B-8「いつもの朝にて」
翌日。河村はいつも通り下の弟たちの蹴りで起こされた。何ら変わらない朝。
だが河村は、昨日男として神崎に告白した。その事実だけはしっかりと胸に刻まれている。もう抑えられなかったんだ、いろいろと。ただひたすら絵を描く自分にしがみついている神崎の目を、覚まさせてやりたかったんだ。
河村は眠い目を擦りながら学校へ行く身支度を始めた。今日は今年最後の授業、そして明日は終業式だ。昨日までの完成度と、神崎の絵を描くペースからして今日中か、明日には完成してしまうだろう。
絵が完成したら、神崎は自殺するつもりだ。あの様子からして間違いない。何とか食い止めなければ。
河村はもう一度神崎のお姉さんと話をしようと考えていた。神崎を止められるのは自分か、お姉さんしかいない。水嶋は……駄目だ。こんな重荷を背負わせるわけにはいかない。
河村は朝早くから迷惑だと思ったが、神崎の家に電話した。
『……はい、神崎です』
お姉さんの声だ。丁度良かった。
「朝早くにすみません。俺、神崎の友達の河村優二です」
『ああ、あの時の。どうしたの?こんな朝早くに』
「多分今日中か、あるいは明日にでもあいつの絵、完成すると思います」
『…………』
河村がそう告げた後、暫らく無言が続いた。河村が返事を待たずに聞く。
「昨日、あいつの様子に変わった所はなかったですか?」
『…………』
お姉さんは答えない。それとも答えたくないのか。河村は受話器を押し当てて返事を待った。
『私の携帯番号教えるから、控えなさい。外で話すわ』
河村はお姉さんの言うとおりに番号を控えると、自分も携帯を持って外に出た。何コールか鳴った後、お姉さんと繋がった。
『もしもし。あなた、恵那が出てたらどうするつもりなのよ。あの子を挑発する気?』
「……すみません。でも俺、あいつを止めたいんです」
『まだ分からないでしょ。絵が完成したからと言って、恵那がその後どうするかなんて……』
「俺、昨日あいつと少し話しをしました。そして確信したんです。この世界からもいなくなってしまうと」
『…………』
ため息が聞こえた。河村はめげずに再度聞く。
「昨日、あいつに変わった様子はなかったですか?」
『そうねぇ……派手に片付けをしてたくらいかしら』
「片付け?」
『ええ。何だかノートやらスケッチブックやらいろいろと引っ張り出してたみたいだけど』
「……更衣室に持ち込む気だ。それ以外に変わった事は無かったですか?」
『特には……あなた、本当に恵那が死ぬとでも思ってるの?単なる思い込み過ぎじゃない?』
「俺には……あいつの考えてる事、分かるんです。あいつ、すぐ顔に出るから……」
『…………』
暫くの無言。そしてお姉さんの方から切り出した。
『それで、君はどうするつもりなの?今下手に刺激したら、それこそ恵那の思うつぼじゃない』
それもそうだ。今は一人で騒がずに、そっとしてやるべきかもしれない。
でも、だからと言って、神崎が死ぬと分かっていながらもじっとしているなんて出来る筈がない。
『最終的には恵那が、自分が決める事よ。私達があれこれ口を挟んだって、恵那が決めた事にはどうしようもないじゃない』
「だからって、あいつをみすみす殺させる気ですか!」
河村は目の前を手で切った。
『それは私も同じよ。とにかく恵那を刺激しないように見守るしかないわ。もしもの事があったら、その時は君が全力で
恵那を守りなさい』
そう言って通話が途切れた。神崎のお姉さんに告げた所で、的確な答えは出てこなかった。後は自分で何とかするしかない。自分が神崎を止めるしかない。
河村は自宅に戻ると兄弟達がうるさい中、朝食を平らげた。口が妙に渇いて味なんて分からなかった。
花壇に水遣りをしていると、神崎と水嶋が一緒に登校してきた。二人とも何か両手にいっぱいぶら下げている。
河村は昨日の告白もあって話かけようか迷ったが、水嶋の方から声をかけてきた。
「おはよう、河村。今日も園芸委員でもないのに水遣りしてるのね」
「まあな……そういうお前らは、両手にいっぱい何持ってるんだ?」
「ああこれ?恵那が他の自分の作品も資料として持ってきたいって言ったからさ。運ぶの手伝ってあげたのよ、ね!」
神崎が水嶋に頷く。河村は神崎の方を見たが、流石に気まずいと思ったのか、目も合わせてはくれなかった。
「俺も運ぶの手伝おうか?」
「あ、そう言えば何処まで運べばいいの?」
河村と水嶋が同時に聞く。神崎は「美術室までだよ」と答えた後、河村には「二人で運べるから大丈夫」と言って、そそくさと河村から離れていった。
無理も無いよな、昨日告白しておいて。河村は自分自身を責め立てながらも、あの作品達を神崎がどうするのかを考えていた。あれも死の材料として使うつもりに違いない。自分が神崎だったら……たぶん燃やすだろう。全てを消す意味で。しかし思い入れ深い作品達をあっさり燃やすなんて事、神崎がするだろうか。……分からない。
しかしカウントダウンが始まろうとしているのは明らかだった。