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B-1「花の水遣りにて」

「河村、ちょっといいか?」

 

授業が終わると突然、担任の先生が話しかけてきた。手には夏休み前に提出した進路希望調査の紙を持っている。河村は「はい」と素直に答えると、先生と一緒に職員室へと向かった。

これから進路についてあれこれ問い質されるのだろう。何だか刑務所でも連行されている気分だった。


「河村。進路希望先が白紙になっとるのだが、どういう事だ?」


「はい……。まだ考え中でして……」

 

河村は嘘をついた。行きたい高校ならある。でもその希望を書けないまま、結局白紙で提出したのを思い出した。

大体、夏休み前に提出した筈なのだが、今日まで一度も問い詰められた覚えはない。今更かよと思いながら、河村は目の前の先生を睨みつけた。


「考え中かぁ……河村は成績いいから、行けそうな高校なんていくらでもあるじゃないか」


「そうかもしれませんが……すみません、もう少し考えさせてください」


「そうか……でももう九月だしなぁ。第一志望くらい早く決めないと、勉強に手がつけられなくなるぞ?」


「はい……」

 

勉強ならとっくにしている。


「十月中にはちゃんと埋めて提出しなさい」


「……わかりました」

 

河村は先生から進路希望調査の紙を受け取ると、静かに職員室から出た。

廊下に出ると運動部のやかましい声が聞こえてくる。


「……お気楽な奴らだ」

 

河村は窓の外を見下ろしてから、先ほど受け取った紙を見下ろす。枠が三つあり、上から順に第一、第二、第三希望と書かれている。河村はため息をつくと、それを半分に折って鞄の中に入れた。






河村は農業科のある学校に行きたかった。

特に植物について学ぶ為だ。でもその農業科のある学校は自宅から通うのにはあまりにも遠く、どうしても寮に入らなければならない。河村の家ははっきり言って貧乏だった。下にはまだ三人の弟と、二人の妹までいる。今の家庭の経済状況からして、とても寮で一人暮らしは出来そうにもなかった。それに弟や妹の世話だってある。いつも頑張って働いている母親の背中に向かって、河村は自分の進路希望をなかなか言えずにいた。


「今日も花壇によっていくか……」

 

あそこに咲いている花達を見たら、少しは言える勇気がもらえるかもしれない。そんな馬鹿な事を考えながら、一人校舎裏の花壇へ向かった。

校舎裏なら部活動のうるさい声が届かない。それにプールの授業も終わったので、補習で残っていた生徒もいないはずだ。この学校は水泳部がないのでプールは完全に閉鎖される。つまり一人で考え事をするのに、もってこいの場所となったわけだ。


「あれ?……もうプールに鍵かけてるのか」

 

先程まで出入り可能だった白いフェンスには、銀の南京錠がしっかりと掛けられている。

河村は舌打ちをすると、仕方なく忍び込めそうな場所を探した。見事に白いフェンスに囲まれたプールサイドは、すぐ傍が駐車場ということもあって、花壇側からは登れそうにもない。それに校舎から見える位置なので、誰かに見つかる可能性だってある。現にここでうろうろしている今にも、誰かに見られているような気がしてならなかった。


「横の排水溝がある細い道から、植木を死角にして登るしかないか……」

 

辺りに誰も人がいない事を確認すると、鞄をコンクリートとフェンスの隙間から侵入させる。その後自分もプールサイドへと侵入した。この植木の高さからして陰に入っていれば下からはおろか、校舎の上からでも見られる心配は無さそうだ。


「ふぅ……」

 

河村はプールサイドに仰向けで寝そべった。背中に感じる冷えたコンクリートが心地良い。空を見上げると淡い赤に染まっていた。何気なく手を伸ばしてみる。こうしてみると何だか自分と空との距離が縮まった気がした。


「昼寝には最高の場所だな」

 

河村はそっと瞳を閉じた。






自然と一体になる時、河村はあの先生の事をよく思い出す。あの先生とは、河村が小学校五年生だった時の担任の先生だ。名前に確かヤマのつく苗字で、クラスのみんなからは「オニヤマ」と呼ばれていた。オニヤマは見た目がごつくて怖くて、四十手前の結婚し忘れたような女性だった。生徒にも厳しく、宿題を多く出す先生としてみんなからは好かれていなかった。河村もよく友達と悪ふざけをしてはオニヤマに叱られていた。


そんなオニヤマを、河村は花壇の前で見かけた。あれは夏の日だった。クラスで一番乗りになってやろうと、朝の早い時間に登校した時だ。グランドの片隅にある花壇の前にオニヤマがいたんだ。生徒にも見せたことのない、とても優しそうな顔で花に水をあげていた。河村は先生の意外な一面を見て驚いた。それをクラスのみんなに言った所「嘘だ、オニヤマがそんな事するはずがない」と嘘つき呼ばわりされたのを覚えている。

悔しくて、なんとか先生の正体を暴いてやろうと、何度か花壇に足を運んだ。いつも朝早く、みんなが登校する前ににオニヤマは花壇の水遣りをしていた。一度試しに花壇を少し荒らしたこともあった。それでも次の日には元通りになってたんだ。オニヤマが戻したに違いなかった。


ある日河村が物陰でオニヤマの水遣りを観察していると「最近いつもそこにいるわね」とオニヤマが振り向いた。どうやらバレていたらしい。河村はバツの悪そうな顔をして、仕方なくオニヤマの前に出ると「あら、河村君だったのね」とオニヤマは笑って答えた。

オニヤマは手招きをすると、河村にホースを持たせた。先生の手がやけに大きくてびっくりしたのもはっきりと覚えている。


「葉の根元に出来るだけかけてあげるのよ」

 

河村にそう言って指示をすると、オニヤマは遠くから花壇を観察し始めた。一通りの水遣りを終えてオニヤマが言う。


「花壇を荒らしたのは君だったのね」

 

心臓がえぐられたかと思った。オニヤマが無理矢理河村を荒らした花達の前に座らせた。


「この辺の花にもちゃんと水をかけてあげなきゃ駄目じゃない」

 

河村はすみませんと言って、それからごめんなさいとも言った。


「どうしてこの子達を虐めたの」

 

河村は何も言わずに目を伏せていると、オニヤマが語りだした。


「この花達だって懸命に生きているのよ。面白半分で荒らすのはよくないわ。ちゃんとお花にも謝りなさい」

 

河村は「ごめんなさい」と言って花を撫でた。その様子を見てオニヤマが河村の頭を撫でる。


「これからここの花壇は君に任せたわよ。いいわね」

 

それから毎朝河村とオニヤマで花壇の水遣りをした。オニヤマは優しかった。元々植物か何かを専攻していた先生で、河村にも植物についていろいろと教えてくれた。植物図鑑ももらったりした。しかし半年後、オニヤマはいなくなった。他の学校に転勤してしまったらしい。それからというもの河村は、オニヤマとの約束を守るように毎朝花壇に水をあげ続けた。

だが、オニヤマがいなくなった日から花達は寂しそうに何本か萎れてしまった。その様子に自分も何だが寂しくなって泣いた。こいつらはオニヤマのお陰で元気に咲いてたんだ。あの時は荒らしてごめんな。ごめんな。






オニヤマは今頃どうしているのだろうか。今の河村が花壇に執着しているのも、オニヤマの影を追っているからだった。あの花壇は河村が卒業した後、下の弟達に任せてある。きっと他の学校に行っても、オニヤマは毎朝花の水遣りをしているのだろう。

オニヤマのお陰で今の自分がいるのかもしれない。なんて思いにふけっていると、近くで声が聞こえた。河村は跳び上がった勢いで鞄を両手でしっかり抱えると、息を潜めた。


「えっ!もうここ閉まっちゃってる……どうしようかなぁ」

 

がちゃがちゃと何度かフェンスを揺さぶる音がする……何だ、忘れ物でも取りに来たのか。生憎もうフェンスは施錠されていた。


「もう一度だけ更衣室見たかったのになぁ……」

 

よく分からない発言と共に音が止んだ。諦めたのだろうか。河村はゆっくりと音がした方向を見てみると、そこにはクラスメイトの神崎恵那がいた。


「神崎かよ……」


「うわぁ!」

 

神崎はまた奇妙な叫び声をあげて、その場に尻餅をついた。


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