12. ひろがる波紋はローズピンク
◆◆◆
「うーん、悩むよなあ……」
自室のベッドの上であぐらをかき、俺は何度目かのため息をついた。
目の前には何冊もの雑誌が広げてある。
『ナチュラルガーデニング』や『薔薇の咲く庭造り』に『花時間』そして『マダム・アキコのイングリッシュローズが香る庭』などだ。どれも穴の空くほど眺めた、俺のお気に入りの本たちだ。
「うちの庭のスペースを考慮すると、やっぱり表のフェンスは二種類が限度だよな。リビングから見える中庭は淡いピンクと白でまとめるとして、外から見える場所は……どうせなら華やかな感じがいいか」
この街に引っ越してきたのはゴールデンウィークだったから、そろそろ一ヶ月になる。
部屋の半分を占領していたダンボールもようやくすべてが片付き、これで、いよいよ念願の庭造りに着手できる段階にきていた。
「四阿やガゼボはさすがに諦めるとしても、せめてパーゴラかアーチは欲しいところだよな」
下校途中に立ち寄った書店で、買ってきたばかりの専門誌をぱらぱらとめくる。
見開きのカラーページでは濃いローズ色のアンジェラが木目調のトレリスをなかば覆うようにして咲き誇っていた。
「うん、これなんかいいよな。表フェンスかパーゴラに絡めたらピッタリだよな」
華やかで病気に強く、つる薔薇には珍しい四季咲き。おまけに花数も多い。アンジェラはまさにオールマイティーな薔薇なのだ。
とても古い品種で二十年以上も前に日本でも一世を風靡したため特に珍しいというわけではないが、こうして見ると「なるほど」と納得がゆく素晴らしさだ。
「バードパスは外せないし、シンボルツリーも……できれば池をつくって熱帯睡蓮でも浮かべたいよなあ……あれ、そうすると薔薇を植えるスペースが大幅にせばまるんじゃないか?」
そう言って、俺は何度目かのため息をつく。
自分でいうのもなんだけど、これって、ものすごく贅沢な悩みだよな。
まだ誰も手をつけていない、まっさらな庭。
芝生の種類や、花壇、煉瓦の小道。テーブルのセットに、庭のあちこちを彩る小物たち。
表のフェンスに植え込む薔薇をはじめ、どこにどんな品種を植えようか、と思いを巡らせるだけで、自然と顔がほころんでくる。
「どう考えても全部は無理か。とはいえ、何を諦めるかと言われると……うーん、困ったな」
そんな贅沢な悩みに没頭していると、玄関チャイムが鳴った。
たぶん妹が帰ってきたんだろう。
「ただいまー」
思った通り、晶の声がした。
階段をあがる足音がして、隣の部屋へと入っていく。
「おかえり。なんかさー、一年の子から手紙をあずかったんだけど」
俺は学校でもじもじ美少年に手渡された封筒を手に取ると、自室のドアを開けた。
「手紙?」
晶が自分の部屋のドアを開け、首をかしげる。
「そう、また手紙。なんかあまりにも一生懸命っぽくて、断れなかったんだ。ごめん」
そういや、なんで上級生の俺に渡したんだろう。同じ一年の晶に直接渡した方が断然はやいのにな。
あ、恥ずかしいって、このことか?
「うん。べつにいいけど」
封筒を裏返す晶に俺は言った。
「……知ってる? 深見光。ひかる、って書いて、リヒトって読むんだって。ドイツ語ではそう言うらしいぜ。うちじゃないけど、ぶっ飛んでるよな」
「ああ、深見君ね……うん、知ってるよ。けっこう有名人だから」
そりゃあ、そうだろう。あれだけ容姿が整っているんだから。
「色白で目がくりくりで睫毛が長くって、お人形みたいな子でさー……おまけにやたら人なつっこいって言うの? 俺のことかっこいいとか勇気があるとか、あと尊敬してるとか? 驚くよな。いきなりそんなこと言われてあせったのなんのって」
晶は、封筒を開け、手紙を広げた。
「……なるほどね。また、このパターンってわけか」
「どうかしたか?」
「ううん。なんでもないよ」
晶が首を振る。
「……まあ今回は相手が相手だし、心配ないかな……問題は別のところにあるし」
意味不明なことを呟くと、晶は笑みを浮かべた。
「深見君には、あたしから話すから、お兄ちゃんはなにもしないでね」
「了解。外野は黙ってるよ」
ラブレターの相手ならともかく、その兄貴から断られたら、いくらなんでも可哀相だしな。
「あれ?」
封筒には書かれていなかった宛名がふと目にとまった。
「名前間違えてるじゃねーか」
相原望さま――そこには俺の名前が書かれていたのだ。
馬鹿だなあ、リヒトのやつ。逆になってるじゃねーか。
いくら間違えやすい名前だからって、好きな娘の名前を間違えるなんて、普通するか? 晶に対しても失礼だろ。ああもう! そりゃ、フラレるって……
でも、まあ、あれだ。お前だけじゃないから安心しろ。
これもやっぱり日常茶飯事だったしな。
手紙を元通りに折りたたんで封筒にしまうと、晶は言った。
「あ、そうそう。お兄ちゃんの分も買ってきたのよ、アイス」
「お! サンキュー」
そう言って、引っ込む晶の後に着いて、ピンクのカーテンがかかった部屋を覗き込む。アイスか。チョコモナカだといいな。
そんなことを考えていた俺だったが、部屋の前で棒立ちになった。
アイボリーの絨毯の上に座り、こっちを見あげてくる黒い瞳。初めて見る女の子だった。晶の友達だよな?
「……こんにちは」
心持ち頬を赤らめて、ぎこちない笑みを浮かべる。女の子は、ちょこんと頭をさげた。
「あ、彼女は同じクラスの小沢由紀さん……こちらは兄よ」
「あ、こんにちは。どうぞ、ごゆっくり」
俺はガラにもなくどきどきした。
さらさらストレートの長い髪が、なんていうか、すごく清楚な印象なんだ。たとえるなら白薔薇みたいな。
うん。まさにそんなカンジだ。
シュネーヴィッチェン――白雪姫の別名を持つ、アイスバーグみたいに。
むろん、言及するまでもない。
某海賊マンガに登場する、あの人とは無関係だ。
◆◆◆
一度あることは二度ある。
ことわざにもあるように、あることが起きると、往々にして同じようなことがくりかえされるという。
まさに、いまがその状況だった。
目の前には、三年生。またもや長身のイケメンだ。
「相原……望くん」
「そうですけど」
昼めしどきとあって、屋上には俺たちの他は誰もいなかった。
リヒトのときは相手が一年生だったから気楽なものだったけど、今回は上級生とあって、俺は慎重になっていた。
兄としては、妹の意志を尊重するのは当然だし、へたに安請け合いして、その気もないのに仲を取り持つことになるのは困るからだ。
というか、顔だっていいんだし、ガタイもいいし、だいいち上級生なんだから、ちょくせつ本人に告白すればいいんだよな。
なんだって俺が屋上なんかに呼び出されなきゃならないんだ。
あ、つまりあれか。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、ってやつ?
ようする外堀から攻めていくつもりだな。
ふざけやがって! 理不尽にもほどがあるよな。
「あの、こういうの困るんですよね……悪いけど俺――」
「うん。ごめんね。悪い意味にとって欲しくはないんだ」
突き放すような言い方に腹を立てたようすもない。
それどころか、いきなり下手に出られて、逆に俺は拍子抜けした。
「まあ、かまわないですけど」
三年生がうなずいた。
「噂のことで……君に興味があるっていうのかな。つまりはそういうこと」
「……え!?」
それってつまり?
俺は目を剥いて、目の前の三年生につめよった。
「センパイ……もしや薔薇仲間なんですか!?」
「薔薇……君って見かけによらず、面白いんだね」
一瞬、驚いたように目を見開いて、三年生は笑みを見せた。
「単刀直入なのは嫌いじゃない。むしろ反対だな……うん、そういうのは好きだ。で、君はどうなの?」
郊外ばんざい!
昨日のリヒトといい、この人といい、薔薇好きが続々と現れるなんて、思ってもみなかった。
「あんまり大声ではいえないけど、その……どっぷり浸かってます」
「……瀬野は?」
「瀬野は同じクラスで、たまたま知ったんですけど、意外にも詳しくて……いろいろ教えてもらってます」
「同じクラスだから、たまたま?」
三年生はしばし黙り込んだ。
「……それって、クラスメイトだから、そうなったってこと? もしかして、君、フリーなの?」
「たぶん……そう、なのかな?」
俺は曖昧にうなずいた。他人の家を覗いていた事実は、さすがに言いにくい。まるきり変態だもんな。
ところでフリーってなんのことだ?
「すごい言いにくいんですけど最初は偶然だったんです。やばいところを見られちゃって……そしたら瀬野が、なんていうか妙に強引なところがあって。このあいだ家に遊びに行って……そしたら、すごい……お、俺!」
あの庭といい、雑誌といい、どう考えても普通じゃないよな。俺でなくたって、薔薇好きなら衝撃を受けるに決まってる。
それにマダム・アキコのことは勝手にバラしたらまずいよな。
なんたって、何冊も本を出版されている、イングリッシュガーデンのカリスマだもんな。
知ったらマニアどもが大挙して押し寄せるに決まっている。まあ、俺もそのひとりなんだけど。
「瀬野のことはよくわかったよ……それなら、俺のことも考えてみてくれるかな?」
「あ、はい……」
俺は奥村正隆――三年生はそう名乗ると携帯番号が書かれた紙を渡してきた。
「君となら楽しい時間が過ごせそうだな……いつでも電話してよ。いろいろ教えてあげる」
そう言ってウインクをよこす。
なんだかキザなセンパイだな。
薔薇好きには変人が多いってことなんだろうか……。




