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光が照らす

作者: 牡丹

厚い、黒い雲がたちこめる。

さっきまで顔を覗かせていた太陽は完全に雲に隠されてしまった。


ーーまるで私の心をそのまま写したみたい。


光の無くなった部屋の中、灯りもつけず小さくうずくまりながら遠智は思う。

(私が居なくなったことをきっと皇子様は気づかないのでしょう。

だって、だって……。)

彼の傍には大海人様や…間人様がいらっしゃったんですから。

私と一緒にいるときには見たことのない、楽しそうな笑顔を浮かべて。

そこまで考えた所で苦しくなり、それ以上考えることを止めた。

……いや、止めようとした。

けれど一度考え出してしまったことは留まることを知らず、ポロポロと溢れ出してくる。

自分と一緒にいる時、皇子様はなぜ笑ってくれないのか。

どうして、目を合わせてもすぐに逸らしてしまうのか。


ーー答えなんてわかってるじゃないか。


心の奥から声がする。

そこにいるのは『不安』。

いつも押し込めてしまう声。

自分の中にいることを誰にも気づかれないように……自分でも忘れてしまうように。

そして、いつもニコニコと笑っていられるように。

そう思って隠したもの。

(あれ?

そもそもなんで隠そうとしたんでしょうか?)


ーー嫌われたくないからだよ。


嫌われたくないって……。

そんなことない、とは言い切れず苦笑をもらす。

もともと余り好かれているとは思えないのだ。

所詮、この結婚は政略結婚なのだから。

皇子様にとって、私はきっと世継ぎを残すためだけの存在。

そこには『好き』も『嫌い』も関係ない。

(それでも、私はあなたを一目見て恋に落ちてしまいました。

『好き』でなくてもいいので、せめて『嫌い』にはならないで欲しい……。

そう願ってしまうのは、私のわがままでしょうか。)

ころん、と床の上に転がる。

それから体ごと壁の方を向き、固く目をつむる。

目を開けてしまえば涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。

それでも眦から頬を伝い、涙が一粒流れる。

「皇子様、皇子様。

私はあなたの傍に居てもいいのですか?

あなたのことを好きでいてもいいのですか?」

その言葉は誰に聞かれるでもなく、暗闇に溶けて消えた。




そもそも遠智が部屋の中で一人うずくまっていたのは、数十分前の出来事が原因だった。


珍しく中大兄皇子の仕事が休みだった日。

その日の遠智は朝からわくわくしていた。

(今日は皇子様のお仕事がないので、いつもより長く一緒にいられるのでしょうか……?)

しかし、そんな気持ちを打ち砕いたのは中大兄皇子本人。

「もう少ししたら、間人と大海人が来る。」

「間人様と大海人様…ですか?」

「ああ。」

前々からお茶会なるものをしようと約束していたのだ。

何でもないような中大兄皇子の言葉を聞きながら、遠智は少し憂鬱になっていた。

「あの……。」

「なんだ?」

遠智は何かを言おうとするが、結局は「何でもないです」とだけ言葉にする。

中大兄皇子はそれに対し不思議そうに首を傾げたが、それ以上追及することはなかった。

準備があるからと、部屋を出ていく後ろ姿を見て気づかれないように、ため息をついた。

(言えない…ですよ。

折角のご兄弟とのお茶会に、私なんかが居てもいいかなんて……。)


それから始まったお茶会についつは言わずもがな。

中大兄皇子は間人や大海人と楽しそうに笑いあう。

いつも遠智といるときの固い表情が嘘のように。

時折間人が遠智に話しかけていたが、段々いづらくなってくる。

(やっぱり、私がここにいるのは場違いではないのでしょうか……。)

思ってしまえば、もうそこには居られなかった。

「間人様。」

「どうしたんですか、遠智さん?」

「すいません…少し疲れてしまったので、部屋に戻りますね。」

「……はい、わかりました。」

聡い義妹は何か気づいたのだろう。

詳しいことは聞かずにいてくれた。

遠智にはそれが泣きたくなるほど嬉しかった。




そして、遠智が居なくなってから数分後……。

「遠智?」

中大兄皇子は遠智がいないことに気がついた。

さっきまでは間人と話をしていたはずだが……。

そんなことを思いながら訊ねる。

「間人、遠智は……。」

「遠智さんなら、疲れたから先に部屋に戻ると言っていましたわ。」

「そうか。」

安堵したようにほっ、と息をつく。

気がついたら遠智がいなかったこと。

そのことに思ったよりも動揺していたらしいと、その時はじめて気づいた。

「お兄様、一ついいですか?」

「?」

間人が常にはないほどの固い声で訊ねてくる。

その様子はどこか緊張感を伴っていて、これからするのは重大な話だということを否応なしに伝えてきていた。

そして、曖昧な返事や、はぐらかすことができないということも。

「遠智さんのことなのですが…。」

「遠智の?」

「はい。

……お兄様は遠智さんに好きだと伝えたことがありますか?」

「……はい?」

たっぷりと間をとってから言われた言葉は、中大兄皇子の思考の斜め上を飛んでいった。

それを気にかけることもせず、間人は淡々と続ける。

「お兄様と一緒にいるときの遠智さんは辛そうです。

見ているだけで遠智さんがお兄様のことが好きだと伝わってくるのに、どこか遠慮をしています。

それが何に対してかまではわかりませんが……。」

間人はまるで自分のことのように胸を痛めながら言う。

同じ女性同士、何か思うところがあるのかもしれない。

中大兄皇子がそんなことを考えている間も、間人の声は止まない。

「お兄様がいつも私や大海人に言っているようなことを、遠智さんにも伝えてみては……。」

「……無理だ。」

「何故ですか!?」

「だって……。

だって、遠智がかわいすぎるんだ……!

遠智を前にすると、吾は何を言えばいいのかわからなくなる。」

その言葉を聞いた瞬間、間人は大きなため息をついた。

なんということでしょう。

頭の中にそんなフレーズが浮かぶ。

「普段は言ってるじゃないですか。」

それはもううるさいくらいに。

思わず出かけた言葉を飲み込む。

『間人!大海人!

聞いてくれ吾の思いを……!

遠智がかわいくて吾は幸せだっ!!』

『遠智が……!』

普段のあれやこれやを思いだし遠い目をしている所へ、中大兄皇子の声が耳に入ってきた。

「でも、吾遠智の前ではかっこいいままでいたい!

普段の……というか、お前らに言ってるみたいなこと言ったら、かっこよさの欠片もないじゃないか!」

「自覚はあるんですね、お兄様!?」

「う…うむ……。」

間人は、中大兄皇子に向ける自分の視線が段々剣呑になっていくのを感じた。

だからと言って何かをするわけでもなかったが…。

「遠智さんの所へ言ってください。」

「だが……。」

「愛想つかされても知りませんよ!」

「……それは嫌だ!!」

すまん間人ぉぉ。

走り去っていく中大兄皇子の言葉が尾をひいて消えていく。

それを見ながら間人は呆れたような声で呟いた。

「まったく…お兄様は本当に不器用なんですから……。」

「姉上ー!」

空気を読んでおとなしくしていたらしい大海人が話しかけてくる。

「兄上と何の話をしていたんですか?」

「んー……同性としてのアドバイス?」

もちろん遠智に関して。

しかし、どうやら大海人は間違って受け取ってしまったらしい。

「兄上が……兄上が実は姉上だったんですか!?」

「そういうことじゃないからね!?」


一方、遠智のもとに向かっていた中大兄皇子。

「遠智どこにいるんだ……?」

確か、部屋に戻ったと間人が言っていたはずだが……。

そんなことを思い出しながら、遠智の部屋へと足を進める。

歩みが遅くなっているのは、これから会う遠智に何と言うか悩んでいるからだ。

間人はいつも通りの吾でいいと言っていたが……。

いやしかし、あれではさすがにまずいのではないか!?

吾が普段どれほど顔がゆるみそうになるのを抑えて過ごしていると思っているのか……!

中大兄皇子が一人百面相をしながら歩いていても、目的地は近づいてゆく。

立ち止まれば周りに居るものから不思議そうな目を向けられるため、止まって考えることもできない。

そして、とうとう遠智の部屋の前までたどり着いてしまった。

「む……。

もう着いてしまったか。」

どうするかと迷っている時間はない。

大きく深呼吸をして覚悟を決める。

「遠智、ちょっといいか?」

…………。

返事はない。

「遠智?」

閉じられている扉をたたく。

……何も返ってこない。

中から反応がないことにいよいよ不安を覚えた中大兄皇子は、心の中で「すまん」と謝りながらも扉を開けた。

「……っ!?」

目に入ったのは倒れている(ように見える)遠智の姿。

急いで駆け寄り体を揺する。

「遠智!?」

「あれ…皇子様……?」

ゆるりと頭を振り、未だ半分夢の中にいる気持ちを覚まそうとする。

「ど、どうかしたのか?」

「いえ…少し眠ってしまっただけです。

すいません……。」

「それならよかった……。」

倒れている遠智を見て、心臓が止まるかと思った。

そんなことを思いながら、中大兄皇子は安堵のため息をつく。

そこで、ふと遠智の目元が赤いことに気がついた。

まるで今まで泣いていたような……。

「泣いて…いたのか?」

「っ!!」

ばっと手をあげて、目元を隠す。

その反応は、正にその通りだと言っているものだった。

「……何でもないんです。」

「何でもないわけないだろう……?」

遠智はなにも答えず、ふるふると首を振るだけ。

そこからは何も伝わってこない。

ただ、その瞳は何かを隠しているような沈んだ色をしていた。

その時、中大兄皇子は間人の言葉を思い出した。

『お兄様と一緒にいるときの遠智さんは辛そうです。』

「遠智……すまん!」

「え、皇子様……!?

どうかしたんですか?」

突然謝り出した中大兄皇子に、遠智は目を見開く。

おろおろしては「皇子様、皇子様」としきりに呼ぶが、中大兄皇子は謝ることをやめようとしない。

それどころか、頭までさげようとしている。

これには今まで以上に慌て出した。

「皇子様やめてください……!」

「いや……吾はお前に謝らねばならない。

だから、すまん。」

「え……ぇ……。

何故……ですか?」

眉を下げて困りきった顔で尋ねる。

そこに浮かぶのは困惑と疑問。

何故謝られているのか、微塵も理解していないようだった。

「吾には遠智に伝えなければいけないことがあった。

それを伝えられずに今まできてしまったのは、吾が恐れていたからだ。」

静かに話し出した中大兄皇子は、そこで一度言葉を切る。

常とは違うその様子に遠智は何も言うことができなかった。

中大兄皇子が次に口を開くまでの僅かな間。

その短い時間で遠智の頭の中を駆け巡ったのは、遠智にとって最悪の想像。

『わかっていると思うが、吾はお前のことが好きではない。

いや、はっきり言おう。

吾は……』


――お前のことが嫌いだ。


涙が一筋、柔らかな頬の上をつうっと流れ落ちた。

その涙は拭われることなく、地面へと染みを作っていく。

たかだか想像だと言われてしまえばそこまでだ。

けれど、想像だとしても遠智の心を抉るには充分すぎるもの。

泣きはらした目をさらに赤くさせ、ぽろぽろとこぼれた涙を止めることはできなかった。

……ただただ地面への染みを増やしていくだけだった。

「今さらだが吾の話を聞いてくれる……っ!?」

再び話始めた中大兄皇子が見たのは、こぼれる涙を拭おうともせず、うつむいて静かに泣いている遠智だった。

「お……ち…の……?」

予想さえしていなかった光景に対して掠れた声しか出てこない。

どうして泣いているのか、その見当をつけることもできなかった。

なんとか泣き止ませようと近づいた時、遠智の口から聞こえてきた途切れ途切れの小さな声。

その声を聞き取ろうと中大兄皇子は耳をすました。

「ご…めんな……さい。

どうか…どうか嫌い……には…なら…ないで……ください…皇子様……。

……せめ…て、好きでいること…許して……ください。」

遠智の言葉を聞いた中大兄皇子は驚きで目を見開いた。

嫌いになる?

好きでいることだけは許してほしい?

何を言っているんだ…?

吾が遠智を嫌うことなどあり得ないのに。

遠智が吾を好いてくれていることに嬉しさを感じても、迷惑に思うことなんてないのに。

そこまで思ってから、中大兄皇子は漸く理解した。

間人が言っていた言葉の意味を。

(遠智が吾と共に居るときに辛いと言っていたのはこのことか……。

これは吾のせいだ。

吾のわがままが遠智を傷つけてしまっていたのだ。)

中大兄皇子は過去の自分に一言言いたくなった。

曰く「愛する人をちゃんと見ろ」と。

しかし、今になってから後悔してもどうにもならない。

何かを変えることができるのは今だけだ。

「遠智。」

名前を呼ぶと遠智は弱々しく顔を上げる。

中大兄皇子の目には、止まることのない涙が痛々しく映った。

腕を伸ばし、遠智をふわりと抱きしめる。

そして、未だに涙を流し続ける眦にそっと口づけをした。

「み、皇子様!?」

「なあ遠智。

吾はお前が好きだよ。」

「っ!!」

驚きで固まるその姿は、「信じられない」と言っているようで……。

中大兄皇子は少しでも自分の気持ちが伝わればいい、とさっきよりも強く抱きしめた。

そして、自らの腕の中に遠智をすっぽりと納めてから続ける。

「吾は、遠智を愛してる。

だから何があっても遠智を嫌うことはない。」

「そんなこと……。」

「ない、なんて言わないでくれ。

好いている人からもらう拒絶ほど辛いものはないんだ……。」

挟もうとした言葉も封じられ、さらに畳み掛けられる言葉は遠智がいままで予想だにしていないものばかりだった。

そしてもう一押しと言うように、中大兄皇子は遠智の耳元でささやいた。

「……遠智が吾を好きでいてくれること、とても嬉しく思う。」

気がつくと遠智の涙は止まっている。

口からは、これまで出すことのできなかった言葉がするりとこぼれ落ちた。

「皇子様……好きです……。

私も、皇子様のこと……。」



……空には、いつの間にか顔を出した太陽が輝いている。

黒い雲はもう見えない。

窓から入ってきた光は部屋の中を……二人を柔らかく照らし出していた。

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