07. 男の趣味? 男が趣味?
のぞむ、という名前の嫌なところは、大抵の人間が「のぞみ」と読み違えるところにある。
何回訂正しても直らない。まあ確かに普通は「のぞみ」と読むだろう。
けど前の学校では「のぞみちゃん」なんて呼ぶやつもいて――たとえ悪気がないとしても――俺はそれが嫌で仕方なかった。
「ごろう、っていい名前だよな。なんかこう、男っぽくてさ」
伊勢崎吾郎――記念すべき転校一人目の、新しくできたばかりの友人だ。
座席が隣同士ということもあって、転校して最初に俺が話をした相手は、瀬野をのぞけばこの伊勢崎だった。
名は体をあらわす、なんて言葉があるけれど、伊勢崎はまさにその見本といってもいい。
背も高いし、体つきもがっしりしている。まあ、イケメンとまではいかない。
けれど女子の黄色い囲まれることはないにせよ、いつのまにか、ちゃっかり可愛い彼女ができているタイプだ。目立たないようでいて、実は一番おいしいパターンってやつ。
瀬野? むろん却下にきまっている。
それになんとなく得体の知れない瀬野とは違い、明るくてひとなつこい伊勢崎は何でもしゃべりやすく、気も合いそうだった。
うん。伊勢崎となら、きっといい友達になれる。そんな予感がする。
「あーあ、俺なんか望だぜ。もっと普通の名前がよかったよ」
しかし伊勢崎といい瀬野といい、俺の周りにはなんだってこうデカい男ばかりが集まるのだろう。
俺なんか、身長順に並ぶと前から三番目だぜ? まあ、一番前よりはマシだけど。
「俺の名前だって、そんなにいいものじゃないよ」
伊勢崎の言葉に俺は口をとがらせた。
「吾郎なんて、ぜんぜん普通だろ」
俺は腕時計に目をやると、机の上に筆記用具をひろげた。次の授業まではあと五分しかない。
「母親がとあるアイドルグループの熱烈なファンでさ」
「オッカケってやつ? すげーなぁ……けど俺も、どうせならマサハルとかモコミチがよかったよ。いや、モコミチは普通とはいえないから、あんまり良くはないか」
伊勢崎が苦笑する。
「吾郎っていうのは、そのメンバーのひとりと同じ名前なんだよ」
「そ、そうなのか。お互いに、いろいろあるよな」
タクヤでもシンゴでもないところに、伊勢崎母の本気を見た。ような気がする……。
命名される方は、まさに勘弁してくれ、だろうけど。
まあ理由を知らないかぎりは普通の名前だから、望よりはマシな気もするけれど。
俺は気をとりなおそうと、シャーペンを手に取ってカチカチとやってみた。芯はでない。
「まあね……ところで相原ってさ」
上下に軽く振って芯の残量をはかる。やはり残っていないようで、音はしなかった。
「なに?」
「相原と瀬野って、なんていうか、ずいぶん仲がいいだろ……」
なにか言いたいことがあるらしい。それとも尋ねたいことか?
「どうしたんだよ、急に」
そう尋ねると、伊勢崎はちょっと困ったような顔をした。
「その……よく話しているからさ」
「同じクラスなんだ、そりゃあ挨拶のひとつくらいはするよ」
「そういうことじゃなくて」
居心地が悪そうに、伊勢崎は手で後頭部をがりがりとかいた。
「立ち入ったことを聞いて悪いんだけど……あ、嫌なら答えなくてもいいから」
「いいから言ってみろよ」
「じつは昔からの知り合いだったりする? 塾が同じとか、幼馴染みとかさ」
「いや、無関係だよ。塾通いもしていない」
さも言いにくそうに伊勢崎が言う。
「じゃあさ、この何日かで、その……急接近したってこと?」
ぽきり――力を込めたつもりはなかったのに、補充するはずの新しいシャーペンの芯が折れてしまった。
「急接近もなにも、べつに仲がいいわけじゃないよ。このまえ学校の外で、偶然に会って少し話をしただけだ」
「でもさっきも話していたみたいだし、ものすごく、その、仲がいいのかと……」
瀬野に対する俺の態度を伊勢崎は目にしているはずなのに、どうやったらそんな突拍子もない考えが浮かんでくるのだろう。
俺は思いっきり訂正した。
「だから、仲よくなんかないって」
伊勢崎には悪気はないようだったが、俺にとってみれば嬉しくもなんともなかった。
むしろ悪意のない無邪気さで、とどめとばかりに伊勢崎は言った。
「このあいだ、瀬野と二人で図書室にこもってただろ。あそこは本館から離れていて、いろいろと都合がいいんだ……意味わかる?」
「う、うん」
もちろんわかっている。
屋上や体育館の裏などは、昔から不良のたまり場と相場が決まっている。もちろん生徒がめったに立ち入らない図書室もだ。おまけに内鍵までかかる。
そう思うと、タバコ臭かったような気がしないでもない。俺は吸わないけどさ。
「……あ、だからどうってことじゃないよ。趣味は人それぞれだし、そうだとしても相原のこと変な目で見たりしないからさ」
「趣味だって!?」
げぇ! 断末魔の悲鳴のような声が喉からもれる。やっぱりバレていたのか。
「も、もしかして瀬野から何か聞いているとか?」
あせる俺の言葉をさえぎって、伊勢崎は首を横に振った。
「瀬野はベラベラしゃべったりしないよ。ただ俺の他にも見てたやつが何人かいたみたいで、その……噂にはなってるけど。相原は遊びってわけじゃあないんだろ」
「もちろん真剣だ!」
俺は大声で断言した。
遊びで薔薇栽培ができるか! 心の中だけでそう付け加えながら。
けどさ、これでも命かけてるんだ。って、ちょっと大げさだけど。
「そ、そうか。うん。そうだよな、変なこと聞いてごめん」
反射的に立ち上がって、なおかつこぶしをにぎりしめ力説する俺に恐れをなしたのか、伊勢崎はしどろもどろになって頷くばかりだ。
「いや、謝ることないよ。その……趣味については恥ずかしながら、本当のことだしさ」
周囲の視線を浴びていることに気づき、顔が火照ってくる。
ああ俺、またやっちまったよ。
薔薇のことになるとこう、理性が吹き飛んちゃうんだ。
前の学校ではこのせいで女子には変にきゃーきゃー言われるし、男どもには遠巻きにされるしで、さんざんだったんだ。
「多少の偏見はまあ仕方ないけど、誰にでも多かれ少なかれ秘密はあるしさ」
がっくりとうなだれる俺の姿に哀れみを覚えたのだろう、伊勢崎にはげまされる。
「実際、他にもいるんだ……だから、そんなに気にするなって」
え? そうなのか?
驚いて顔を上げると、伊勢崎の笑顔と視線がぶつかった。
前の学校では薔薇好き男は俺だけだったけど、このへんは違うってことか?
そういえば、と思い至る。
新しく越してきた家は郊外に分譲された新築一戸建てのひとつで、それほど広くはないがちゃんと庭もあった。
隣近所を見まわせば青々とした芝生が普通に敷かれ、庭先ではスミレやデージー、バーベナといった草花が色とりどりの花を咲かせている。
ようするに以前いた都心のマンションとは住宅事情が違うのだ。
そりゃあ、ガーデニング人口も都会と比較にならないだろう。とくに場所をとる薔薇の栽培とあっては。
なにしろこっちは花屋の規模もけた違いなのだから。
「安心しろって! ほんとに相原が気に病むほど珍しい話じゃないからさ」
たしかにそうだ。他にもいても不思議じゃない。
なにしろ今はガーデニングブームだし、テレビでは男性タレントの料理番組が人気を博している。
ガーデニングを扱った雑誌だって、毎月たくさんの種類が発売されている。
それに、つねづね思っていたけど、ガーデニングって優雅に見えて、実際には力仕事がほとんどなんだ。
「瀬野は人気があるし、今までそんなそぶりも見せなかったからさ。でもあいつは吹聴するような奴じゃないから大丈夫だよ。俺も、これ以上さわぎたてる奴がいたらやめるように言う。だから気を落とすなって」
「う、うん」
伊勢崎は俺の肩を叩き、付け加える。
「俺はお前達を応援する」
お前っていい奴だな、伊勢崎。
最後の一言がいまいち意味わかんないけど、とにかくお前はいい奴だよ。
「心強いよ、ありがとな」
ガラにも無く俺は感動を覚え、胸が熱くなった。
このとき、まだ俺は知らなかったのだ。
噂がどれほどの速度で広がっているか。
そして校内を飛び交っている噂の真相と、その相手――瀬野の真意とを。