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前半

 「ご主人様、お食事の時間ですが」

「うん? ああ、もうそんな時間か」

 安楽椅子に座り、過去を振り返っていた俺を現実に呼び戻したのは壊れた姉弟の姉の方――メアリー。

 元は王族の専属メイドらしく技量は超一流。

 王宮にいた頃に受けた苛めによる過食症もなくなって、元のスマートな体型を取り戻していた。

「変われば変わるものだ。あの状態からよくぞ」

 言い方は悪いがメアリーの第一印象はダルマ。

 相撲取りかと思える五段腹に吹き出物に覆われた顔。

 思わず顔を顰めてしまう程悪臭を放つ彼女の前に俺は呆然とする他なかった。

「ご主人様がお作りになった化粧品のおかげです。あれのおかげで長年の悩みだったそばかすも消えました」

 ゆえに俺は食事制限を始めとした美容指導を徹底的に行う。

 アロエに似た植物を取り寄せてオイルを作り、加えて馬に似た油から作った石鹸を使用。

 すると見違えるほどに良くなり、今では美人メイドさんとしてちょっとした有名人。

 金髪も輝きを取り戻し、ニキビの痕もない顔、すらりとした肢体は芸術と呼んでもさし支えなかった。

「気にしなくて良い。おかげで俺は一財産を築くことが出来た」

 メアリーだけ使って終わりというのは勿体ない。

 だから俺は作った化粧品を売ってみた。

 すると売れるわ売れるわ大ヒット。

 今では、化粧品関係だけで労働者を十数人抱える事業主である。

「しかし、時間を持て余すのは退屈だな」

 俺が手掛けているのは化粧品だけでない。

 出版、印刷、食糧、武器、防具、建築等等、両手に納まらないぐらい事業を行っていた。

 どの事業もすでに俺の手を離れ、雇われ経営者が管轄している。

 つまり俺は何かをする必要がなく、喰って寝ているだけでも金が入ってきていた。

 うん、どっからどう見ても俺はブルジョアだな。

 世が世なら労働者の敵として標的になっている身分だ。

「昼食かあ……」

 俺はウーンっと背筋を伸ばす。

「食べる気がしない」

 何せ俺は朝食を食べて以降何もしていない。

 体を動かしていないのだから腹が減らないのは当然だった。

「だから昼食は弟のルートと二人で食べてくれ」

「また昼食を抜くのですか?」

 メアリーが悲しそうな顔をする。

「昨日も、一昨日も昼食を抜かれました」

「そうは言ってもなあ」

 俺は苦笑して。

「お腹が空いていないのだから仕方ないだろう」

 体を動かせば少しはましになるかもしれない。

 が、今の俺にとっては頭を動かすことの方が重要だった。

「体を動かしていないのが問題なのですね?」

 メアリーは何かを決意したようにそう尋ねる。

 その瞳の裏に何故か情欲の兆しが見える。

「ご主人様、僭越ながらご奉仕しましょうか?」

 メアリーの言うご奉仕とは掃除や炊事とか健全なのではない。

 いわば夜の、十八禁の奉仕である。

 どうでも良いかもしれないが、俺の初相手はメアリー。

 言い訳をさせてもらうと、思春期の少年が綺麗な女性と共に過ごして欲情しないわけがないだろう?

 だから、その……ね?

 互いに始めてだったが、メアリーが優しくリードしてくれて、ね?

 はい、しばらくそれしか頭にない程気持ち良かったです。

「本日はどうします? 口ですか? それとも胸ですか?」

 俺の前に跪き、上目づかいにそう尋ねてくるメアリー。

 メアリーは元からグラマラスだったらしい。

 腹や腕といった部分は痩せていったが、胸だけは変わらず大きなままだった。

「両方で頼む」

「くすっ。強欲ですね、ご主人様は」

 メアリーは仕方ないなぁと言わんばかりに笑う。

「それと、出来れば最後までしてほしい」

「もちろん心得ています。でないとご主人様が体を動かせませんからね」

 委細承知とメアリーは頷く。

 いやあ。

 こう言っては何だが、王族専属メイドというのはここまで習うのか?

 プロの娼婦でも引けを取らないテクニックだぞ?

 と、俺がそんな不埒なことを考えて、メアリーが俺のズボンに手をかけたその時。

「主様―? 姉さんー? 何してるのー?」

「っ」

「ひゃあっ?」

 突然の乱入者にメアリーは飛び跳ね、俺と距離を取る。

「うんー? もしかしてー、お楽しみ中だったー?」

 全く邪気のない声でそう聴く者というのは。

「る、るるるるるルート! 何変なことを言っているのです?」

 メアリーの弟であるルートだった。

 姉と同じ金色の髪をポニーテールに纏めている中性的な顔立ちなルート。

 華奢な体つきのため、、少女に見えなくもない。

 試しにメイド服を着用させて客に接待したところ、誰もが美少女メイドと勘違いされたのは良い思い出である。

 ルートを引き取った当初、病に侵されて死ぬ寸前だった。

 が、ドラゴンの血を原料にした強壮薬を中心とした適切な治療を行うことで持ち直す。

 現在では、定期的に薬を摂取すれば常人と同じ生活が現在できていた。

「うんー? もしかして良いことしていたのー?」

 ルートは天使のような笑みを浮かべて聞いてくる。

「してませんしてません! 私は何もしてません!」

 顔を真っ赤にして否定するメアリー。

 弟にすら素直に話せないメアリー。

 うん、本当に初心だなあ。

 動揺している彼女を見ていると微笑ましい気分になってくる。

「うんー。そういうことにしておこうかー」

 ルートはこれ以上詮索せず、小さな手を後頭部に乗せて上を向く。

 ルートの、その蕩けそうな甘いマスクに籠絡される夫人が後を絶たない、が。

「ずるいなあ主様はー。姉さんだけでなくたまには僕も誘ってよー」

 言っていることは悪魔の提案だ。

「ルート……お前は男だろう。残念ながら俺にそんな性癖はない」

 俺は溜息を吐きながら拒否する。

「えー? 試してみないとわかんないよー。ほら、名のある貴族や軍人も傍に少年をはべらしているそうじゃんー」

 ルート、お前は一体どこからそんな変な知識を身に付ける?

 確かにルートは美少女と間違うぐらい無垢な容姿をしているが付いているんだぞ。

 付いている以上、健全な関係を保つべきだ。

「しようよ、しようよー? 一回だけで良いからー」

 ルート、お前が女なら良かったんだよ。

 弟でなく妹であれば。

 俺は内から湧き上がってくる変な衝動と戦わずに済んだんだ!

「……ご主人様?」

 俺の何かを察したのかメアリーは落ち着き払って聞いてくる。

 心なしかその笑顔が怖い。

「何でもない、メアリー。それよりも腹が減った。冷めないうちに昼食を食べようか」

 これは事実。

 二人のドタバタに巻き込まれて腹が減った。

「メアリー、今日のメニューは何かな?」

「あ、はい。本日はパンに、コンソメスープ、鶏肉のバジル焼きにオニオンとグリーンレタスのサラダとなっております」

 パッと目を輝かせるメアリー。

 うん、忘れてくれて良かった良かった。

「じゃあ僕準備してくるねー」

 ルートが軽快な足音共に消えて行く。

 さて、行くか。

「さてさて、どんな味かな?」

 俺はそんなことを呟き、メアリーを後方に控えさせて部屋を出た。



「うん、美味しい」

「良かった」

 俺の言葉にメアリーは心底嬉しそうな笑みを見せる。

「回数をこなすために料理をの腕が上がっているな。凄いぞ、メアリー」

「ありがとうございます」

 俺の言葉に顔を真っ赤にして俯くメアリー。

 うん、可愛いなあ。

「けどー、そんな姉さんの料理をー、主様は食べないんだよねー」

 微笑ましい空気に水を差すルートの言葉。

「ルート……誤解を招く言葉は止めろ。俺が抜いているのは昼だけだ。朝と夕は食べている」

「いえ、良いんですご主人様」

 俺がそうフォローするがメアリーは悲しげに首を振って。

「全ては私が悪いんです。食欲が沸かない昼食を作るから、張り切って朝食を目いっぱい作ってしまうからお昼を食べてくれないんです」

 蒼い顔をしてブツブツと自己否定の言葉を呟き始めたメアリー。

「また始まったか」

 俺は嘆息する。

 メアリーは王宮にいた頃に壮絶ないじめを受けていた影響で、少しでも嫌なことがあると自分の殻に閉じこもってしまう性癖がある。

 これでも大分マシになった方だよ?

 ここに来た当初は埃が残っていただけで泣き喚き、そしてリストカットしようとしていたのだから。

「ルート、どうするんだ?」

 俺は元凶であるルートを半眼で尋ねると、ルートは満面の笑みを浮かべて。

「放っておこうよー。少ししたら戻ってくるってー」

 実の姉を放置する案を提示しやがった。

「けど、それしかないよな」

 長年の付き合いから、こうなったメアリーは放置しておくに限る。

 一周したら何事もなく戻ってくるだろう。

 俺は注意をメアリーからルートに変える。

「ようやく僕とお話しできるねー。嬉しい嬉しいー」

「ルート、お前はなあ……」

 ルートの無邪気な言葉に俺は頭を抱える。

 ルートは病歴が長くて人とあまり接してこなかったせいか自分の欲望に対して酷く正直である。

 どれだけ正直かというと、俺と話したいがために実の姉メアリーを蹴落としたり、俺への好意を素直にぶつけたりする。

 なまじ悪意がない分性質が悪いんだよなあ。

「でねー、主様―。今日の朝庭に―、綺麗なお花が咲いていたんだよー」

「へえ、その花はどういう風に綺麗だったんだ?」

「色が凄く綺麗だったんだよー。丹念込めて育てた甲斐があったー。今度見てみてー」

 ルートは主に買い出しとか庭の手入れといった外の業務を中心に行っている。

 メアリーが人前に出られないので必然的にそうなった。

「植木のオブジェも良い形になって来たしー。真正面から見るととても綺麗だよー」

 ルートは植物が好きなのかガーデニングファッションに凄い凝っている。

「今度の展覧会が楽しみだなー」

 余りに上手なので定期的に庭を解放し、近隣の方々の憩いの場となっていた。

「その時はメアリーの新作お菓子を配ろうか」

 ただ開放するだけは何なので、メアリーが作ったお菓子も同時に配布。

 これもまた評判が良く、次の展覧会が何時行われるのかがちょっとした話のネタになっていた。

「はい、任せて下さい。次もまた丹精込めて作ります」

「戻って来たか」

「お帰りー」

 復活したメアリーに俺とルートはそんな声をかけた。


「お菓子で思い出した。メアリー、午後は出かけるぞ」

 午後の用事を思い出した俺はメアリーにそう告げる。

「行先はいつもの孤児院。大至急来てくれと昨日要望があった」

 実は俺、福祉にも力を入れている。

 富める者は貧しき者へ施す義務がある。

 その義務に従い、俺は福祉の中でも身寄りのない子供を預かる孤児院に力を入れていた。

「頼んでおいたクッキーは出来ているか?」

 ただ行くだけでは芸がないので俺は訪れる度にメアリーのお菓子を持参していた。

「はい、それは出来ていますが……」

 何故かメアリーは苦しそうな顔をする。

 メアリーは何かを言いたいのだろう。が、引っ込み思案な性格が災いして口に出せない。

「姉さんはねー。主様が彼らに深く関わることが嫌なんだよー」

 ゆえにルートが代弁する。

「っ、ルート」

「そうなのか? メアリー」

「……はい」

 躊躇いがちに頷いたメアリーは重い口を開けて。

「ご主人様の博愛主義は御立派です。が、それも限度があります。ご主人様が護る彼らは人間ではありません、私達から如何に金を出させるのかを一日中考えている動物をご主人様は育てているのです」

「そうそうー。あいつ等って僕の作品を無茶苦茶にするしねー。花壇に入って花を踏み荒すんだよー」

「……」

 メアリーもルートもこの世界――すなわち差別が許され、弱者は泣き寝入りするしかない世界の住人。

 二人は間違ったことは言っていない。

 浮浪児及び浮浪者は唾棄すべき存在であり、一片の同情心も与えてはならないのが常識。

 しかし――

「人間は……平等だ」

 俺は絞り出すようにして声に出す。

 どんな身分であろうと、地位であろうとそれを以て人間を分けることは許されない。

 『私は私だ』と胸を張る権利は誰にでも備わっているんだ。

「ご主人様……」

 俺の苦悩する様子に言わなければ良かったと後悔するメアリー。

 が、ルートは違う。

「主様―。僕も姉さんも主様を苦しめたいんじゃないよー」

 ルートは続ける。

「僕も姉さんもー、主様が立派な方というのは知ってるよー。だからこそ何だよー。僕達が尊敬する主様だからこそー、もう少し主様らしく行動してほしいなーって」

「主らしい行動とは何だ?」

「ご主人様。ご主人様は私やルートを厚遇しすぎです。私やルート、浮浪児達がいなくなってもご主人様は生きていますが、ご主人様なしで私達は生きていけません。その事実をもう少し考慮しては如何でしょうか」

「……」

 例えるなら使用者と道具という関係か。

 道具は幾らでも取り換えが効くが、使用者はただ一人。

 もう少し乱暴に扱っても道具は逃げないのだから安心しろと言うわけか。

「……すぐに出かける」

 俺は外出する旨を伝える。

「もしかしたら帰りが遅くなるかもしれない。その時は二人で先に食べて欲しい」

 俺はそう言い含めるが、二人とも俺が帰るまで料理に箸をつけることはないだろう。

 主人より先に食べない、それがこの世界の常識なのだから。

「……」

 廊下に出て一人になった俺は天井を見上げる。

「メアリーもルートも俺を気遣っている」

 ルートがフォローするまでもなく、メアリーの忠告は純粋な好意によるもの。

 でないと、引っ込み思案なメアリーが俺に体を許すはずがない。

 故に俺は苦しむ。

 メアリーの想いを踏み躙っている錯覚に襲われて良心が痛む。

「メアリー、ごめんな」

 お前の気持ちは十分に理解している。

 そして、それを踏まえた上で俺はこう述べよう。

「それでも……人間は平等なんだ」

 その信念を捨ててしまったら、俺は俺でなくなってしまう。



 馬車で道を走らせることしばらく。

 整備された街並みから徐々に汚くなっていく景色が俺の目に入る。

「大分この辺りも汚れて来たな」

 俺がこの世界に来た当初は、この辺りも綺麗だったのだが、現在だとその半分しか面影を残していない。

「シマール王が病に倒れたのは大きい」

 俺が屋敷を手に入れた前後に現在の国王が重病にかかり、表舞台から姿を消す。

 それ以降は長男であるフォルター宰相が国王に代わって政治を行っていたが、その手腕はお世辞にも国王より優れていると言い難かった。

「おかげで俺の経営する孤児院は順番待ち状態。増設では追いつかず、もう一施設建てる可能性も浮上してきた」

 このままだと確実に建てる羽目になるだろう。

 俺はこの国の行く末に暗澹たる気分になった。


「ようこそお出でくださいましたカザクラ様」

 俺の訪問に事務所に詰めていた人は総立ちになって出迎える。

 そして代表して言葉を発するのは施設庁であるヒュエテル=クーラー。

 子供達を誰よりも慈しんでいるからこそ、その眼には優しさが灯り、周囲の人間を暖かくさせる。

 ふわふわとした茶色の髪を肩口に斬り揃え、微笑みを絶やさない彼女。

 とても二十代で身に付ける貫禄とは思えず、巷ではヒュエテルさんを女神の転生した者として崇められていた。

「カザクラ様を呼びつける形となってしまい、本当に申し訳ありません」

 深々と頭を下げるヒュエテルさんに俺は大丈夫だと首を振る。

「気にしなくて良い。ヒュエテルさんが緊急だと言うからには本当に切羽詰まっているのだろう」

「そのように信頼して頂き感謝の念に堪えません。ですが用件は私でないのです。隣の方がおありのようで」

 ヒュエテルさんの視線の先にはやせ気味の男の姿。

 非常に攻撃的な印象を受け、視線をせわしなく動かす動きは対象の弱点を探っているように思えた。

「分かった。さて、皆も仕事に戻ろうか。ところでヒュエテルさん、子供達に配るお菓子を持ってきたのだけど」

 俺は大きな袋を持ち上げる。

 メアリーは例え不満があろうと仕事に手を抜くことはしない。

 こればかりは素直にありがたかった。

「いつもありがとうございます。そのお菓子は配らせて頂きます」

 俺はお菓子の入った袋を近くの机の上に置く。

「……」

 すると男が目を細める。

 どうやら男はお菓子を配る行為に対して不快に思っているようだ。

「ここじゃなんだから打ち合わせ室で」

 男の様子から一悶着があることは容易に想像できるので、俺は奥にある一室に移動することを提案する。

 そこは俺専用の部屋であり、カギ付き、そして防音も備えているため込み入った話を行うには絶好の場所であった。

「これで外部の者に漏れ聞こえることはない」

 カギをかけた俺はヒュエテルさんの横にいる男と向き直る。

「さて、聞こうか。ヒュエテルさんを仲介してまで俺との面会を希望した理由を」


「ガガン=イクライドという。横のヒュエテル=クーラーとは血盟師団の同志だ」

 血盟師団。

 それは貴族や富豪が持つ特権を廃止し、平等な社会の実現を叶えようとする集団。

 目的は素晴らしいが、そのために暴力的な手段も許される考えを持つ極左勢力というのが俺の見解である。

「ハッキリさせておきたい点がある。イクライドさんは血盟師団の代表として参ったのか、それともヒュエテルさんの友人として参ったのか教えて欲しい」

「両方だ」

 イクライドは躊躇なく答える。

「同志として、友人として俺はここに来た」

「そうか……」

 イクライドとヒュエテルさんとの間には深い何かがあるようだ。

 興味はあるが、それは後回しでも良いだろう。

「単刀直入に述べよう。ユウキ=カザクラ、貴殿を血盟師団の同志として迎えよう」

「……断った場合は?」

「ユウキ=カザクラを我らの敵とみなす。この施設は勿論のこと貴殿が経営する紹介も相応の報復を受けてもらおう」

「ガガン!」

 血相を変えてヒュエテルさんは立ち上がり。

「カザクラ様は敵でありません! むしろ貧しき者に施し救済する血盟師団の味方ではありませんか?」

「味方ならばその証を示せ! 我等に忠誠を誓い、行動を共にすることが味方だ!」

「そんな……」

「それにヒュエテル! お前は最近集会に来ていないではないか! 参加もしないお前に説教を垂れる資格はない!」

「そ、それは……仕事が忙しくて。日付が変わってから帰宅することも珍しくないのですよ」

「全てに優先される集会よりも資本家に押し付けられた労働の方が大事だというのか! 昔のお前は絶対に言わなかったぞ!」

「……」

 怒りに目をむいて絶叫するガガン。

 さて、俺はどう返事をするべきだろうな。

「感情が多分に入っている」

 俺は落ち着き払った様子で言葉を紡ぐ。

「少なくとも貴方では話にならない。日を改めて別の者を遣わして欲しい」

「つまり我等の敵と認めるという意味か?」

「敵対したくないからもう一度話し合おうというのだ」

「何度も話し合う意味がない。是か否か、すぐにどちらかを決めろ」

「何故そう結論を急ぐ? 今日が明日に伸びたからといってすぐさま深刻な影響が出る案件でもない。血盟師団に戻ってこう伝えろ――『ユウキ=カザクラは貴殿とじっくり話し合いたい』と」

「だから――」

「伝言役が嫌なら俺がその組織と直接連絡を取る。別に貴殿を通す必要は何処にもない」

「……」

 ガガンは憤怒で顔を真っ赤にしているが、反論すべき材料が見つからないようだ。

 今にも俺に掴み掛らんと手をせわしなく動かしている。

「お客様がお帰りだ、出口まで案内しよう」

 俺は立ち上がり、ドアの前まで移動する。

「覚えておけ……絶対に後悔させてやる」

 去り際に、俺に聞こえるよう怨嗟を込めた恨み言を言い残した。


「カザクラ様!」

 ガガンが去るのを確認したヒュエテルさんは身を震わせて俺の懐に飛び込む。

「ごめんなさい、ごめんなさい。カザクラ様の手を煩わせたくなかった。しかし、ガガンが、ガガンがどうしてもカザクラ様に会わせろと。無理なら問答無用で敵とみなすと宣告し、聞く耳を持たなかったのです」

「ヒュエテルさん、まずは顔を上げて欲しい。そして確認するけど、ヒュエテルさんは血盟師団の構成員であることに間違いはないのかい」

「はい。ですがもう組織に忠誠心はありません! いくら大義があろうと何の罪もない子供や人を利用するのは間違っています! カザクラ様が日頃から行う慈善活動にこそ本当の幸せがあります」

「俺のやっていることが幸せにつながるかどうかは別にして……ガガンはヒュエテルさんにご執心のようだが、本当に同志だけの関係か?」

「血盟師団に所属していた時、最も親しいのがガガンでした。私が悩んでいる時はガガンが助け、ガガンが悩んでいる時は私が助ける……そんな関係でした」

 つまりガガンはヒュエテルさんの変貌を裏切りと捉えているのだろう。

 ヒュエテルさんを組織から引き離したのは俺ゆえに恨まれても不思議でない。

「安心してほしいヒュエテルさん。俺が必ずけりをつけるから」

 関係している以上、俺は傍観者でいられない。

「だから安心して仕事に精を出してほしい。この時のために俺がいる」

 内部を守るのがヒュエテルさんだとすれば外敵を打倒すのが俺の役目。

 その役目を立派に果たして見せよう。

「さあ、皆が心配している。仕事に戻ろうか」

 俺はヒュエテルさんの肩を押すが、何故か彼女は離れようとしない。

 それどころか体を更に押し付けてくる。

「ひゅ、ヒュエテルさん?」

 二十代後半は立派な女性。

 柔らかい髪や豊満な胸、何よりも女性が発する甘い香りに俺の理性が危うくなってくる。

「……鍵、かけて下さい」

 そっとヒュエテルさんは俺の耳に囁く。

「お願いします。一時だけでも良い、全てを忘れさせてください」

 据え膳喰わねば男の恥。

 防音だから多少声が出ても問題はないだろう。

 それに……ルートに邪魔されたから欲求不満だし。

 と、俺はかなり乗り気だったのだが場所が悪すぎた。

「あの、お話し中申し訳ありませんが、施設長の決裁が必要な案件が」

 コンコンとドアをノックされ、遠慮がちなくぐもった声が聞こえてくる。

「ヒュエテルさん……うん、ごめん」

 さすがの俺も再び燃え上がるほどの甲斐性はない。

 肩を大きく落とした俺は、涙で人前に見せられない姿となっているヒュエテルさんの代わりにその案件を受け取りに行った。

 

 組織というのは奇怪な代物である。

 様々な人間がいる以上、ある組織を一言で表せないにも拘らず、外部の人間は最初に会った人の振る舞いである組織全体を評価してしまう。

「ご足労頂き誠にありがとうございます。私は血盟師団における交渉を司るマナン=ベークトと申します」

 だからどこにでもいそうな、物腰柔らかな初老の男性がそう名乗った時は多少驚いてしまった。

「こちらこそ初めまして、ユウキ=カザクラです。私がここを訪れたのはガガン=イクライドの件についてです」

「ガガンから承っております。まず始めに謝ります、同志のガガンが迷惑をかけて本当に申し訳ありませんでした」

 俺が何かを言うまでもなく頭を下げるベークト。

「ガガンは正義感が強い反面血気盛んなところがあり、此度のように性急に事を進めたがります」

「それはこちらもご存知です」

 ヒュエテルさんを使って俺を呼び出した挙句、一方的に宣告されれば誰だってそう思う。

「加えて同志のヒュエテル=クーラーに対して情念が強いことも原因でしょう」

「そこもありましたか」

 同志を呼び戻しに来たにしては感情が入り過ぎていた。

 あれほど熱くなれるのは恋またはそれに準ずる感情。

 ガガンからすれば俺からヒュエテルさんを奪われたと勘違いしても仕方ないよな……すでに何度か関係も持っているし。

「ガガンが何を言おうとも我々血盟師団がカザクラ様を敵と認定することはありません。そこはご安心を」

「ヒュエテルは諦めないのか」

「ええ、大切な同志ですので。必要とあらば幹部を派遣して連れ戻します」

「……」

 俺は何かを言いかけるが、思い直して止める。

 組織を抜ける、抜けないはあくまでヒュエテルさんが決めること。

 俺がとやかく言う問題ではない。

「説得するのは構いませんが、ヒュエテルは私の大事な者です。監禁や脅迫、暴行を行使するようなら私もしかるべき手段に出ます」

「……」

 ベークトは曖昧に笑って否定も肯定もしない。

「少なくとも無関係な人間――孤児院や紹介に手を出すのは止めて欲しい」

「ええ、それはお約束します」

 少なくともこの件で俺とヒュエテルさん以外に危害が及ぶ可能性が無くなった。

 そのことだけでも良しとしよう。

「さて、カザクラ様。ぶしつけな質問ですが現体制についてどう思います」

 立ち上がろうとした俺にベークトはそんな質問を投げかけてくる。

 身を乗り出して尋ねてくることから、ガガンの件よりも重要なのだろう。

「生まれが高貴なだけで何の苦労もしない者が上に立ち、評価するに相応しい者の正当な報酬を搾取する……身分によって奪う者と奪われる者が決められる現体制に何か思うところはありませんか?」

「……」

 そういえば血盟師団は封建制に対する不満から生まれた組織だったな。

「カザクラ様もかつては最下層の身分であったかと。不当な扱いを受けていたと伺っております」

 あれは忘れられるわけがない。

 バックに力がない理由だけで手柄を全て横取りされて泣き寝入りするしかない悲しさ。

 俺は正義については分からない。

 が、屈辱とは何かを良く知っている。

「カザクラ様、もう一度問います。我々血盟師団の同志となる気はありませんか? 貴方ほどの優れた人物ならば相応の地位を用意しましょう」

 ベークトは力を込めてそう聞いてきた。

「……一つ聞くがそれは血盟師団の意志か? それともベークト氏個人の意見か?」

「両方です」

 ベークトは続ける。

「カザクラ様。私はカザクラ様が経営する商会に身を置いていた経歴があるのですよ。そこは素晴らしかった。私は私だと堂々と宣言できる世界。私の生い立ちや経歴を知っても従業員達は嫌な顔をせずに普段通り接してくれました。あの時ほど救われた出来事はありません」

「そう思うのなら何故血盟師団に身を置く? カザクラ商会内でもそういった運動を是認してきたはずだが」

 信教の自由と表現の自由、そして団結権。

 法に抵触しない限り俺はそういった活動を認めてきていた。

「カザクラ様。率直に申し上げればあれは生温いのですよ。どんなに素晴らしい成果を期待される計画でも法に触れる理由だけで却下となる。将来多くの者を目覚めさせる活動よりも今日明日のわが身を優先させる……そんなことでは現体制など打破できません」

「……」

 そう語るベークトの瞳は輝いており、心の底から現体制の打破を望んでいる。

 一つの目的に自己の全てを賭ける者に俺はどう言葉をかけたら良いのだろう。

「ベークト氏、俺と貴方との間では大きな認識違いがあることを先に断わっておく」

 弱者を徹底的に差別する現体制を俺は無条件で肯定しない。

 が、だからといって俺は革命という強硬な手段など択ばない。

 何故ならば――

「ベークト氏……が俺は貴方のように高邁な信念など持ち合わしていない。あるのは故郷――『日本』に対する想いだけだ」

 日本は己の欲求を叶えるために革命といった暴力手段は推奨されない。

 それゆえ、俺はどんな理不尽な扱いを受けようともそれは絶対に選択しない。

「愛国心……ではないな。ここに日本はないのだから。妄執という表現が近い、すでに無いものをあると思い込み、実現させようとする悲しい感情だ」

 日本では差別を禁じられていた――どんな理由があろうと俺は差別をしない。

 日本では労働者が団結して雇い主に交渉していた――理不尽な要求であろうと耳を傾けよう。

 日本では表現の自由が保障され、集会を開く権利があった――その結果、俺自身の命が無くなっても。

「俺は護る――例え誰一人賛同されなくともな」

 最も俺に近いメアリーやルートでさえ理解されなくとも、俺が俺である限り絶対に曲げられなかった。

「左様ですか、カザクラ様」

 落ち着いた表情でベークトは切り出す。

「そこまで信念が固いのなら私は何も言いません。互いに信念に命を懸けた者同士、共感できます」

「俺のそれを信念と呼ぶのかは微妙だけどな」

「いいえ、それは信念です。己の命を賭してでも成し遂げたい何かを信念と呼び、そうでないのを夢や妄想と表現するのです」

「ふむ……それは面白い考えだ」

「お喜びいただきありがとうございます。私達とカザクラ様とでは到達点が違いますが、始発点である現状に不満を持つ点では同じ。そこを共通として今後協力して頂きたいものです」

 ベークトは頭を下げる。

「俺も出来うる限り協力しよう。血盟師団の行動は無条件に賛成できないが、共感できる部分があるのは事実。互いに切磋琢磨する関係を望む」

「私でもです。本日はご足労頂き感謝します」

 そして俺とベークトは別れる。

 血盟師団の建物を出た俺に、辺りを真っ赤に染める夕日が歓迎した。



「……愛国心か」

 帰り道、振動に身を任せながら俺は先ほどの会話を思い起こす。

 愛国心というのは生まれた故郷を愛し、護り、そして伝えていく言動を差す。

 俺のはどうか?

 日本という国を愛しているのか?

「愛しては……いないな。何せ俺の中にあるのは幻想の中の日本だ」

 ベークトにはああ言ったが、日本は理想郷だと言い難い。

 いくら法律で人権が守られていると明記されていても、実際は差別や人権無視が存在している。

 それこそ場合によってはこの世界以上の陰惨な事件も起きていた。

「恐らく俺は現実の日本を愛していないのだろう……俺の気が狂っていないのがその証拠だ」

 本当に愛しているのなら何が何でも元の世界に変える方法を探し出し、そしてそれが叶わないのなら発狂して廃人となっているはず。

 が、当の俺は月日が経っても元の世界に変える方法を模索せず、それどころか中流階級の状に位置するほどこの世界に適合している。

「自分で言ってて悲しくなる」

 俺はベークトと同じ理想主義者なのだろうか。

 それにしては彼が所属している組織を蛇蝎の如く嫌うのは同族嫌悪ゆえか。

 と、そんな取とめもないことを憂いていた俺だが。

「カザクラ様、ご自宅に到着しました」

「うん? ああ、ご苦労」

 自宅に着いたことでその思考は中断された。

「ご主人様、お帰りなさいませ」

 業者に金を払い、家に戻った俺を出迎えたのはホールの床を掃いているメアリー。

 箒の手を止め、いつもと変わらない輝く笑顔を俺に見せてくれる。

「ただいま、ルートはどうした?」

「ルートはただいま夕食の材料の買いに出かけています」

 俺から外套を受け取ったメアリーは淀みなく答えていく。

 その表情、態度からも嫌悪は見られず、むしろ逆の親愛の情が滲み出ていた。

「なあ、メアリー」

 ふと思い立った俺はメアリーに聞いてみる。

「お前は、愛国心を持ち合わせているか?」

「……私にはご主人様の考える高尚な心は持ち合わせておりません、が」

 ここで一息置いたメアリーは顔を上げ、はにかむような笑顔を浮かべて。

「ご主人様がいて、ルートがいて、そして私がここにいる。この日々を私は愛しています」

「……そうか」

 メアリーの答えを聞いて何かが掴めた気がする。

 ハッキリしたのは俺とベークトでは根本的に違うこと。

 ベークトは根底に不満があるのに対し、俺は望郷の念がある。

 前者は破壊で後者は建設。

 これでは嫌悪感を抱いて当然だろう。

「メアリー、ありがとう」

「ご、ご主人様? どうされたのでしょうか?」

 俺が畏まって礼を述べたことにメアリーは驚きに目を丸くする。

「いや、ただ再確認しただけだ。やはり俺とメアリーは似ているのだなと」

 ベークトの百万言よりもメアリーの一言の方がすとんと腹に落ちる。

 それは俺とメアリーが真の同類だからだろう。

「安心しろメアリー。この生活は何時までも続く。俺自身それを望んでいる」

「っ、はい!」

「っおお、どうした?」

 俺のその言葉がよほど嬉しかったのだろう。

 引っ込み思案なメアリーには感極まって俺に抱き付き、そのまま絨毯の上に二人は転がった。



「……」

 俺は腕を組んで遥か遠くを見据える。

 場所は屋敷での食堂。

 昼食のスープが湯気を立てているが、生憎今の俺は食欲をそそられる気分でなかった。

「主様―、料理冷めちゃうよー」

「うん? ああ」

 ルートの声で俺は我に返り、目の前のコーンスープにスプーンを浸す。

 口に運ぶとなめらかな感触が口内に広がって束の間の幸せが訪れるが、二、三口続けると俺は手を止めてまたも遠くを見据えた。

「主様―、料理美味しくないのー?」

「いや、違うぞルート。考え事があってな」

「それは分かるけどー。まずはご飯を美味しくいただこー。でないと姉さんが悲しみのあまり自殺しちゃうよー?」

「ルート、でたらめ言わない!」

 ルートの非常識な言葉に、先ほどまで沈黙を保っていたメアリーが顔を赤くしてそう反論した。

「コホン……ご主人様。何か憂鬱な事が起こったのでしょうか?」

「ああ、憂鬱と言えば憂鬱な出来事だ」

 頬杖をついた俺はパンを弄びながら続ける。

「メアリー。お前も良く知る人物――ベアトリクス=シマール=インフィニティが修道院から還俗することが決まった」

「っ」

 シマール国第一王女ベアトリクス。

 その名前を聞いたメアリーは恐怖に顔を引きつらせる。

「あ……ああ……」

 顔に脂汗を浮かべ、歯をカチカチと鳴らし始めたメアリー。

 ベアトリクスから受けた凄惨な苛めの数々の記憶は、例え何年経とうとも消えること無く残り続けていると知るのに十分だった。

「ルート、悪い。メアリーを介抱してくれるか?」

 俺がそう言うまでもない。

 何時になく真剣な様子のルートは姉を抱き抱え、自室へと案内する。

「主様―。今度から姉さんの前でその名前を二度と呼ばないでねー」

 去り際にそう言い残すルートは珍しく非難してきた。

「……」

 一人残された俺はベアトリクスのことについて考える。

 全ての始まり、ベアトリクス。

 悪意の塊としか思えない言動を持つ狂王女。

 余りに手が負えないため遥か遠くの地に隠居させられた彼女。

 そのベアトリクスが――帰ってくる。

「まあ、帰って来てもすぐさま俺に関わる可能性は低いか」

 俺とベアトリクスが最後に接触したのはこの屋敷での邂逅のみであり、それ以上の接点はない。

 そしてその後すぐに修道院に行かされたため、しばらくは今の王国状況の把握で忙しいだろう。

「ならば早い内にあの計画を進めておくか」

 構想はずっと前にあり、それがようやく形になって来た。

 このままでも達成できる計画だが、そんな悠長なことをやっていると何時横槍が入るか分からない。

「ベアトリクスが俺に関心を持つ前に」

 時間との勝負になるな、これは。

 俺は一つ頷き、気合を入れた。



 俺はつくづく凡人だと痛感することがある。

 奴を俺の予想内で収めようとしたことが全ての間違い。

 その行動力の前に俺は怒りを通り越して感心する他なかった。

「面白い顔をしているわねえユウキ」

 眼前の人物は笑む。

 手に取ったスコーンを手の平で遊ばせながら俺の態度を見て楽しんでいる。

「そんなに警戒しなくても、取って食べたりはしないわよ?」

「お前の言葉は信用できない」

 俺は基本温厚であり、誰に対しても、たとえ相手がガガンだったとしても誠実な態度を心がけている。

 が、何事も例外は存在する。

 俺が唯一と言って良い程敵意を隠そうともしない人物とは。

「ベアトリクス=シマール=インフィニティ。お前は息を吐くように嘘を付く人物だ」

 ガラス細工の薄幸少女。

 触るだけで壊れそうなほど儚い印象を周囲に与えていた王女。

 それが年月を経て成長し、益々深層の令嬢として脆く美しい外見。

 切れ目の瞳に、彫りの深い顔立ち、腰まで伸びた銀髪にはくせ毛一つなく、その優雅な仕草はまさに王族だと唸ってしまう。

 しかし、俺は知っている。

 ベアトリクスの外見を信じたらとんでもない目に遭うと。

 無邪気な風を装っているが、その内面は謀略で渦巻いていると容易に想像できた。

「このスコーンは如何? とても美味しいわよ」

「……」

 俺は無言で彼女からスコーンを受け取って口の中に運ぶ。

 しつこくない甘味が口の中で広がった。

「それにしても、まさか貴女が料理上手だったとはねえ」

 かごから取り出したスコーンを摘まみ、ヒラヒラと揺らす。

「褒め言葉を与えるわよ……メアリー」

「ひっ」

 彼女がぐるりと首を回した視線の先。

 まるで蛇に睨まれた蛙のようにメアリーは顔面蒼白だった。

「……メアリー。このスコーンを追加で焼いてほしい」

 見かねた俺は遠まわしにメアリーを退去させる。

 本来なら彼女をこの場に同席させたくなかったが、それをベアトリクスが止める。

「私の口に運ぶお菓子を作った者をどうして呼ばないの?」

 理由は最もゆえ断れきれず、やむなく今のように短時間だけこの場にいさせた。

「……」

 ベアトリクスはメアリーに目もくれずカップを口元へ運ぶ。

 その様子に俺は違和感を覚えた。

「愉しまないのだな」

 俺は素直に疑問を口にする。

「お前のことだ。わざとスコーンを床に落とし、それを口で掃除させるのかと思っていたが」

 人の悲鳴と絶望が何より好きなベアトリクスならそれぐらいやりそうだ。

 しかし、当の本人は澄まし顔。

「……あれ以上やったら私に反感を持ってしまうわ」

 音を立ててカップを置き、何かに耐えるように儚い美貌を歪める。

「好き勝手やった結果、私が窮地に陥った時、誰もが私を見放すどころか勇んで蹴落としにかかったわ」

 ベアトリクスが思い返しているのはシマール国王が重病にかかり、表舞台から姿を消した当時のこと。

 最大権力者が退場した結果、二人の息子であるフォルターとキルマークとの間で派閥争いが起こる。

 二人の王子は仲良くするために共通の敵を作るのだが、その白羽の矢に当たったのがベアトリクス。

 当然ベアトリクスは身を守ろうとするが、普段の行いの悪さのため味方を作れず、命すら綾生まれる状況になってしまった。

「もしエルファがいなければ私は殺されていたわ。しかも輪姦され、髪を切られ、侮辱的な言葉を投げかけられる等尊厳も何もかも失ったうえでね」

 ベアトリクスにとっては思い出したくない暗黒期間だったのだろう。

 己の体を抱き締め、白い一の腕から血が滲み出る程強い力で掴んで苦悩を表現していた。

「その話が本当ならエルファはお前にとって命の恩人だな」

 俺は残されたもう一人のメイドに視線を向ける。

 緑色の髪に澄ました顔、長身でスレンダーな肢体の彼女は最後に会った時と変わっていない気がする。

「そうね、エルファには感謝しているわ」

 ベアトリクスは素直に肯定する。

「主である私が窮地に陥った時でさえ変わらぬ忠誠を貫いた彼女は得難い存在よ……そしてユウキ、あなたもね」

「はあ? 俺が何故」

 名指しされた俺は露骨な不快感を見せる。

「ユウキがエルファに託した金貨五百枚……おかげで私は窮地を脱することが出来たわ」

「間違いが二か所。第一に金貨五百枚はエルファさん個人に渡した。それゆえどう使おうと彼女の自由だ。第二にあれは俺が無力だった時に渡された金貨の利子だ、いわば契約上の問題であり礼を述べられるには及ばない」

 主であるベアトリクスの立場が危うくなれば必然的にエルファの地位をも危機に晒される。

 路頭に迷わないように、何処の国でも生きられるように俺はエルファに金貨を渡した。

「あの金を払わないと俺が満足しなかったしな」

 金で助けられたのなら金で助けることが正しい・

 ゆえに俺としては間違っていない対応だと自負している。

「ウフフ、ユウキがそこまで拘るならもう私からは何も言わないわ」

 ベアトリクスは花の咲く笑みを浮かべた後。

「では、本題に入りましょう。エルファ、あれを持ってきなさい」

「は」

 エルファが布に包まれた品を持ってくる。

 形状からして何かの剣、しかし。

「これは……まさか!」

「へえ、気付いたのね」

 ベアトリクスは唇の端を大きく横に広げる。

「剣を鞘から抜き放てば炎が宿る類の魔導器具よ――レプリカだけどね」

 あっけらかんとベアトリクスは魔導器具と口にした。

 魔導器具には二種類ある。

 すなわち遥か古代に作られた真性の魔導器具か、それとも現在の技術で再現したレプリカか。

 今でも数多くの職人が限りなく真性に近いのを造ろうとしているが、あるのは似ても似つかないレプリカの製造が関の山が現状である。

「この魔導器具――炎剣と呼ぼうかしら。鞘から解き放てばわかるけど、鉄すら溶かす超高温の炎が剣に巻き付いている……これはもう真性と呼んでもさし支えない出来栄えじゃない?」

「ああ、そうだろうよ。何せこの炎剣を造ったのは他でもない俺だからな」

 思い起こすのは数年前。

 事業も始めたての頃、ヒットとなる商品を開発しようと俺は魔導器具に目をつけた。

 プレイヤー時代、伝説の武器の類も作っていた俺からすればこの程度など造作もない。

 そんな軽い気持ちで作った魔導器具だが早晩後悔する。

 強すぎたのだ。

 例を挙げるなら、火薬が発達していない時代にマシンガンとか戦車が登場するようなもの。

 全ての武器防具を過去にしてしまうことに気付いた俺は作った魔導器具を世に出さず、倉庫の奥に封印させた……はずなのに。

「その武器の一つを何故持っている?」

「さあ? 何ででしょう? 手癖の悪いメイドでもいたんじゃない?」

 俺は反射的にエルファを睨むが、彼女は軽く一礼して流された。

「そんなに怒らないでユウキ。これは貴方のためでもあるのだから」

 ベアトリクスは余裕たっぷりに続けて。

「こんな凄い魔導器具を倉庫に眠らせるなんて勿体ない。武器は使ってこそ武器、陽の目を見せてあげなくちゃ武器が泣くわよ?」

「武器の代わりに数多くの者が泣き、そして死ぬ」

 武器や道具は人間を幸せにするために作られた。

 それゆえ人間を不幸にするなら永遠に眠らせることの方が正しい。

「そういった理想論は後回しにして……私が何を言いたいのかすでに分かっているでしょう?」

「俺が魔導器具の製造を再開する代わりに保護をすることか?」

「ご名答、製造した魔導器具は全て私が管理するわ。その代わり私が王族として様々な便宜を図ってあげる」

 ベアトリクスが持ちかけているのは一般に行われている裏取引。

 商道徳上、決して褒められる行為でない。

「お前にとってはメリットしかないだろうな」

 魔導器具というのは付加価値が高く、売っても多大な利益が転がり込む。

 武力と金の両方が手に入る美味しい話である……仲介者にとっては。

「代わりに俺は何を得る? 死の職人として唾棄され、俺のみならずメアリー達をも危険に晒してまで得たいモノとは?」

 もし俺が権力者なら、質の高い魔導器具の製造者を放っておかない。

 あらゆる手段を使ってでも手中に収めようとし、叶わなければ誰にも手に入らないよう殺してしまうだろう。

「もしかすると俺の計画――ジグサールへ移住する際に便宜を図ると言いたいのか? そうならば政治のトップであるフォルター宰相につく」

 弱小派閥。いや、派閥すら形成されていないベアトリクスに付く意味がなかった。

「フフフ、貴方の計画を先に暴露されたのは予想外だったけど、大体想定内ね」

 ベアトリクスは黒い笑みを浮かべる。

「けどねえユウキ。私は『はい、そうですか』と引き下がれるわけがないの。でないと修道院から還俗した意味がない」

「……」

「私が修道院から出たのは王宮の意志じゃない。私自らの意志で出たのよ。そう、エルファから貴方が魔導器具を作れると聞いたから、ね」

「ベアトリクスらしくないな。そんな弱みを見せるなど」

 先に己の手札を見せてどうするのか?

 俺が首を振らなければベアトリクスに待ち受けているのは破滅のみ。

 余程追いつめられているか、それとも長い修道院生活で骨抜きにされたのか。

「素直には頷けない。ただ、こちらとしても条件が――」

「貴方、もしかして私と駆け引きしていたつもり?」

 気が付けばベアトリクスの顔がすぐ近くにあった。

 身を乗り出した彼女は俺の顎を掴んで固定する。

 そのためベアトリクスの底知れない悪意を秘めた瞳を直視するは目となった。

「私は王族、貴方は平民。僅かな金と才能ぐらいでその差はひっくり返らないわよ?」

「っ」

「これは命令よ。私のために魔導器具を作りなさい」

「……拒否すれば?」

「貴方の目の前でルートとメアリーを嬲り殺しにしてやろうかしら? 足の指先から金槌で骨ごとグチャグチャにすり潰していくの。さぞかし素晴らしい悲鳴が聞こえるでしょうね」

「っ、お前は――」

「けど、単なる搾取は上に立つ者のやることではない。褒美を与えるわ」

「ジグサールへの移住権か?」

「小さいわねえ。貴方の信ずる国を再現する場所を与えるわ。貴方が王だから好きなようにすればいいわね」

「意味が……まさか?」

 魔導器具とベアトリクス自身の悪意。

 その二つから考えられる可能性は。


「そう、私はこの世界を破壊する。真性に近い魔導器具を世界中にばらまくことによって世界を混沌の渦に叩き込んでやるわ」


 ベアトリクスと最初に会った時、俺は彼女を、玩具を振り回している子供だと認識していた。

 己の快楽のために自身の才能と王族の地位を存分に使っていたベアトリクス。

 手が付けられない面倒な反面、飽きたら途中で放り出す、ある意味での潔さがあった。

「お前は……何だ?」

 今のベアトリクスには執念がある。

 例え周りがどうなろうと、自身が死のうとも世界を滅ぼす。

 無邪気さが消え、代わりに破壊衝動がベアトリクスの心を占めていた。

「……私が修道院でどのような生活を送っていたか分かる?」

 銀髪を掻きあげたベアトリクスは語り出す。

「何もなかったわ。朝起きて祈りを捧げ、晴れなら畑仕事、雨なら讃美歌の練習。昼食後は延々と神学の勉強。夕食前に祈りを捧げ、掃除をした後就寝……そんな味気ない退屈な日々が毎日続くのよ。エルファがいなければ私はとっくの昔に気が狂っていたわね」

「すでに狂っていると思うが」

「アハハ、面白い冗談ね。けど、今では感謝している。何故なら私は身に付けたから、この心の内から溢れ出る感情のコントロールを」

 ベアトリクスを炎に例えるとしよう。

 昔のベアトリクスは赤い炎。

 危険と言えば危険だが、焼くと言っても精々木や紙といった炭素を含む有機物程度。

 鉄の様な固い信念や決意を抱いていれば跳ね返せる存在だった。

 しかし、今は違う。

 例えるなら鉄すら焼き切る青い炎。

 散漫していた熱を一点に凝縮させた結果、鋼鉄程度の硬さではベアトリクスの意志に抗えないだろう。

「……血盟師団のベークト以上だ」

「はあ? 血盟師団? あんなの自分達の責任を民衆に転嫁している意気地なしの集団でしょ。誰も責任を取らない、取りたがらない人間に革命なんか絶対に出来ないわよ」

「っ」

 ベアトリクスのあまりの物言いに反論しようと口を開くが出てくる言葉が見つからない。

「平民と王族では住む世界が違う。同じ泥を舐めるにしても平民と王族では受ける屈辱が違うわ。それこそ殺してくれと願うぐらい凄まじい負の感情の暴流に苛み続けるのよ」

 当然だが王族達特別階級と平民達一般階級では受ける教育内容が違う。

 平民なら生じた怒りの感情を受け流す術を身に付けるが、特権階級だとその感情を有効利用する術を身に付けるのだろう。

 そしてその結果、ベアトリクスは生じた屈辱と憤怒の感情を世界の破壊という野望の原動力に昇華させてしまっていた。

「――良い返事を期待しているわね」

 ニッコリと、蕩けさせるような笑みを彼女は浮かべる。

「エルファ、帰り支度をしなさい。そしてユウキ、貴方は今どうしてエルファに金貨を与えたのか後悔しているようだけど、するだけ無駄よ。何故ならこうなることを貴方自身が望んでいた、この不条理に満ちた世界を壊す存在を無意識の内に願っていたのよ」

 毒だと理解している。

 ベアトリクスの本質は人間を堕落させる魔性だと肌身で知っている。

「何故……離れられない?」

 彼女は危険だと知りつつも遠ざけられない矛盾に俺は天を仰ぐ。

 ベアトリクスとエルファが去ってしばらく経とうとも俺はその場から動けなかった。


「……」

 闇の中、ろうそくの明かりだけが唯一の光源である部屋内で俺は思索する。

 メアリーはベアトリクスに会ったことがよほどのショックだったのか、部屋から出て来ず、必然的に夕飯もない。

 しかし、食欲がない俺には丁度良かった。

 飯を食べる時間よりもこれからの展望をどうするかの方が俺にとって重大だった。

「……俺はベアトリクスに憧れている」

 その事実を認めよう。

 認めなければ同じミスを繰り返す。

「が、だからといって無条件に肯定は出来ない」

 俺はベアトリクスに惹かれているが、彼女の全てを許容しているわけではない。

 俺の中の良心ともいうべき存在がベアトリクスを否定し、そしてメアリーのような現状に満足している者を好いていた。

「クツクツクツ、自分のことながら笑えてくるな」

 己をコントロールできていない、特にベアトリクスを求めている自分。

 興味深いことに、その自分とは人の形を成していない。

 邪龍のように禍々しく、強大な力を持った存在が俺の無意識下で蠢いている。

 性質の悪いことに、この邪龍を好き勝手させれば待ち受けているのは破滅なことか。

 邪龍は手に負えないにも関わらず制御しなければ身の破滅。

「何とも度し難い怪物を俺は心の中で飼っているのか」

 この邪龍を無理矢理抑えつけたら最後、怒って暴れて俺の人生は終了。

 つまり俺はこの邪龍を宥め続けなければならない。

 では、どうするのか。

「簡単だ。邪龍を、ベアトリクスを使いこなせば良い」

 邪龍はベアトリクスを欲している。

 彼女が傍にいる限り、邪龍は暴れないだろう。

「通常、巫女というのは穢れ無き無垢な存在なのだけどな」

 龍といった超常的存在を鎮めるためにしばしば巫女が登場して祈りを捧げる。

 祈りを捧げるベアトリクスを想像した俺は余りの滑稽さに笑いを抑えきれなかった。



「で、それが貴方の答え?」

「約束は破っていないだろ?」

 あくる日。

 開口一番ベアトリクスの返事がそれ。

 ベアトリクスの要望通り、俺は魔導器具の生成を再開する。

 当然完成した魔導器具は全てベアトリクスの管理下。

 全て彼女の要望を叶えているのだがベアトリクスは不満顔だ。

「出来れば秘密裏に行って欲しかったわ」

 そう、魔導器具の生成はカザクラ商会の名において行っている。

 つまり魔導器具の生成は周知の事実であり、まだ造っていないにも拘らず、数多くの職人がカザクラ商会の門戸を叩いていた。

「何が不満なんだ? 俺一人の力では限界がある、数の論理で言えば一人でも魔導器具を作れる職人は多い方が良いだろう」

「わざわざ公開までして?」

「当然、合法なんだから何を隠す必要がある?」

「……」

 臆面もなくそう言い放つ俺を見たベアトリクスは白い額に皺を集める。

 納得していないが、反論するほどでもないためどう答えて良いのか分からないようだ。

「分かっているの? 公開したことで貴方の身は益々危険になるわ。それこそ王族の権威を借りても護り切れないほどに」

 辛うじてそう言うのが精一杯のようだ。

「別に構わんさ」

 俺は背もたれに体を預ける。

「どうせいつか死ぬんだ。だったら世間に恥じない死に方をしたい」

 公開しなければ身の安全は保たれるだろうが、俺の中の邪龍の暴走によって俺の心が死ぬ。

 俺ではない何かに成り果てるぐらいなら死んだ方がマシだ。

「そう、それが貴方の答えなのね」

 何か思い当ったのか一転して笑顔を浮かべるベアトリクス。

「アハハ、面白いわ。そうやって無駄な抵抗を続けなさい」

「無駄な抵抗ねえ……」

 俺は笑みを深くする。

 喜んでもらえて何より、何故なら次の話題が俺にとって必要だったから。

「だったら定期的に会わないか? 今回のように思い違いが起こるのは互いに好ましくないだろう」

 小さな顔をキョトンとさせた彼女に俺は続けて。

「おかしなことはないだろう。すでに俺とお前は一蓮托生の身、無関係な存在ではない。ならばより緊密な関係を築いておくのに越したことはないと思うが」

 そこまで言い切った俺はベアトリクスの反応を待つ。

 さて、答えは如何?

 鈍い俺でも分かるほどベアトリクスは高速で考えを巡らせているのが分かる。

 そして十分な時が経った後、彼女の口から出た答えは――。



「ベアトリクス様、本当によろしかったのでしょうか?」

 帰り道の馬車内、私はベアトリクス様に問いかけます。

「ユウキ=カザクラの申し出、それをそのまま受け取ってよろしいのでしょうか?」

 ベアトリクス様はユウキが提案した定期的な会合の開催を了承しました。

 ユウキの仰る通り、二人は一蓮托生の身ゆえにおかしなところはないのですが、一方は平民、もう一方は王族と身分に差があります。

 ベアトリクス様の代わりに私が入る案が最も適当だと考えます。

「それは最悪の手ね。もしそんなことを口にしたら、それこそ冗談でもユウキは私を見限っていたわ」

 が、ベアトリクス様は一刀両断に否定します。

 少しは考慮に入れてくれても良いのでは?

「エルファはとても優秀よ。けど、残念ながらユウキは私を求めているの」

「求めている……ですか?」

「そう、その通り」

「愚かな……」

 思わず本音を口にします。

 王族と平民が結ばれるなど夢の中のお話。

 しかもベアトリクス様は普通の王女でなく、破壊と狂気の申し子。

 傍にいる者は次第に正常な考えが出来なくなり、最終的には廃人と成り果てるでしょう。

 君子危うきに近寄らず、つまり愚か者ほど禁忌に惹かれる。

 ユウキも所詮はその程度の存在だったのかと悲しくなりました。

「ちょっと違うわね、エルファ」

 私に思考を予測したのかベアトリクス様は組んだ脚をブラブラさせながら続けます。

「ユウキは禁忌そのものに惹かれているんじゃない。目的を達成したいから禁忌に手を出すのよ」

「目的とは?」

「『日本』の実現」

 ベアトリクス様は続けます。

「本当にユウキは狂信的な愛国者ね。あんなにも才能ある人間を惹きつけた『日本』という国に興味があるけど、それは二の次。大事なのは私と手を組んでも『日本』を実現させたい愛国者ユウキ=カザクラについてよ」

「愛国者……ですか」

 ベアトリクス様の指摘に私は今一つピンと来ていません。

「思想は変わっているものの、穏健な博愛主義者が世間一般のユウキの評価だった気が」

「貴女の眼は節穴なのかしら? ユウキのどこが博愛主義者? 世間という強者に対し、少しでも譲歩を引き出そうとしている挑戦者よ」

「はあ……」

「まあ、こればかりはエルファには分からないでしょうね。いえ、分かってもらったら困るわ。私は分かる、不本意な環境で過ごすことがどれほどの苦痛か。そして、現状を変えようと動いた途端飴と鞭――利益と称賛、嘲笑と孤独に晒されて何もしない方がマシだと諦めてしまう……」

 そう語るベアトリクス様は胸を抑え、顔を苦痛に歪めます。

 恐らくベアトリクス様の脳裏に浮かんでいるのはつい先ほどまで過ごしていた修道院での生活でしょう。

 何もない穏やかな生活に加え、周りにいるのは裏表のない敬虔な信徒のみ。

 打算と謀略が渦巻く王宮での環境とは正反対、かつその環境を誰よりも好むベアトリクス様の苦痛は如何ほどであったか。

「ただ、疑問が残ります。もしユウキが革命者なら血盟師団といった革命集団に何故協力しなかったのでしょうか?」

「簡単よ。無意識化で直感したのよ、あんなお花畑集団と組んでも『日本』は実現できないって」

 ベアトリクス様は意味深な笑みを浮かべた後。

「彼の行動原理は『日本』を実現できるか否か。そこを前提にして彼の言動を再考してみなさい」

「……」

 ベアトリクス様の言葉に従い、私はユウキの言動を振り返ってみます。

 ユウキが起こしたカザクラ商会――利益を追求する集団というよりもルールを徹底させる集団です。

 次に孤児院――封建社会を否定するまでとはいかなくとも人間は平等だと強調しています。

 過激派集団と決別――彼らの理想はユウキの目的と相違があります。

「なるほど、ベアトリクス様のご指摘通りです」

 納得した私は知らず笑みを浮かべ。

「だとすればもはやユウキは手の平の内ですね。精々利用してやりましょう」

「エルファ、ユウキは貴女の思い通りに動かないわよ」

 頬杖をついたベアトリクス様は遠くを見ながら。

「五年……いえ、最初に邂逅した時から数えて七年かしら。それだけの間、毀誉褒貶、様々な迫害や誘惑によって育てられた『日本』はもはや化物……龍と呼んでもさし支えないぐらい凶悪な怪物と化しているわ」

 そう語るベアトリクス様は嬉しそうです。

「無意識化で蠢いている龍は意識上で考えた策など容易く粉砕する。下手をすれば私でも喰われるでしょうね……けど、それが良い!」

 呆気に取られる私を差し置いてベアトリクス様は爆笑します。

「私は王族! 平民とは次元が違う過酷な環境で育ってきた! たかが七年程度の化物など完膚なきまでに叩き伏せてやるわ!」

 アーハッハッハッハッハッハッハッハ!

 狭い馬車の中、ベアトリクス様の笑い声に私は怖気が走りました。



 ある日、ベアトリクスがエルファと共に俺の屋敷に訪れ、意見交換という名の雑談をする。

「――という魔導器具を作りたいのだが」

「うーん、それも悪くないけど、もっと強力な属性を付加できない? 毒とか呪いとか」

「可能だがそのための素材が滅多に手に入らない貴重品だぞ?」

「問題ないわ。つい先日反乱を企てた貴族一族を引っ立てから。彼らを凄惨な方法で処刑し、強力な怨念を秘めた素材を取り出して見せるわ」

「……止めてくれ。俺が呪われそうだ」

 ベアトリクスの言葉に俺は眉間を揉む。

 魔導器具に魅入られるのは使い手だけでなく、生み出した職人もその内に入る。

 古今東西、高名な職人が作り出した魔導器具に心を奪われ、失踪した例は暇なかった。

「ウフフ、楽しいわね」

 ベアトリクスはテーブルに華奢な肘をつき、コロコロと笑う。

「貴女とお話ししていると飽きないわ。どうかしら? 私の従者とならない?」

「残念だがその席はエルファで埋まっている」

「あら、そこまでエルファは狭量じゃないわよ。貴方だったらいびりはするけど認めてくれるわ」

「いびるのか……悪いが俺には目標があるのでね。これ以上お前ないし政府と関わり合うのは御免だ」

「そう、残念」

 俺の拒絶にベアトリクスは答えた様子なく、あっさりと引き下がる。

 嫌味の一つか二つ言ってくるかと思っていた俺は肩透かしを食らった。

「私ももっと気分転換したいのだけど、可愛い弟子がお待ちかねよ」

「弟子?」

 反射的にベアトリクスが指さす方向へ顔を向ける。

「師匠! 良い魔導器具が出来ました!」

 すると両手に抱える程の大きな魔剣を持った少女が嬉しくて仕方ないという様に駆け寄ってくるのを確認した。

「ああ、サラか」

 誰を指しているのか分かった俺は笑みを浮かべる。

 彼女の名はサラ=キュリアス。

 俺が頭領を務める魔導器具製造集団の一人。

 当然魔導器具の製造職人は他にもいるが、俺はこのサラを可愛がっている。

 それはサラが集団の中で最も若く、かつ女性であることもそうだが、何よりもこの純粋さ。

 活発で素直なサラは職人内において太陽のような存在であり、いるだけでこちらも明るくなった。

「これはまた……」

 俺はサラから受け取った魔剣を鑑定する。

 見た目は長大で扱い辛そうな印象を受けるが、抱えてみると以外に軽い。

「ベアトリクス、持ってみろ」

「あら、良い魔剣ね。片手で扱えそうよ」

 箸より重たいものを持ち上げたことのなさそうなベアトリクスでも扱える逸品だった。

「重力制御を弄ったのか?」

「はい! 以前師匠が作成したのを見様見真似で製造してみたのですが……限りなく師匠のに近付けたいのでいてもたってもいられませんでした!」

 サラは臆面もなくそう言い切る。

 師匠が来客と話し中なのを中断させてでも見てもらいたかったサラの素直さ。

 他の者なら出しゃばりと嫌悪されるが、サラだと苦笑で済ましてしまう何かがあった。

「では、もっと腕を磨いてきます! 次は軽さだけでなく、敵を斬る際に重くなるよう意識します!」

 そう言うや否やサラは全速力でドアから出て行く。

 そして残されたのはサラの持ってきた羽根のように軽い魔剣だった。

「あいつに常識を教えないと拙いんだけどなあ」

 何度そう思っただろうか。

 そう決意してサラの前に立つのだが、あの人の疑うことの知らない純粋な笑みを前にすると何も言えなくなってしまう。

 このままでは駄目だと知りつつも行動できない情けない師匠が俺だった。

「良い魔剣ね」

 ベアトリクスはサラの作った魔剣に感嘆の吐息を漏らす。

「これだけの魔導器具を作れるのはシマール国においても数える程しかいないでしょう。素晴らしい才能ね」

「それは同感だ」

 実はサラ、選抜して集団に入ったのではない。

 最初は魔導器具に惹かれた鍛冶屋の職人の娘として毎日通っていたに過ぎない存在だった。

 追い返そうともへこたれず、ずっと張り付いて見学していたサラに興味を持った俺は職場に入れ、魔導器具の製造を教えて現在に至る。

 サラの魔導器具における情熱と才能は脱帽の一言。

 魔導器具の基礎すら知らなかったのに、情熱と素直さでベテランの職人達をあっという間に抜き去り、今では俺の次に位置する魔導器具製造職人となっていた。

「この分だと真性の魔導器具を作る日も遠くない?」

「ベアトリクス、お前は性質が悪いな」

 ベアトリクスの意地悪な質問に俺は顔を顰めた後にこう言い切る。

「不可能だ、今のサラには真性など作れない」

 それは断言できる。

 確かにサラには情熱も才能もある。

 そう遠くない未来に俺を超え、世界最高の魔導器具職人となれる。

 が、現時点での世界最高が歴代最高に通用するかと問われれば首を振る。

 時の洗礼を受けてきた魔導器具の壁は、現時点での世界一だと破れなかった。

「壁にぶち当たった時、サラはどう思うでしょうね?」

 努力を限界にまで突き詰めても突破できなかった壁。

 その壁をどうするか。

 無駄だと悟って諦める若しくは足掻こうとするか。

 それはサラ自身が決めることだ。

「俺としては諦めて欲しいな」

 そこまで拘らなくともサラには十分なものがある。

 世界最高の魔導器具職人という名誉と報酬以上に何を望むのか。

「フフフ、貴方が言うかしら?」

 俺の言葉にベアトリクスは皮肉を発するように唇を横に広げて。

「無理だと知りつつも諦める選択肢が無かった貴方がね」

「……」

 こいつ、本当に人の痛いところをついてくる。

 俺が『日本』を実現させることはサラが真性の魔導器具を作ることと似ている。

 誰がどう考えても無謀な考え。

 しかし、誰人から否定されようとも俺は諦めることなど出来はしない。

 何故なら、絶えず俺の心が『日本』を実現させろと囁き続ける。

 耳を塞ぐことも、何かに気を紛らわすことも不可能。

 唯一逃れられる術は死ぬことだろうな。

 永遠の闇である死に委ねることで俺はその声から解放される気がする。

「貴方の希望には反するけど、サラは真性の魔導器具を作るわ」

「何故?」

「それは貴方がいて私がいる。それが理由。ユウキの悲願である『日本』の実現が私によって現実味を帯びたように、私と貴方が協力すればサラは作り上げるわ」

「悪い、何を言っているのか理解できない」

 何故ベアトリクスがいれば『日本』が現実味を帯びるのか分からない。

「こういうのも何だが、お前は悪のカリスマだ。どれだけ嫌っていてももう一人の俺がお前に心酔している」

「もう一人の自分ねえ……ねえユウキ、そのもう一人の自分に付いて深く考えたことがある?」

「何が言いたいのか。恐らく暴力的で残酷な自分だ。普段は理性で抑えつけているが、ふとした拍子に顔を出す」

「ウフフ、そんな後付けの理由で無理矢理納得させているのね」

「……どういう意味だ?」

 ベアトリクスの意味深な言葉に俺は片眉を上げるが肝心の本人はスプーンで紅茶をかき混ぜる。

「あら、美味しい」

 どうやらベアトリクスはこの話題をこれ以上掘り下げる気はないのだろう。

 有耶無耶になってしまい、後味の悪さが残る。

「繰り返すわね。サラは必ず真性の魔導器具を完成させるわ。私と貴方がいるからね」

 ベアトリクスの言葉に俺はどう答えて良いのか分からない。

 が、一つ分かるのはそのためにサラが想像を絶する苦痛を追ってしまう可能性があることだ。

 あの一途で純粋なサラの笑顔を護りたかった俺は一言忠告する。

「サラは……人間だ」

「ええ、貴方の中ではね?」

 ベアトリクスは俺を嘲るような、褒める様な訳の分からない笑みを返した。


 ある日、食堂にてルートが腕を組んで唸っていた。

 俺はデザートを如何に美味しく長く食べようかと悩んでいるのかと一瞬考えたが、ルートのテーブルの上には何もない。

 気になった俺は思い切って声をかけてみた。

「ルート、どうした?」

「あ、主様―」

「いや、ちょっと考え事をしているのー」

「ルートが? 珍しい。雨でも降るんじゃないだろうか」

 俺は窓に目をやり、雲一つない青空を確認しながらそう茶化す。

 天衣無縫でズケズケと物を言ってくるルートが何かを考えることはそれほど珍しかった。

「酷いなー、主様はー。僕だって考えるよー」

 ルートは腕をぶんぶん振りながら抗議したので俺は素直に謝る。

「悪い悪い。で、どうした?」

「うーん。主様―。どっちが本当の主様―?」

「うん?」

 言っている意味が分からなかったので俺は聞き返す。

「王女様と会っている主様とー、姉さんや僕と生活している時の主様―。どっちが本物―?」

「どっちが本物と言われてもな……」

 両方とも俺なのだが、どう言葉にすれば良いのだろう。

 だから俺は比喩を使う。

「ルート、これはなんだ?」

 俺は厨房からあるものを持ってくる。

「たまごー」

「そう、卵だ。中に白身と黄身が入っている」

 卵と一緒に持ってきたボウルに卵を割って入れる。

「繰り返して聞くが、ルート、この黄色い部分は卵か?」

「うん」

「じゃあこの黄身を取り除いた、白身だけの卵は何だ?」

「それも卵の一部―」

「そうだな。で、ルート、これからが問題だ。白身の部分も黄身の部分も両方卵。だから別々に出されても卵だと言えるか?」

「……それは難しいねー。確かに卵は卵だけどー、両方揃ってこその卵何だしー、どちらか一方の身を取り上げて卵というのはー」

「そう、そういうことだ。卵を俺や人に置き換えてみればよい。ベアトリクスに会う際の俺もメアリーやルートと生活している俺も両方俺だ。切り離すことなど出来はなしない」

 近い例を挙げるならコインの表の絵柄と裏の絵柄。

 両方の絵柄が揃ってこそのコインであり、片方だけだと不完全なコインだが一応コイン。

 それはそのまま人間にも当てはまった。

「一面だけで判断するな。卵でさえ結構な見方があるんだ、いわんや人間など見方が無数にある」

「うんー。ありがとー、おかげで少しだけ分かった気がするー」

 ルートは満面の笑みで頷いて礼を述べる。

「じゃあ僕行くねー。水やりの時間なんだー」

 そう言い残すや否や立ち上がり、走り去って行くルート。

「ルートは素直だなぁ」

 俺はそんなルートを眩しく感じる。

 分からなかったら誰かに聞き、そして適切な答えを返してくれる環境。

 非常に羨ましい。

 果たして俺の悩みは誰かに相談できるのだろうか?

 俺がいた『日本』を実現させたいなど聞いてみようものなら間違いなく正気が疑われ、そこまでいかなくとも諦めることを推奨される。

「理想かは孤独というが、本当にその通りだな」

 誰にも相談できず、賛同者もいない俺。

 俺は酷く惨めな気分になった。


 あくる日。

 珍しい来客が訪れる。

 その来客の名はベークト。

 あの血盟師団の幹部である。

「困ったことが起きました」

 ベークトを来客室へ通し、一通りの社交辞令を行った後にベークト氏はそう切り出す。

「私共は大切な同志であるヒュエテル氏を目覚めさせようと様々な同志を派遣してきました」

「それは重々知っている」

 俺の声が冷たくなるのは、派遣された団員の中には時と場所を無視し、わざわざ孤児院内で大声でわめき散らす輩がいるからだ。

 幸いにも職場では理解があるのでヒュエテルさんが孤立していないが、営業妨害も良いところだ。

「ご用件はよく分かります。しかし、大切な同志を陣列に加えようという心から発した行動であるがゆえにご容赦ください」

 俺が苦情を伝える度そんな戯言を吐いてきたので、業を煮やした俺はそんな輩が現れる度治安部隊に突き出し始めると大人しくなり始める。

「……罰を以て言うことを聞かせるのは動物と同じだぞ」

 公的機関を介入させなければ鎮静化しない事態に俺は悲しくなったのを覚えている。

「カザクラ様の残酷な行為によって控えざるを得なくなったのですが、それに不満を持つある団員が孤児院を焼き尽くし、そしてカザクラ様を亡き者にしようと計画したのです」

「……」

 ヒュエテルさんが思い通りにならないのは孤児院という環境と俺という人物がいるから。

 だからその二つを壊せば自然に戻ってくるに違いないと考えたか。

「愚かな……」

 例え成功し、ヒュエテルさんが戻って来たとしてもそれは一時的なもの。

 彼女はすでに血盟師団に愛想を尽かしており、さらに自身の徳も能力も高いのだからすぐに代わりの場所を見つけるだろう。

 そうなればまたも放火と殺人を行うのか。

 最悪の行為を脳内に描くだけでは飽き足らず、実行しようとしたとは。

 余りの救いのなさに俺は天を仰いだ。

「で、血盟師団はその計画をどうした? 許可したのか?」

 俺の詰問にベークトはありえないと首を振って。

「とんでもございません。そこまでいくともはや革命でなく犯罪集団。我が組織のメンツにかけても却下しました……が」

「その団員は諦めきれず」

「署名を拒否し、その後の消息が分からなくなりました」

「「……」」

 来客室に沈黙が落ちる。

 もしベークトの話が真実なら近い将来、身の危険が迫ってくるだろう。

「確認するが、その同士の名はガガン=イクライドか?」

「……」

 離れたとしても同志は同志。

 仲間は売らないか。

「情報提供感謝する」

 これで話が終わったと判断した俺は頭を下げる。

「いえ。これは我ら血盟師団の汚点。こちらもその同志の行方を突き止めますが、万が一遭遇してしまった場合、温情を期待します」

 つまり殺さないし、治安部隊に突き出すなと言うことか。

 どうやら血盟師団は身内には甘すぎるな。

 余りの勝手さに俺は呆れ果てたが、それを指摘しても話がこじれるだけ。

 ゆえに俺は席を立ち、ベークトを出口まで案内した。



「さて、書き出しはどうしようか」

 ベークト氏が帰ってからすぐのこと。

 ペンを取った俺は羊皮紙の冒頭を何にしようか頭を捻る。

 この手紙は施設に張り出す分とガガンの住所に送る分。

 俺は坐して後手に回るつもりは毛頭ない。

 常に先手を打つことが事態を速やかに収集させる。

 十中八九、ガガンは俺と施設を恨んでいるのだから、出迎えてやろうではないか。

「『ガガン=イクライド殿、貴殿の状況についてはベークト氏から伺っております。私と貴方、ヒュエテル氏との間には大きな誤解が横たわっているようですので早急に三者を交えての話し合いを希望します。都合の良い日があれば私宛に場所と時間を告げると喜ばしいです』……これで良いか」

 完成した文を見て満足する俺。

 とりあえず用件は伝わるだろう。

「さて、行くか」

 行動は早い方が良い。

 俺は馬車を呼び、早速施設へと向かった。


 施設に到着した俺は激しい怒りに襲われる。

 その怒りはガガンにか、それとも血盟師団に対してか……

「いや、違う。俺が悪い、ベークトが伝えて来なければ動こうとしなかった最大の元凶は俺の怠惰さだ」

 怒りの原因はヒュエテルさんのこと。

 ここ数日無断欠勤を行っており、誰も彼女の行方は分からないとのこと。

 しかもそれ以前に彼女は挙動不審な様子だったが、職員の誰も俺に相談していなかった。

 ――甘かった。

 せめて施設の職員にヒュエテルさんの何かあれば俺に連絡するよう言伝ておくべきだった。

 それを怠った俺のミス。

 究極的に述べるなら、受け身な職員を量産させてしまっていた俺の経営方針に問題があった。

「ええい、くそ!」

 俺は誰にも見られない場所で怒りを発散させる。

 こうなってしまった以上、主導権はガガンにある。

 何時奴がアクションを起こしてくるか予想できないが、それでも待つのは好きでない。

「……血盟師団のベークトに詳細を報告。場合によっては公権力を使う」

 もしヒュエテルさんに危害が及んでいるのならば俺はガガンを無罪放免などさせない。

 そこまでの度量は俺にない。

「このまま血盟師団の本部へ向かえ」

 馬車に乗り込んだ俺は低い声音でそう告げる。

 俺は怒りのあまり顔面神経に力が入らなくなり、能面のような無表情となっていた。


 血盟師団に到着した俺はベークトを呼び出すが留守。

 代わりの者が対応し、俺は用件――ヒュエテル=クーラー氏が失踪したこと。そしてその過程でガガンが邪魔をするなら命の保証は出来ないと伝える。

 俺はなるべく感情を出さず、淡々と告げたのだが、その態度が恐ろしかったかそれとも単に根性なしか。

 代わりの者はただコクコクと頷くだけで何も言い返さなかった。


「ご、ご主人様! お気を確かに」

「うん? ……ああ、俺ってそんなにひどい顔をしているのか?」

「はい、それは物凄く……」

「そうか、それは済まない。ところでメアリー。夕食は部屋に届けてくれ」

 今は誰かと食べる気分ではない。

 当たり散らさないためにも、一人でいなければならなかった。

 俺はそう言い残して自室へ戻る。

 お気に入りの安楽椅子に座るが神経の昂りは止めようがない。

 気分が落ち着くまで俺は部屋内を歩き回ることにした。

「ご主人様、夕食です」

 三十週したところで控えめなノックが響く。

 全然食べる気になれなかったが、何かを腹に収めれば少しは気も紛れるだろう。

「ご苦労、メアリー」

 だから俺はメアリーから食事を受け取り、彼女を返そうとするが。

「しばらくお傍に置いて下さい」

 俺は断ろうとするが、メアリーの珍しい真摯な願いに俺は折れる。

「食べる間だけだぞ」

 そう断りを置いた俺はナイフを手に取る。

「「……」」

 食事中、メアリーは声をかけるどころか誰もいないがごとく気配を消す。

 メアリー曰く、王族専属メイドは誰でも出来るという。

 それを聞いた当時俺は腹を立てたものの、この状況としてはあり難い。

 この付かず離れずの微妙な距離。

 非常に嬉しかった。

「食事が終わった、下げてくれ」

 一通り食した俺は下膳する。

「では、お下げします」

 てっきり俺はメアリーが持っていくかと思っていたが、彼女はお盆をドアから出し、また元の位置に戻る。

「ほいほーい。持っていくねー」

 間髪入れずルートが引き受けた。

「早いな」

 まるで外で待ち構えていたかのよう。

 時間を見ると決まった時間ではないことからずっと外で待っていたと推測する。

「ご主人様の予想通り、ルートはずっと待機していました」

 メアリーは恐る恐る言葉を紡ぐ。

「体の弱いルートが寒い廊下でいつ終わるか分からない時間待たされる……確かにルートの体によくありませんが不快に思わないで下さい。これが普通なのです。ご主人様のためなら私達は己を殺すことも厭いません」

「……」

 ルートもメアリーも俺と大分意見が違うな。

 が、今は嘆く時間と体力が惜しいので黙っておく。

「それで、何故お前は残る?」

 俺は背もたれに体を預け、頬杖をついてそう尋ねる。

「まさか奉仕とか言い出すわけではあるまいな。残念ながら今日は駄目だ。そんな気分じゃない」

 ヒュエテルさんの安否が分からない中で抱けるほど俺は人間が終わっていないぞ?

「……それでも、少しは心が安らぐかと思われます」

 否定もせずメアリーは続ける。

「ご主人様は事件が始まってから神経が張り詰めてしまっているのでは? 緩めろとは申しません、ですが就寝時間は気分を切り替えなければご主人様が参ってしまいます」

「……」

 確かに。

 メアリーの言葉に一理ある。

 が、素直に頷けんな。

 少なくとも、誰かの犠牲の上に安らぎを得ようとは思わん。

 と、断ろうにもメアリーの意志は強すぎる。

 何というか、メアリーは変なところで頑固だな。

 こんな時ぐらいいつもの弱気でいてくれたら良いのに。

 と、まあ、そんな思考は置いておく。

「折衷案だ、メアリー」

 俺は一つ案を提示する。

「お前が望むなら……子を守る母のように俺を抱いてくれ。出来れば子守唄も頼む」

 うん。

 まさか赤ちゃんプレイが出てくるとは。

 どうあら俺は相当病んでいるようだ。

「すまん、メアリー。今言ったことは忘れてくれ」

 俺はパタパタと手を振り、取り消そうとするが。

「ご主人様、こちらの準備を整いましたよ」

「早?」

 すでにメアリーはベッドでスタンバイしていた。

 ……俺は一つ教訓を得る。

 疲れている時は一人の方が良い。

 でないと今回のように、何をトチ狂ったことを言いだすか分からん。

 俺は激しい後悔に苛みながらもベッドに入り、メアリーに抱き締めてもらう。

「~♪ ~♪」

 ……体験せずに批判はしない方が良い。

 やばい、嵌りそう。

 俺の中の何かが崩れそうだ。

 メアリーの体の柔らかさと香り、そして歌声に俺の脳ミソは蕩けそうになった。

「――ご主人様」

「うん? 何だ?」

 子守唄を止めたメアリーが俺に問う。

「もしかして……王女に助けを求めるつもりですか?」

「他に案があるのか?」

 図星を差されたがゆえ攻撃的になったのは仕方ないだろう。

 返事の代わりにメアリーは俺を抱く力を少し強めて。

「いえ……ただ、私は怖いのです。ご主人様は王女様と関わるごとにどんどん変化していっている。何時か本当に私の知らないご主人様へと変貌してしまうのではないかと」

「……」

 メアリーが改めて指摘するまでもなく悟っている。

 ベアトリクスの存在は確実に俺に影響を及ぼしている。

 それが幸か不幸かは分からないが、俺は変わってきている。

「メアリー。俺は悪い方へ転がっているのか?」

「いえ……王女様と邂逅以降、ご主人様に強い意志が宿り始めました。それこそ人の上に立つ指導者が持つ雰囲気のような」

「それは光栄だ」

「しかし、同時に人を数字で見る兆候が表れています」

「……」

 表と裏、作用と副作用。

 成長するのは良いことばかりでなく、今まで見えなかった負の部分が顕著になる作用もある。

 しかし、それでもなお上に行こうとするのは、今のままでは駄目だと察しているからだろうな。

「ご主人様。お願いがあります。もし、一線を越え、もう戻れなくなってしまったのなら」

「戻れなくなったら?」

 それはベアトリクスに魅入られ、俺の中の邪龍の制御が出来なくなった時。

 どんなに平静を保とうとも、邪龍が命令を下せば俺は抗うことが出来ない時だ。

「私を殺してください。わがままになりますが、悪に染まったご主人様に仕えるのは相当なる苦痛です。私を解雇すればよろしいと思いますが、生きている限りご主人様の活躍は耳に届いてしまうでしょう。かといって自殺する勇気はありません。だからせめてご主人様の手で終わらせて下さい。そうすれば私は優しいご主人様のまま永遠を保てます」

「……」

 悲壮なる決意。

 メアリーの気持ちは分かるが、自らの生命を絶つ自殺は俺にとって禁忌に等しい。

 正直な感情、メアリーには生きて欲しい。

 ゆえに俺はそっと囁く。

「メアリー、お前にはもっと大事な役目がある。だから死なないで欲しい。」

「役目とは?」

「そうだな……仮定の話になるが、もし俺が子供を作りたくなったら、だな。メアリー、出来れば応えて欲しい」

 嘘も方便。

 こう言っておけばメアリーも生きる希望が湧くだろう。

 ああ、しんどい。

 俺はもう寝るとするか。

 恥ずかしすぎてメアリーの顔を見たくなかった俺は目を閉じ、これまでよりも強く彼女を抱き締めた。



「ふうん。ヒュエテルとやらが攫われたの」

 興味なさげにベアトリクスは背もたれに体を預ける。

 ある日、俺はベアトリクスを呼び、ガガンからヒュエテルさんを助け出す相談をしてみた。

 で、全てを話し終えた結果がこれ。

 ベアトリクスは全く関心を持っていなかった。

「まさか平民一人のために私を呼んだわけじゃないでしょうね?」

「大層不機嫌だな、何があった?」

「別に。昨日のパーティに呼ばれなかっただけよ」

 推測するに先日病に伏せている王の名でパーティが行われたらしい。

 で、その栄誉あるパーティにベアトリクスはお呼びがかからなかったと。

 なるほど、王族を自負しているベアトリクスからすれば憤懣やるせないのだろうな。

「帰るわ。とんだ時間を無駄にしたこと。いいこと、ユウキ。次こんなことをすればメアリーに相応の罰を受けてもらうわよ」

 そして立ち上がるベアトリクス。

 はてさて、本気なのか駆け引きなのか見分けがつかないな。

「別に善意でやってもらうわけではない。取引だ」

「はあ? 何馬鹿なことを言ってんの? 取引というのは対等な関係で成り立つもの。まさか私と対等と考えているわけではないわね?」

「じゃあ言葉を変えよう。ヒュエテルさんを助けることはベアトリクスにとってもプラスだ」

「何が? 一孤児院の施設長の何が私にとってプラスなの?」

「兵隊が……欲しくないか?」

 その言葉にベアトリクスは綺麗な目を細める。

「ヒュエテルさんは人望がある、それこそ命を投げ出しても構わない心酔している者も。加えて孤児の中には争いが好きな血気盛んな子供がいる。彼らを教育し、さらに魔導器具を装備させればいっぱしの親衛隊が出来上がると思うが」

 ベアトリクスには人望がない。

 王族がここまで出向くのに付き人がエルファ一人というのは、そこまで信頼がない証拠。

 丸裸の状態というのはベアトリクスにとってもキツイだろうな。

「話は聞きましょうか」

 腰を下ろしたベアトリクスは腕を組む。

 ようやく話を聞いてもらえるか。

 土台に乗ってくればベアトリクスに俺は内心安堵しながらヒュエテルさんとガガンとの関係についてもう一度説明しようとした、が。

「ああ、良いわよ同じ話は。それよりもガガンとヒュエテルの性格について貴方の知っている範囲で話して頂戴」

「性格を?」

 何故そこに注目するのだろうか。

 関連性が分からず言葉に詰まる俺。

 その様子にベアトリクスは呆れたように溜息を吐く。

「はあ~。あなたって本当に甘ちゃんね。相手を知らないでどう対策を取れと言うの? まあ、マニュアルもあるけどあれは確率論の世界、失敗しても良いのなら適当な答えを返そうかしら?」

「それは済まなかった」

 ベアトリクスの指摘に俺はミスを認める。

 思い返せば俺の周りには万人に向けて発せられる代物しかなかったな。

 個人と個人を繋ぐようなことがなかったから、マニュアルを絶対視するのも当然かもしれない。

「あんたってすぐに謝るのね。例え自らが全面的に悪かっても開き直らないと相手の思う通りにやられるわよ?」

「それは公平性に欠けるだろう。罪は罪、非は非と認めなければ誰もついてこない」

「……ユウキってぬるま湯の中で育ったのね。周囲を敵に囲まれた状況でなおそんな理想論を唱えることが出来るのかしら?」

「そんな考えだからお前の周りに味方がいないんだ。信頼できない味方などいない方がマシだ」

「アハハ、その発言は興味深いけど、それは後回しにしましょうか」

 愉快そうに笑ったベアトリクスは俺の説明を聞きながら己の銀髪を弄る。

 ベアトリクスは考え事をする際に髪を触るんだな。

 よほど気に入っているのか知らないが、そんなに触ると早く痛むぞ。

「なんか凄い失礼なことを考えていたようだけど不問にしてあげる。さて、おおよその性格は掴めたわ。で、そこから導き出される予想について話すわね」

 キッと睨み付けた後、彼女は可憐な唇を少し開ける。

 余談になるが、その際のベアトリクスはい刹那主義の狂王女でなく、冷徹な参謀を前にしているようだった。

「結論から言うと、ヒュエテルは生きているわ」

「それは良かった」

 ベアトリクスの推測だとしても安堵してしまう。

「クツクツクツ。けど、ガガンに殺されてしまっていた方がユウキにとって良かったかもしれないわね」

「何故?」

「簡単よ、ヒュエテルは依存している相手をユウキからガガンに切り替えたから。ガガンからすれば己に依存している彼女を殺す必要はないわね」

「……」

 ベアトリクスの言っていることが理解できない。

 何故ヒュエテルさんがあのガガンに依存する?

 あいつはヒュエテルさんの居場所を全て壊そうとした輩なんだぞ。

「アハハ。本当にユウキはお花畑ね。平民風情の誓いなどちょっとした恐怖で簡単に翻すわ」

 大体読めてきた。

 ある日、ガガンはヒュエテルさんを拉致し、何処かへ監禁した。

 そしてそこで脅迫や暴行を受けて神経衰弱状態となり、己が生命を護るために無意識的に暴行してきたガガンに依存したのだろう。

 俺の推理が正しければ、環境を戻せばヒュエテルさんは元に戻る。

 今のヒュエテルさんは少し横道にそれてしまっただけ。

 そう分かっているのに――。

「アッハッハ、良い顔をしているわユウキ。本当に悔しいでしょうねえ、体まで差し出してきた相手が僅かな環境の変化で態度を変える……今の貴方は自分のおもちゃを盗られた子供の様な気分でしょうね。見えるわ、腹の奥底でどす黒い嫉妬が渦巻いているのが」

 心底楽しそうにベアトリクスがマジマジと俺を見つめる。

 ベアトリクスの言い分は分かる。が、全肯定するわけにはいかない。

「ヒュエテルさんも人間だ。そして彼女が何を思ってどう行動しようとその意思を尊重しよう」

「フフフ、とんだ強がりだこと。さて、話を勧めようかしら。問題の二人はどこにいるか。恐らくベークトを始めとした血盟師団が知っているでしょうね」

「血盟師団が? 何故?」

「ユウキ。もしかして血盟師団が貴方の味方だと信じているの? 私からすればガガンが最後に頼るのは血盟師団なのよ」

「しかし、ベークトはガガンが危険だと言うことを伝えてき――」

 待て。

 何故俺は早々に血盟師団を除外した?

 ガガンが無茶な行動に出るかもしれないと伝えてきたからか?

 良く考えろ。

 ベークトはヒュエテルさんを絶対に連れ戻すと意気込んでいた。

 そしてそれらの行動も本気、俺も一時期は手を焼いていたのを覚えている。

「しかし、グルだとは考えにくい」

 もし計画的というならば杜撰すぎないか? 場当たり的な対応過ぎだぞ。

「そりゃそうよ。だって血盟師団も後手後手の行動なのだから」

 真相を述べるわね。

 と、ベアトリクスは一拍前置きして。

「ガガンがヒュエテルを拉致監禁したのは完全に彼の独断。で、それを後で知った血盟師団は、ヒュエテルがガガンに依存しかけているのを見て、完全に依存するまでの期間二人を匿うことにしたというのが私なりの見解」

「……」

 否定したい。

 ヒュエテルさんが、ベークトがそんなことをするような人間でないと強く否定したい。

 が、それをするには根拠が乏しすぎる。

 今の俺に出来ることは何も答えず、無言でいることのみだった。

「さて、どうするユウキ?」

 ベアトリクスは問う。

「私の推測が正しければヒュエテルは戻ってこない。待ちぼうけよ」

「……まだ決まったわけでないだろう」

 そう、全てはベアトリクスの仮定。

 真実ではない。

「限りなく真実に近い仮定だと自負するけどね。まあ、私としても精強な兵隊が欲しいからミスミス待つことはない。知ってる? ああ見えてエルファって刑吏顔負けの尋問・拷問術を持っているのよ。ベークトに二人の居場所を吐かせ、そこを強襲するというのは面白いと思わない?」

 何が面白いというのか。

 ベアトリクスの満面の笑みに俺は拳を固く握りしめる。

「……少し待ってくれ」

「ん? 何が?」

「それを実行する前に、俺はやっておきたいことがある」

 ベアトリクスは、周囲は敵だらけと認識しているようだが俺は違う。

 最後の最後まで人間の善性を信じる。

「手紙を書いて良いか? ベークトに」

 もしベアトリクスの読み通りならベークトが関わっている。

 あいつの善性を信じよう。

「別に良いけど。エルファの存在を勘付かれるような内容は止めてほしいわ」

「安心しろ。俺はそこまで甘くない」

 最後通牒。

 これで上手くいかなければ後は潔くベアトリクスに任せよう。

 次の日。

 俺は筆を取り、ベークトの心を動かす念を込めて羊皮紙に文字を走らせ始めた。


 拝啓

 親愛なるマナン=ベークト殿

 骨身に染みる寒風が吹きすさび、日々の仕事のご多忙な中、お目汚しとなる手紙を送付することをお許し下さい。

 先刻お伝えした通り、ヒュエテル=クーラー氏が行方不明となり、目下捜索中でございます。

 私共も四方手を尽くしておられますが、なにとぞお手伝いを願えないでしょうか。

 そして、発見した暁には付加した色紙をヒュエテル氏にお見せ願いたいのです。

 突然の出来事で精神が疲れ果てている彼女にとって特効薬となるでしょう。

 さて、ここからが私事になりますが、ベークト殿が私の会社で働いていたことを思い出していました。

 何事に対しても慎重で内向的だったベークト殿ですが、正義感は人一倍強く、仲間を護るためには我が身を危険に晒してでも助けに行くものだったと聞いております。

 例を挙げるなら、ある日会社に来なくなった同僚の安否を確かめるため、勤めが終わってから深夜に至るまで、靴を二足すり潰すほど歩き回って捜索したそうです。

 その際のベークト氏の心情を、今の私なら痛い程理解できます。

 本音を言えば、昼夜を分かたず探し回りたいところですが、それだと市民としての責務を果たせないゆえ、やむなく時間をひねり出して探しているのが実情です。

 ベークト殿に同じことを強要しようとは思いません。

 ただ、もしヒュエテル氏を発見できたのなら、この色紙を渡すこと――それだけを望みます。

敬具

「こんなものかな」

 俺は手紙にある色紙を同封する。

「もしベアトリクスの読み通りなら、そしてベークトに人間の心があるのならこの手紙は絶大な効果を発揮する」

 と、いうより他に有効な手段がない。

 これが不発に終わればベアトリクスが推奨した非情な手段を選択せざるを得ない。

「頼むぞ」

 封をしたそれに俺は額を押し当てて念を入れ、しばらく後にルートを呼び出して託した。

「さて、俺も動いておくか」

 この手紙が功を奏した場合、やらなければならないことがある。

 ゆえに俺は出かける準備を始めた。


「今日も出かける。弁当を用意してくれ」

「ご主人様……本日で三日目です。何時まで続けるつもりでしょうか?」

 メアリーが俺のことを心配してそう尋ねてくる。

「当然、何か動きがあるまで続けるつもりだ」

 ベークトに手紙を出してから今までの間、夜は孤児院で寝泊まりをしている。

 理由は当然ガガンを捕まえるため。

 俺の読み通り動けばガガンは必ず施設に現れるはずだった。

「どうしてご主人様が施設に滞在しなければならないのでしょうか」

「エサは多い方が良いだろ?」

 ガガンからすれば憎き孤児院と俺が一緒になっているんだ。

 これを狙わない手はない。

「何故危険なことを行うのです。ヒュエテル=クーラー氏がそれほど大切な人物なのでしょうか? ヒュエテル氏がいなくとも施設は回っており、何も変わりませんがご主人様がいなくなると全てが終わります。重要度がまるで違うのです」

 人間の生命に優先順位をつけることは間違っているのだがな。

「敢えて挙げるなら敬意かな。ガガンに対する」

 ガガンは、行動こそ褒められないが、ヒュエテルさんのために全ての名誉とこれからの未来を投げ打った。そこまでの思いがあるなら俺も応えねばなるまい。

 全力で来るならこちらも全力で迎え撃つ。

「ご主人様……ご主人様は虫や動物に対しても全力で潰すのですか? 平民とご主人様は違うのです、そこまでご主人様が力を入れる必要はございません。ゆえにもっと効率を意識し、王女の策を聞き入れたらどうでしょうか?」

 メアリー、どうして分かってくれないんだ。

 人間は平等だ。

 母から生まれ、育ち、泣き、笑い、怒り、そして喜ぶ。

 何も変わらないのに、どうしてそこまで差別するんだ。

「獅子は一匹のうさぎでさえ全力で狩り、ハイエナは徒党を組んで効率的に狩る」

 俺はメアリーの顔を見ずそう口にする。

「獅子とハイエナ。同じ肉食なのに百獣の王は獅子だ、願うなら俺は獅子でありたい」

 別にロマンを求めているわけではない。

 ただ、そうでありたいと願っている。


「夜が明ける……」

 東の空に色が戻り始めるのを確認した俺はそんなことを呟く。

「まだ動きがないか」

 メアリーにはああ言ったが、実際続けられるのは後一、二日だけだと考えている。

 それ以上はベアトリクスから強制終了を宣告され、最悪な現実を突き付けられるだろう。

「頼むから、何かあってくれ」

 ガガンの住所に送った手紙でも良い、進展があってほしい。

 時間を失っても得られるのは焦りだけ。

 この状況に歯がゆい思いをしていた。

「さて、帰って寝るか」

 これ以上留まっても仕事の邪魔になるだけ。

 置物は早いところ去るに限る。

 俺は身なりと荷物を取りまとめ、勝手口から施設を後にする。

「うう、寒い」

 季節はまだ冬。

 若いはずなのに寒さが身に染みる。

 俺は体をさすりながら到着するであろう業者を待っていたその時。

「っ!」

 後ろから殺気を感じた俺は咄嗟に横へ身を投げ出した。

 視線をそちらに向けると、俺が今いたところへ何かの液体が通り過ぎて行く。

「ちっ、悪運の強い奴」

 突然襲ってきた者はそんな悪態を吐く。

 この低い声は聞き覚えがあった。

 そう、それは以前孤児院内で聞いた声、すなわち。

「久しぶり、とでも言おうか? ガガン=イクライド」

 間違いない。

 あの時より痩せているが、その分ぎらついた目が際立っている。

 まあ、ヒュエテルさんを拉致し、この俺を殺そうとしたんだ。

 狂気でないと出来ないよな。

「カザクラ! この施設共に焼け死ね!」

 この匂い、この粘度。

 俺の予想が正しければ十中八九油か。

 危なかった。

 あれを被っていたら俺の命は風前の灯火だったな。

「いきなり殺そうとするなど……丸腰の相手に対してやることではないぞ」

 俺は何時でも動けるよう中腰になりながら語り掛ける。

「それとも何だ? 血盟師団の教えの中には、例え無抵抗の相手でも殺せと教えているのか?」

「馬鹿かお前? 敵が弱点を晒しているのに何故狙わねえ?」

「敵? 何故俺がお前の敵なんだ? 何時俺がガガンに対して敵対行為を働いた?」

「お前ホントふざけんなよ! ヒュエテルを誑かしておきながら言うに事欠いて敵対してない? どの口がそんなことをほざく?」

「ガガン、話を聞け。血盟師団内においては言論の自由を守るべきだと明記されていただろう」

「ここまで来たら言葉など不要だ! 後は戦うのみ!」

 まるで取り合ってくれない。

 何というか、ガガンは俺が思っている以上に興奮している。

「ヒュエテルさんに何かあったのか?」

「何を白々しいことを! 貴様がベークトを懐柔して送りつけた下らねえ色紙! あれのせいで全てご破算だ!」

「……」

 その言葉に俺は悟られないよう内心で大喜びする。

 ベークトに託した色紙。

 その中身は孤児院内にいる児童全員からの寄せ書きだった。

 ヒュエテルさんは彼らに相当慕われていたらしく、俺の予想を上回る出来栄え。

 これを見せられたら誰だって心を動かされずにいられないだろう。

「だからガキは嫌いなんだ! 何も知らずに笑ってやがる! もっと大人しくしとけ! 俺に従え!」

「もう諦めろ、ガガン=イクライド」

 ガガンの絶叫に対し、俺は冷静な声音で語る。

「お前は敗北した。法を犯し、血盟師団に迷惑をかけ、挙句の果てにはヒュエテルさんも思い通りにならなかった……ここが最果てだ。それを認めなければ永遠に地獄に囚われ続ける」

 地獄――それは仏教における最低の境涯。

 字の如く、地下に作られた獄中を差し、何もかもが思い通りにならない境涯。

 何も出来ない牢獄の中で苛立ちだけが募っていく最悪の境涯である。

「ふざけるな! ヒュエテルはまた騙されただけだ! この施設を燃やし、お前の首を見せれば必ず正気に返る!」

「……本気で言っているのか? いや、そんなことは聞くだけ野暮だ」

 空恐ろしいことを述べるな。

「ガガン、最後に聞こう。本当にそれが最善なのか? 俺が死に、施設が無くならなければ本当にヒュエテルさんは救えないのか?」

「当たり前のことを聞くな! その戯言を永遠に話せないようにしてやる!」

 ガガンから来るであろう攻撃に俺は身構える。

 奴の攻撃方法は油と火、そしてナイフ。

 俺のやるべきことは時間を稼げば良い。

 そうすれば後は通行人が助けてくれるだろう。

「カザクラよお……俺にはもう後がねえんだ」

 ニヤリと笑うガガンの笑みが恐怖を誘う。

「ここでお前を殺さなければ俺はもう終わりだ……だからこうさせてもらう」

 そう言うのと同時にガガンは用意していた油を頭から被る。

「っ」

 ガガンのその行動に怖気が走った。

「そしてこれは火を生み出す魔導器具……後は分かるな? 俺が何をしようとしているのかを?」

 ガガンが懐から取り出すは葉巻に火を付ける目的の魔導器具。

 かなりポピュラーな魔導器具だがそんなことはどうでも良い。

 大事なのは……俺を道連れにしようとしていることだ!

「カザクラ! お前だけは俺が絶対に殺す!」

 そしてガガンは魔導器具を発動させ――火だるまとなった彼は俺めがけて突進してきた。

 どうする? どうすれば良い?

 身を翻して逃げるか? 

 いや、初動が失敗した。両足を広げ、腰が上がっている状況から反転して駆ける間にとっ捕まってしまう。

 逃げるのは不可能、待っているのは死。

 死ぬ? 俺が死ぬ?

 俺が死んだらどうなる? 誰が『日本』を実現する?

 俺以外『日本』を知らない以上、俺の死し共に『日本』は死ぬ。

 どうして『日本』が死ぬ? それは俺が死ぬからだ。

 何故俺が死ぬ? それは眼前に迫った狂気のガガンによって死ぬ。

 じゃあどうすれば良い?

 ガガンの存在が俺ないし『日本』の実現を阻むのならば。


 ――殺せ!


「ガッ?」

 気が付けばガガンの腹に俺の拳がめり込んでいた。

 手首まで埋まるほどの威力。

 内臓に穴が開いていてもおかしくない。

 と、そんな冷静な分析をしている思考とは別に体は次の行動を取っている。

「ゴハア!」

 腹を抱えて両膝を付いたガガンの背中に俺は踵を落としていた。

 この感触、背骨を粉砕し、肋骨まで折ったな。

 身体の構想上、背骨を折られたらまず立てない。

 つまりガガンは俺に危害を加える可能性はなくなったわけか。

「なあ、ガガン」

 俺がガガンの横に膝をつく。

 彼はもう何も出来ない、後は死を待つのみである。

 こんなことを言えばガガンを侮辱するかもしれない。

 が、彼にはどうしても俺の想いを知って欲しかった。

「俺もヒュエテルさんが好きだったんだ。互いに一人の女性を愛した者同士、分かりあえると信じていた」

「……」

 喉が焼け、声を出せなくなったガガンは返事の代わりに底なしの悪意を以て睨む。

 その瞳から『この偽善者が』と訴えている。

「何をどう思われようと構わない。何せ最も近いメアリーでさえ俺を理解してくれないんだ。なのに何故ガガンが理解してくれる?」

 例え偽善者と罵られようとも俺は幸せな未来を語ることを止めはしない。

「もし選択肢を間違えなければ俺とガガン、そしてヒュエテルさんの三人で一つのテーブルを囲む日があったのかもしれないな」

 少なくともこんな悲しい結末より幸福だ。

「……」

 ガガンは果たして最後まで聞いていたのだろうか。

 目を意図的に閉じたガガンが何時事切れたのかは判別しようもなかった。


「総括するわね」

 ベアトリクスはパスタをフォークで突きながら無表情に切り出す。

 彼女からすれば今回の顛末は満足半分不満半分の半々か。

 まあ、真相はベアトリクスの読み通りだったが、結末は違っていたから当然か。

 こういうタイプは全部自分の思い通りにならないと満足しないんだよな。

「その表情が気に食わないわねぇ。けど良いわ。全ての元凶であるガガン=イクライドは死亡。そしてユウキ=カザクラは正当防衛が認められて無罪放免」

「そこまでは予想通り」

 あれで罪に問われたらたまらない。

 火だるまになった人が己を殺そうとするのをどう止めたら良いのか。

「で、ヒュエテル=クーラーは多少神経が参っているようだけど問題ないわ。今では元の役職に戻り、日々仕事に勤しんでいる」

「ふむ、それは良かった」

 最大の懸念だったヒュエテルさんが無事で良かった。

 俺のやったことで唯一の問題点はヒュエテルさんの身の安否。

 ガガンが逆上して彼女を殺してしまう可能性が十分にあった。

「そして、最後のマナン=ベークトだけど」

 と、ここでベアトリクスは可憐な笑みを浮かべて。

「死んでいたわ。ガガンに突き飛ばされてね」

「……」

 その報告に俺は陰鬱な気分に陥る。

 今回の事件における最大の被害者はマナン=ベークトだろう。

 俺の手紙を読んで心を動かされたベークトは同封してあった色紙をヒュエテルさんに渡す。

 それを見たヒュエテルさんは正気に戻り、ガガンに依存しなくなったという。

 この結果にガガンは怒り狂い、ヒュエテルさんに詰め寄るが、間にベークトが割り込む。

 その際にガガンはベークトを突き飛ばし、そして突き飛ばされたベークトは当たり所が悪く、そのまま死んでしまったらしい。

 で、追い詰められたガガンは俺を施設ごと葬り去るために油と火を持って施設へ向かった。

「けど、本当にベークトって馬鹿よねえ」

 ベアトリクスは彼を嘲る。

「一度決めたことを途中で翻すからよ。善であれ悪であれ一度決めたことは最後まで貫き通さなきゃ。でないともっと悲惨な目に遭ってしまうのよ」

「悲惨か……」

「そう、これが悲惨でなくて何を悲惨というの? ガガンは死に、ベークトも死に、血盟師団全体に暗い影を落とした……ヒュエテルが助かったのは単なる幸運、殺されてもおかしくなかったのよ」

「忠告と受取っておこう。しかし、俺は後悔していない」

「忠告なんかしていないわよ。むしろ褒めているわ、平民とはいえベークト程の者の決心を翻させるなんて余程のことじゃないと出来ない」

「……」

 非常に答えにくい問いなので俺は沈黙を保とう。

「とにかく、この中で最大の勝利者はユウキ=カザクラ貴方よ。貴方は全てを手に入れ、何も失わなかった。これ以上何を望むというの?」

「それを言うならお前もだろ? ベアトリクスも何も失っていない気がするが」

「ふん、私からすればジグソーパズルで、最後の一ピースをはめ込もうとしたら全てを滅茶苦茶にされた気分よ。面白くもくそもない」

 傲慢というか、何というか。

 その貪欲なまでに完璧を追求する姿勢は称賛に値するな。

「ベアトリクス、お替りはいるか?」

 空になった皿を見た俺はそう提案するが。

「要らない。今、私の腹の中は不満で一杯なの」

 そうですかい。

 拗ねた子供みたいなベアトリクスの物言いに肩を竦めた。


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