の言葉を呟こうとしたが。

「「終わりです」」

「「はい」」

 サラとララさんの一喝に二人とも素直に従った。

「とりあえず家にお入りください。タオルと温かい飲み物を用意します」

 ララさんは口調こそ丁寧だが有無を言わせぬ気迫が宿っている。

 サラの父親は頑固だが、ララさんも大概だなあと思った。


「換えの服と飲み物をありがとうございました」

 開口一番、俺はサラの両親に頭を下げる。

 嵐はすでに過ぎ去り、朝日が室内を照らしている。

 サラはまだ部屋で寝ており、この場には俺とサラの両親の三人だけだった。

 あの後、ずぶ濡れの衣服を交換した俺はサラの部屋の部屋に居座る。

 が、あれだけ殴られたため寝られるどころではなく、疲れ果てたサラにベッドを使ってもらい、俺は椅子に座って痛みに耐えていた。

 そして雨が止み、陽が昇って来たところでお暇しようと階段を降りるとサラの両親がテーブルに座っており、現在に至る。

「よく眠れましたか?」

「はい、ララさん。ぐっすりと」

 お世辞は大事、本音を言う必要などどこにもない。

「嘘を付くな、本当は痛くて一睡もできんかったのじゃろう」

 が、サラの父親にあっさりと見破られてしまった。

 思わず顔が引き攣る俺。

「まあまあ、実はこの人も一晩中呻いていたのですよ。それほどまでにサラのことで怒っていたのですね」

 ありがとう、ララさん。

 彼女のフォローによって場が和んだ。

「サラのことについて何ですが」

 迂回しても仕方ない、単刀直入に言う。

「サラは……引き取れませ――」

「サラのことをお願いします」

 俺が最後まで言い切るより先にララさんが深々と頭を下げる。

「サラは素直なのですが、ブレーキの無い暴走列車のようなもの。私達がいなくなればどうすればいいのかと将来が不安でしたが、カザクラさんがいれば安心です」

「いえ、ララさん。僕には分不相応です」

 俺は慌てて首を振る。

 サラをここまで追い詰めた原因の一端は俺にもある。

 ああなってしまった以上、サラはもう少し両親に守られて育ってほしい。

「何よりもサラはまだ十五です、親の助けが必要な年頃です」

「わしは七で丁稚奉公に出された」

 サラの父親が重い口を開く。

「そして金輪際両親とは会っておらん。それに比べればサラは十五でわしらも健在、恵まれすぎとる」

「しかし」

「カザクラよ、それは貴様のいた国『日本』が関係しておるのか? ここはシマール国、市民や奴隷は五歳だろうが二十歳だろうが同等の扱いじゃ」

「……」

 郷に入りては郷に従えという。

 しかし、市民や奴隷という理由だけで右も左も分からない子供に大人と同じ責任を負わせるのはあまりに酷だ。

「それがシマール国じゃ。ゆえにサラが将来どうなるか不安だったが、貴様がいれば心配ない」

 それに、と続けて。

「もうじきサラを追い出す。カザクラが引き取らなければわけの分からん馬の骨に誑かされてしまうぞ?」

 挑発的なサラの父親の口調。

 冗談いうなと笑い飛ばしたいが、この人が嘘を言うとは思えない。

 つまり、本気でサラを独り立ちさせる気だった。

「……………………分かりました」

 長い逡巡の果てに俺は承諾する。

「サラのことは今後全て僕が引き受けます、ご安心ください」

「当然じゃ。もしサラに何かがあれば地の果てまでも追って貴様を殺してやる」

 長年の苦労を経て会得した凄味のある眼光。

 何かあれば冗談抜きで、地獄まで追い詰めて俺を殺すなと直感した。

「サラを……よろしくお願いします」

 気が付けばララさんが滂沱の如く涙している。

「あの子は……とても良い子なんです。けど、とても脆く弱い。誰かが傍にいなければ駄目なんです。本当に……よろしくお願いします」

 涙で途切れ途切れになりながら言葉を紡ぐララさん。

 この光景を見て俺は思う。

 サラは本当に幸せ者だと。

 これほどまで愛情を受けられるのは望外な幸運だと。

「安心してください。必ずサラを幸せにします」

 両親の期待に応えるため、俺は深い決意を込めて頷いた。



「あんた、サラと結婚するの?」

 事のあらましを聞いたベアトリクスは頬杖をついて呆れる。

「何も知らない第三者が聞けば嫁を貰いに行った婿と勘違いされてもおかしくないわよ?」

「何言ってんだか、俺はサラをそういう対象として見ていない」

 紅茶を一含み……染みる。

「保護者が父親から俺に移っただけだ、それ以上は何も変わらん」

 あれ以降、サラは俺の屋敷で寝泊まりしている。

 相当な収入があるので独り暮らしも視野に入れてみたが、サラの壊滅的な生活能力を知って諦める。

 まさか米を洗うのに洗剤を使う輩が本当にいたとはな。

 あれはネタだと笑っていたが、どうやら現実に起きているらしい。

「私、父さんからも母さんからも料理炊事洗濯は一切するなと言われていたんです」

 過保護なのか、それとも見込みがないのか……恐らく後者。

 一般人に出来て天才に出来ないことはよくある。

「これにて一件落着、お前の出る幕はなかった」

「出ようとも思わなかったわよ、そんな三流家庭劇なんて」

「言ってくれるねえ」

 ベアトリクスの傲慢な物言いに俺は苦笑を隠せなかった。

「で、今日は何の用だ? これといって報告するべき案件はないが」

 ヒュエテルさんの件も、魔導器具の製造も順調。

 特に何もない。

 素晴らしい。

「ああ、簡単よ。ユウキ=カザクラ貴方に男爵の称号が贈られることに決まったわ」

「……」

 あっけらかんとそう口にするベアトリクス。

 貴族? 何故?

 何処からそんな話が出てきたのか皆目見当が付かず、混乱する俺。

「フフフ、良い表情ね。その顔が見たいからさり気なく言ったけど、大成功だわ」

 こいつ、憎たらしいな。

「私が推薦しといたわ」

 背もたれに体を預けたベアトリクスは続ける。

「孤児院の経営に、国家に多額の税金、果ては良質な魔導器具の製造……爵位を授けるに相応しい貢献だと思うけど」

 嬉しいかと問われれば当然嬉しい。

 俺の活動が認められた気がして嬉しくなる。

「あら、浮かない顔ね、どうしたの?」

 気がかりなのは俺の今後について。

 市民より貴族の方がやれることが多くなる半面、やらなければならないことも増える。

 果たして貴族の義務は『日本』の実現にどう影響を及ぼすのだろうか。

「王都での海千山千の怪物どもとやり合うことはないわよ。どうせすぐに地方に飛ばされるんだから」

「うん?」

「ジグサール地方――貴方はそこで新領主として統治してもらうつもりよ」

 貴族という地位に加え、ジグサール地方の領主としての力。

 俺が求めてやまなかった二つが同時に手に入った。

 が、素直に喜んで良いものか。

「何が望みだ?」

 これだけ与えるのだから相応の見返りを求められるのではないだろうか。

「察しが良いわね、その通りよ」

 ベアトリクスは小さな赤い唇を綻ばせて。

「地盤が欲しいのよ。貴方の尽力によって私は金と武力を得たわ。けど、それだけじゃ足りない。確固たる地盤――領土が無ければ一時で終わる」

 金と武力を生み出しているのは何か?

 それは人であり土地。

 それらがなければ全ては砂上の楼閣であり、不安なことこの上なかった。

「貴方のやることは変わらない。魔導器具を製造し、兵士を育て、私に上納金を納める……規模が大きくなっただけよ」

 あくまで主導権はベアトリクスにある。

 それを分からせるためそんな物言いをしたのだと推測した。

「で、どうする?」

 ベアトリクスは再度尋ねる。

「今ならまだ辞退することが出来るわ。けど、しないわよね? 何せ断る理由がないのだもの」

 ベアトリクスの言葉通り、俺が受けない理由はない。

「当然だ、謹んで受けよう……が」

「なに?」

 考慮すべき点が一つ。

「お前から任されたメイド、メアリーが……妊娠している」

「は?」

 珍しくベアトリクスが間の抜けた声を漏らした。


「……間違いではないのか?」

「はい……三週間めなことです」

 メアリーの言葉に重苦しい沈黙が落ちる。

 メアリー、俺、そしてルートの三人での家族会議。

 事の深刻さを肌で感じてか、ルートでさえも神妙な顔で黙っていた。

「……」

 俺は体中の全ての力が抜けたかのような脱力感に襲われ、背もたれに体を預ける。

 こうなることは薄々理解していた。

 避妊をしなかったのは薄々と子供を望んでいたかもしれない。

 が、今回ばかりは神を恨む。

「お前達も知っている通り、俺は貴族となりジグサールの新領主となる」

 何故……こんな大切な時期に。

「本来なら二人も連れて行きたいのだが……」

「母体の健康を鑑みると環境の変化、特に過酷な辺境地へ赴くのは賛同しかねるそうです」

 新天地、ジグサール。

 母体にかかる影響は無視できず、何より医療設備がここより整っていない。

「ご主人様、時期をずらすことは可能なのでしょうか……無理ですよね」

 その通りなので俺は何も言えない。

 特別な事情がない限り、赴任の延長は認められない。

 ましてやメアリーは正式な契りを結んでいない、いわば愛人のような存在。

「ベアトリクスが絶対に許さんだろうな」

 思い起こすのは激怒したベアトリクスの顔。

『平民が何をやってんの?』

『即刻降ろしなさい!』

 怒髪天を突く勢いだったのを覚えている。

「理想としては俺が先に赴任し、メアリーが安定期に入ってからこちらに来る。しかし、問題なのがルート。体の方は大丈夫か?」

 ルートは元来体が弱い。

 こうして明るく元気に振る舞っているが、一度熱が出たらしばらくの間動けなかった。

「慣れ親しんだ環境から過酷な場所への変化……ついていけるか?」

「アハハ―……ちょっと厳しいかなー?」

 口ではそう言うものの、本心は分かっている。

 絶対に無理だと。

 ジグサール地方に行けば命に関わると直感していた。

「ルートはここでしか生きられん……そして子供の将来を考えると結論は一つ」

 ここから先は言いたくない。

 何故俺がこんなに苦しむのか。

 分かっている、『日本』を実現させると決めた時から、俺は全てを犠牲にしてでも成し遂げると誓った。

 そして、その誓いの第一試練が今である。

 なら、戸惑う必要はない。


「メアリーとルートお前達にこの屋敷の管理を頼む……お別れだ、今までご苦労だった」


 そう、何も罪悪感を覚える必要はない。

 感傷的になっては駄目なんだ。

「お前達の気が晴れるなら、月々いくら払えば良い? 金額を教えてくれ」

 罪滅ぼしになるのだろうか。

 俺はメアリーとルートを飢えさせるような真似はしない。

 例え俺が無一文になろうとも経済面では一切心配させるつもりはなかった。

「……」

 俺は二人の答えを待つ。

 メアリーは涙を堪え、ルートは顔を背けている。

 この沈黙は針の筵に座らされる苦痛だったが俺から壊すことは許されない。

 この時間を終わらせる資格を持つのは二人だけだった。

「……ご主人様。いえ、ユウキ男爵」

 メアリーは顔を上げる。

 俺をご主人様でなく、ユウキ男爵と呼んだ彼女の顔はこれまで見たこと無い凛とした表情。

 俺は知らず身構えてしまう。

「何もいりません。お金も、屋敷も。そして――」

 メアリーは一拍置いた後。


「この子はユウキ男爵とは何の関係もありません、貴方との繋がりを否定します」


「っ」

 飛び出してきたのは拒絶。

 俺との縁を全て断ち切る意思表示だった。

「何故……そこまでする?」

 俺は唇を震わせる。

「メアリーは俺のことを嫌いになったのか?」

「いえ、今でも愛しています」

 しかし。と、メアリーは続けて。

「このお腹の子はもっと愛しています。将来のために貴方との関係を断ち切るのです」

「何故?」

「カザクラ男爵、貴方は『日本』の実現のためなら世界を敵に回す覚悟でしょう?」

「ああ、その通りだ」

「世界が貴方を敵だと認識した時、その血を受け継ぐこの子はどうなるでしょうか?」

「っ」

 メアリーの言葉に俺は沈黙してしまう。

 想像するのは最悪の未来。

 投降の材料、若しくは見せしめとして惨殺されるだろう。

「私は権力争いにこの子を巻き込みたくありません」

 そっと自分のお腹に触れるメアリー。

「そして、貴方の重荷にもなりたくありません」

「だから……関係を絶つと」

 無関係なら争いに巻き込まれる可能性は減る。

 俺の心は痛むだろうが、少なくとも体裁は保てる。

 苦渋の決断。

 俺の理想、そして子の将来を護るための選択。

 考える限り最適な決断である、が。

「良いのか?」

 代償としてメアリーは過酷な人生を歩むことになる。

 子を一人育てるのにどれだけ大変か、その苦労は想像を絶する。

 それをメアリー一人に押し付けて良いものだろうか。

「大丈夫だよー、主様。いや、ユウキさんー」

 この場に不似合いな能天気な声。

「僕がいるー。姉さんが動けない分僕が働ければ良いー」

「ルート、働けるのか?」

「僕にはガーデニングがあるー。結構評判が高いんだよー。それにー、姉さんが料理を売れば僕達三人ぐらい養えるってー」

「僕達の心配は無用―。それよりもー理想に向かって突き進んでねー。その姿勢を貫くことで僕や姉さんが救われるー」

「……」

 何も言えない、言えるわけがない。

 ルートとメアリーが示した意志を何故俺が口出すことが出来る?

「……ルート、メアリー。すま――いや、何でもない」

 何故謝ろうとした?

 そんなにも自分が可愛いのか?

 謝罪し、俺は悪くないと言いたいのか?

 否、その考えは全てを侮辱している。

「それで、二人は何時出て行く?」

「すぐにでも」

 メアリーは一拍の間をおかずに応える。

「元から私達の私物は少ないのです。そして五年間ご主――カザクラ様から頂いてきたお給金があれば当分困らないでしょう」

「心配無用―」

「……ぐっ」

 無様な姿は見せたくない。

 そう心に言い聞かせているにも拘らず、俺は顔を歪ませてしまう。

 五年間、二人と過ごしてきたこの時間は何だったのか?

 俺の中で無意味な時間へと変わっていくことに俺は恐怖と絶望を覚える。

「ルート、行きましょう」

 俯いた俺の耳朶を打つメアリーの声。

「これ以上、カザクラ様を困らせてはなりません」

「うん、分かったー」

 あくまで俺のため、か。

 余りの不甲斐無さによって俺は二人を見送る余裕がなく、ルートとメアリーが屋敷から出て行くまで俺は硬直していた。

「う……ぐ、ああああああああああ!」

 ルートとメアリーが去り、一人になった俺は慟哭する。

「神よ! 天よ! 誰でも良い! 俺を日本に還してくれ!」

 日本に還ることが出来れば俺の悩みは解決する。

 理想と感情に心が引き裂かれる苦しみを味わうことが無くなる。

「俺が何をした? 何故俺は異世界に飛ばされた? 何故ここまで『日本』に恋い焦がれる?」

 異世界に飛ばされなければ。

 そして、『日本』にここまで愛していなければこんな苦痛とは無縁だった。

 知識と才能によって程良い地位と金を得て満足して終わり。

 理想郷の様な生活を送れたのに、『日本』を愛するがあまり地獄の責めに苛まされている。

「助けてくれ! 誰でも良い! この地獄から俺を救ってくれ!」

 そんな俺の絶叫に応える声はなく、ただ、静寂が満ちる。

 俺の嘆きは一晩中どころか、翌朝に実家から戻って来たサラが驚き、そして止めるまで続いた。

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