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16. 薔薇のようだ、と君は言った


 妹にもよく言われるが、俺はそそっかしい。

 つい思い込みで先走って、後になってから後悔することも珍しくない。

 そのせいか「裏表がない」なんて好意的に解釈されることもあるけれど、別にそういうわけじゃない。思ったことがすぐ顔に出てしまうから、隠しごとをしてもすぐにバレるだけのことだ。

「……相原?」

 俺の様子がおかしいのに気づいたのか、不思議そうな顔をする。伊勢崎が心持ち身を乗り出してきた。

「どうしたんだ?」

「え、ああ……晶だろ? 見てないな」

 俺はあわてて首をふった。

 伊勢崎としゃべりつつも、俺が注目しているのは、その斜め後ろだった。

 俺たちから少し離れた所に立っている、一組の男女。

 瀬野と晶は俺の視線に気づくようすもない。観葉植物が飾られた木製の棚のすぐ横で、向かい合って、なにやら親密に話し込んでいる。

「いや、なんでもないよ。晶のことだから、その辺で……雑貨でも見ているんじゃないか」

 友人に嘘をついている後ろめたさに、声がうわずった。俺は咳払いをして、その場をどうにかごまかした。

 再び瀬野と晶がいた方に視線を戻す。話が終わったらしい。瀬野と晶はその場所から離れようとしていた。

 時間にしたら、ほんの二~三分の短いあいだのことだ。

 けど、お互い背を向けて、別々の方向へと歩み去る二人はどう贔屓目に考えても不自然で、それがよけいに意味深に思えた。

 


   ◆◆◆


 皆で薔薇のフレーバーのアイスを堪能した後、俺たちは大急ぎで店内を見てまわった。

 メダカや水性植物、楽しみにしていたビオトープをひとつづつ眺めて、数種類ある水鉢を実際に手に取って確認した。ここに展示されていない物も取り寄せしてくれるとのことで、何冊かの薔薇やガーデニングのパンフレットをもらい俺たちは帰路についた。

 胸にもやもやしたものを感じつつも、俺はどうにか平常心を装っていた。

 気分は一気に急降下していた。

 物陰に隠れるようにして話しをする瀬野と晶、あの意味深な一幕を目撃してからこっち、なにもかもがつまらないものに感じられた。

 自分でもどうかしているな、と思う。けれどもいったん落ち込んだ気分は、自分でもどうにもならなかった。

 たくさん買い物をするつもりで軍資金までもらってきていたのに、それすらどうでもよくなっていた。

 帰りの電車は空いていて、皆が座席に座ることができた。

 さんざんに歩き回ったために俺を含めて全員が疲労し、無口になっていた。

 晶とアイスバーグちゃんは互いの肩に頭をもたせかけうとうととしている。

 瀬野は無言のまま、窓の外を流れ去る景色に目をやっていた。

 なにもしらない伊勢崎は、ときどき思い出したようにグリーンアイスが入った白いビニールを見下ろしては、なかを覗いている。

 そして俺は、もらったばかりのパンフレットを膝のうえに広げていた。記事に熱中しているふりをしていたけれど、それは形だけのことだった。実際には何も見てはおらず、また頭にも入ってこなかった。

 何度目かのため息をついては手元に視線を戻し、意味なくパンフレットをぱらりとめくる。綺麗な薔薇の写真、またため息が出た。




 それは自宅がある駅のひとつ手前に来たときのことだった。

 ようやく俺は、ひとつの文字に目をとめた。

「薔薇の迷路?」

 園内の案内図の片隅に印字された単語を、信じられない思いで凝視する。

 どうかした? と目を向けてくる瀬野に俺は尋ねた。

「なあ、あの薔薇園って昔、迷路があったのか?」

「うん。十年くらい前にとりこわされたけどね」

 本当はもっと広かったが、十年前に区画調整があって、薔薇園の南側の土地を大幅にけずられたらしい。そのときに薔薇の迷路も封鎖され、いまは跡地が少しだけ残っているという。

「ニュー・ドーンがあった煉瓦の壁を覚えている?」

 俺は頷いた。くすんだ色合いのオレンジの石壁。そこをはいあがるようにして枝を伸ばしているのは、青々とした葉を茂らせたつる薔薇だ。春にはピンクの花が咲くはずの。

「あの壁の裏手から先が、ずっと迷路になっていたんだ。いまは半分以上が取り壊されてイングリッシュローズのコーナーになっているけどね」

「あそこがそうだったのか?」

 関東の、それも都心近くにそうそう薔薇園などない。ましてや薔薇の迷路を所有する場所など。

 すぐ近くまで来ていたんだ。

 けど、あまりに様変わりしていて、気がつかなかった。

「なんで気づかなかったんだろ……子供のころ何度も行ったはずなのに」

 けれど夢のなかのことのように記憶はあいまいで、実際には覚えていることの方が少なかった。どこまでもつづくかに思えた緑の迷路と、その奥にひっそりとたたずむ花園に咲き乱れる、白い薔薇。

 最初の青――あの言葉は、どういう意味なのか。いや、それよりもどこで耳にしたのだろう。

 いまさらながら悔やまれる。

 薔薇園の入場口を通ったとき、なぜパンフレットを隅々まで確認しなかったのだろう。

 けれどあのときは手元の紙切れよりも、目の前に鮮やかに広がる色彩に目をうばわれ、それどころではなかったのだ。

「まだ幼稚園に入る前の小さい頃だったから、あんまり覚えていないけど……俺、どこかの薔薇の迷路で迷子になったことがあるんだ」

「そういえば東武線沿いに住んでいたことがあるって言っていたよね」

 瀬野の問いに俺はうなずいた。

「うん。たぶん家の近所だったと思う。薔薇園には何度か行った覚えがあるんだ」



   ◆◆◆ 


「ええ、そうよ。覚えてない? 二人がまだ幼稚園に入園するまえ。駅の反対側に大きな薔薇園があって、平日の昼間にママとあなたたち二人で、ときどき行ったじゃないの」

 帰宅して母に尋ねると、驚くほどあっさりと答えが返ってきた。

 やはり、あの薔薇園だったらしい。

 けど、どう考えたって、そうだよな。薔薇の迷路なんてそうそうあるもんじゃないし、おなじ東武線沿いなんだから。

「そこの薔薇園でさ、俺……迷子になった?」

「なった、なった! ……そういえば、そんなこともあったのよね、懐かしいわ」

 カウンターキッチンの向こう側で母が言う。

 鼻歌まじりにジャガイモの新芽を包丁で外しているのを察するに、どうやら今夜はカレーライスらしい。昼ごはんに引き続きだけど、カレーは俺も晶も大好きなメニューだから問題はない。

 そろそろ夜の八時を過ぎようとしていた。今日はほぼ一日中歩きまわったから、お腹がぺこぺこだった。夕飯まではあと数分といったところ。営業マンの父は会社の付き合いで休みを返上し、朝から接待ゴルフに行っていた。


「お兄ちゃんが迷子? そんなことあったんだ。あたし全然覚えてないなあ」

 目の前のテーブルに、氷がたっぷり入ったグラスと徳用サイズのコーラが置かれる。

「お、サンキュー」

「自分でいれてね」

「晶も望ちゃんも、まだ小さかったもんね」

「ちゃん付けはやめてよ」

 そもそもなんで俺だけちゃん付けなんだ。普通は娘がいるんだから、そっちに付けるだろ? 意味がわからない。

 そう抗議すると、母と晶はそろって「男の子なんだから細かいことは気にしない」とハモられた。

 文句をつけようとして、あきらめた。

 女二人にタッグを組まれては、とうてい勝ち目がないからだ。なにしろ今までにさんざん実証済みだしな。

「夏の終わりだったんじゃないかしら……薔薇園を見てまわっていたら、いつのまにかいなくなって、誘拐でもされちゃったのかってママ心配で心配で……望ちゃん可愛いから……園内放送で呼び出されたときはもう、どんなにほっとしたか知れないわ」

「園内放送?」

「そうよー、ママがすごく心配したっていうのに、望ちゃんったら園内の事務所でアイスをごちそうになってご機嫌だったのよ。ちゃっかりご近所のお宅に上がり込んでいたって聞いて、ママびっくりしちゃったわよ」

「近所の家? 薔薇の迷路で迷子になったはずだけど」

「違うわよ。ひとりで薔薇園の外に出ちゃってたのよ。泣きべそをかいているところを保護されたんだから」

 晶が呆れたように言う。

「お兄ちゃんらしいなあ」

「どこがだ」

 そもそも幼児がひとりで外に出られるものだろうか。ひとつしかない出入り口には、今日だってちゃんと係員がいて来園者に目を光らせていた。

 でも子供なんて狭い場所を発見したら反射的に潜り込むから、絶対にないとは言い切れないか。俺だっていつだったか橋の欄干に頭を突っ込んで、どうにも抜けなくなったことがあったしな。あのときは幼心に一生橋の上で暮らすことになるのだ、と本気で絶望したんだっけ。

「望ちゃんって、可愛い顔のわりに元気がいっぱいで少しもじっとしていられなかったものねえ」

 はあ、とため息をつく母に、晶が肩をすくめる。

「ほんと、お兄ちゃんが手がかかるのは昔からだったもんね……ま、それはいまでも変わらないけど」

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