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09. ふりむけば薔薇

   ◆◆◆


 時刻は四時を少しまわったところ。

 薔薇を見に行きたい気持ちを無理やり抑えこんだ俺は、寄り道をすることもなく家路を急いでいた。


「どこ行くの?」

 大通りに面した信号で立ち止まると、背後から声がした。

 どこのナンパ男だよ! と思わず突っ込みたくなるような、やけに軽い口調。

 当然ながら俺は聞こえないふりをする。

 なんとも白々しい沈黙が流れる。

「ねえ、聞いてる?」

 振り返るまでもない。相手が誰なのか、わかりきっていた。無視だ無視! 俺は心中でそう唱える。

 信号が青に変わったとたん、俺は脇目もふらず歩き出した。

 この道をまっすぐ百メートルほど進むと、右手に広々とした公園が見渡せる。

 ビルの谷間に四角く切り取られ、遊具だけが並べられた都会の殺風景な公園ではない。それとは正反対の、緑の樹木がおいしげる広々とした公園だ。

 公園の東側には桜並木が続いていて、鳩や雀が羽を休めている。その手前には錦鯉が群れ泳ぐひょうたん池。アーチを描く小規模な赤い橋が、人工の池に彩りを添えている。

 その奥にはグラウンドにテニスコート、小規模ながらアスレチックやバーベキュー用のスペースまでまであった。

 ここは毎日の通学で通る場所で、ここを突っ切るとかなりの近道になるのだ。

 いつもなら歩く速度をゆるめて景観を楽しむところだが、今日はとてもじゃないけど、そんな気分にはなれなかった。

 そりゃそうだろう、背後からなんともいえない圧力をかけられているのだから。

 脇目もふらず、俺は進んだ。

 週末には弁当持参の家族連でにぎわう広々とした芝生を踏みしめ、なおも歩き続ける。俺の住む郊外の街には、こんな公園がいくつもあった。

 そして同時に、このあいだ俺が逃げ込んだ公園でもある。

 瀬野の自宅と知らず、覗き見をしていたところをバッチリ押さえられ記憶は、いまも脳裏にこびりついている。


「そっちじゃないよ。もしかして場所忘れちゃった?」

 また、なんとも微妙なタイミングで声がかけられる。

 ふと右手に目をやれば、あの日、頭を抱えてぐったりと座り込んたベンチがこれみよがしに鎮座していた。

 かたくなに口を閉ざしたまま、俺は足を速める。

「なんだって、そんなに急いでるのかな?」

 つかず離れず、足音が俺の後ろを着いてくる。

 そのしつこさといったら昔話に登場する山姥やまんばもまっさおだろう。

 まあ、公園で襲いかかってくることはないだろうが、それでも邪魔なことに変わりはない。


「そこだよ。そこの角」

 公園を抜けた所で、背後から指示される。

 答える代わりに、ますます歩く速度をあげることで、俺は意志を表明した。

「……いまの角を右に曲がれば早かったのに。まあいいや、多少遠くなるけど、もうひとつ向こうの角でも……」

 なれなれしくも、そんなことを言っている。

 俺は歩き続けた。無言のまま、ずんずん歩いた。

「のぞむ……ねえ……聞いている? のぞむ」

 おまけにまた名前で呼んでいる。それも連呼だ。

 名字で呼べと数え切れないほど言ったはずなのに、いっこうに直る気配はなかった。

「ちょっと待ってよ。ねえ……」

 意地でも止まるつもりはない。

 俺のスピードは速まるばかりだ。いまや競歩といっても過言ではい。

「のぞむ! のぞむってば!」

 呼び声が背後から追いかけてくる。悔しいかな、瀬野は息一つ乱していなかった。

 身長の開きは、そのまま歩幅にも影響する。面白くもないことだが、体格の差が敵を有利にしている。

 俺が必死の面持ちになって大股で歩こうが、むしろ小走りになろうが、互いの距離に変化はない。これっぽっちも見られない。逆にこっちの体力ゲージが落ちる一方だった。

 ああくそ! 体格どころか基礎体力まで負けている。完敗だ。


「のぞみ!」

「だれがのぞみだこら!」

 ぴたり、とその場で静止して、次の瞬間、ばっと振り向いた。

 この俺が唯一、瀬野に勝てるものがある。

「のぞみじゃない! 俺の名前は、の、ぞ、む! わざとらしく間違えるんじゃねえ!」

 怒声がこだまする。

 この距離だと振り仰がないと相手の顔が見えないというのが若干なさけないけど、そんなものは大声と気迫でカバーだ。

 しかし、なんだってこいつは、にこにこしているんだ?

「ほら、ちゃんと聞こえてた」

 得意げに瀬野が言った。

 わかっていたさ。負けているのは体力だけじゃない。

 身長だって歩幅だって体格だって……しかし、こいつはなんだって、こんなに悪知恵が働くんだろう。

 それとも俺が単純なだけだろうか。




 山姥やまんばとはしつこいものと相場が決まっている。俺が瀬野の招待に応じたのは、ひとえにそれが理由に他ならない。

 つまり簡単にいうと、瀬野は決して諦めず、どこまでも俺の後を着いてきかねない、ということだった。


 不本意きわまりないが俺の方で譲歩しなければ、最終的には、逆にやつを俺の自宅に招くことになりかねない。

 いかにも優等生タイプで、ものごしもやわらかく、おまけに礼儀正しい。

 外面だけだと、俺はとっくに見破っていたが、それは俺だけで、他のクラスメイトはいまだ瀬野の正体に気づいていないらしかった。

 人のいい母や、世間ずれしていない妹の晶など、あっさり騙されるだろう。

 玄関先に瀬野を連れていこうものなら「素敵なお友達を連れてきたわ」と即座に家に招き入れ、大喜びでもてなすに決まっている。

 それだけは、なんとしても阻止しなくては!


「さ、三十分だけだからな!」

「もちろん、すぐに帰ってもかまわない。できれば、じっくり見て欲しいとは思うけどね。でも、君の好きにしたらいいよ」

 どこまでもさわやかな笑顔を、逆に胡散臭いと感じるのは俺だけだろうか?

 けど瀬野って親切なようでいて、妙に強引なんだ。

 なんていったらいいのだろう。

 決して強引ではない。強要されているわけでもない。

 けれど、気づいたときには瀬野の思惑にはまっている。うん。まさにそんな感じなのだ。

「そ、それから二度と、のぞみとは呼ばないって約束しろ」

 厳しい口調で言う。

 けれど、自分でも負けおしみっぽく聞こえる。なんだろうな、これ。

「わかったよ。もうわざと間違えたりしない……これでいい?」

 俺はしぶしぶ頷いた。


 そして、この後、俺はとんでもない事態に遭遇することになるのだ。

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