15. 薔薇の深淵へようこそ
お昼ごはんは園内のレストランで、皆そろってシーフードカレーを食べた。
店の完全な手作りで、辛さもちょうどいい。味もなかなかのものだった。そのすじではわりと有名店らしく、グルメ雑誌やブログなどでもたまに紹介されているらしい。
それぞれアイスコーヒーやオレンジジュースで喉をうるおし、ひと息つく。
最初のうちはちょっと緊張気味だったのも、学校の先生のうわさ話や好きなタレント、映画の話題などで話もはずみ、食事が終わるころには和やかな雰囲気がただよっていた。
楽しいときほど時間が経つのは早いというが、まさにその通りだ。レストランを出たときには三時をすぎていた。
「あまり遅くなると帰りも大変だし、そろそろショップに行ってみる?」
瀬野の提案に皆がうなずく。
園内は広く、まだ全体を見てまわっていなかったが、ショップが五時には閉店してしまうらしく、あまりゆっくりもしていられなかった。
けっこうな距離を歩いて、足が痛くなってきたのもある。
スニーカーを履いている俺たち男子はいいけれど、晶たちは素足にサンダルだったので、さすがに表情に疲れが出てきたのもある。
ショップといっても薔薇園に併設されていることもあって、こちらもかなりの広さを誇っていた。
エアコンがきいた室内にはフラワースタンドやオーナメントを始めとした、ガーデン用のインテリアや小物が飾られている。
ウエルカムボードやガーデンライト、風見鶏、もちろんバードパスもあった。それも何種類もだ。輸入品もかなりの数がそろっていて、ウインドショッピンクだけでも充分に楽しめそうだった。
「可愛い!」
晶たちが目を輝かせて、店内を見まわす。
俺はといえば最初の予定はどこへやら、初めて遊園地にやってきた幼児みたいに興奮していた。
ああ、もう! どこから見たらいいんだろう。それよりも、見るもの見るもの、みんな欲しくなる。
「この向こうに生花のコーナーがあるよ」
瀬野が指し示す方向に目をやると、南に面した一角がウッドデッキになっていた。
カラフルな一年草の花苗やさまざまな色や形のカラーリーフ、キッチンガーデン用のハーブ類もここだった。クレマチスやクリスマスローズは人気があると見えて、別にスペースをもうけている。
そして色とりどりのミニバラが。
「せっかくだから、なにか買っていこうかな」
アイスバークちゃんと晶は、ミニバラのコーナーに向かい歩いて行く。
俺としてはここはぜひともアイスバーグをお勧めしたいところだった。なにしろ白雪姫の別名を持つアイスバーグは正真正銘の名花だ。見た目の美しさはもちろん、棘も少ない。おまけに四季咲き性も強く、春から秋の終わりまで本当によく咲いてくれるのだ。
とはいえ、ミニバラと違い気軽にお迎えするには場所をとりすぎるのも事実だった。あの品種は高さはそれほどないが、扇みたいに横に広がって枝を伸ばすのだ。
どう少なく見積もっても一メートル四方はスペースを必要とする。その点、ミニバラなら場所を取らないから、気軽に買って帰っても後で後悔することもないはずだった。
ロザリアンたるもの、ここは自分の好みはぐっと押さえ、本当に相手に合った品種をお勧めするべきだろう。
「見て! すごく……綺麗」
アイスバーグちゃんが手に取ったのは、プチシャンテシリーズのスノーシャワーだった。
その名のとおり雪みたいにまっ白なミニバラで、ちょうど三センチくらいの八重咲きの小花が、それこそ植木鉢からこぼれるように咲く。
「変わった花の形なのね。ちょっとデージーに似ているみたい」
「綺麗だろ。これは人気品種なんだ。おなじシリーズでピンクもあるよ。ほらこれ……ハッピートレイルズっていうんだ」
おなじ花型おなじ樹形なのに、不思議なもので色が違うだけで印象までががらっと変化する。もう一方はハッピーという言葉がまさにぴったりで、華やかで愛らしく、元気いっぱいという印象だった。
「どうしよ……どっちもすごい可愛くて選べないわ」
そう呟いて、アイスバーグちゃんは白とピンク、二つのミニバラを見比べている。首をかしげて思案するようすが、なんというか、すごく可愛い。
実はこのシリーズ、さんざんに迷ったあげく両方とも購入する人がけっこういるんだ。
「どうしようかなあ、いっそ、ここは思い切って……」
案の定、アイスバーグちゃんはタグを裏返すと、そこに印字された値段を凝視している。
財布を開けて中身と相談し、やがて結論を出した。どうやら両方ともお持ち帰りすることに決めたらしい。
ミニバラと一口にいっても千差万別で、実際のところ普通の薔薇に負けずおとらず奥が深い。種類も豊富だし、当然ながらブランド苗も存在する。毎年、新作も発表されている。
小さくて場所を取らないぶん、ついついもう一鉢、と買い足していくうちに気づくと首までどっぷり浸かっている、なんてことになってしまうのだ。
薔薇の深淵へようこそ。
俺は心のなかで、そうつぶやいた。
ふと店内を見まわすと、ぽつんとひとりでいる伊勢崎に気がついた。
ああ、しまった!
俺としたことがアイスバーグちゃんと親交を深めるのについ夢中になって、伊勢崎の存在をすっかり忘れていた。これじゃあ友達失格だよな。
「……伊勢崎!」
呼びかけると伊勢崎は顔をあげ、こっちに手を振った。
「あれ、なにか買ったのか?」
伊勢崎は手に白いビニールをさげていた。
けど、この店にあるもので、伊勢崎が興味を持つような物なんてあるのだろうか?
「それ、もしかして……花だよな? って、ミニバラじゃないか」
いったい何事だろう、と驚く俺に対し、伊勢崎はなんだか心ここにあらず、といった雰囲気だ。顔が心持ちにやけていると思うのも、きっと気のせいなんかじゃない。
間違いない。どう見てもミニバラだ。おまけに白い。
「それスノーシャワーか? ……いや、違うな」
一見したところアイスバーグちゃんが購入したミニバラとよく似ているが、どうやら別の白薔薇らしい。
ちょっと見せてくれ、となかば奪うようにしてビニールを受け取り、中身を確認する。開花しているの花は白いが、いくつか緑色の花が混じっていた。
「グリーンアイス!」
白のポンポン咲き。四季咲き性が強く、多花性でもある。咲き始めは純白だが、咲き進むとうっすらと緑を帯びる、ちょっと風変わりな品種なんだ。
ぱっと見たところ目立たないからか、ついつい見過ごされがちだけど、これって知る人ぞ知る超人気品種じゃねーか!?
よりにもよって、この品種を選ぶなんて。
「おまえ、意外と目の付け所がいいな……」
感心して言うと、伊勢崎は頬を赤らめた。
「晶ちゃんが見立ててくれたんだ……お、俺に、ちょっと似てるらしい」
あーあ、ゆでだこみたいに顔がまっ赤じゃねーか。しかし、いつのまに……。
なかばあきれながらも、俺は「いいとこ突いてるなあ」と思った。
さすがは俺の妹だけあって、ああみえて晶は、けっこう薔薇にくわしいんだ。なんたって普段から、うるさいくらいに俺にレクチャーされているしな。うざい兄ですまん、妹よ。
伊勢崎は言った。
「花を選んでもらったお礼にアイスでも、と思ったんだけど……」
お礼って……おまえ、そもそも花なんか、まったく興味ないじゃねーか。
なんて、つっこみは胸の奥にしまいつつ、俺はあたりを見まわす。
「あっちで薔薇フレーバーのアイスを売っているんだ」
「薔薇フレーバー……へえ、そんなのあるんだ」
伊勢崎の言葉に興味を覚え、俺は聞き返した。
「うん。変わってるだろ。他にもいろいろ種類があるけど、晶ちゃんが、皆も呼んで一緒に食べましょうって……」
おまえ、さては晶とふたりきりでアイス食べるつもりだったな? そうはさせんぞ、ちゃっかり者め!
晶ちゃん見なかった? あらためて尋ねる伊勢崎に首を振る。
「いや、晶は……」
見てないな、そう続けるつもりだった。
店内の奥まった場所、ガーデンテーブルや木製の収納庫が展示された一角がある。そのなかのひとつ、なかば影になるようにして一組の男女が向かい合っている。
晶と瀬野だった。
二人は真剣な面差しで、なにやら話をしている。俺のいる場所からでは遠すぎて、会話までは聞こえてこなかった。
俺はその場に立ち尽くした。
晶は俺ほどじゃないが、やはりガーデニング全般にくわしい。薔薇のこともよく知っている。
女の子だし、当然のことながら花は大好きだろう。
それに、ものすごく……可愛い。
超がつくイケメンの瀬野と並んでも、まったく引けを取らないくらいに。
それどころか、お似合いと言ってもいいくらいだ。
なぜだかはわからない。
けど俺は呆然としたまま、しばらのくあいだ動けなかった。




