08. お誘い? いいえ牽制です
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瀬野孝明は目立つ存在だ。
背は高いし、顔だっていい。オーラっていうの? ただ普通に立っているだけで、自然と周囲の視線を浴びている。
不本意ながら、この俺でさえ気づくと目で追っているくらいだ。
ことわっておくが、見とれているとか、そういうことではない。ただ、無意識に眺めていることがあるってだけだ。
だって仕方がないだろ。こうなれたらいいな、って理想の姿が目の前にあるのだ。
もちろん俺の話じゃない。一般的な見解としての理想だ。ようするに誰もが憧れる、ってこと。
ここだけの話、ぞくぞくと超人気アイドルを派出している某有名タレント事務所に在籍していたとしても不思議じゃない気がする。
もしも勝手に履歴書を送ったら、ある日突然、ジャニーさん本人から「you来ちゃいなよ~!」とでも電話が掛かって来そうで怖いくらいだ。
「……!」
そんなことを考えていたからか、本人と視線がかち合った。
窓際に立って友人と談笑していた瀬野は、俺の視線に気づいたのか、わざとらしい微笑を浮かべた。
ふ、ふざけやがって! もちろん無視だ。無視に決まっている。
俺はふん、と明後日の方を向いた。
友人へといったんは目を戻した瀬野だったが、その相手と二~三言葉を交わすと、あらためて俺の方へと向き直った。
どうして気づいたかって?
そんなもん、こっそり横目で見ていたからに決まっているだろう。人間の性っていうの? 嫌いなやつの行動ほど気になるものなんだよ。誰にだって覚えがあるはずだ。
なんて悠長にかまえている場合じゃない。
うお!? こっちに来る!
俺は反射的に逃げ場を求め、周囲に視線を走らせた。
やめろよ。噂からこっち、たたでさえ周囲の様子がおかしいんだからさ。ほんと勘弁してくれ。だから、こっち来んな!
俺はひっそりと、平穏な高校生活を送りたいんだよ。
そんな願いもむなしく、瀬野は俺の前へとやってきた。
はた迷惑としかいいようがない。
親しげな笑みまで浮かべた瀬野は、開口一番あの忌むべき言葉を口にしたのだ。
「今日、家に遊びに来ない? 君にぜひとも見せたい薔薇が――」
「わあああぁぁぁああ!」
俺はとっさに声をはりあげた。
条件反射といってもいい。顔が火照ってくるのが自分で感じられる。
「どうかしたの?」
「は、恥ずかしいだろうが!」
大声を出したせいか、周囲の視線を浴びまくっている。けど、それどころじゃない。
「恥ずかしいって、なにをいまさら」
不思議そうに首をかしげる。
「なにがいまさらだ。妙な噂がたってるんだぞ」
「ああ、そのことね……」
なにが可笑しいのか、瀬野がくすくす笑う。
「もう広がってしまった噂のことなんて、気にしても仕方がないと思うよ。それよりも、理解してくれる友達を大切にした方がいい。その方がよほど建設的だろ」
たしかに一理ある。けれど、しょせんは他人事ってやつだ。俺はムッとして反論した。
「噂になっていようがなかろうが関係ない。とにかく俺は嫌なの。ひっそりと暮らしたいんだよ!」
「君って意外にシャイなんだね」
なにがシャイだ。馬鹿じゃねーの!
「うるさい! こんなことになったのも全部おまえのせいだからな」
おまえみたく目立ちまくるやつといるだけで、こっちまで巻き添えになるんだ。いい迷惑なんだよ。
薔薇好きが噂になるのも困るけど、いもづる式に他人の庭をのぞき見する悪癖までバレたらシャレにもならない。そうなったら変人どころか変態決定じゃないか。
「薔薇……じゃない、このあいだの図書室でのことは口外禁止だ。わかったな?」
ビシッと指を突きつけ、高らかに宣言する。
瀬野がうなずいた。どこか意味深な雰囲気を匂わせて。
「君がそう言うなら」
その言い方が、なんだかむかついた。
そうしてあげるよとでも言いたげな、上から目線。冗談じゃない。
それに気のせいだろうか。俺と話しているはずなのに、視線は微妙に俺から外れている。
というか、俺のななめ後ろを見ている気がする。いや、絶対に見てる。まちがいない。
つられるようにして俺は振り向いた。
すると、少し離れた席からこっちを見ている奴と目があった。
たまたま用事があって来ていたんだろう。
見覚えのない顔。そいつは同じクラスのやつじゃなかった。俺と瀬野の会話に聞き耳を立てていたらしい、ばつが悪くなったのか慌てて目をそらした。
それを待っていたかのような絶妙なタイミングで瀬野が口を開く。
「悪かったよ。そんなに嫌ならもう無理強いはしないから……ね?」
いつのまにか教室は静かになっていて、その声はやけに大きくあたりにこだました。
なぜだかはわからない。けれども、ふいに、このあいだの図書室での苛立ちがよみがえってきた。
「だから、おかしな言い方――」
文句をつけようとする俺を手で制し、瀬野は身を乗り出してきた。心持ち声をひそめ、いや、むしろ耳打ちするように顔を寄せてくる。
「でも今日が一番の見頃なんだ。明日には天候がまた崩れるっていうし、もったいないよ。たぶん今日を逃したら、来年まで待つはめになると思うんだ」
くそ、なんてやつだ! 的確に俺の弱点をついてきやがる……。
俺はぐらぐらと揺れていた。
一年に一度の、この季節。
それも数日のあいだしか見ることの叶わないオールドローズ。その繊細な花びらと芳醇な香りを想像するだけで、よだれが出そうになってくる。
「おいでよ」
瀬野が言う。
この世に、これほどまでに甘い誘いがあるだろうか。少なくとも俺にとってはそうだった。
「……ぁ……お、俺ッ……」
季節ごとの温度差が激しく頻繁に台風にみまわれる日本は、実をいうと薔薇の栽培には向いていない。
薔薇の季節は同時に台風の季節でもあり、丹精こめて育てた花は、たった一度の暴風雨に晒されただけで台無しになる。
「べつに恥ずかしがることじゃないだろ」
瀬野の手が、俺の肩に触れてくる。
「……行き……たい」
どうするべきか。行きたくないと言ったら、むろん嘘になる。思いは千々に乱れるばかりだ。
けれど、
「だめだ! これ以上、お、俺を……誘惑するなッ」
けど瀬野には悪いけど、できれば距離を置きたいんだ。
「相原……おい、相原ってば」
しん、と静まりかえった室内にその声はやけに大きく響いた。
あれ? もしかして注目を浴びている?
まあ、さっきあれだけ大声を出したんだし、当たり前といえば当たり前か。
「お客さんが来てるぞ」
声の主は伊勢崎だった。教室の後のドアの所に立って、こっちに合図をよこしている。
「いまいく」
言うなり、俺は早足で伊勢崎の方へと歩み寄る。
「どうかした?」
教室のドアに向かいながら、俺は尋ねた。
すると伊勢崎の背中の向こう側から、妹の晶がぴょこんと顔を覗かせた。
伊勢崎のでかい図体の陰に隠れて、こっち側からは見えなかったらしい。でかいっていいよな。俺には絶対にありえない光景だ。
「お兄ちゃん」
目の前にグリーンの手提げ袋が差し出される。
「はい、お弁当。せっかくママが作ってくれたんだから忘れちゃだめでしょ」
「あ、悪い、すっかり忘れてた」
「缶ジュースで許してあげる」
晶はにっこり微笑むと、コーヒーじゃなくミルクティーにしてね、と付け加えた。
そして、もう用はないとばかりに背を向ける。
「ありがとな!」
染めてもいないのにハニーブラウンの髪がふわふわと揺れている。細い首筋、華奢な肩。
紺色ブレザーから覗く、青とグレーのチェック柄、ひらりとプリーツスカートの裾をひるがえして歩み去る晶に手を振って、その後ろ姿を眺めやる。
兄の俺が言うのもなんだけど、
「……可愛いなあ」
うんうん。ふんわりしてて、女の子ってほんといいよなぁ……って、え?
俺の隣で棒立ちになったまま、伊勢崎がぽつりと呟いた。