王子様は、異世界で困惑する
別名、王子様、瑞穂に餌付けされる(笑)
気を失っていたのだろう。
かすかに甘い匂いがする場所で、私は目を覚ました。
薄暗く狭い部屋は、まるで牢獄にも思えたが、それにしては物があふれている。私が眠っているベッドもふかふかで、暖かい。
こんなに熟睡したのは何年振りだろう。起きないといけないのに、頭はまだ睡眠を求めている。
逆戻りして胸いっぱいに香りを堪能する。
お菓子に包まれているような甘さに、心が癒された。
これは夢か?いや、今までのが夢であってほしい。
「って、違うだろう!!」
私は正気に戻り体を起こし、周りに害を及ぼす侵入物がないか確かめる。
結界も何もないのに、部屋は無害そのものだ。
しばらく警戒していると、不意に扉が開かれ、部屋に光が差し込んだ。
「誰だ!?」
私は反射的に剣をつかもうとするが、腰にはついていない。ならば魔法で。
そう思ったが、侵入してきた者を見て、落ち着こうとする。
「おはようございます、王子さま?」
私を知っているのか、と思ったが、半信半疑で冗談だろうといった表情なので、おそらく知らないのだろう。それでも警戒するに越したことはない。
「そなたは誰だ」
問うと、「ルリアンナ百合子」と名乗った。貴方は、と問い返されたので。私はいつものように偽名を名乗る。
すると、何がおかしいのか、ルリアンナは口元を抑えた。
どうやら、本当に私を知らないらしい。
だが、今はそのことにひどく安堵する。
更に場所を問えば、ニホーン国と返された。思考のなかに世界地図を広げてみるが、小さな国にもそんな名前の国は存在しない。もしかして、私の知らない国がほかにあるのかもしれない。
素直に謝罪すると、遠くから何かが鳴る音がして、ルリアンナは部屋を出て行った。
つまり、この狭い部屋の主はルリアンナだ。そう思うと、さっきまで甘いと心地よくなっていた自分が、変態に思えてくる。
あんな年下の少女に欲情するとは。
年は、2つほど下だろうか。それにしては、ルリアンナの態度は大人のようにしっかりとしていて、かつこの部屋にはルリアンナ以外いないような気がした。
もしかして、離れなのかもしれない。
そう考えていると、開け放たれたままの部屋に、良い匂いが漂ってくる。
くぅ、とおなかが鳴った。もう何日食べていないだろう。最後に口にしたのは水だった気がする。しかも噴水の水。
私は、匂いにつられるように部屋をでた。
部屋を出てすぐの調理場には、ルリアンナが匙で鍋の中身をかき混ぜている。そのたびに、良い匂いがした。
ふらふらと背後に立っても、ルリアンナは気づかない。
背中から鍋をかき混ぜる姿は、とても抱き着きたくなる衝動に駆られる。
婚約者より凹凸のない体。けれど、抱き寄せればすっぽり入り込むだろう細さ。
あまりに無視をされるので声をかけると、驚いて振り返られた。
本当に気づかなかったのか。
そんなに無防備なら危ないぞと言おうとしたら、代わりにおなかが鳴った。
恥ずかしすぎていたたまれない。
「庶民の食事で口に合うかわかりませんが、召し上がりますか?」
「いいのか!?」
くつくつと煮込まれ暖かそうなスープ。
思えば、暖かい料理を暖かいまま食べたのは、何度あっただろう。大抵は、毒見の後吟味されて小さく冷たくなった料理が出される。
スープはまだ未完成のようなので、軽く食べていてほしいと案内された場所は、床に座る形式だった。そんなこと、今までやったことがない。
私は常に、椅子に座った食事をしていた。それは寝室であってもだ。地べたに座って食べるなど下品だと教わったからだ。
素直に椅子を乞うたら、変なものを渡された。座椅子という、床に座るための椅子らしい。
しかし、それでも今までの生活がしみ込んだ私には抵抗があった。
ただでさえ迷惑をかけているのに申し訳ないと思っていたら、ルリアンナは一人用の机と椅子を指示した。
寝室にあり薄暗く、座るととても切なくなった。
これよりはましだと、私は仕方なく座椅子に座った。あまり迷惑をかけて追い出されては元も子もない。
私を知っているなら追い出すなどしないだろうが、知らないなら簡単に追い出されてしまう。
そして、私はここを追い出されると行き場を失ってしまう。
遠くへ行ってもなんとかなるなんて、夢物語だったのだ。
「王子はおいくつですか」
目の前の芳醇な香りの酒を飲みたいというと、ルリアンナが問いかける。
素直に17だと答えたら、変な声を上げて驚かれた。そんなに不思議だろうか。
そのうえ、酒は20歳になってからと取り上げられる。失礼な、私は明日で成人だぞ。
言い返せば、成長が止まると告げられた。別にこれ以上成長しなくてもさして支障はない。
それを証明するために立ち上がれば、ルリアンナは困ったように笑った。
そういえば、さっきから近づいてもルリアンナは顔色一つ変えない。演技も混ざっているだろうが、ほぼ女性は顔を赤らめていたので、とても新鮮だ。
「はいはい判りました」
その言い方が、弟をあやす乳母やメイドの口調と似ていて、なんだか悔しい。
ルリアンナは代わりの飲み物を差し出してきた。香りは酒と変わりはしない。反射的に飲もうと思ったが、体が受け付けなかった。
中身が見えない飲み物を、毒見もなく飲むの事に、体が拒否しているのだ。
ここで飲まなければ、無礼であろう。
けれど、体が動かず、変な脂汗が出てくる。
すると、何かを察したのか、ルリアンナは酒の入ったグラスに同じ飲み物を注ぎ、ぐっと飲み干す。
「気になるなら、最後の一口は残してください?」
気づかれた。
気持ちは疑っていないのに、体がすべてを疑ってしまっている。
申し訳なく頭を下げて飲み物を口に含めば、酸味がありまろやかな口当たり。
顔をほころばせて美味いといえば、ルリアンナも笑った。
何故何も聞かないのか、と問うと、沈殿物が見えないから仕方ないと返された。
もしかして、本当に私の求めた場所に、求めた者の所にたどり着けたのかもしれない。いるかもわからない神に、感謝したくなる。
今日までの苦しみが、全てルリアンナに逢う為の試練だったと思えば、つらさなど吹き飛ぶくらいだ。
それから、ルリアンナが配膳をする間、私は身の上を話した。何も言わず、ただ頷く。それだけでどれだけ救われるだろう。
配膳が終わった料理は、全て大皿に乗っていた。スープも自分で掬えという。食器も銀で、毒は見当たらない。私は、久々の暖かい料理をかみしめた。
「暖かい料理など、何年ぶりだろう」
そうつぶやくと、ルリアンナは明日は肉汁たっぷりのステーキにしようと提案した。
冷めて硬い肉しか食べた記憶がない私にとって、暖かい肉とはどんなものか。
もう、ここから、ルリアンナの傍から離れたくない。幸い魔法も使えるし、あらゆる困難から全力で貴女を守る。国からの追手が来ても、必ず守り抜く。
ルリアンナのためなら、私は王座すら奪うだろう。
王妃となれば、ルリアンナは喜ぶだろうか。こんな狭い部屋ではなく、多くの使用人に傅かれる。
どうか、どうか私を受け入れてほしい。
「貴女には、私の本当の名前を教えたい」
名づけた両親しか知りえない本名は、あらゆる契約に使われるため妻となる者にしか教えない。今思えば、本名を知られる前に婚約者の本性が知られてよかったと思う。
今はもう、ルリアンナにしか告げたくない。
ルリアンナになら、全てを差し出してもいい。
私の告白に、ルリアンナは笑って見せた。
「私は、エリクシール・リュミアス・ノースリーフ」
かすかに、ルリアンナが名前をつぶやいた気がした。その瞬間、体にゾクゾクしたものを感じる。
名で縛られる。名を縛られる。それが、こんなにも心地よいなど思わなかった。
期待を込めてルリアンナを見ると、ひどく険しい顔をしていた。
何を間違えた?
動揺していると、バカにしているのかと怒られる。
そんなことはない、名を名乗るのは、求婚だ。馬鹿にする要素などまったくない。
「そこまでだまくらかすとは失礼よ!」
「だましてなどいない!」
そこからは平行線だ。もしかして求婚の方法が違うのかもしれない。けれど、私はこれ以上に差し出すすべを持たなかった。
不機嫌になったルリアンナが私に敵意を向ける。
また、ダメだったのか。私は、誰にもそばにいてもらえないのか。
しばらく言い合いながら、私は次第に絶望する。苦しい、泣きそうだ。どうしたら私を受け入れてくれるのだろう。
そう思っていると、ルリアンナの口撃が止まった。
何かを考えているようだ。和らいだ空気に、一縷の希望を託す。
「ルリアンナ嬢も、信じてくれないのか?」
ルリアンナにまで拒否されたら、私はどこへ行けばいいのだろう。
どうか、どうか、信じてほしい。私は誠心誠意言葉にしている。
それからしばらく無音が続いた。考え込んだルリアンナは、私を見ることすらしない。
もう、ここにいることもできない。
暖かい料理は心も体も満たしてくれた。ルリアンナの笑顔と優しさは、活力を与えてくれた。
けれど、もうひと時の夢は終わったのだ。
これ以上何を言っても通じないのなら、迷惑になるばかりだ。私は、ふらつく体に鞭打つように立ち上がる。
それでも、ルリアンナは私を見ようとしない。
目の前がぐらぐらとする。
「待ちなさい」
ふらつく足を進めると、ルリアンナが私を呼び止めた。
こんなに迷惑をかけたのに、ルリアンナは私を心配している。
私もどうしていいかわからない。
素直に告げると、ルリアンナは私を子ども扱いした。確かに頼りないが、年下に子ども扱いされるほど情けなくはない。
成人していると声に出せば、ルリアンナが私を見上げた。
「ここに置いてやるっていいってるのよ!」
ルリアンナは、置いてくれる上にこの国の法やマナーなども教えると言ってくれた。その上で出ていくなら止めないと。
ルリアンナは自由をくれる。だが、私はもうルリアンナの傍から離れたくなかった。
そして、ルリアンナは「ルリアンナ」という名前が偽名だと告げ、シライミズホという本名を教えてくれた。ミズホと呼べと言われたので、シライが家名になるのだろう。
添い遂げてくれるのかと期待したが、即行求婚ではないと告げられる。
それでも、私は構わない。重ねて子ども扱いされる。
「ミズホこそ子供であろう? 15くらいじゃないか」
「残念、私は22歳です」
異国に、かなり年若く見える民族がいると聞いたことがあるが、まさかこういう事だったとは。
読めないが、成人しないと受けられない試験があり、その免許証を見せられる。つまり、ミズホも大人だ。
年上、という言葉に、初めての衝動が生まれる。折角名前の交換をしたのに、15くらいの子供相手では契ることは出来ないと思っていたからだ。
けれど、ミズホは成熟した大人の女性だ。
嫌がられないなら、全力で奪っても構わないだろう。
何かを奪う。自分にそんな感情があったことすらおかしい。今まで何も求めたことがないことが、反動のように私を突き動かす。
そんな感情を感じ取ったのか、ミズホは後ずさった。
後ずさっても、いていいと言ったからには逃がしはしない。
「ミズホ、私と添い遂げてほしい」
抱きしめて、耳にささやく。
ピクリとミズホが動いた。それすらも愛おしい。
もう二度と離れられないように契ってしまいたい。
「で……殿下?」
「エリクでいいよ。 むしろ、名前を呼んでほしい」
名乗り、呟かれた時の衝動が忘れられない。
「もう、思春期の中学生じゃないんだから」
やはり子ども扱いされている。けれど、頭を撫でる感触が心地よくて、つい甘えてしまいたくなる。
「なんだか、中学生というより大型犬を躾けてる気分」
子供でも犬でも構わない。この心地よい存在を抱きしめていられるなら何を言われてもいい。
そして、その後私はミズホと1夜を過ごした。
一言でまとめますと、「なにこの王子、重すぎる!!」です。
昨日上げた過去編を書いた直後に書いたんですが、感情がつられて重いままでいっちゃいました。
普段無欲な人が欲を持った時、反動がすごそうな気がします。