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C-1「シャワールームにて」

服を脱いでお風呂に入ろうとした時、リビングの方から怒鳴り声が聞こえてきた。

ばばあの声だ。リビングには恵那がまだいたから、あの子に対して怒っているのだろう。恵那の姉である神崎志穂はバスタオルを肩から羽織ると、もっとよく聞こえるようにとリビング側の壁に自分の耳を押し付けた。


『私は絵の――に行きたいの!絵の――をしたい!もっと堂々と描きたい!』


『絵の学校なんかに行っても何にもならいでしょうが!いい学校に入る事が、いい人生の第一歩なのよ!』

 

恵那の声で一部聞こえなかった所があったが、もめ事の内容は理解できた。ついに勉強ばばあに反抗したのね。恵那が隠れて絵を描き続けていたのも知っていたし、いつかはこうなるだろうと踏んではいたが、あのばばあに「説得」は効かない。勉強が全てと思い込む事でしか生きられなかった女だからね。

 

志穂はバスタオルを置くと、持ってきていた携帯電話を開いた。新着メールが何件か来ている。「桜ヶ丘女学園」の名を使うだけでこうも虫が沸いてくる。馬鹿な奴等だ。その中でも一番高い金額表示の男にメールを返信すると、志穂はシャワーのノズルを思いっきり捻った。






志穂の身体は既に汚れきっていた。こんな安いボディーソープでは洗い落とせやしない。いつからこんな身体になってしまったのだろうか。思い当たる節といえば、私立中学に通うようになってからだった。

 

難関と呼ばれた私立中学に合格したあの日から、自分の人生は変わってしまったのかもしれない。私立中学は都心にあったため、嫌でも電車通学を強いられた。そして志穂にとっては地獄そのものだった。毎朝の通勤ラッシュに痴漢、乗れない女性専用車両。毎日のように繰り返される地獄の波に、志穂はただ耐えるしかなかった。どんなに車両を変えても、乗る時刻を変更しても、おかしな奴はどこにでもいた。溢れかえっていた。駅でしつこい位に勧誘された事もある。

当時世間を知らなかった志穂の心はズタズタにされた。こんなに汚いモノが世の中を動かし、はびこっている。この世界は腐っていた。担任の先生からも変な目で見られ、何度も文句をつけられて呼び出されては自分の欲望をお願いされる始末。間違っていた。こんな世界は間違っていたんだ。恵那がこんな中学に受からなくて本当に良かった。こんな汚れた世界を、恵那には知って欲しくなかったのだ。


それから志穂は必死に勉強をした。みんなに追い越されないように。担任に呼び出されないように。それと同時に、志穂はこの家を出たいと考えていた。勿論恵那と一緒に。この家は息苦しすぎる。自分の居場所が見つからない。机にひたすら向かう先に何があるとでもいうのか。志穂は未だ自分の行動に意味を見出せずにいた。もっと自由に暮らしたい。誰からも抑制される事もなく自由に。


しかし学園に入ってからも同じ事だった。相変わらず世界は汚れていた。先生も相手が代わっただけで、考えてることはどうやら一緒のようだった。そんな大人達を、今度は志穂が逆手に取った。それが援交だ。最初の相手は担任の先生だった。事を運ぶのは思っていたよりも簡単だ。「分からないところがあるから教えて」とせがむと、その男の目は非常に輝く。あとは上手い事をこじつけて、自宅まで押しかければこっちの勝ち。今でも月一でそいつとは遊んでいる。所詮男はみな、飢えた動物だった。






お風呂から出ると、志穂はばばあの様子見も兼ねて飲み物を貰いに、リビングへと入った。

ばばあがテレビの前でうなだれたように座っている。心ここに在らずといった所だろうか。志穂は何も知らない振りをして、ばばあに話しかけた。


「お母さん、どうかしたの?」


「志穂……お母さん、教育方法間違えたのかしら」


「どうして?」


「恵那がね、絵の学校に行くと言い出したのよ。そんな学校に入ったら、一流大学に入れなくなるわ」


「そうね……でも、恵那のやりたい事もやらせてあげてもいいんじゃないの?」

 

志穂がそう告げると、ばばあは途端に目の色を変えた。


「志穂までそんなことを言うの!?あんたも恵那の味方なのね!」

 

そう言ってわぁわぁと泣き出した。この気持ち悪い生き物は何なのだろう。いい近所迷惑だ。せっかくお風呂に入ったのにまた汚れてしまう。


「そんなつもりはないけど……じゃあ私からも、恵那に言ってみるね。私と同じ学校に行こうって」


「志穂だけね……お母さんの言う事を聞いてくれるのは……」

 

不気味な生物ににっこりすると、志穂はキッチンで2つのコップにお茶を注いだ。1つは恵那の分だ。これを口実に部屋に入れてもらおうと考えていた。今のばばあにこれ以上関わりたくはない。志穂は「恵那に説得してくるから」と告げて、リビングをさっさと後にした。




部屋のドアをノックしてみたが、返事がない。だが確実に恵那がいるのはわかっていた。志穂は面倒くさそうに一息つくと、もう一度ノックしなおす。


「恵那?部屋にいるんでしょ?お姉ちゃんよ。冷たい飲み物を持ってきたから、ここを開けてちょうだい」

 

中からは何も反応がなかった。駄目か。あんなばばあが吠えたぐらいでいちいち落込んでたら、この先きりがないわよ。


「まだ暑いし、水分を口にしないのは危ないわ。コップだけでも受け取ってちょうだい」

 

こう言えば恵那は開けてくれるだろう。その証拠に、向こう側で何かを引きずる音が聞こえる。しばらくドアの前で待っていると、恵那がしょげた様子で出てきた。泣き顔をあまり見られたくないのか顔を伏せている。部屋の電気は点いていなかった。


「お姉ちゃんありがとう……」

 

志穂は持っていたコップを一つ渡すと、渡し際にこう言った。


「お母さんに何を言われようが、恵那のやりたい事をやりなさい。私は恵那の味方だからね」

 

恵那に微笑みかけると、そのまま隣の自分の部屋に入った。今は余計な詮索はしない方がいい。例え姉でも自分の泣き顔を他人に見られたくないものだ。

志穂は自分の分のコップを机の上に置くと、携帯を開いた。もう返信が来ているようだ。適当に場所と日時を指定すると、それを面倒くさくなったようにベッドへ放り投げた。


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